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<東京怪談ノベル(シングル)>


『暁は遠く』


「ごくろうさま。それから、これ」
 と、店主が差し出したのは、薄い小さな本だった。
「わあ、きれいです!」
「おまけ。いつもきっちり届けてくれるから、ホント助かってるの」
 裏で魔法書を扱っているこの小さな古書店の店主は、ティレイラの上得意だ。支払いついでに時折、ちょっとしたオマケをくれたりもする。それは時に古いおとぎ話の本であったり、古い呪文の本だったりしたのだが。今回の本は少し変わっていた。魔法の本らしいのは分かるのだが、表紙には題名もなく、中のページにも何も書かれていない。ただ、表紙の絵はとても美しかった。深い森と城の上に広がるのは黄昏色の空。そこには不思議な光の帯が伸びており、金色の虹のようだ。だが、題名は書かれていない。開いても、ページには何も書かれていない。首をかしげたティレイラに、店主はにっこり笑って、
「これはね、読むのではなくて、入る本なの。本の世界に入れるのよ。どんな物語になるかは使う人次第。確か私は、王子さまと一緒にお宝探しに行ったわ。途中で森の魔女の力を借りたりしてね」
と言った。
「楽しそうです!お話の主人公になれるんですね?」
「まあ、そんな感じかしら。使い方は簡単。夜眠る前に、枕の下に入れておくの。朝になったら魔法は解けるから、元に戻れるわ」
「目が覚めると、元通りなんですね!」
 店主が頷く。
「私が使ったのは結構昔なんだけど。罠とか謎かけとかたくさんあってね、すっごく楽しくて、アッと言う間に朝が来ちゃったわ」
「それは…とっても楽しみです!ありがとうございました!」
「まあ、百年は経ってるからねえ…色々と変質してるかも知れないから気をつけて…って、あら」
  頭を下げたなり、飛ぶように玄関を飛び出したティレイラには、店主の呟きは当然ながら、耳に入っていなかった。

「うっわあ…やっぱり、きれいです!」
 目の前に広がる光景に、ティレイラはうっとりと眼を細めた。歌うように聞こえているのは、鳥の声だろう。ティレイラの降り立った城は鬱蒼とした森に囲まれており、見上げると上空には金色の光の帯があった。空は見事なまでの黄昏色。ただ、奇妙な事に城はひっそりと静まり返っていて人影もない。町も同じだった。それなら森はどうだろう。確か、この本をくれた店主は、森の魔女の力を借りて王子様を助けたと言っていたような気がする。それなら是非とも会ってみたい。楽しみにしつつ森の奥へ続く小道を歩きだすと、たちまち鳥たちが舞い降りてきた。金色の光を映したような美しい色をしている。きれいだし、周囲を飛ぶ鳥たちがほんのりと放つ光のおかげで、暗い森の中でもティレイラは大して苦もなく奥へ進むことができた。さほど暗くはないのは、鳥たちだけではなく、転がっている小石や時折足元に走り出てくるウサギやリスたち、それに木々そのものも、微かにではあるが、光を放っているからだ。ほの暗い闇の中に浮かぶ、小さな星々の中を歩いているような気分だった。時折大きな光が見えたと思うと、木々に実った果実で、食べてみると実に美味しい。駆け回っていたリスがいつの間にか肩に乗っていて、ねだるように手を伸ばす。半分分けてやると、嬉しそうに種までかじって駆けて行った。その後ろ姿が可愛らしい。もしも誰にも会えずとも、朝まで彼らと遊んでいれば十分楽しそうだ。日の出まで、どれくらい時間があるのだろう。
「ずっと朝なんか来なければいいです。ね」
と言うと、手に乗ったリスが頷くように首を傾げた。リスやウサギ、時に鹿や狐に出会いつつ小道を歩いていくと、先に大きな屋敷が見えてきた。門のところに誰かいる。
「もしかして、森の魔女さんのお家でしょうか」
近づいてみると屋敷は静かで、門の傍に見えた人影は、石像だった。裾の長いスカート姿の女性だ。物語に出てくる乳母のような感じだと、ティレイラは思った。女性の横からそっと門の中を覗くと、バラが一面に咲いた庭が見えた。やはりどことなくほんのり輝いていて、きれいだ。屋敷はがらんとして見えるが、庭はきちんと手入れされているように見えた。ティレイラは門を静かに開けて中に滑りこんだ。大小様々なバラの花が咲き乱れた庭は、むせ返るようなバラの香りに満ちている。奥には噴水と池があり、蓮の花も咲いていた。だが、花よりも目を引くのは庭のあちこちに置かれた石像だ。ドレス姿の女性、腰に剣を帯びた騎士。中でもティレイラが目を奪われたのは、庭の中央で剣を抜いている少年の像だった。ちょっと高貴な顔立ちだと思ったのだ。
「そう言えば、王子様と一緒に冒険したって…」
 まさか、ね。と嫌な予感を打ち消すように首を振ったその瞬間だった。
「あらあら!どこから来たのかしら、貴女」
という歌うような声と共にいきなり目の前に現れたのは、深い闇のような長い髪をした、女性だった。すんなりと伸びた手足。色っぽい雰囲気の美人で、シンプルな紫のドレスが似合っていた。ティレイラはぺこりと頭をさげると、
「あの、すみません、勝手に…。私、ティレイラっていいます。もしかして、森の魔女さん、ですか?」
 とおずおずと聞いた。
「うーん、そうね。実質そんな感じかしら。そんな事より貴女」
 美しい魔女は魅力的な笑みを浮かべると、ティレイラの頭の先から爪の先までをじっと見つめた。
「な、何を…」
 後ずさりすると、丁度少年の像のま横だった。何かを求めるように顔を上げた彼の視線をつい追ったその瞬間。魔女が叫んだ。
「それ、いいわ!」
「え」
 何が、と聞き返す間もなく、ティレイラの体が石化する。動けないティレイラを、魔女はうっとりと眺めて頷いた。
「いいわあ、貴女。なんて可愛らしいのかしら。王子様と並んでも違和感ないわよ、ええ。ああでも、タイミング悪かったかしら。表情がダメね」
 魔女がぱちんと指を鳴らすと、ティレイラの術が解けた。
「なっ何するんですかっ!」
 慌てて抗議するティレイラに、魔女はあっさりと、
「趣味よ」
 と微笑んだ。言いながらも、あれこれとポーズを研究している。
「あっ、貴女、森の魔女さんじゃないですね?!」
「ないですよ〜、旅の魔族さんです。でも今は森に住んでるし」
「本の魔女さんは?!」
「あそこ」
 彼女が指差した水辺には、祈るようなポーズで石化している美しい女性がいた。
「きれいでしょ?蓮の花とぴったり」
「何て事をっ」
 だが、勢い込んだその瞬間、
「あ、それ可愛い」
 と、再び石化され、あら、こんな道の真ん中じゃねえ、と戻され、
「可愛いじゃないです〜!!」
 と、両手を振りまわした途端に、
「きゃあっそれいいわあっ」
と、またも石化された。まさかこんな場所でオブジェマニアに出会うとは。両手を振り上げたティレイラ像を、自称森の魔女はうっとりと見つめる。
「貴女、ホントいいわ!何ていうか、創作意欲をそそるのよね」
そんなところ褒められても嬉しくない。本当なら今頃は王子様と冒険の旅だった筈なのに。ティレイラは嘆いたが、どうしようもない。翼を広げて逃げようとしても、
「それ、もらった!」
 という魔女の声とともに再び石化し、ああでもどうせなら屋根の上よね、と戻され、
「そんなの嫌です!」
 と抗議すれば、
「怒るとまた可愛い〜!」
 と石化。いかなる抗議も無駄、というかむしろ喜ばれるだけで、逃げようとしても同じ。門にすら辿りつけずに、自分で言いたくはないが、イイ感じの石像になってしまう。
「もう、やめて下さい〜〜〜!!」
「まあ、それもいい!」
 涙目のまま石化したティレイラが今心底願うのは、ただ一つ。
「今すぐ朝になってくださ〜い!!」
 無論、その願いが叶うはずもなく、夜明けは限りなく遠かったのだった。

終わり