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<東京怪談ノベル(シングル)>


帰還

 目の前にあるのは頑丈そうに作られた扉だが、特に厳重な施錠が施されているわけではなかった。
 水嶋琴美の任務。この中に時限爆弾をセットして、施設を破壊すること。
 見張りという存在に多少の苦戦はしたものの、この仕事も難なく、終えられそうだ。
「これで、いいですね」
 手際よく時限爆弾を設置すると、ピッ、と電子音を響かせ、爆薬子を後にする。
 先ほどの見張りとの立ち回りが、敵に感づかれたのだろう。周囲が俄に騒がしくなるのが判った。
 爆弾が爆発すればここは跡形もなく破壊される。余計な揉め事に興じている暇は、ない。
 琴美は長い睫を下ろすように、かすかに瞳を伏せ、耳を済ませる。
 できるだけ静かな方へ。記憶の中の見取り図と照合しながら道を選び、駆け出した。
 一人や二人は出くわすだろうと覚悟していた敵も、その予想通り――やや多い程度に収まり、たん、たん、と軽い身のこなしで難なく施設を脱出した琴美は、まず、時間を確認した。
 爆発まで、あと一分も無い。下手に時間をおいて解除されても困ると、ぎりぎりの時間でセットしたはずだが、思ったよりは早く出てこれたようだ。
 ――それとも、目算を誤ったと反省すべきだろうか。
 結局は、どちらと取っても次の任務に最大限生かす経験に変換されるのだから、同じことではあるが。
 さん、に、いち――。
 心の中でカウントし、爆音とともに施設が炎に包まれていくのを見つめ、琴美は薄ら、瞳を細めた。
 はたはたと、遠いはずが爆風に晒されている服。漆黒の長髪も、飛散した塵と煙を背景に揺らめいていては、ただ美しいではすまなかった。
 悲しげにも見える、そんな、背中。
 だが、早々に見切りをつけて振り返った琴美に、哀愁じみたものは欠片とて伺えない。
 それが仕事だと、割り切っている。そんな、冷めた一面が、垣間見えた――。

 任務を終え、早々に組織へと戻った琴美は、まずは報告、と、自室へ戻る。
 行動と結果だけを記した簡単な報告書をつくり、送れば、数分としない内に、形式ばった労いの言葉が返ってくる。
 良くやった。次も頼む。
 それで、終わり。
 それを確かめた瞬間に、琴美を程よく昂ぶらせていた緊張は萎縮し、ゆるり、気も緩む。
 気持ちを完全に切り替えた後は、次の仕事まで、また何をするでもなく過ごすだけだ。
「ふぅ……」
 小さく息をついた琴美は、戦闘服を脱ぎ始めた。
 程よく体温を保たせていたブーツから解放された両足には、すぅ、と吹き込む風が酷く心地よい。
 ぴったりと張り付いていた服は、あの激しくも合った戦闘の影響か、かすかに汗ばんでいるように感じた。
「……まずはシャワー、ですね」
 上着とスカートをベッドの上に広げる形で放り、シャワールームに入りながらインナーとスパッツを脱ぎ捨てれば、抑えつけられていた、たわわに熟れた体が、その開放感に悦ぶのが感じられた。
 同時に、心の底で息吹いた感情も、俄に大きく育つ。
 さぁ、と体を滑る温かな湯に、任務先で拾ってきた汗や埃を全て漱ぎ落とせば、すっきりとした琴美に残ったのは、その感情だけ。
 ――それは、満足感。
 さしたる障害も無く、完璧といえる仕事ぶりが出来た。
 それは決して驕りではない。琴美は真実、完璧に仕事を遂行してきたのだ。
 任務を受けた時点で、思い当たる障害は全て考えていった。
 例えば、自分より遙かに強い敵がいるとか。
 例えば、潜入することが相手に気付かれており、罠にはめられるとか。
 例えば、タイマーが作動せず、爆破することができないとか。
 考えて、考えて。その上で、臨んだ。
 悪い考えに、けれど不安など微塵もなかったのだ。
 もしも自分より強い敵がいても、焦らず応戦すれば、必ず活路は見出せる。
 もしも罠にはめられても、冷静に観察すれば、見抜くことは出来る。
 もしもタイマーが壊れていても、もう一度、危険であろうと乗り込むだけだ。
 琴美の中には、あらゆる状況を思索し、あらゆる解決策を模索できるだけの知識があり、能力があり、何より、自信があった。
 濡れた体をゆっくりと拭き、しっとりとした髪を緩く纏め上げ、琴美は私服を纏う。
 戦闘服とは違い、ふんわりと体を包み込んでくれる柔らかな感覚は、琴美の迸るほどの色香をかすかに中和し、あどけない、少女の装いを膨らませるようだ。
 脱ぎ捨ててあった上着とスカートは、きちんとかけなおし、クローゼットへ。
「また、次も宜しくお願いしますね」
 ともに戦地を駆ける、いわばパートナーのような存在へ。慈しみにも似た言葉をかけて、ぱたり、扉を閉める。
 そうして、空いたベッドへ、腰を下ろした。
 疲れは無い。他人が聞けば驚くだろう。だが、同時に納得もするだろう。琴美の表情は、それだけ充実した装いだった。
 ごろん、と体を横たえ、匂いに包まれる感覚に、ふふ、と小さく笑みを零して瞳を伏せると、胸中にある満足感を、もう一度噛み締める。
「今回の読みも、概ね正しかった……」
 呟くことで、自信が深まる。
 ごろり。仰向けに転がり、眼前に掲げた白魚のような両手の指を眺め、琴美は一度、そこへ任務中にはめていたグローブの姿を重ねる。
 そうして、ぎゅっ、と強く握り締めると、満面の笑みを浮かべた。
「次の仕事も、きっと完璧にこなしてみせます」
 誰にとも無く。強いて言うなら、自分自身へ。誓うように呟いて、琴美はかすかに、まどろんだ。