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第2夜 理事長館への訪問
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午後4時20分。
樋口真帆は温室にいた。今日は制服の上にエプロン着用である。土仕事はいつでも土との戦いなのだ。
「あれ?」
温室では今日も皆でハーブ採取を行っていた所であった。
学園内ではあちこち緑が溢れているが、それらの管理は全て園芸部で行われている。普段生徒達が憩いの場にしている中庭の芝生も、暇さえあれば園芸部で雑草抜きが行われているし、温室に関しては生徒会さえ手が出せない、彼女達の聖域であった。
そんな聖域の一箇所に存在するはずのものが、なくなっているのに真帆は気が付いた。
「ねえ、ここにあったローズマリー、どこに行ったか知らない?」
「ローズマリー?」
真帆の一言で正規の園芸部員達が集まってきた。
ちなみに、真帆は園芸部所属ではない。趣味でよく遊びに来ているだけである。もっとも、園芸部の誰よりも植物に詳しく、外部からは普通に園芸部員だと思われているだけだが。
ローズマリーはハーブの女王とも呼ばれるハーブであり、園芸を嗜むものなら誰でも知っているハーブである。匂いは名前の通り、バラに似ているが、バラのような華やかな匂いでなく、森の中で嗅ぐ木々の匂いの方が近いであろう。
そのローズマリーが、茎から上がなくなり、根元だけが残っていた。
「あっ、本当だ。なくなってる」
「誰だろ? 確かに今花が咲く時期だけど」
「変だねえ。ここ園芸部以外は生徒会も入ってこないのに」
「理事会? でも理事会なら一言くれると思うし、聖先生そんな無粋な事する人じゃないけどねえ?」
園芸部員が次々と好き勝手に話す。ちなみに聖栞理事長は、学園をよく散歩し、温室にもよく顔を出している。
真帆は「うーん?」と首を傾げた。切られた根元を触ってみる。根元は乾いている。最低でも2週間は経っている。2週間……。怪盗騒ぎが学園で勃発する直前かしら? 確か、オディール像の騒ぎがあったのがちょうど2週間前だったし。
「案外怪盗が盗んでいったんだったりしてね? それなら温室に勝手に入って来れるかも」
「えっ、予告状なかったよ? そんな事するかなあ?」
真帆が首を傾げる。
前に三波と一緒に見に行った時に感じた印象は、無粋な事はしない人、だった。もっともシルエットしか見ていないので、はっきりした事は全く分からないのだが。
ただ、三波の様子がおかしかったのだけは気がかりだった。
普段滅多に怒らない三波が、珍しく怒っていたから。
会長さん怪盗に取られたとでも思ったのかしら? 最近は忙しいらしくってずっと生徒会室にこもったままだけど、今度お茶に連れ出して気分転換させてあげた方がいいかも?
そう真帆は考えていて、気が付いた。
「今何時?」
「もうすぐ4時半かな」
「ああ、ごめんなさい」
真帆はいそいそとエプロンを脱いだ。
「今日聖先生に呼ばれているの」
「ああ、個人面談」
「うん、ごめんね。遅刻しちゃうから行ってくる。あっ、そうだ」
真帆は園芸部員達に指を指した。
柔らかい紫色の紫陽花が咲いていた。
「この紫陽花、持って行っていいかな?」
「いいよ。先生好きだもんね。花」
「ありがとうー」
真帆はにっこりと礼を言うと、園芸バサミで花を切り始めた。
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午後4時33分。
真帆は理事長館の前に来ていた。
理事長館は温室から近く、ほんの10分の距離だ。
真帆はベルを鳴らした。
扉はガチャリ。と開いた。
「あら? 海棠君?」
真帆は目をパチクリさせる。
海棠秋也。音楽科の優等生で、真帆とは同じ学年である。時々授業で一緒になるが、しゃべった事なんてない。
後輩からは人気があるが、同級生や上級生からは遠巻きにされている傾向がある。何かあったのかなと聞いてみても、「ちょっとね」と曖昧にしか教えてもらえないし、当の本人は必要な授業以外はほとんど出ないので、謎である。
いつも遠くでしか見た事ないけど、綺麗な顔の人だなあと真帆は見惚れる。双樹の王子様と言われて人気があるのも分かる。
「誰?」
「えっと、同じ学年の樋口真帆。今日面談なんだ。海棠君も?」
「……ここに住んでるんだけど?」
「えっ? あっ、そっか。海棠君は聖先生の甥ごさんだったっけ?」
「………」
彼は黙っていた。
無口な人だなあ。それとも単にしゃべり慣れてないのかな? 彼のピアノは美しい。あんなに優しくショパンを弾ける人は、そんなにいない。秋也はしゃべる代わりにピアノの才能をもらったのかしら、とふと思った。
「あっ、嫌ならごめん。私ね、今日面談だから。先生いるかな?」
「……行けば?」
そのまま秋也は扉を開いた。
「……え?」
扉が開いた瞬間、思わず真帆は秋也を見た。
「何?」
「あっ、ごめんなさい」
「………」
秋也はちらりと真帆を見た後、真帆と入れ替わりに扉を出て、理事長館から出て行った。
真帆は彼の背を見送った。
彼からは、ローズマリーの匂いがした。扉が細い時は気付かなかったけど、扉が開いた時に確かに。ローズマリーを切っていったのは海棠君? でも、何のために?
真帆がいぶかしがっている時だった。
パタパタと奥の部屋から栞が出てきた。
「ごめんなさい。待たせたかしら?」
「あっ、聖先生。こんにちはー。あっ、これ園芸部の皆からもらってきたんです。よろしければどうぞ」
「あら、紫陽花。綺麗ね。ありがとう」
真帆が紫陽花の花束を差し出すと、栞は嬉しそうに受け取った。
「それじゃあ、奥でお茶しながら話をしましょうか」
「あっ、はい。ありがとうございます」
「お茶は何がいいかしら? 樋口さんはお茶を淹れるのが上手だから困るわ」
「えーっと、ダージリンがいいです」
「ダージリン? うふふ、私に対する挑戦かしら?」
栞はいたずらっぽく笑った。
ダージリンは美味く淹れるのが難しい茶葉の一つなのだ。
栞と真帆が入った部屋は、応接室であった。
栞ははさみで紫陽花の根元を切り直すと、花瓶に生けた。それは応接テーブルの上に置かれた。
「待っててね。お茶淹れるから」
「はい、楽しみにしてます」
「最近は皆困ったものねえ。次々怪盗を見に行っちゃうから、面接するのが大変。貴方はどう?」
「私は……怪盗さんが何をしたいのか知るためです」
「あらあら。怪盗見つけてどうするのかしら?」
「その後の事は、その時に決めようと思います。そう言う聖先生は?」
「あら、私?」
「先生はどうしていきなり面接しようって思ったんですか?」
「ええ。どんな子達が怪盗に会いに行っているのか知りたかったからよ」
「どんな子?」
「あの一見派手でその実目立たない子に、どうして会いたいのか知りたいなって思ったの」
「ふーん……まるでこの子みたいですね」
「この子?」
「はい」
真帆がツン、と紫陽花の花を突っついた。
「怪盗さんは紫陽花みたいに鮮やかな色で目立ってはいるけれど、本当のところは目立たないように隠れちゃってるんですよね」
「……そうね」
栞は温めたカップにお茶を注いだ。
マスカットによく似た、とてもいい匂いだ。
「本来は表舞台に立てるなんて思ってもいなかったでしょうから、表舞台に引きずり出されて、ビクビクしているのかもしれないわね。ちょうど本物のオディールみたいに」
「オディール? 『白鳥の湖』に出てくる黒鳥の?」
「ただオデットの真似だけしていれたよかっただけなのに。王子の心を手に入れてしまった時の心境はどうだったのかしらねえ」
「ふむ……」
『白鳥の湖』はよく学園内でも上演される話なので、あらすじだけなら知っている。
悪魔に白鳥にされてしまったオデットの呪いは、真に自分を愛したものにしか解けない。ようやくそんな人に巡り会えたのに、それを邪魔したのがオディールだ。オデットの邪魔をし、王子の愛を手に入れたオディール。その心境は、考えた事もなかった。
「あっ、そう言えばさっき海棠君に会いましたよ」
「秋也に?」
「はい。さっき出て行きましたけど」
「変ねえ……今日あの子一度も部屋から出てないわよ?」
「えっ?」
栞は天井を見上げた。
「あの子。この上の部屋で寝泊りしてるから。だからもし出たらそんな音がするんだけどねえ」
「えっ、じゃあさっき私としゃべったの……」
真帆がうろたえていると、栞はもう一度天井を見た。
そして笑った。
「トッペルゲンガーかもしれないわねえ」
「とっぺ……」
「はい、今日の面接はおしまい。何かあったらまたうちにいらっしゃい」
栞は笑顔で真帆に鍵を手渡した。
「それと……」
「はい」
「秋也を見たのは貴方一人?」
「あっ、はい」
「どうか黙っててね。この事」
「別に構いませんが……」
「曲を奏でている時以外の秋也に近付いちゃ駄目よ。噛み付かれちゃうから」
「? 分かりました」
栞がこんなに笑顔なのは初めて見た。
まるで、仮面みたい。
真帆は自分に鍵を渡した時の手が冷たかった。
<第2夜・了>
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【6458/樋口真帆/女/17歳/高校生/見習い魔女】
【NPC/海棠秋也/男/17歳/聖学園高等部音楽科2年】
【NPC/聖栞/女/36歳/聖学園理事長】
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■ ライター通信 ■
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樋口真帆様へ。
こんばんは、ライターの石田空です。
「黒鳥〜オディール〜」第2夜に参加して下さり、ありがとうございます。
今回は海棠秋也、聖栞とのコネクションができました。よろしければシチュエーションノベルや手紙で絡んでみて下さい。
また、アイテムを入手しましたのでアイテム欄をご確認下さいませ。
よろしければ第3夜の参加もお待ちしております。
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