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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


デス・バースデイ



 目の前には大きな姿見がある。しかし、そこに映るのは見知らぬ女だった。
「うふ、うふふ、うふふふふふふふ」
 女は笑う。長い前髪に遮られ、目元こそ見えないが、女は心底楽しそうに笑っていた。
「うふふふふふふふふふふふふ、ふふふふふふふふ、うふふふふふふふふふ」
 壊れたオルゴールのようにひたすらに笑い続ける。その常軌を逸した光景にぞっと背筋が凍る。
 ふと、笑い声が止んだ。女はじっとこちらを見つめる。
「――…もうすぐよ」
 にたり、と女は笑んだ。
「もうすぐあなたを殺しに行ける。待っていて? 必ず殺してあげるから。私からのプレゼントよ。喜んでね?」
 姿見にひびが入る。それがあっという間に全体に広がったかと思うと、甲高い音を立てて粉々に砕け散った。

◆ ◇ ◆

「お願いです、このままだと私は殺される。死にたくないんです! お金なら工面します、どうか……!」
 目の前で頭を下げる依頼人に、草間武彦はほとほと困り果てていた。
 毎夜夢に出てくる女が殺しに来るのだと切々と訴えるのに、最初こそ精神科を薦めるべきか悩んだ武彦だったが、必死の形相で頭を下げるその様を見てなお無責任な言葉を投げかけることはできなかった。
 これが依頼人の妄想でないとすれば、武彦が常々縁を切りたいと思っている『怪奇』の類なのだろうが……殆ど錯乱状態といってもいい依頼人から詳しい話を訊くのは難しそうだ。
 まずは依頼人を落ち着かせるのが先決だろうな、と考え、武彦は小さく溜息を吐いた。
(……助けてあげたいな。あんなに怖がって、可哀想だし)
「……草間さん」
 依頼人と草間とのやりとりを見ていた木乃イサムは、依頼人を刺激しないように抑えた声で草間を呼んだ。怪訝そうに視線を向けた草間に笑みを向けて、依頼人の傍に膝をつく。
 怯えを映す目をしっかりと見据え、安心させるように微笑んだ。
「大丈夫」
 不安や恐慌を煽らないように落ち着いた声で、告げる。
 イサムの胸の位置に下がっている聖甲虫――スカラベのペンダントが淡く発光する。その暖かい光を、依頼人は魅入られたかのように見つめた。その顔に浮かんでいた不安や恐怖といった負の感情が、だんだんと静まっていく。
 数分か、数秒か。その短い間に、依頼人はどこか安堵を感じさせる表情へと変わっていた。
 スカラベのペンダントの発光が収まったのを確認すると、イサムは満足げに笑み、そして依頼人へと再び声をかけた。
「私は木乃イサム。きみの名前は?」
「はづき……葉月、京香」
「葉月クン。きみは夢に出てくる女に殺される、と言ったね」
 殺される、の部分で依頼人――京香の肩がびくりと震えた。けれど先ほどのように恐慌状態になることはない。小さく頷いた。
「現実に殺される、と――ただの夢でないと思った、その理由はあるかな」
 優しい問いかけに、京香は少しの間迷うような素振りを見せた。幾度か口を開閉させて、意を決したように震える声で告げた。
「理由、とか……根拠は、ない、です。ただ、……すごく変な、おかしいことだと思うんですけど、殺されるんだ、って。殺しに来るんだって。予感とか、そういうのじゃなくて、……確信を、してしまったから。頭がおかしいんじゃないかって、自分でも思います。でも、本当に、殺しに来るってわかったから…ッ」
 切れ切れに伝わる言葉には、本心からの恐怖が色濃く滲み出ていた。
 なるほど、と、顔には出さずイサムは考え込む。
 根拠は無い。ただ『殺される』と感じた――それだけの情報でそれを言った人間を守ろうと考える者はあまりいないだろう。余程のお人よしか――そのような不可思議な出来事に慣れている者なら、別であるが。
 夢の中で感じる恐怖がまざまざと思い出されたのか、顔を青くして震えている京香に、イサムは力強く告げた。
「きみは生きたいと望んでいる。だから大丈夫だ」
 彼女は死にたくないと叫んだ。死を忌避するからこそ、錯乱に近いほどに恐怖するのだ。これが怪奇にまつわる事件にしろ、それ以外にしろ、死にたくないと……生きたいと望む心は、それだけで力になる。
 京香はじっとイサムを見て――、こくり、と頷いた。

◆ ◇ ◆

 そうして、京香が夢に出てくる女が殺しに来るのだといった、彼女の誕生日が訪れた。
 硬い表情で自らの手を握り締めている京香の横にイサムは立ち、周囲を油断無く警戒している。
 草間興信所に京香が依頼に来たあの日以降、度々会っては様々な話を聞き、この件が怪奇の類に相当するものだというのは殆ど確信していた。
 2人が居るのは京香の自宅、その居間。彼女は数年前に両親を亡くし、その両親の親戚もどちらとも居なかったため、1人でこの家に住んでいるらしい。
 待機場所に居間を選んだのは、そこが家の中で最も広かったからだ。狭い場所だと守るにしろ反撃するにしろ、身動きが取りにくい。
 異変は、正午を少し回った頃に起こった。
 京香の正面の空間が歪む。ちょうど、京香から聞いた夢の中で見る姿見ほどの大きさの空間が。
 いくらも経たないうちに、その歪みは異質なものへと変化した。禍々しい気配を放つ、姿見に。
 イサムは京香を後ろに下がらせ、その前へと――姿見と京香の間へと身体を滑り込ませた。そしてその異様な姿見に目を向ける。
 姿見――鏡にしか見えないそれは、しかし、景色を映しては居なかった。混沌とした色彩が渦を巻く様がそこには映っている。そしてその渦の中心から、ぐにゃりとひとりの女が現れた。
「うふ、うふふ、うふふふふふふふ」
 姿見に映る女は笑う。心底楽しそうに。長い前髪に遮られ目元は見えないが、三日月のように唇は歪められていた。
(聞いていた通りだな)
 京香に思い出せる限りの情報を教えてもらっていたが、その通りの容姿だ。京香が夢の中で見ていた――京香を殺しに来るという女に違いないだろう。
「うふふふふふふふふふふふふ、ふふふふふふふふ、うふふふふふふふふふ」
 喜色に彩られたその笑い声は、何故か、何の感情も含んでいないようにも感じられた。矛盾する感覚。
「やっと……やっとよ。やっと貴女を殺してあげられる。嬉しいわ。貴女も嬉しいでしょう? 喜んで? ……ねえ、どうしてそんな顔をしているの? どうして笑ってくれないの? 貴女のためのプレゼントなのに」
 笑い声とは違う、空虚な声が響く。姿見の中の女が、イサムに――否、京香に向けて手を伸ばした。
 届くはずの無いその手が、姿見を突き抜けてこちら側に現れる。イサムの後ろで京香が息を呑むのが聞こえた。
 その手に続いて、肩が、顔が、胸が、――全身余すところ無く、こちら側へ通り抜けた。
「殺してあげる。殺してあげる。殺してあげる。殺して殺して殺して殺して殺して。死んで死んで死んで死んで死んで。うふふふふふふふふふふ、ふふふふふふふふふふふふふ、うふふふふふふふふふふふふふ」
 女の言葉と共に、その背後の姿見にひびがはしる。それはあっという間に全体に広がると、一気にがしゃんと砕けた。その破片が宙に浮く。
 そして女がにたりと笑った。
「誕生日、おめでとう」
 そう女が言ったと同時、宙に浮かんでいた鏡の破片が一斉に京香へと飛ぶ。イサムの肩越しにその光景を見た京香は、反射的に息を呑み身を硬くした。
 しかし、襲い来るはずの痛みは京香に訪れなかった。恐る恐る目を開いた京香は、広がっていた光景に目を奪われた。
 白い――包帯。それが今まさに京香を襲おうとしてた破片の進行を阻んでいた。
 イサムが京香を振り返り、そして安心させるように笑う。
「包帯の結界だよ。怪我はない?」
 京香が慌てて頷くのを確認して、イサムはまた視線を前に戻した。
 包帯――聖骸布が、イサムの意のままに伸び、女の身を拘束する。女は抵抗しようとするが、それもまた包帯に阻まれた。
「葉月クン」
 静かに、イサムは京香を呼ぶ。
「実際に見て、やっとわかったよ。……その女はきみの心の闇が生み出した存在だ。きみの中の絶望が形になったもの」
「え……?」
 戸惑った声を出す京香に、イサムはなおも語りかける。
「信じられないのは無理ないけどね。恐怖を鎮めて、きちんと向き合えばきみにもわかるはずだ。媒介が鏡であること、そして顔がきみにそっくりなことも、それを指し示してる」
 女が暴れようとした拍子に、長い前髪に隠されたその目元が露になる。そこには、京香とまったく同じ造作の顔があった。それを目にした京香は言葉を失う。
 そんな京香に、イサムは穏やかな声で告げる。
「自分の心を見つめてみて。そして戦うんだ。……大丈夫、きみなら出来る」
 一瞬泣きそうに顔を歪めた京香は、しかし自らの拳をぎゅっと握って、イサムの隣に並んだ。
「……わ、私、お父さんもお母さんもいなくなって、ずっとかなしくて、さみしくて、仲良い友達もあんまりいないし、私なんかいてもいなくても同じだって、死んじゃっても別に誰も困らないって、そう思ったりしたけど……で、でも、死んじゃったら、この先私が会えるはずだった人とかにも会えないし、もしかしたらその中に、私をお母さんたちみたいに大切に思ってくれる人がいるかもしれないし、……や、やりたいことだってあるし、夢だって、まだ叶えてないし……し、幸せだって思うこと、あるし…小さいことだけど、誰かに「ありがとう」って言われたら、嬉しいし……空とか、景色が綺麗だったら嬉しいし、お母さんたちも見てるかなって、思えるし……私、精一杯生きるって、お母さんたちに約束したもの。だから、私は死ねないの! ずっと、まだまだ生きるんだから!!」
 京香が女に向かって叫んだのと同時に、女の身体にひびが入り始めた。それはまるで、鏡にひびが入るかのように。
「もう、大丈夫だ」
 イサムのスカラベのペンダントが太陽の如き光を発し、それが女の身体を包み込む。一段と強い光が辺りを包んだ瞬間、ひびの入っていたその身体は粉々に砕け散った。
 その破片は地面に落ちる前に空気に溶けるように消え、後には、女が現れる前と何の違いも無い空間が残る。
 どこか呆然としている京香を正気づけようと手を伸ばしたイサムは、しかし、その寸前で手を止めた。この家に近づく気配――害あるものでない、それどころか、京香にとっては何よりも嬉しいだろう出来事をもたらす存在を感じ取って。
 ――…ピンポーン
 来客を告げるチャイムが鳴る。その音に我に返った京香がイサムと玄関口とを見ておろおろするのに、玄関へと向かうように促せば、ぱたぱたと音を立てながら彼女は玄関へと向かった。
 その背を見ながら、イサムは心中で思う。
(友達が少ない、と葉月クンは思っていたようだけど、どうやらそれは思い込みだったようだね)
 そして数秒後、家中に響くような「誕生日おめでとう!」の声を聞き、知らずイサムは、笑みを浮かべたのだった。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【8080/木乃・イサム(きの・いさむ)/男性/26歳/骨董品店・店主】

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■         ライター通信          ■
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 初めまして、木乃様。ライターの遊月と申します。
 今回は「デス・バースデイ」にご参加くださり有難うございました。 お初ですのに納品が大変遅くなって本当に申し訳ありませんでした…!

 プレイングの端々から木乃様のお人柄の良さが伝わってきまして、依頼人の成長を促してくださる木乃様は大変かっこいいなぁ、と思いながら執筆させていただきました。
 依頼人もこれからは前向きに人生を歩んでいけるんじゃないかと思います。

 ご満足いただける作品に仕上がっているとよいのですが…。ご縁がありましたらまたご参加ください。
 リテイクその他はご遠慮なく。
 それでは、本当にありがとうございました。