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<東京怪談ノベル(シングル)>


『廃墟の片隅で』



 KYシティを行きかう人々は、今日も時間に追われながら生きている。
 時計を絶えず見ながら過ごす人々は、天空の太陽や星や月を見上げることもなく、ただひたすらに今日やるべき事をせわしくなくやる、その繰り返しであった。
 だから、シティの郊外にある捨てられたビル郡がある路地裏の空き地で、短髪で詰襟姿の少年が不良に恐喝され暴行されていても、誰も気に留めなかった。人通りが少ないのもあるだろう。しかし、たまに通るサラリーマン達は、空き地でのこの出来事を見てみぬ振りして、足早に去っていくのである。
 自分はあの中に巻き込まれたくない。そんな表情をして2、3回この現場を横目で見ていなくなってしまうのだ。
「ううっ」
 少年がうなり声をあげた。少年を殴っている男は、少年より頭一つ分は背が高く、柔道か空手でも習っているのだろう、がっしりとした体型に、分厚い筋肉がシャツに浮き上がっていた。
「もう2、3発殴ったら、お前は死ぬか?」
 不良がそう呟いたが、少年の口から漏れる言葉は、か細いうめき声だけであった。少年はすでに意識が朦朧としていた。
 何でこんな事になってしまったのかすら思い出せない。口の中が殴られたおかげで切れてしまい、喉に血の味を感じていた。抵抗しようと不良に手を伸ばすも、襟首をつかまれ手は不良にまったく届かなかった。
 視界が薄暗くなってきた。いよいよここで終わってしまうのだろうか。こんな寂しい、廃墟の中で自分は、捨てられてしまうのだろうか。
「うおっ!?」
 急に、自分の襟首をつかんでいた手が離れた。体が地面に崩れおりたが、かすかに開いている視界の先に、自分と同じぐらいの外見の少年が立っているのが見えた。そしてさらに、不良のまわりに、水が大量にまとわりついているのが見えた。
 不良の悲鳴と、自分を包むように持ち上げる何かを感じ取りながらも、少年は意識を失っていった。



「おい、大丈夫かよ」
 三島・玲奈(みしま・れいな)は自分を見つめる視線と声で目を覚ました。
 自分はいつの間にか、白いベットの上にいる。白いベットといってもかなり薄汚れているが、泥の地面よりはずっとましであった。
「自分こっぴどくやられたな。頭から血が出てるぜ、あんた」
 目の前にいる少年は、玲奈と同じぐらいの年齢だろう。目つきが少し鋭いが、しっかりとした顔つきをしており、着ている制服もかなり綺麗にしていた。
「ここは?」
 口の中にはまだ血の味が残っていたが、話せるぐらいまでには回復していた。玲奈はベットから起き上がると、その少年へと問いかけた。
「廃校になった学校だ。あんたが不良みてえな男に殴られていて、かなりヤバかったからなあ」
 ということは、あの死にそうになった場面から自分を助けてくれたのは、この目の前の少年なのだろう。
 玲奈はようやく、記憶を思い返した。そして、不良に暴行された悔しさと痛みとで、涙が溢れて止まらなくなった。
「おいおい、泣くなよ」
 少年は困り果てた様に玲奈を見つめた。
「何があったか知らねえが、あの不良は俺が捲いてやったからさ。とりあえず、その傷何とかしねえとな」
 号泣する玲奈に視線をやりながら、少年は座っていた椅子から立ち上がった。
 少年が学校の廃墟だと言った通り、よく見ればこの部屋には棚が並んでおり、壁には学園便りや保険便りと思われる掲示物が張られていた。棚にはまだ薬品があり、ここは保健室なのだろう。
 廃墟にも関わらず物品がかなり残されているということは、ここは何かの理由があっていきなり破棄された学校なのかもしれない。玲奈のそばには、学生のものと思われる教科書が落ちていた。
「おいあんた名前は?」
「玲奈」
 少年に名前を聞かれ、玲奈は静かに答えた。
「玲奈?女みたいな名前だな」
「いけないのかよ!」
 玲奈は少年に叫んだ。
「いけないなんて、んな事言ってねえだろ。おい玲奈、頭の皮がむけちまってるぜ?止血するには、髪の毛剃らねえと。髪の毛が邪魔だ」「好きなようにやってくれよ。任せるから」
「そうか。じゃそうする。いいか、絶対に動くなよ、剃刀を使うからな。変なところで動いたら、もっと頭から出血だ」
 少年は玲奈の髪の毛を掴み、髪の毛を根元から静かにそり始めた。剃刀を使うと言ってたが、何だか感触が違うような気がする。鋭い刃物には間違いないだろうが、剃刀とは違う何かで、この少年は玲奈の髪の毛を剃っている気がしてならなかった。
「俺は遠江梓音だ」
 梓音という少年は静かに自分の名を名乗った。
「このあたりはああいう不良がウロついてんだ。あまり近付かない方が身の為だぜ?にしてもあんた、随分と首が細い」
 そう言って、梓音の手が止まり、一瞬間をおき、静かに問いかけてきた。
「お前は人間?」
 今、玲奈の頭はすっかり丸刈りにされていた。それにより、髪の毛で隠されていた玲奈の尖った耳と首についた鰓が晒されてしまったのである。
「作りもんとは思えねえな。どういう生き物なんだか」
 梓音の態度はとても落ち着いていた。普通の人間なら驚いているだろうが、彼は少し珍しいものを見た、という反応で、今は静かに玲奈の頭に止血の包帯を巻いていた。
「それはきっと、お互い様だ」
 今度は玲奈が問いかける番であった。玲奈の前に小さな鏡があり、玲奈はその鏡で自分の髪の毛を剃る鋭い爪に気づいてしまったのであった。梓音の指から伸びる、剃刀よりも鋭く尖った、白い爪に。だが梓音は何も答えなかった。
 そして、ようやく頭の止血を終えると、今度は汚れて泥と血だらけになった玲奈の服を指差した。
「そんな格好で町を歩いてたら、警察官に補導されちまうぜ。それに、体からもまだ血が滲んでいる」
「着替えなんて持ってない」
 そう答え、玲奈は詰襟を脱いで短パン一枚姿になった。
「何だその羽は!」
 再び梓音の声が飛んできた。玲奈のその背中には、天使のような純白な翼が生えているのだ。
 その翼がアクセサリーなどでなく、玲奈の意思で動く羽であると理解した梓音の視線が、玲奈の胸から腰へと下がっていった。ぺたんこの洗濯板のような胸であるが、その骨格までも誤魔化す事は出来ない。括れた腰、華奢な体つき。梓音は顔を赤くして視線を玲奈から逸らした。
「てか、お前女だろ!」
「うるせぇ!俺は普段から男の格好で過ごしてたんだ。何が悪い!」
 玲奈は叩きつけるように叫んだ。
 地球を守る為、無理やり拉致され改造されたのが玲奈の正体であった。普段男装しているのは自衛の為であるが、ついさっきまで不良に捕まり金を出せと恐喝され、抵抗した結果酷い仕打ちを受けてしまったのであった。
 怪物のような宇宙船を生産し操る力を持っており、世界のあちこちを旅する事が出来る。
 しかし、玲奈には両親はなく、温かい家庭と言うものを知らない。今まで生きていた中で、そのことと、まわりと違う自分の存在がコンプレックスとなって重くのしかかっていたのであった。
「とりあえず、服を着ろよ」
 女とわかった時点から、彼は玲奈を直視しなくなった。どこに目をやっていいか困っている、という表情であった。
「ここには服はない。だが、どこかにあるかもしれねえな」
 短パン一枚姿の玲奈と梓音は、着られる服を探しにいくことにした。
 廃墟となった学校内を探しまわっている間、梓音は自分の爪のことを尋ねてきた玲奈に、自分が竜と人間のハーフであり、水竜の力がある事を話してくれた。さきほど、不良を追い払ったのもこの力を使ったのだという。
 また玲奈も、梓音に自分の正体を告白した。人間とは似ているが異なる二人は、後者を探検していくうちに、どこか似かよったものがあると感じ始めてきたのであった。
「梓音さんには両親がいるのでしょう?」
「一応な。かなり前に、オヤジが失踪したこともあったが、今はこうしてのんびりと暮らしている」
「あたしは周囲への気遣いが苦痛になったんだ。何で自分を偽って、この世界に溶け込まなくちゃいけないんだろうって。生きる為には一定の型枠にはまる必要性があると悟ったけれど」
 二人の前に、更衣室と書かれた部屋が見えてきた。更衣室なら、着替えが置いてあるかもしれないと、言葉に出さなくてもお互いに気づいていた。
「それに疲れて、家出してきた」
「何だかわかるなあ、そういうのはさ」
 吐き出すように梓音が答えた。
「と、この更衣室鍵がかかってんな。玲奈、少し下がってろよ」
 玲奈が下がるのを確認し、梓音は壁を腕で殴りつけて破壊した。腕が、一瞬竜の太い腕に変わったのが見えた。
「俺はハーフだが、竜の力は大分使えるようになった」
 2人は更衣室へ入った。
 さほど広くも無い更衣室にはロッカーが並んでおり、あちこちに汚れた服が落ちている。ゴーグルやビート板があることから、ここはプールの着替え室なのだろう。
「このロッカー、鍵がかかってるよ」
 玲奈は更衣室のロッカーをあけようとしたが、使われている途中なのか鍵がかかっておりあかなかった。
 鍵のかかってないロッカーは空っぽなので、やはりここは、使われている途中で捨てられた学校なのだろう。その原因はわからないが、いまは原因などは問題ではない。梓音はロッカーの鍵に竜の爪を差し込むと、その鍵をいとも簡単にあけてしまった。
 その姿を見ているうちに、玲奈は梓音に尊敬の念を抱くようになっていった。
「やっぱり着替えか。この着替えの持ち主の子は、どうなったんだか」
 学園の制服と見られるセーラー服がロッカーにかけられている。その隣のロッカーには、綺麗なままの水着と体操服が置かれていた。おそらくは、持ち主は玲奈や梓音とさほど年齢も変わらない少女達なのだろう。
 そのロッカーから水着を拝借した玲奈は、水着で胸を隠し、背中の羽は体操服とブルーマに畳み込んで入れた。頭はセーラーのスカーフで覆えば、耳も鰓も隠れるので怪しまれないだろう。
「てか体操服で帰るつもりか?それっておかしいだろ」
 着替えが終わるまで後ろを向いてこちらを見なかった梓音が、はじの方から答えた。「別の服も着たらどうだ?」
「そうだね。それなら、この服を。似合うかなあ?」
 すっかり少女らしく姿を変えた玲奈はセーラー服を着た。サイズは玲奈より少し大きめだが、普通に着るには問題も無い。
「梓音さん有難う。あたし、梓音さんを尊敬するわ!また会いましょうね」
 照れているせいなのか、再び赤くなった梓音を見つめ、セーラー服を翻し、玲奈は彼に微笑んで更衣室を後にするのであった。(終)