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<東京怪談ノベル(シングル)>


激戦、再び

 ガシィ‥‥ッ!!
 拳と拳が触れ合う鈍い音がした。ぶつかったと思えば離れ、離れたと思えばまた瞬時に肉薄し、ぶつかり合い、拳を、突きを、蹴りを放ち、また離れる。
 ダンッ!
 重々しく床を蹴り、身を低くした琴美はディテクターの死角に回り込もうと素早く移動した。だが、男はなかなか隙を見せない。やっと見つけた死角を突こうとする、その瞬間にはその死角は失われ、ディテクターは琴美を迎え撃っている。その繰り返し。

(ディテクター‥‥ッ!!)

 歯噛みし、琴美は目の前の揺るがぬ男を睨み据えた。幾ら打ち込み、蹴りを入れても微動だにしない――琴美はすでに軽く息が上がり、呼気に合わせて胸がかすかに上下しているほどだというのに!
 だが、ここで手をこまねいている訳にはいかない。琴美には琴美の、果たすべき任務があるのだ。それに一度はこの男を倒したのだと――彼女らしくなく、まるで自らに言い聞かせるようにそう考えて、グッ、と胸を張る。
 その様子を、ディテクターはひょうひょうとした様子でサングラス越しに眺めやった。そのサングラスすら落とせていないという事実が、自らとディテクターの実力の彼我を現して居るとは思いたくなかった。

「ハッ!」

 床を蹴り、顔面を狙った拳と見せかけた回し蹴り。そうと見せかけた暗手からのくないの連投。シュタシュタシュタッ! と目にも留まらぬ速さで抜き打つくないは、だがひょいと体を裁いたディテクターに当たる事はなく、背後の計器に突き刺さってバチンッ! と鈍い音をさせた。一瞬置いて、計器類から立ち上る黒煙。パチパチと光る火花。
 ちら、と一瞬だけ振り返ってその様子を確認したディテクター。だがそれが隙ではなく誘いだと言う事を、もちろん琴美はわかっていた。

(どうして‥‥ッ!!)

 その焦燥を、もちろん口には出さない。口に出す余裕があるとかないとか言うレベルではない――プロとして、誇り高きくの一の末裔、その血を脈々と受け継ぐものとして、このような時ですら負の感情を表すような教育を琴美は受けていない。
 だが重い拳に、素早い動きに、琴美は翻弄される。この自分が年相応の小娘の様に扱われている、その惑いと迷いと屈辱が琴美から戦いへの集中力を奪い、らちのない、取り止めのない思考を絶えず呼び覚ます。
 ヒュッ!!
 空気を切り裂き、唸りを上げたディテクターの拳が琴美の方を狙って放たれた。危うく身を捩ってかわす。避けきれない拳が琴美の肌を浅く切り裂き、パッ! と血の赤を咲かせた。
 もう一体どれほど、傷をつけられた事か。すでに琴美の肌の露出している部分で、赤に染まっていない部分はどこにもなかった。黒のインナーは辛うじて肌に纏わりつき、琴美が生まれたままのあられもない姿をディテクターの前にさらす事を防いで居るに過ぎない。スパッツも同様にボロボロで、豊満なヒップをささやかに隠している程度だ。
 ギリリ、と唇を噛み締め、血を吸って肌に張り付く黒髪をバサリと背に跳ね除ける。髪が邪魔だと、戦闘の最中にこれほど痛切に思ったのも、琴美にとっては生まれて初めての経験だった。

「ハアアアアァァァァッ!!」
「フン‥‥ッ!!」

 床を抉るように蹴り、その衝撃についに編み上げブーツのヒールが折れたが、琴美はかまわず跳躍した。常人どころか、格闘のプロであったとしてもおいそれと目に留まらぬはずの、顔面の急所を狙った琴美の鋭い蹴りを、ディテクターは顔の前にクロスさせた両腕で難なく受け止めた。同時に動く男から逃れるように、受け止められた蹴り足を素早く軸足に切り替えてさらに跳躍。
 タンッ! タタンッ!!
 天井を蹴り、さらに後方の壁を蹴って、軽やかに着地した。ヒールがない分のバランスを考慮し、やや爪先立ち前のめりで。白い太ももに素早く手のひらを這わせ、くないを抜き去って素早く編み上げブーツの編みひもを切り裂いた。
 ブツブツブツ‥‥ッ!
 切れたと同時に、鋭く足を蹴り上げてブーツをディテクター目掛けて飛ばす。勢いに琴美のほっそりとした白い足からすっぽ抜け、狙い過たずまっすぐに飛んできた編み上げブーツを、ディテクターは無造作に払いのけた。だがその影にはもう片方の編み上げブーツがすでに迫っている。
 チッ、と舌打ちの音。已む無く僅かに身を避けてかわした所に、琴美が放ったくないが迫った。だがそれも予想済みとでも言うように、男は難なく避ける。避け続ける。
 琴美は素足にヒヤリと冷たさを伝える床を踏みしめ、拳を構えた。構えながら、また奥歯をギリリと噛み締めた。

(どうして、当たらないの‥‥ッ!?)

 当たらない、だけならまだ良い。だがあれほどに容易く避けられ、いなされ、時にその攻撃を利用して琴美への攻撃へと転じられる、そんな敵と戦うのは初めてだ――ディテクターとは拳を交えるのは2度目だというのに。
 焦っている、自分を感じる。

(これではいけません)

 がむしゃらに我を忘れて底力を引き出す、と言う格闘物語にありがちな幻想を、琴美は信じていない。もちろんそんな事があっても悪くはないが、少なくともそれは琴美には当てはまらない。
 幼い、物心つく前から欠かさず行ってきた修行。それによって培われた実力。任務のとき、戦いのとき、そうやって培ってきたものだけがモノを言うのだと教えられてきたし、琴美自身もそう考えて居る。
 ふぅ、と細く、深い息。一瞬瞑目し、意識して気持ちを切り替える。頭のチャンネルを切り替える、と言えば良いか。
 身にまとう空気が変わった事を、ディテクターも気付いたらしい。ほう、と感心の声を漏らす。

「あれほどやられて、まだ向かってくるか。女、敵にしておくには惜しいな‥‥まだ吐く気にはならないか?」
「その冗談は聞き飽きました。ディテクター、つまらない男は嫌われますよ」

 言いながらパサリと黒髪を跳ね上げた、その瞬間に立ち昇る色香はいつかも見せた、血まみれでいてなお気高く美しい――否、血の赤をまとって戦いの空気を艶やかに従えるからこその媚態。
 血の赤に彩られるからこそ白さの映える肢体を惜しみなく晒し、睨みつけてくる美しい女。
 ニヤリ、とディテクターは笑う。以前に見えた時、この女はたった1人でとある組織の施設の一つを完膚なきまでに破壊して見せた。その事実と、手加減していたとは言えディテクターを倒すほどの実力を持った女エージェントと言う部分に興味を引かれたものか、IO2はディテクターに再びこの女に接触するよう命じた。
 だが、これは私情だ。もちろんディテクターとて組織の一員、上層部の意向に逆らう気はさらさらない。しかしこの対決が叶った今、心行くまでこの女と戦ってみたいと思うのは、確かだ。
 ゆえに、ボロボロになってなお誇り高く立ち向かってこようとする琴美に、ディテクターは高揚する。だが任務は忘れない――彼の任務はこの女の所属組織を聞き出す事。
 相向かい合う、2人のプロフェッショナルエージェント。

「女‥‥楽になりたければ、さっさと吐け」
「また無様な姿を晒したくなければ一刻も早く引く事ですね」

 挑発しあうその言葉の中に、だが琴美は幾ら押し殺そうとしても殺しきれぬ不安がある事も、感じ取っていた。それからあえて目を逸らす。
 そして2つの影は同時に床を蹴る――ッ!!