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幻影浄土〜あの日に還るために〜
その寺を訪れたのは確かに偶然が7割だった。残り3割は、何かに引き寄せられていたのかもしれないと三島玲奈は思う。そこは玲奈のような、人とは異なる者たちが時々引かれるように訪れるという場所であるようだった。
人とは異なる。
そう言われると、心のどこかが軋む気がした。
慣れたような気がすることもあったけれど、やはり人間でありたいと、あり続けたいと思っていたから。
もうそれも、過去形で語るべきことになってしまったのかもしれないが。
足下には地球が見えた。
青い宝石と言うには大きすぎる。
箱舟の床も壁も透過して、それは大きく。
「宇宙船から地球を見る日が来るとは思わなかったな」
「ごめんなさい、連れてきちゃって」
振り返ると剣を抱いた青年が、何もない空間に座っている。何もないわけではなく、そこに見えないだけだけれど。
「いや、感謝しておくさ。滅多にできない経験だからな」
海音は笑った。足場のないような感覚の中で平然としているように見えるのは、やはりどこか人と異なるからだろうか。彼は普通の人と変わらぬと、そういう話であったけれど。
そう、玲奈が問うと。
「俺、絶叫系好きなんだ。こいつは良いよ、ゾクゾクするね」
「なにそれ」
意外な返事に、玲奈も笑った。
意外に……人間もタフで、変わらないものなのかもしれない。玲奈は大きく変わってしまったけれど、本質は人間という種の揺らぎの中にまだ含まれているのだろうかと。
「お、真っ暗」
「あ、ごめんなさい」
不意にすべての光が消えて、真の闇が現れる。何も見えない……いや、何もない。
視覚を宇宙船としての艦橋に戻しても良かったけれど、なんとなくそうしたくなくて、やさしくやわらかな光球を作って闇の中にいくつか浮かべた。
太陽よりもやさしく、星よりもやわらかく。
玲奈の腕の中の赤毛の人形も、その灯りに照らされる。
「光を超えたから、光が入らなくなっちゃったのよ」
「……理系じゃないんで、詳しくは聞かないことにしておくよ」
「もう少しだから」
赤毛のフランス人形に、玲奈は告げた。
この体感の時間は、玲奈の作り出した偽りかもしれなかったが。
「人形供養って言うのか?」
「人形には限らないんだけど」
お使いを頼まれて、やっぱり人形の入った箱を、その寺に持っていったのが始まりだった。その玲奈の運んだ人形は、形のない、けれど嫌なもので満たされていて、そういうものをお祓いする寺だと聞いていた。
箱を透して玲奈にも、その人形の嫌なものはわかったけれど、それでどうできるというものでもなかった。何かを与えて、嫌なものが溶けて失せることもない。力ある者の手に渡れば、滅されるようなもの……玲奈にも手は下せるかもしれなかったが、約束された場所があるのならばと、それをただ運んで。
だから、その寺はそういうものが集まるところだと思っていた。
「いらっしゃい」
迎えに出てきた少年は、玲奈の持ってきたものがなんであるかは知っているようで、迷わずに寺の一室に案内された。
手作りのひな壇に、人形ばかりが置かれた部屋。
人形供養って言うの――そう訊ねれば。お祓いは人形には限らないらしい。けれど人形がどうにも多いのは、人形に念が宿りやすいからだと言う。
「人形自体が魂を持ってしまったり、持ち主の念を宿してしまったり……」
そう言いながら、寺の少年……万夜は並んだ人形の中から、赤毛の人形を一つ抱き上げた。
「かたどられたせいで、つかまってしまったり」
念を宿すというのは、玲奈が持ってきたような人形だろうと思われた。魂を持つというのは、無機質が意思を持つことを指しているのだろうかと考えた。
「この子は、多分あなたを待っていた」
模られたせいで――それは、赤毛の少女人形を受け取ってしまって、理解した。
「……捉まってしまった?」
それは赤い髪のフランス人形だった。子どもの姿をした、どこか寂しそうな少女人形。
笑っているのに寂しいのは、そこに叶わぬ願いがあるから。
触れた指先から、彼女がわかる。
幼くして死んだ少女を、模って作られた人形。
彼女を深く愛していた里親が養女を模した人形を数作らせ、明るかった少女の友人や可愛がってくれた親戚に形見分けに渡したもの。
その時、残した服やシーツでドレスを作らなかったなら。
彼女が、この人形に捉まることもなかっただろうか。
それは良かったのか、悪かったのか。
里親に引き取られ、大切に育まれ、短いけれどけして不幸ではなかった人生。
けれど。
ただ一つ、どうしても満たされなかったことがあった。
捉まったがために、彼女はそこで終わらなかった。
ただ満たされぬ願いも、残ってしまった。
「……無理にとは言わないから」
受け取った人形を抱いたまま、学生服を着た少年を振り返る。
形は違うけれど、玲奈も同じような学ランを着ていた。
それは「人である」こと自体が玲奈という生にとってどうでも良くなった後には、どうでも良いがゆえに「人である」ことの象徴のようなものでもあった。
「ここに、俺が来ることを知ってたのか?」
「僕は、未来のことは視えないんだけど」
だから。
「この先、どうなるのかは知らないんだけど」
玲奈は人形を見下ろした。
「彼女は、願いを叶えられる人が来るのを待っていたんだ」
「それが――俺?」
理屈はわからなかった。
けれど、圧倒的な願いが指先から流れ込んでくる。
――イッショニイタイ。
――ママン。
――サイゴマデ。
「誰も、もう、その願いを叶えることはできないんだ」
「俺以外には」
自分の言葉が、自分を切り裂く。
願いが、迷いに縋り付く。
「でも、俺は……」
「……僕は、本当にあなたのことは何も知らないんだけど。あなただけは、この子の願いを叶えられるって聞いたんだ」
誰から、と訊くのは野暮な気がした。
そして願いに揺さぶられて流れる涙を隠すように、赤毛の人形を抱きしめた時。
「よう」
声がした。
顔をあげると、庭の見える廊下に剣を持った見知らぬ青年が立っていた。
「用があるって?」
ああ、と、万夜は玲奈に向けて、不意に現れた怪訝な顔をした青年を紹介する。彼は、月見里海音と言うと。その剣で、何でも斬れる剣の達人であると。
「なんでも……そう、想いそのものでも」
「……この子の想いも?」
「斬れるよ。斬って終わりにもできる。でも、それは最後の手段だけど」
「そうなのか?」
「できれば……最期に、願いを叶えてあげたいから」
「そうか」
玲奈は、何か吹っ切れたように顔を上げた。
「じゃあ、斬られるのはやっぱ俺の方だ」
襖のところにもたれている海音に向けて、玲奈はにやりと笑って見せた。少年のように。
「あんた、俺を斬ってくれよ」
さっきまで目が痛いほど晴れていた青い空に、陽が傾き始めていた。ここから、暗くなるまでは然程の時は要らないだろう。
煌くのは、一番星ではない。
「さて、と」
海音は刀を腰に矯め、玲奈を見やる。
「本当にいいのか? 斬った物は戻らねぇぞ」
玲奈は一度頭上に視線を投げた。
普通には見えない、箱舟の影を追って。
もう一度視線を戻したなら、笑って言える。
「いいよ俺……いや、アタシの永遠の命と無限の翼。人の為に役立てるなら――喜んで羽ばたくわ」
「その学ランも着納めだぜ」
拘りの形。
玲奈の舫い。
繋ぎ止めるものがなくなれば、船は漂流してしまうかもしれぬ。
「いいのよ。早く、学生服ごとぶった切って……錨を上げられない船でいるのは終わり」
「そうかい。そんじゃあ」
いくぜッ……と気合一閃。剣の切っ先は確かに玲奈を二つにしたけれど、痛みはなかった。
ただ、着ていたはずの学ランが跡形もない。
白いワイシャツだけが、玲奈の肢体に貼り付くように残っている。
船が動き出す。
それは、不思議なくらい普通に。
玲奈と、その近くにいたモノを回収する。
「今――連れて行ってあげる」
玲奈が抱いた、赤毛の人形は歓喜にその魂を震わせていた。
「もう少しだから」
そう言っているうちに、箱舟の外側は光を取り戻したようだった。
一度点けた灯りを落とす。
再び青い丸い地球が足下に輝いて。
「あなたの、お母さんが――まだ、生きているところに」
彼女から流れ込んできた、彼女すらはっきりとは憶えていない記憶を辿って。
それは少女人形のドレスに残されていた、彼女のDNAに刻まれた記憶。
銃声と砂埃の支配する紛争地帯のただなかで生まれた彼女の、血の記憶。
時空を、超えて。
――わたしは、もうだめだから。
――このこだけでも、たすけて。
――ありがとう……あなた。
――しらない、ひと……
乳飲み子だった彼女は、確かに聞いていた。
乳飲み子だった彼女は、憶えてはいられなかった。
けれど、その遺伝子に刻み込まれた母への想い。
彼女を受け取ったのは異国のジャーナリストで、戦乱に巻き込まれて。
どうにか生き延びて、彼女を抱いたままその国を出た。
彼女が死ぬまで、彼は戦地で出会った女との約束を守った。
人道という言葉では、量りきれない何かがそこにはあっただろうか。
「――ここが」
そして、玲奈たちは硝煙の匂いのする街角に降り立った。
「……こっちに!」
海音に引っ張られて、抱きかかえられるように瓦礫の影に身を隠す。
銃を持った兵士たちが走りすぎていった。
「だ、大丈夫だけど。あたし、銃に撃たれるくらいなら」
「銃に撃たれたら俺が大丈夫じゃねぇよ。それより気のせいじゃなかったら、俺たちはここにいちゃいけねー人間じゃないのか?」
「ええと。その通りね……」
「それで、目的地はどこなんだ……」
「しっ……!」
降下のポイントは間違えていないから、そこで間違いはないはずだった。だから。
声を潜めれば聞こえてきた。
「……わたしは、もうだめだから。この子だけでも、たすけて……」
瓦礫の向こうから聞こえてきたのは、土地の言葉。だが言葉が違うことは、二人にとっては障壁にはならず。
それが誰であるかは、すぐにわかった。
今は人形の姿をした彼女の、母。
今は乳飲み子の彼女を受け取ったのは、欧米人に見える青年……あれが里親。
「ありがとう……あなた」
「おい……!」
銃声がまた近くなる。
女は、意識が遠くなったようだった。
ここに居られぬと、青年は歯を食いしばり、乳飲み子を抱えて走り去る。
その、すべてを見届けてから、玲奈は女の前まで歩み出た。
人形を抱いて。
「大丈夫?」
女は意識を取り戻した。
まだ命の灯は消えてはいなかったから。
「あなたの……子だよ」
「……エル……!」
赤毛の人形を乳飲み子の代わりに抱かせれば、それを愛しそうに抱く。
それが真実、自分の子の魂であると、知っているかのように。
「……さようなら、エル。あなたの願い、これで叶う……ね」
――母の最期の瞬間まで、共にいること。
玲奈は、瓦礫の影にいた海音の所まで戻ってきた。
「あいつ、置いていくのか?」
「彼女の母親は、まだ死なないの。……長くは生きないけれど」
だから、と。
再び箱舟は動き出す。
彼女の願いは――実の母が死ぬまで、共に居ること。
その魂が、寂しくないように……
「お帰りなさい」
玲奈たちが再び出発地点に降り立った時、そこには赤毛の人形を抱いた少年が待っていた。
「……帰ってきたのね」
「……願いは叶いましたから……もう眠ります。あなたの帰りを待っていたんです……お礼が言いたいと」
「……そう」
運命という言葉が、あるのならば。
赤い髪の少女は、玲奈を時からさえも解き放つ使者だったのだろうと――
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【7134 / 三島・玲奈(みしま・れいな) / 女性 / 16歳 / メイド・サーバント】
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■ ライター通信 ■
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ご参加ありがとうございました。うーん、もしかしてヨミを外してたらすみません。これかなあと思ったのですが、イマイチ自信がないです。もし外してたら、ホントすみません……
もし次がありましたら、よろしくお願いします〜。
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