コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


Mother Love



── Angel walk
 深夜の繁華街。ネオンきらめく雑踏の中を、ひとりの天使が歩いている。
 外見は、人間の少女だ。しかし、実際のところ彼女は人間ではない。左右で色の異なる瞳もさることながら、刃物のように鋭くとがった耳を見れば、彼女が人間以外の存在であることが一目瞭然だった。
 なにより決定的なのは、背中から伸びた翼である。神々しいまでの白さを放つ、左右の翼。その完璧な造形美を見れば、だれもが彼女を天使と認めるに違いない。
 事実、ある意味において彼女は天使だった。天から使わされた存在という意味で。
 実際のところ、彼女は天使ではなかった。衛星軌道上を周遊する巨大な生物兵器──通称箱舟──の中枢頭脳が作り上げた、人間型サーバントなのだ。与えられた名前は、三島玲奈。
 彼女の持つ力は、はかりしれない。その気になれば、数秒のうちにこの繁華街を焼き尽くすことさえ不可能ではないのだ。いわば、破壊の天使である。しかし、いまのところ玲奈はそういう気分ではなかった。これまでも、これからも──、おそらくは永久に。
 彼女は本物の天使ではなかったが、その服装もまた天使のものとは見えなかった。あろうことか、体操服姿なのだ。ゼッケンには、マジックペンで書かれた「三島」の文字。下に履いているのは紺色のブルマである。彼女は、コスプレ喫茶の従業員なのだ。それも、超売れっ子の。


── Astral grace
「よお、ねえちゃん。いいモノあるぜ?」
 そのとき、男が声をかけてきた。
 玲奈が振り向くと、立っているのは派手なスーツを着た男。一目で、カタギではないとわかる。しかし、本職のヤクザという風ではない。ただのチンピラだ。
 男が見せたのは、うすい紫色の錠剤だった。これもまた、一目で普通のクスリではないとわかる。
「……なに、これ」
「万能避妊薬。おまえらみたいな商売にゃ役に立つだろ?」
 玲奈の問いに、男は下卑た笑いで答えた。
 彼女の中で、なにかピンとくるものがあった。一種の霊感みたいなものだ。勘と言ってもいい。
「このクスリ、なんていうの?」
「名前なんぞ、どうだっていいだろ。買うのか? 買わねぇのか?」
「いいから、こたえて」
「んなこと知って、どうするってんだ? ……まぁいいけどな。こいつはアストラル・グレイスってんだ。効果は抜群だぜ?」
「ふぅん。……まぁ考えとくわ」
 それだけ言って、玲奈はその場を立ち去った。スーツの男が何やら引きとめようとしたが、彼女の目が冷たく睨み返すと、それ以上しつこくはしなかった。
 アストラル・グレイス──。聞き覚えのあるその名前を、玲奈は頭の中で繰り返した。忘れようのない名前だ。大通りを足早に歩き、彼女は路地裏で携帯電話をとりだした。
 かけた先は、草間武彦だった。その道では名の知れた、私立探偵である。


── Probe
 玲奈が草間興信所に調査を依頼したのは、数日前のことだった。
 依頼内容は、両親の捜索。
 玲奈の頭脳は生物兵器である箱舟の中枢部として用いられているが、以前はごく普通の人間に過ぎなかった。どこにでもいる、ちょっと霊能力がすぐれた程度の少女だったのである。
 しかし、その霊力に目をつけた組織があった。臓器密売を生業とする犯罪組織である。玲奈は捕らえられ、生物兵器として創り変えられた。もとの肉体は、もう地上のどこにも存在しない。いまや、彼女の肉体は虚空をただよう箱舟そのものなのだ。
 彼女には、疑問があった。なぜ自分がこんな境遇に置かれることになったのかという疑問。さらには、生まれつき持ち合わせた霊能力についての疑問。
 それを解決するために、彼女は両親の捜索を依頼したのだった。


── Report
 携帯電話を閉じて、草間は歩きだした。
 玲奈の話では、彼女の母親の源氏名がアストラル・グレイスといった。薬の名前と同じ。手がかりとしては十分だった。この薬の販路を調べれば、なにかがわかる。そう判断して、彼は調査を開始した。
 かんたんな調査だった。その夜のうちに、草間は調査報告書を作り上げた。レポートの内容は、こういうものだった。
 玲奈の母親は、製薬会社に勤務する一方で臓器密売組織とのつながりを持っていた。それも、かなり精力的に活動していた記録が残っている。どちらの職場においてもだ。しかし玲奈を出産した直後に彼女は製薬会社を退職。どういう経緯によるものか、風俗業に身を落としたという。
 調査できたのはそこまでだったが、密売組織のアジトをつきとめたのは名探偵草間の面目躍如というところだった。


── Raid on
 草間の報告を受けて、玲奈はすぐに動きだした。いきなり、密売組織のアジトに乗り込んだのである。なにしろ、その気になれば瞬時にこの街すべてを滅ぼすぐらいのことができる玲奈だ。相手がどんな組織であろうと、恐れることはなかった。
 それは、犯罪組織の根拠地とは思えないほどの豪邸だった。──いや、ある意味では犯罪組織にぴったりのアジトかもしれない。多かれ少なかれ法に触れる商売をしなければ、これほどの豪邸は建てられるものではない。
 屋敷に乗り込んできた天使姿の少女を見て、その場のすべての者が驚愕した。そもそも女の子の訪ねてくるような場所ではないし、背中の翼を見て驚かない者はいなかった。
 玲奈が母親の名前を口にすると、彼らは更に驚いた。その存在を知られているということは、すなわち臓器売買の事実を把握されているということを意味したからだ。
「こいつを逃がすな。つかまえて、どこかに閉じ込めておけ」
 インテリ風の、しかし見るからにヤクザらしい男が命令した。この組織の頭であり、この街にはびこる臓器売買グループの元締めでもある男だ。
 もちろん、全員ひねりたおして逃げることぐらいは玲奈にとって造作もないことだった。しかし、いま欲しいのは情報である。相手を叩きのめしたところで、なんの意味もなかった。
 玲奈は、わざと捕まることを選んだ。どうせ、そのつもりになればいつでも逃げられるのだ。つかまったふりをして情報をさぐるほうが、よほど利口だ。そういう判断だった。


── Fact
 彼女のもくろみは、うまくいった。監禁された部屋から抜け出して母親の手がかりをさがしはじめた玲奈は、すぐに目的の情報を入手したのだ。しかも、これ以上ないと言って良い情報源だった。彼女が見つけたのは、母親の残した手記だった。
 まずわかったのが、玲奈の母は病に冒されていたということだ。多発性の骨髄腫。それも末期の。医学薬学にたずさわる彼女にとって、自らの命が長くないことはよく理解できていた。残された短い時間の中で、彼女はそれでも研究を続けた。胎児の成長と出産にかかわる研究だった。
 この分野は、臓器売買の世界と密接に関係している。胎児の臓器や脳髄、それに骨や皮膚にいたるまで、利用できない部分はないのだ。玲奈の母は、研究のための資金作りとして臓器売買に手を染めた。
 この時点で、彼女は医者としての道を踏み外した。そうまでして研究を続けたのは、ひとえに世界中の赤ん坊を守るためであり、ひいては自らの胎内にある命を守るためにほかならなかった。研究にかける彼女の情熱は、狂人じみたものだった。
 手記を読みすすめるうち、玲奈は涙がこぼれるのをおさえられなくなっていた。そこに書かれているのは、どんなことをしてでも娘の命を守るという強烈な意思。そして、その思いの強さゆえに精神を病んでいく一人の母親の記録だった。
 玲奈は理解した。彼女に与えられた霊能力は、母親の残した遺産だったのだ。その力で世界の終末さえも生き残る娘の姿を、母は夢想したのだった。そして、それは現実のものとなった。
 手記の最後には、こう書かれていた。
 愛する娘よ。医学を研究し、生命が錯綜する風俗界で迷える羊を導きなさい──と。
 玲奈はうなずき、両腕で手記を抱きしめた。いまの仕事についたのも決して偶然ではなかったのだと、彼女は悟った。亡き母親の意思が自分を導いていたのだと、心の底から理解できた。
 彼女は涙をぬぐい、手記をかかえて屋敷を脱出した。そして、屋敷のそこかしこに火を放ち、すべてを業火の底に沈めて灰にした。それが、彼女なりの清算だった。


── Urban trail
「……で、すべて片付けちまったってわけか」
 コーヒーをすすりながら、草間は渋い顔をしてみせた。
 場所はコスプレ喫茶。メイド服やチャイナドレス、それに看護婦の姿をした店員が、忙しそうに仕事をしている。平日の昼間だというのに、ほとんどのテーブルはいっぱいだ。
 玲奈はゴシック調のメイド服姿で、草間の前に座っていた。昨夜犯罪組織をひとつ壊滅させたことなど記憶にないとでもいうような、屈託のない笑顔を浮かべている。
「でも、ぜんぶ草間さんのおかげです。草間さんが色々しらべてくれなかったら、あたし一人じゃ何もできませんでしたもん」
「だったらいいんだけどな」
「ほんとうですってば」
「……ま、調査料さえもらえれば、俺はなにも文句ないさ」
「あ。調査料ですね。わすれてました。だいじょうぶ。ちゃんと払いますよ」
 そう言って、玲奈はエプロンドレスのポケットから封筒を出した。どこにでもあるような茶封筒だ。
 受け取って、草間は遠慮なく中身をたしかめた。
 金額を二回かぞえてから、彼は言った。
「なあ。五百円ばかり足りないんだが」
「コーヒー代です」
「え……?」
「いま飲んでるそのコーヒー。五百円です」
 玲奈は、草間の手元を指差した。ブラックのコーヒーが、カップの中で湯気を立てている。
「……立派に育った娘を見て、お母さんも喜んでるだろうな」
 苦笑いを浮かべると、草間はコーヒーを飲み干して席を立った。
「また来てくださいね」と微笑む玲奈を振り返りもせず、彼は店を出ていった。マルボロに火をつけ、おおきく煙を吐き出す。五メートルほど歩いて一度だけ振り返ると、ガラス扉の向こうで玲奈が手を振っていた。草間は軽く手をあげて、いつもの繁華街へと姿を消した。