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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


<愛の証明>

「……愛情という衝動は満ち足りてしまえば最後、それで全てが終わってしまうの。『満ちる』という感覚は人間を麻痺させてしまう麻薬みたいなものだもの。『飢え』を忘れた人間の末路なんて、目も当てられないぐらいに可哀想なものでしょう?」
 赤色灯の規則的な光がタワーレジデンスの無機質な外壁に毒々しい色を吐き出していた。エントランスから百五十メートル程離れた道路上には十数台の脚立が不規則に並び、見下ろすように構えられたカメラの先では殺気立った様子のアナウンサの声が四方に飛び交っている。そこからさらに数メートル離れた場所では、どこから現れたのか解らない野次馬の集団が携帯を鳴らしカメラのフラッシュを光らせていた。
「……特に女はそう。満たされないと言ってはヒステリを起こし、満ちたと言っては別の依存先を探す。本能と衝動に支配されている男とは対対局の生き物なの。そんな人の姿を、あたしよりもずっと沢山見てきたでしょ?」
 体中に纏わり付く湿気を含んだ大気は重力を持っているかのように重く、呼吸をする度に雨の匂いが強くなっていくのが解る。緊張の糸が切れた反動からか、押さえ込んでいた不快感が吐き気となって胃の内側を締め付ける。眩暈のような感覚に眉を寄せた『彼女』は、伏せた瞼の裏側に焼き付いた記憶が復元していく様を見た。


 ――壁に四散した血痕

 スライドのように切り替わる残像と同時に、『彼女』の五感が『惨劇の場所』へと引き擦り込まれていく。室内に充満する生温い空気と二酸化炭素が『彼女』の手足を麻痺させ、体に纏わり付く浮遊感に意識が沈み込んでいく。
 言葉を吐き出そうと唇を開くが、渇いた喉では巧く声を発する事が出来ず呼吸だけが空しく漏れる。震えた掌にはじっとりと汗が滲み、見開いた瞳からは急激に世界の色が失われ、世界が大きく歪み溶け落ちるように崩壊を始めた。

 ――部屋に漂う腐敗臭

《……そっか、ここには『在った』んだ。……あたしの探していたもの。欲しかったものが。……なんだ、簡単じゃない。……ここには『ロマンがあった』んだ》

 ――それは『人間だった物』

 絞られるピントのように狭まっていく視界の中で、『彼女』は『彼女の姿を捉える何か』に気が付いた。首を動かす事すら出来ない状況の中で、『彼女』は『何か』を捉えようと瞳に意識を集中させる。広い部屋の隅に見える細い隙間の向こう側に、『彼女』は『彼女の姿を覗く目』を見付けた。

《……あなたが殺した。あなたが、『この人』を殺した……!》

 瞬間、『彼女』は右の太腿の内側に疼くような感覚を覚えた。『それ』は静かに目を覚ますと、大きく開いた穴の底から残響に似た音を響かせる。

 ――それは『人を捨てた者』

【――視てはいけない、そこに『在る』ものは『マガイモノ』だ】


「……子、……たんだ?! しっかり……、……子!」
 泥のように混濁した世界の中から救い出されるように、『彼女』は傍らに身を寄せる『彼』の腕の中で目を覚ました。痛ましそうな表情で自身を見下ろす『彼』姿に、『彼女』の心の内側に安堵と憤怒が入り混じった複雑な感覚が沸き起こる。『彼女』は『彼』の腕を押し退けるようにして立ち上がろうとするが、両足に力を入れる事が出来ずにコンクリートの上に崩れ落ちてしまう。『彼女』の体を支えた『彼』の腕に縋り付く格好で、『彼女』は渇いた喉から擦れた声を吐き出した。
「けれど、『あの人』は違う。……少なくとも『あの瞬間』、『あの人』は衝動に支配されていた。きっと理性では保つ事の出来ない、抗う事の出来ない衝動に。……それが『喜び』だったのか『恐怖』だったのかは解らないけど、きっと『あの人』は違っていたのよ……」
「喋らないで、じっとしているんだ。直ぐに病院に搬送して貰えるように頼んで来るから」
 『彼女』を芝生の上に座らせると、『彼』は近くに残る救急隊員を呼び止めようと立ち上がった。だが、『彼』が足を踏み出すよりも先に『彼女』の手が『彼』のジャケットを掴んだ。決して強いとは言えない力だったが『彼』をその場所に留まらせるには充分な強さを持っていた。
「……あたしは知りたい、教えて欲しいの。『ここ』にあったものは何? ここに愛は存在していたの? 愛があったから、『愛していたから』こんな事が起こったの? ……ねぇ、教えて。……あたしには解らないの」
 縋り付くような声と苦しそうに伏せられた瞼に、『彼』の心臓はゆっくりと絞め殺されていくような感覚に襲われた。


<愛の証明>
 それは本当に、愛のかたちをしていたの?


 *

 シャンデリアとブラケットの光に彩られたエントランスを抜け、無人のラウンジを左手に過ぎた突き当たりの場所で兎月原正嗣は足を止めた。袋小路になったプライベートホールの入り口は半透明のドアに閉ざされ、壁と一体になったセキュリティ端末が彼の様子を静かに伺っている。スーツのポケットからカードキィを取り出し正面のセンサへ翳すと、短い電子音と共にロックが解除されスライドタイプのドアが静かに開く。同じ程の広さのあるエレベータホールには一台のエレベータのみが備えられ、稼動を示すフロアライトの光が呼吸をするようにゆっくりと点滅していた。
 客が訪れるのではなく客の元へ向かう仕事であるが故に、一分の誤差が大きな損害を発生させる事も少なくはない。幸い、彼の所では時間が原因となったクレームは一度も発生していないが、同業者の中には金銭問題にまで発展したケースも確認されている。神経質なまでに気を配ろうとする彼の姿を、最も親しい女性は「気配りの利き過ぎる男は隙がないから嫌われるタイプだ」と揶揄していた。
 高いベルの音がエレベータの到着を告げると、彼は無人のエレベータに乗り込みクローズのボタンを押した。パネルにはB1と1、20から40までのボタンが並んでいるが、そのうち35から40までのボタンのランプは点灯していなかった。兎月原はスーツのポケットから細身の鍵を取り出すと、パネルの下部にある鍵穴の中へそれを差し込み左に回した。軽い手応えと共に残りのパネルが点灯すると、37のボタンを押し視線をドアの上部へと向ける。静かに上昇するエレベータは、振動や浮遊感を感る間もなく十秒程で彼を目的の階へ到着した。再度ベルの音が鳴りドアが開くと、兎月原は鍵を引き抜きエレベータを降りる。ブラケットの淡い光が等間隔に並ぶ広いコドリーを抜けた先が、彼の向かっている客の自宅だった。

 兎月原に仕事の依頼をしたのは、システム開発を請け負う企業に勤める三十代半ばの女性だった。業界大手の副社長であると同時に二十代前半に見える外見から、女性誌を中心にメティアに露出をする事が何度かあった。兎月原も誌面では何度か目にした事はあったが、直接顔を会わせるのはこの日が初めてだった。彼女の要望は『指定の日時に自宅を訪れ一夜を過ごす』というもので、提示された金額は設定した料金の三倍近い数字が付けられていた。電話を受けた事務員の歌川百合子は当初、その羽振りの良さに「デリバリィのような行為を迫られるのではないか」と危惧していたが、食い下がる様子を見せる客の言葉に二週間後の同曜日に伺う事で仕事を承諾した。
 それから二日後、表向きの窓口として置いている事務所宛に小さな小包が届けられた。宛名はその女性からのもので、箱の中には新しいカードキィと二本の鍵が一枚の手紙と共に収められ、手紙には当日訪れる際にはその鍵を使用して欲しいとの旨が記されていた。百合子は直ぐさま女性の元へ確認の電話を入れたが、頑なな女性の言葉に百合子が折れた結果となった。普段なら余程の事がない限り客の要望に対し口を挟んだりはしないが、その時の百合子は酷く不鮮明な胸騒ぎに襲われていた。

 少し開けた空間の先にランプブラックのアルコープが見え、兎月原は過剰な装飾のない外観に視線を彷徨わせながら足を止めた。外壁に備え付けられたインターフォンを見つけようと視線を巡らせるが、直ぐに客からの要望を思い出しドアの前へと歩いて行く。心地良い靴音を踏み締めるように足を止めると、兎月原は使用していない鍵を取り出しドアノブ上部の鍵穴へと差し込んだ。左へ回すと同時に重い手応えが鍵越しに伝わり、ロックが外れた音がフロアの中に短く響く。ドアノブに手を掛け三センチ程ドアを開いた時、兎月原の全身に説明し難い感覚が貫くように走り抜けた。悪寒とも微熱とも言い難い痺れるような感覚は、彼の神経に染み渡るように広がり喉の渇きを誘発した。
「……まさか」
 無意識に呟いた言葉と同時に、彼が意識の奥底に眠らせている歪んだ衝動が静かに目を覚ます。鼻腔を翳める微かな臭いは記憶の中の残り香と酷似し、兎月原にはそれが『何であるか』を明確に答える事が出来た。
 右の手首を左手で掴みゆっくりとドアノブから引き離すと、彼は深呼吸をするようにゆっくりと息を吐き出す。ドアノブを掴んでいた右掌には汗が滲み、指先の震えを殺すように強く掌を握り締める。そこで漸く落ち着きを取り戻した兎月原は、スーツのポケットから携帯を取り出して開くと、1のボタンに指を添えたまま迷ったように動きが止まった。直ぐにボタンから指を離し着信履歴を開くと、一番を選択して通話ボタンを押す。四回のコール音を待つ事なく繋がった相手に向け、兎月原はゆっくりとした声で言葉を繋いだ。
「もしもし百合子、今客の自宅前に居るんだけど。……少し、面倒な事になりそうな気がするんだ。嫌な予感がする。……明日は帰れないかもしれない」


 *

「なによそれ! 兎月原さんが『嫌な予感がする』なんて言うから、あたし心配で仕事も放り出して飛んで来たのよ?! それなのに『帰れ』なんて酷過ぎない?! こんな夜中に女の子を一人放り出す気なの?! 信じらんないっ!」
「俺の事を『本当に』心配してくれてるなら、今直ぐ家に戻ってくれるのが一番嬉しいんだけどね。……言いたくはないけど、顔が笑ってるよ? 百合子」
「……!」
 無機質なベルの音が、兎月原正嗣と歌川百合子の短い喧嘩の終わりを告げた。大きく目を開かせ顔を赤くすると、バツが悪そうに視線を泳がせる百合子の姿に、見下ろす兎月原は「仕方がないな」と表情を和らげる。オープンのボタンに手を掛けたままエレベータから降りるように百合子を促すと、表情を厳しいものへと変えて彼女の背中へと言葉を向けた。
「百合子の気持ちは解ってるよ。だけど約束してくれないか? 危ないと思ったら、俺を置いてでも直ぐに部屋を出る事。三人ぐらいなら格闘家でない限りはどうにか片付けられるから」
 兎月原の言葉に弾かれたように百合子は体を反転させると、見上げるように顔を上げて訝しげに眉を寄せる。
「もしも部屋の中に四人居たらどうする気なの? 兎月原さん一人でどうにか片付けられるの?」
「その時の為に百合子に援軍を頼むんじゃないか。携帯は持ってるだろ?」
 そう告げると、百合子に柔らかく微笑む兎月原の姿に彼女は言葉を詰まらせた。彼女の言葉が信頼から生まれた言葉であったように、彼の言葉もまた信頼する百合子への言葉である事が痛い程に伝わる。百合子は再度踵を返し肩で大きく息を吐き出すと気恥ずかしさを紛らわすように言葉を吐き出した。
「あたしが呼ぶのは警察だけよ? 救急車なんて絶対に呼ばないから!」

 アルコープの手前で足を止めた百合子は、視界の先に広がる無機質な空間に圧倒されたように言葉を失った。彼女の姿を横目で捉えた兎月原は、立ち竦む百合子を追い抜きドアの前まで歩いて行く。四十分前の自分と同じようにスーツのポケットから鍵を取り出すと、それを鍵穴の中へ押し込むようにして入れる。鍵の腹に指を掛けたまま、兎月原は悟られないように細く呼吸をすると、感情を殺した低い声を背後の彼女へ向けて吐き出した。
「君はここで待っているんだ。何かあったら携帯にコールする」
「嫌よ、あたしも中に入る。その為にここまで来たんだから。兎月原さんだけを危ない目に合わせたくないわ」
「……そうだったね。けど、そこから歩く事が出来なければ入る事は出来ないよね?」
「!」
 百合子は初めて耳にする兎月原の声に思わず声を失った。彼と過ごした短くはない時間の中で突き放すような言葉を向けられた事は数える程しかない。裏を返せば、それだけこの場所が危険である事を彼女に伝えようとしているのが痛い程に伝わる。百合子は細い指を強く握り込むと大きく足を踏み出し兎月原の傍へと歩いて行った。
「百合、っ?!」
 百合子は兎月原の背後に立ち、脇の隙間から腕を突っ込ませると彼が触れていた鍵を強引に摘み勢い良く左へ回した。ロックが開く音と同時にドアノブを握り締め、まるで濁った何かを吐き捨てるように言葉を言い放つ。彼女の突然の行動に言葉を失った兎月原は、何の言葉も返せないまま間の抜けた表情を満面に貼り付かせていた。
「ここまで来たんだもの! 怖くはないって言えば嘘だけど、引き下がる訳にはいかないわ! もしも相手がゾンビなら、あたしの僕にしてやるわ!」
「そこに居るのが『死体』だったとしても?」
 兎月原の言葉は、いつもの百合子が相手ならば決心を鈍らせるには充分な力を持っていたが、今の彼女には全くと言っていい程効果がなかった。ノブを引き、勢いを付けて開いたドアの中へと足を踏み入れる。肩越しに兎月原を振り返ると、百合子は強い口調で言葉を言い放った。
「もちろん! だって、これがあたしの答だもの!」

 ドアを開けた先で二人が最初に目にしたものは、散乱した女性物の衣服と靴、そして大小の硝子の破片が無数に散らばった大理石のエントランスだった。玄関とエントランスを仕切る硝子壁は床上四分の一を残して砕かれ、壁に嵌め込まれた装飾用の磨り硝子さえもが無残な姿に叩き割られている。フットライト傍に置かれていたのだろう、細身の白い花瓶の口は斜めに割られ、先端には赤黒くこびり付いたものが付着している。壁の数箇所には先端の尖ったものが突き刺さった跡と走るように傷が付けられた跡があり、放物線を描くようにして付けられた跡の先には十センチ程の血液が溜まっていた。
「……なに、これ……!」
 鼻腔を刺激する血液の臭いに百合子は眉を寄せて口元を両手で覆った。兎月原は百合子の前を歩くように進むと、別の部屋へと続く続くフロアへ意識を集中させる。足を踏み出す度に細かな硝子の破片が靴底に押し潰される音が小さくなる鳴るが、彼の耳には酷く大きな音に聞こえていた。
「大丈夫か百合子? 手を貸そうか?」
「……平気よ。これぐらい、大丈夫」
 兎月原は怯えた様子の百合子の手を引こうと利き腕を伸ばしたが、彼女はそれを頑なに拒否した。その理由を彼女は「逃げる時の邪魔になるから」と説明したが、その言葉は彼女が見せる現時点での精一杯の強がりである事を兎月原は空気で悟った。
 短いエントランスを抜け、左右に分かれたフロアの様子を見定めるように伺う。建物内の全ての照明が灯されているのか、シーリングライトのエクルベージュとブラケットのマリーゴールドが不自然に混ざり合い眼球を刺激する色へと変化している。息を殺し、人の気配を探りながら左側へと歩いて行くと、突き当たりの場所で木目のドアが閉ざされているのが見えた。百合子の背中に這い上がるような悪寒が走り、ベビーピンクのブラウスから覗く白い腕には鳥肌が立つ。指先に痺れるような痛みを感じた兎月原は、後ろに立つ百合子に肩越しで合図を送るとドアノブへと手を掛けた。

「きゃぁぁぁぁぁ!!」
 空気を引き裂くような百合子の悲鳴が、部屋中の壁に反響し消滅した。生臭い血液と腐敗した肉の臭いが生温い二酸化炭素と共に二人の鼻腔を刺激する。倒されたフロアスタンドは電球と傘が割れ、その隙間から顔を出すように歪な角度に折られ、全裸にされた女の死体がリビングルームの中央に横たわっていた。美しかった生前の面影が残る髪にはべったりと血が付着し、頭皮の一部が赤黒く剥き出しにている。両目を大きく見開かせ、だらしなく開いた口からは赤い舌と白い歯が覗いている。無数に付けられた大小の刃物傷からは白い塊が露出し、本来ある筈の右肩が数メートル離れた壁際近くに転がっていた。腕を切り落とした時に噴出した血痕が天井の一部に赤い飛沫跡を残し、ネールピンクの一人掛けソファの表面をボルドーに染め上げていた。
「見ちゃいけない百合子っ!」
 百合子の視界を覆うように兎月原は正面から彼女の体を抱きしめたが、見開かれた網膜は『惨劇の場所』を鮮やかに焼き付けた。


..........................Fin