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<東京怪談ノベル(シングル)>


星に願うは乙女の祈り(前編)

 音楽科授業中。
 音楽室では今日もオーケストラの練習が行われていた。
 樋口真帆は楽譜を読みつつ、指揮を見て、熱心にフルートを吹いていた。
 今回の曲はラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」。左手でしかピアノが弾けなくなったピアニストのための曲である。
 ピアノを弾くのは、かの有名な王子様。普段ほとんど練習に来ないから珍しい話である。
 真帆はピアノの音色に耳を澄ませながら、自分のパートを吹く。
 全体的に流れる悲痛さ、物悲しさがピアノ全体に漂う。聴いていると、心が激しく揺すぶられるのだ。
 彼の曲は美しい。それは多分、誰もが持っている琴線を巧みに触れる事ができるからじゃないかな、と真帆は思う。
 だとしたら。
 王子様は何を思って、「左手のためのピアノ協奏曲」を奏でているんだろう……?
 そう思った時、真帆はフルートの音を間違えた。

「そこ!」

 指揮者が指揮棒で真帆を指差した。
 周りがクスクス笑う中、真帆は舌を出して「ごめんなさい」と謝った。
 彼は……笑っていなかった。ただ、楽譜だけを見ていた。

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 授業も終わり、真帆は入れ物に手作りクッキーを入れて、茶道室に出かけた。
 最近三波が忙しかったせいでなかなか落ち着いて話せなかった。今日は久しぶりに茶道部に顔を出すらしいのでこうして出かけたのだ。
 茶道部の戸を開く。
 真新しい畳のいい匂いと、茉莉花茶の甘い匂いが鼻をくすぐった。

「こんにちはー、三波ちゃんいますかー?」
「あら、真帆ちゃんお久しぶり」
「久しぶり! あっ、三波ちゃん。最近忙しかったみたいだね。落ち着いた?」
「ええ……」

 茶道部員達に挨拶した後、三波の向かいに寄っていった。
 三波は声は穏やかだがぐったりしていた。
 今日はテーブルを出してきて、三波はテーブルに顔を突っ伏している。
 最近は怪盗騒動に続き、理事長の個人面談のための名簿作成、おまけに定例行事は普通に行われるので定期舞踏会準備の手配で、あちこち走り回って忙しかったのだ。

「お疲れ様。クッキー焼いてきたんだけど、食べられる?」
「クッキー? ありがとう」

 三波はようやく顔を上げた。

「冷たい茉莉花茶だけどいい?」
「うん、いいよ。茉莉花茶は大好きだから」

 三波は茶器とお皿を持ってきてお茶の用意を始めた。
 冷たい茉莉花茶とクッキー。見た目は質素だが味わい深い組み合わせである。

「おいしい。真帆ちゃんのクッキー」
「ありがとう。三波ちゃんのお茶もおいしいよ。後でどんな葉っぱか教えて?」
「うふふ、いいわよ」

 今日はぽかぽかしていて、お茶を飲みながらまったり団欒をするのに適した日であった。
 二人はサクサクとクッキーを食べながら、庭を見ていた。
 学園内の他とは違い、ここから見える景色は日本庭園風である。とぽとぽと音を立て、時々カポンと鳴るししおどしが、何とも涼しげだ。

「そう言えば」

 クッキーを1つ頬張りながら真帆は言った。
 三波はキョトンとした顔をしている。

「三波ちゃんは、最近会長さんとどう?」
「なっっっ……」

 三波は顔を真っ赤にしてクッキーを落とした。
 恥ずかしそうに落としたクッキーを拾って、はたいてからかじる。

「別に……何も……」
「何も進展もなし?」
「会長、最近私以上に忙しいから……」
「ああ、理事会とも話をしないといけないからかあ。大変だねえ。生徒会長も」

 三波はコクコクと頷きながらコリコリとクッキーをかじる。
 恋の病は重傷だなあ。
 真帆は素直に感心した。
 普段はおっとりしていて物事に対してあまり動じない三波が、すっかり小動物のように縮こまっている。恋は人の属性を変えるのだ。

「そっかー、残念」
「……真帆ちゃんも、会長が……?」
「それはない。それは。どっちかと言うと」

 真帆は一口茉莉花茶を飲みながら考えた。

「双樹の王子様の方が気になるかなあ?」
「え……?」

 三波は困ったような顔をした。

「いや、私も高等部からだから、あんまり知らないし。一緒の学科なのにあんまり授業にも来ないから、そう言えばあんまり知らないなあって思って。王子様って言うのは、キラキラしているからそう呼ばれるんだろうけど、双樹ってどこから来たのかなあって。……三波ちゃん?」

 真帆が思った事を色々並べている間、三波は挙動不信だった。
 赤くなったり、青くなったりしている。

「いや、確かに新しい恋をするのは、いい事だと思うけど。でも、なかなか気持ちって上手くいかないものだから……多分自分でも今の気持ちを持て余していると思うけど……でも……」
「???? 三波ちゃん? 三波ちゃん? 何の話?」
「あっ……私、口で言ってた?」
「言ってた言ってた」
「……ごめんね。今言った事忘れて」
「えっ……? 意味がよく分からないんだけど……」
「うん、意味が分からないなら、分からないままでいいと思う……」
「えーと、うん。分かった」

 真帆は曖昧に頷くのを、三波はほっとした顔で微笑んだ。

「すいませーん」
「はいー、どちら様でしょうか?」

 戸のトントンと叩く音がして、三波が戸を開いた。

「こんにちはー、天文部です。樋口さんいますか?」
「あら。いますよ。真帆ちゃんー、天文部のお客さんー」
「はーい」

 真帆はトトトと歩いていった。
 真帆は帰宅部だが、割とあちこちの部に顔を出している。
 茶道部はもちろんの事、園芸部、天文部とも仲良しだ。

「はーい」
「あのね、樋口さん。頼みたい事あるのっ」

 パンッと手を叩いて拝まれた。

「えっ、何?」
「今度ね、うちの部で、星空観察会の主催する事になったんだけど……」
「ああ、東京の天文部で集まってやるあれ?」
「そうっ! でね、最近学園内ゴタゴタしてて、つてがなくなっちゃって、司会できる子が見つかってないんだ。で……」
「え?」
「お願いっ、樋口さんっ。司会、引き受けてくれない!?」
「えぇ〜!!??」

 真帆はピンッと髪を立てる勢いで驚いた。
 司会なんて、一度もやった事ない。

「演劇部の人とかの方が、向いてないかな……」
「予定がつかなくなって断られちゃったの。他の所も回ったんだけど、皆忙しくって……駄目かな?」
「え……」

 真帆は困った顔で三波の方を振り返った。
 さっきまでの小動物的な反応はどこへやら。いつもの落ち着いた笑顔の三波に戻っていた。
 唇は「やってあげれば?」と動いている。
 真帆は「うーん」と唸った後、コックリと頷いた。

「……分かった。やってみる。でも私も忙しいよ? 試験の練習もしなきゃだし、定期舞踏会のオケの練習もしないと駄目だから」
「ありがとう〜!」

 部員は手をブンブンブンッと振った後、真帆の手にあれやこれを乗せた。

「これは、今度の星空観察会のパンフレット! あと、参加校のリスト、参加者の名簿、あとこれはやる場所ね! また今度打ち合わせしましょう! じゃっ!」

 部員は手を振ってもう一度「ありがとう〜!」と言った後、スキップして去っていった。
 真帆の手は打ち合わせ用資料で山盛りになっていた。

「すごい量ねえ」
「もう〜、三波ちゃん人事!」
「うん。でも、真帆ちゃん楽しそう」
「うー、目はぐるぐる回るけどね、どうしようって。でも」

 パンフレットをパラリと捲ると、綺麗なイラストと神話が描かれていた。

「楽しそうだなあって、思うよ」

 真帆はにっこり笑った。
 ここ数日は、予定満載。でも、退屈だけは絶対しなさそうだ。

<了>