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<東京怪談ノベル(シングル)>


戦いのその果て


 もし唯一、水嶋琴美がディテクターと言う男に勝る要素があるとするならば、それは身の軽さだろう。
 男と女と言う絶対的な性別差は、幾ら努力しても膂力の差として明らかになってしまう。速度も、身が軽ければ上回りそうなものだが、相手にそれを補って余りあるだけの瞬発力――つまりその瞬発力を生み出す筋肉があれば互角。
 だから、純粋に彼我を比較して勝るものと言えば、身の軽さ。それが優位になるか不利になるかは戦い方次第で、琴美が脈々と血筋を受け継いできたくの一はまさに、その身の軽さを優位にもっていくための戦闘をもっとも得意とする。

「ハアアァァ‥‥ッ!」

 琴美はヒヤリと冷たさを感じる床を蹴って、天井高く舞い上がった。空中でクルリと身を翻して天井に着地、その衝撃をばねへと変換してさらに天井を蹴って地上、ディテクターへと突撃する。
 ドゴ‥‥ッ!
 蹴られた衝撃に天井が抜け、パラパラと土埃が舞った。それすら味方につけて弾丸のように飛び出し襲い掛かる琴美の拳を、ディテクターは両手をクロスして受け止める。
 ズシィ‥‥ッ!
 重い音。さしものディテクターの巨躯も、僅かにずり、とずり下がる。その瞬間には琴美はさらにトンボを切って後方に飛び、離れた場所に着地していた。
 並の人間なら、確実に骨折している打撃だったはずだ。そうでなくともひびぐらいは入っていてもおかしくないのに、ディテクターの様子はまったく変わらない。
 また、湧き上がる焦燥。自分は一体今、何と言う生き物を相手に戦っているのだ?

(考えてはいけません)

 そこに含まれる確かな恐怖の感情から、琴美は意識して思考を逸らす。そう、己に命じる。
 恐れるな。恐れは己の力をイタズラに抑制する。動きを鈍らせ、思考を鈍らせる。そうして琴美に恐怖して勝手に破滅していった敵を、琴美は何度も葬り去ってきた。
 己を戒め、琴美はギュッ、と床を踏みしめた。豊かな胸を誇る様に張り、拳を構え、ディテクターを見据える。必ず勝つのだと、絶対に自分は負けないのだと。
 だが。

「イヤアァァ‥‥ッ!」
「アアァァァ‥‥ッ!」

 獣の様に咆哮した男女が、同時に床を蹴って互いに向かって肉薄した。琴美は全体重をかけた拳を。そしてディテクターは勢いに乗った飛び蹴りを。
 そこに生まれた、明らかなリーチの差。ハッ、と気付いた時にはすでに琴美の豊かな胸元を突き破るように、男の蹴りが炸裂している。

「ガフ‥‥ッ!?」

 バキィ‥‥ッ!!
 琴美の体内で何かにひびが入る音を、彼女は確かに聞いた。実際には音がしたとしても戦いの音にかき消されたはずのそれは、琴美にとってはまるで何かの宣告の様に重々しく響いた。
 反射的に肋骨を抑え、自分のその動作で肋骨を何本か持って行かれたのだと悟る。まともな人間であれば、肋骨といわず内臓破裂を起こしてもおかしくないほどの蹴りだ。
 思わず立ちすくんでいた自分に気付く。肋骨には少なくともひびが入ったはずだ。呼気が荒くなり、豊か過ぎる胸がふいごの様に激しく上下するたびに、その震動でいかれた肋骨が悲鳴を上げる。
 ギリリ‥‥ッ!
 音がするほどに強く唇を噛み締めた。つ、と噛み切れた唇から赤い血が玉のように零れ落ちる。唇に刷いたルージュよりも赤い真紅。ペロリと舌先で拭い、ディテクターを睨み吸えた。

「ハァ‥‥ッ」
「これで止め、だ」

 ビキビキと音を鳴らす肋骨の悲鳴を無視して、構えを取ろうとした琴美の眼前に、だが肉薄していたディテクターがごく静かな口調で宣告した。同時に繰り出された拳は、裏腹に苛烈。パワードプロテクターの恩恵を無視してもなお余りある、重戦車のような唸りを上げて空気を切り裂き、次の瞬間、琴美の腹に綺麗に吸い込まれて消えた。

「キャアアァァ‥‥ッ!」

 琴美は、恐らくは生まれて初めて悲鳴を上げた。何のための悲鳴だったかは判らない。判る暇もなく腹部で重戦車級の拳が炸裂し、琴美の意識はあっと思う間もなく闇に吸い込まれていったからだ。
 ‥‥ドサッ!
 ぐったりと四肢を投げ出し、ついに動かなくなった琴美の、その姿でいてもなお魅惑的な肢体を無表情で眺め下ろしたディテクターは、ふぅ、と大きく息を吐いた。だらん、と両腕を垂らそうとして、かすかに眉を寄せる――琴美が全体重をかけて打ち込んだ一撃は、そうと見えなかっただけでディテクターに確実にダメージを与えていた。
 チッ、と舌打ち。殺さないように手加減するよう上層部からは言われていたし、ディテクターとしてもそのつもりだったが、時にその目的が危うくなるほどには、この女は強かった。
 いったい、これほどの女エージェントを擁するのはどんな組織だというのだろう。個人的に沸き上がってきた興味を静かに胸の奥底に沈め、ディテクターはこの激しい戦いの中でも無事だった数少ない内線を繋いだ。

「ディテクターだ。ターゲットの確保を完了した。地下に放り込んでおいてくれ」
『了解しました。ご苦労さまです』

 短い返答とわずかな時間でやってきた組織員は、まず、部屋の中の惨状を見て鼻の頭にしわを寄せた。さらに、床の上に魅惑的な四肢を投げ出して意識を失っている女を見て、唇をへの字に曲げる。
 弁解の必要性を感じた。

「生きているのは確認している」
「んなことはわかってますけど」

 ディテクターの言葉に、言外に思い切り何かを含んでいる様子で盛大なため息を吐いた彼に、言われた男は眉を寄せた。ディテクター、彼の情緒の大半は戦闘スキルにのみ注がれている、のかもしれない。





 琴美は、薄暗い場所で意識を取り戻した。
 無意識にわずかに身動ぎすると、全身の筋肉が悲鳴をあげる。その激痛に、今度こそはっきりと意識が覚醒する。
 苦痛を眉根を寄せてやり過ごしながら思い出す――琴美は、あのディテクターという男に、生まれて初めての敗北を喫したのだ。
 それは怒りより屈辱より、恐怖に似た何かの感情を琴美の中に生まれさせた。だが、いけない、と無意識下でその感情を押し殺し、押し込める。その感情に囚われてはいけない。その感情に、気づいてはいけない。
 琴美はゆっくりと、まずは瞳を閉ざしたまま辺りの気配を探った。
 痛みに、時に真っ白になりそうな意識をかき集め、だが外見はまだ意識を失ったままに見えるよう。先ほどの身動ぎはごまかし切れるレベルだ。ディテクター、あの男が相手では通じないかもしれないが。
 探れる範囲に人の気配はない。だが油断は禁物だ。
 琴美は次に瞼だけをうっすら押し開けて、あたりの様子を伺った。微かに差し込んでくる電灯の光。それが、驚くほどまぶしい。
 視界に入る範囲は狭い。だが琴美はその狭い視界と知覚を総動員して、監視カメラの有無を探った。
 どうやら、ないようだ。琴美は細く息を吐いた。そのしぐさに、かろうじてインナーだったものに隠されているだけの豊かな胸元がわずかに上下し、その振動にイカれた肋骨が悲鳴をあげる。

「ゥク‥‥ッ」

 琴美は悲鳴を上げ続けている全身を宥め透かしつつ、さらに視界を押し開いた。目に飛び込んできたのはガランとした空間。裸電球が、それらしすぎていっそ笑える。どうやら彼女は、囚われの身となったようだ。

(ならば、脱出、しなければ‥‥)

 当然のようにそう考えて、琴美は重い身体を引きずるように立ちあがった。そうしてゆっくり、部屋を調べ始めた。