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『潜入作戦』
東京の繁華街の1つである渋谷には、今日も若者達が行き交い溢れていた。
つい数年前までは若者がたむろし、あまり綺麗なイメージのなかった渋谷であるが、近隣の表参道や六本木にお洒落なショッピングモールが建設され、また渋谷自体も若者の町から品質の高い大人の町へとイメージを変えていった事もあり、ここ数年は若者だけでなく様々な年齢の人々が集まる町へと変化していった。
それでも、渋谷に集まるのは若者が大半なのは変わらないし、今でも少し裏道に入れば怪しい飲食施設や風俗店が並んでいる町である。
町を歩けば、建物に設置されたスピーカーから、怪しい呼び込みや声かけに注意してください、とのアナウンスが頻繁に聞こえてくるのである。
特に、商店街が立ち並ぶ繁華街等では、若者達に混じって明らかに買い物客とは違う男達が、何かを探るような目つきで若者達、特に若い女性を見つめているのである。
シャルロット・パトリエール(しゃるろっと・ぱとりえーる)と、マリア・ローゼンベルク(まりあ・ろーぜんべるく)は、渋谷駅のハチ公口から出てスクランブル交差点を渡った所にある、渋谷では特に賑やかな通りを歩いていた。
このあたりにはファーストフードを中心とした飲食施設や服、アクセサリ、靴、バッグ等を扱っている店が立ち並び、いわゆるギャル系と呼ばれるような若い女性が多く歩いている。
その中で2人の姿はかなり目立つものであり、すれ違う人々は必ずといってよい程2人に視線を向けていくのであった。
「凄い人ごみデース!さすがはシブヤ・シティデース!」
シャルロットは興奮した様子でまわりの立ち並ぶ店を見回していた。落ち着きがなく、物事を何も考えていない様な様子で時にはスキップで道を跳ね回っているのである。
シャルロットは単に夏だから、という理由だけだとは思えない、露出度の高い服装をしていた。今にも零れ落ちてしまいそうな程の大きさ胸を布一枚で止め、へそは丸出し、短いスカートからは白いふとももがすらりと伸びている。余分な肉はない美しい体型の持ち主である。
「シャルロットさま‥‥いえ、シャルロットちゃん。田舎者じゃないんだから、もう少し落ち着いてくださいませ‥‥ちょうだい」
シャルロットの隣に並び、彼女と同じ様な服装を着ているマリアが呟いた。
シャルロットと同じく豊満な体の持ち主であり、歩くたびに豊かな胸が揺れているのであるが、彼女はシャルロットの一族であるパトリエール家に仕えるメイドで、普段は清楚なメイド服を着ており、主人であるシャルロットに対して友達口調で話す事は決してないので、シャルロットに対して友達口調で話す事に少々苦労している様子であった。
しかし、彼女達がこの様な格好をし、主人と召使いの関係でなく友人同士として歩いているのには理由があった。2人はある組織を捜しており、囮操作中なのである。
「おねーさん達可愛いね。ちょっとさあ、お茶でもしない?」
そんな2人の事情も知らず、通りを歩けば、軽そうな男が2人に声をかけてくる。
「ごめんなサーイ、ミー達、約束があるデスから!さ、行きましょうマリア」
ナンパをしてきた男に、シャルロットは小さく舌を出して断った。
もう何人目だろうか。繁華街に入って数名の男達に声をかけられている。絶世の美女が2人、しかも白い肌を存分に露出した格好で歩いていれば、男なら声をかけたくもなるだろう。彼女達と本当に食事をしたいだけなのか、あるいはもっと別の、下心があって声をかけているかどうかは、わからないが。
「これは良いモデルになりそうですね」
ナンパの男を振り切ったところで、また別の男が声をかけてきた。スーツをしっかりと着込み、真面目そうな雰囲気の男であった。2人と視線が合うと、にこりと微笑んだ。
「私、雑誌のカメラマンをしているのですが、契約のモデルが撮影直前に事故で入院する事になってしまい、代わりのモデルを探していたのです」
そう言って男は、シャルロットとマリアへ名刺を手渡した。その名刺を見る限り、女性向けファッション雑誌のカメラマンをしている様であった。
「お願いします!お2人にモデルを依頼出来ませんか?締め切りが近くて困っているんです!」
男は懇願するように真剣な表情で2人に頭を下げた。
「どうしまショウカ、マリア」
「私は別に構いませ‥‥いいけれど」
マリアが答えると、シャルロットは頷き答えた。
「わかりマシター!困っている時はお互いさまデース!」
「有難うございます!」
笑顔を見せる男に、シャルロットは人差し指を立てて忠告をした。
「でもヌードはダメですヨ?」
2人は男の案内で、渋谷の片隅にある雑居ビルへと到着した。1階はバーの様だが、昼間のせいかシャッターは降りていた。ビルの中に入りエレベーターに乗り込むと、煙草の匂いが充満し今にも壊れそうな音を立て、エレベーターは上がっていくのであった。
「さあ、どうぞ」
ビルの3階にその編集室はあった。入り口には男物の靴がいくつも履き捨てられており、ゴミ袋がまとまって置いてある。照明の電気は切れ掛かっていたが、スタジオだけは明るく、大きな照明がいくつもあり、その傍では別の男がひたすらにパソコンに向かっていた。
「モデルを連れてきた!」
2人を連れてきたカメラマンの男が叫ぶと、パソコンに向かっていた男は顔を上げて、まるで嘗め回すような表情でシャルロットとマリアを見つめた。
「ほう、これはなかなかだ。時間がないからな、すぐに撮影を始めてくれ」
「じゃ、これに着替えてください!」
カメラマンの男は、2人に服を渡した。マリアはそれを受け取ると、えっ、と声を上げるのであった。
「これは水着ではありませんか!」
「そうですよ、水着。その格好のまま撮影するなんて言ってないですよ。それに、そんな美しい体を世の中に見せないなんて勿体無い」
顔をしかめるマリアであったが、その隣でシャルロットは歌を歌って水着を広げていた。
「可愛い水着デスネ!わくわくしてきマシータ!」
「こんな事聞いてませんのに!」
マリアは渋々と、文句を言いながら水着に着替えに、シャルロットに続き別室へ入った。
男達を外に待たせ2人きりで別室で着替えている間、シャルロットとマリアはお互いに顔を見合わせ、無言のままお互いを確認するかの様に頷くのであった。
「着替えましたヨ!」
シャルロットとマリアは、かなりきわどい水着を身にまとっていた。最低限の部分しか隠さない水着で、それに加え布地がやや透けていた。
「撮影の前に、2人にちょっと質問をするね」
それでも笑顔で、カメラマンの男が言う。
「まず、出身地を教えてくれない?」
「ミーはフランスの生まれデースネ」
「私はドイツです」
「フランスにドイツか。2人とも日本語上手なんだね!」
出身地に偽りはなく、2人は正直に答えた。それ以上答える気はなかったが、男がまだ質問を続けそうな雰囲気であったので、黙ったまま次の質問を待っていた。
「じゃ、趣味を教えてくれない?」
シャルロットは一呼吸をし、楽しそうな表情で答えた。
「お酒と食べる事デスネ。美味しい食事は、幸せになれマース」
マリアはしばらく考え込んでいたが、一言「料理」と答えた。マリアの食事が壊滅的に酷い事を知っているシャルロットは、それを聞き彼女がうっかり作ってしまったすさまじい料理の事を思い出していた。
「じゃ、次に2人のスリーサイズを教えて?」
「えっ?」
マリアが目を丸くして答えた。
「そんな事必要なんですか?」
「そうだよ、女性達が君達を手本にするんだ、スリーサイズを記載しないと、女性達も憧れの体型を目指せないからね」
そこまではまだ許せるものであったがその次から、カメラマンから2人に投げかける質問はだんだん、セクハラめいた際どい質問に変わっていった。
付き合っている人はいるのか?好みの男性像は?という質問が、やがて成人向けな内容と思われる質問へと変っていった。普通の女性なら、顔を赤らめて震える様な質問だろう。あまりの酷い質問に、マリアは鋭い目つきで言葉を返した。
「そんな質問に答える為にここへ来て、こんな水着を着ているのではありません。撮影はどうなっていのですか」
「お、そうだったね。じゃ、撮影しようか」
男はわざとらしく頭をかき、照明をセットしてカメラを構えた。しかし、その撮影会は明らかに、女性ファッション雑誌のものではなかった。
「このモデルと同じポーズをしてくれないかな?」
カメラマンが手にしたのは、どこからどう見ても成人向け雑誌のグラビアで、胸を寄せて立っている女性の水着姿が映し出されていた。
「これは何のポーズなのデスカー?」
シャルロットがモデルと同じポーズをすると、カメラマンがすかさず撮影をする。
「君はセンスがいいねえ。じゃ、次はこれだ」
今度は、足を広げて寝るようなポーズであった。
「こんなポーズできません!」
マリアが答えると、男は溜息をついてあきれて答えた。
「なら、水着を脱いでくれ」
「えっ!」
シャルロットとマリアは同時に答えた。
「最後はそうしてもらうつもりだった。早く脱げよ」
今までの穏やかな顔つきがなくなり、カメラマンの男は無表情になった。
「ヌードはダメデスと、言いました。約束が違うデース!」
「ここまで来て何を言ってるんだ?」
カメラマンの男は急に鋭い視線を投げつけてきた。
「逃げようと思うなよ。うちのスタジオは、ある暴力団に世話になってるんだ。ウソだと思うなら逃げてみるがいい。が、暴力団に何をされるかわからないがな」
カメラマンの男は卑しい笑みを浮かべた。
「酷いです。こんなことをするなんて」
マリアは小さく呟き、シャルロットは怯えたまま黙り込んだ。
「そんな嫌らしい体つきをしてるんだ、どうせ何度も男と遊んでるんだろう?」
いつの間にか別の男達も二人の前へ来ており、二人の体を嘗め回すように見つめながら、卑猥な言葉を二人に投げかけてきた。
どう考えても、これは成人向けのビデオや映画の撮影会なのだろう。やがて男達は嫌がる二人に群がり、無理やり水着を脱がせようと手をかけた。
「やっと、本性を見せたわね」
今まで、なまりのあるニセ外国人を演技していたシャルロットは本来の口調で口を開いた。
それまでの怯えた顔はすっかり消し去り、真剣な表情で男達を睨み付けた。今までの、軽い女は全て演技であった事が、目の前の男達にも理解できたであろう。
「マリア、今のは全部録画できたわね?」
「はいシャルロット様。完璧でございます。あとはメモリーカードにでもデータを転送すれば証拠になります」
急に様子が変わったシャルロットとマリアを見つめ、男達はしばらく呆然としていた。いきなり口調が変わった二人に、かなり驚いている様子であったが、二人を騙したのではなく、この娘達に騙されたのは自分達であったと理解し始めている様であった。
「頭の軽い娘のフリをするのは、まあまあ楽しかったわね」
シャルロットはそう言うと、威嚇するように男を見つめた。
「わかっているわよ。貴方達が暴力団と繋がりがある事なんてね。とっくに調査済みなの。貴方達、素人の女性を騙して連れ込み恥ずかしい写真を撮って脅迫しているそうね」
カメラマンの男が、それを聞き顔をしかめた。
「薬漬けにして女の子の体を売らせる事もしてるとか。そうして手に入れたお金は貴方達と暴力団に入る。まったく、吐き気がするほど酷い話」
「つまり、お前らはここを調査して俺達を捕まえに来た正義の味方ってわけか。女のくせに!」
逆上し、男達が一斉に襲い掛かってきた。その嫌らしい顔つきから、5,6人がかりで二人を襲い、腹いせに欲を満たそうとしたのだろう。
だが、体術も一流なシャルロット、実はサイボーグであり、身体能力が人間を凌駕しているマリアの敵ではなかった。ものの数秒で、男達は二人の美女の前に打ちのめされてしまった。
「こいつら、何て女だ!」
カメラマンの男が、ふらふらと立ち上がり逃げようとするが、マリアに必殺技のパロ・スペシャルをかけられ、完全に気を失ってしまった。
「シャルロット様、任務完了です」
「よくやったわマリア。さて、貴方達。女の子達を脅迫した材料をさっさと出しなさい。でないと、本気でやらせてもらうわよ」
と言って、シャルロットは壁を拳で叩きつけて男を脅した。男の1人がすっかり怯え泣きそうな顔で、ようやく部屋のはじにある棚を指差した。
「素直でよろしいこと」
シャルロットは男達に教えられた棚を開け、そこにあった娘達を脅して撮影した映像や、麻薬を全て回収した。
「パソコン、借りるわよ」
シャルロットはパソコンのUSBケーブルをマリアの首筋へと挿した。サイボーグである彼女は、脳のメモリに録画、録音をする事が出来る歩く記録係なのである。
マリアの脳内メモリーの記録をSDカードへと転送し、それを胸のポケットへと仕舞いこんだ。
「さてと、あとは後始末をしないとね」
シャルロットは、男達に近付き妖しげな笑みを浮かべると、ルーン文字を刻んだ石を取り出し、それを男達へと使った。
「私達と依頼人のことを忘れてもらわないとね」
シャルロットが呪文を放った瞬間男達ん表情は腑抜けになり、口々に自分達はここで何をしていたのかと呟きを繰り返すようになった。その間にマリアが男達を、撮影現場においてあった機材のケーブルで拘束し、警察に通報をした。
「終わりました、シャルロット様」
「有難う。さ、私達の仕事はここまでよ。行きましょう」
シャルロットは証拠となる薬やビデオを置き、マリアを引き連れてこの雑居ビルを後にした。あとは、これからやってくる警察が男達を逮捕し、事件も解決するであろう。
「草間さん、色々調べてくれて有難う」
「礼など不要だ。実際に現場で動いたのはお前達だからな」
「そんな事ないわ、草間さんの情報がなければ、この事件の解決はなかったと思うの。ま、いいわね、だって事件を解決できたんだもの。とりあえず、乾杯しましょ?」
マリアは2つのワイングラスに、世界最高の極甘口白ワインであるシャトー・ディケムを注いだ。
このワインは、事件が無事解決出来た報酬として、草間興信所の所長である草間・武彦が用意したものだ。シャルロットはこのワインの他に、いくらかの報酬金も渡されていた。
武彦に、今回の事件を調査する上での背後関係を調べてもらい、それを踏まえた上で、女性達を脅して金を集めているあの雑居ビルのアジトへと乗り込んだのだ。
シャルロットやマリアの実力や演技力は勿論だが、必要な情報がなければ、作戦も成功に導かれなかったであろう。武彦も、情報収集という形で二人と一緒に戦ったといえる。
ワインを注がれ上機嫌になったシャルロットは、すでにいつものメイド服に着替えてそばに立っているマリアにワイングラスを傾けた。
「何を立っているの。貴方も一緒に戦ったんだから、ワインを飲みなさい」
「ですがシャルロット様。ご主人様と召使が一緒にお酒をともにするわけにはまいりません」
「硬い事はナシよ。ね、マリア。今日は作戦で私と貴方は友達同士なの。友達同士なら一緒にお酒飲んでもいいでしょ?」
シャルロットは優しい笑顔で、大切な自分の召使へと語りかけた。本来、主人と召使は一緒に食事をしてはいけないもの。けれども、シャルロットの心遣いを感じたのだろう。マリアは恥ずかしそうにワイングラスを差し出した。
「こんないいお酒を飲まないなんて勿体無い。そう思わない、草間さん」
「ああ、そうだな。俺は煙草があればそれでいいがな」
武彦はそう言って、ワイングラスを手に取った。
「それじゃ、皆で飲みましょ。乾杯!」
3つのグラスの乾杯の上品な音色が、散らかった草間興信所に響き渡った。
その後の連絡によると、警察はあの雑居ビルのアジトを捜索し、あの男達とその背後についていたヤクザ達は逮捕された。そして、事件の被害に合った被害者の女性達も助かったのだという。
しかし、この手の事件はまだまだ繁華街に溢れているのだ。シャルロットとマリアの活躍は、これからも続くのである。(終)
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