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<東京怪談・PCゲームノベル>


黒蝶の軌跡

 その日。
 暗夜を歩いていたその時に。
 背後からいきなり斬りかかられて。
 まずは咄嗟に気付けて避けられたけれど、避けると同時にその斬りかかってきた人物の正体を見てちょっとびっくりする。…否、見るまでもなく、声だけの時点でもこの事に気付けたと言えば言えるけれど。
 背後から、よっと、と聞こえたやけに気のないその掛け声は、何だか言い方と声の質に違和感があった。言い方には妙に大人びた――さらっとした余裕がある。けれどその声の質は、まだ年若い女の子のもの。
 …見たらやっぱり声の時点で思った通り女の子。それもまだスザクより年下っぽい女の子で。
 なのに、今振り下ろした幅広の大刀を持ち上げる過程では酔っ払いのおじさんみたいに何だかふらふらしている。けれどそれは持っている幅広な大刀の重さに振り回されているだけなのかそうでないのかの判別が付かない感じで、一見ふらふらとしてて無防備に見える割には――その実、どうにも隙がない。
 その子は一拍置いてから、ゆらりと身体を起こしつつ、たった今スザクを斬りかかってくるのに使った得物を――幅広の大刀をどっかりと右肩に担いで余裕の態度を見せている。
 その間、やけに鋭い視線でじっとこちらを見据えているのは女の子の持つ朱金の右目だけ。白い左目からは視線を感じない。初めに見た時には両目の色が違うオッドアイなのかと思ったが、これは左目は単に見えていないだけなのかもしれない。思っているとまだ他にも違和感がある事に気付く。何か。…羽織っている派手な色のレインパーカー。その左の長い袖が頼りなく靡いている。その中に腕が包まれている気がしない――こんな幅広の大刀を不自然なくらい片手だけで扱っていると思ったらどうやら左腕もないらしい。
 他には何かあるか。レインパーカーの下はタンクトップにホットパンツと言う軽装。それと、左頬の辺りと右腿の辺りにあるトライバル系のタトゥーが目立つ。…これらは別に把握しておかなければならない違和感と数える程の事でもないか。…ただ、少なくともスザクと趣味が合うとは思えないけれど。
 その女の子はこちらを鋭い視線で見詰めたまま、ゆぅるりと小首を傾げている。
 視線と違って表情の方は特に鋭くもない。むしろ何にも興味がないような、気だるそうな――酷く投げやりな感じがする。
 かと思ったら、こちらを見るその顔が、何処か不思議そうな表情になっていた。
 こちらを見ていて、何か意外な事があったらしい。

「ん? …ああ、悪ィ。間違えたっぽいわ」

 …。
 本気を疑いたくなるような軽い言い方。けれどその声音や、それに伴うさりげない仕草に態度からして――その科白が揶揄いでも何でもなく、本気で間違えたと思ってのものである、と読み取れた。
 その時点で思わず噴き出しそうになる。
 間違えた?

 ………………それで、何?
 言ったからって何かが変わるの?

 と。
 思ったところで。
「…でも、躱されたたァ言えもう斬りかかっちゃってる以上――ここは今更間違いでしたで済ませるのも失礼だよな?」
 思案げに、けれどすぐにそんな科白が続けられる。
 あら。と思う。
 …わかっているんじゃない。
 続けられた科白の途中から、その女の子の気配がほんの僅か変わってくる。
 まるで皮一枚の平静さ。その下でふつふつと不穏な気配が沸騰している。まるで爆発する、直前みたいに。
 何でもないような軽い言い方で皮の表を装って。
 まだ、その女の子の声は続く。
 何処か、意味ありげに。
 言い訳をするみたいに。
 ついで、みたいに。
 ごく、軽く。
 聞き逃せない決定的な言葉を、言い切る。

「――――――『世界の全てに安息を』。たまにゃ使ってみたくもなる常套句、ってね」

 途端。
 ぎらつく白刃の光が視界に入った。
 視界に入った時点でまた、即座にその場から飛び退く事を選択。…今度こそ、スザクの真正面。その女の子がこちらに再び斬りかかってくるのは見えていた。本気を疑いたくなるような軽いふざけた言葉、けれどその語尾に重ねるようにして明らかに本気の動きが来る。一気に叩き付けられた凄まじい風圧と殺気。それまでのふらふらしてる頼りない緩慢な動きからは想像もできないくらい鋭く的確な動きで、その女の子は幅広の大刀を右手だけで当然のように揮って来る。
 その姿にはまた少し驚いた。一番初め、背後から斬りかかられた時と違って今の場合は一挙手一投足まで確りとその動きが見えている。確りと見えた事で、新たな情報も得られた。…その女の子が使うのがまともな刀術ではないと言う事がわかる。少なくとも切っ先を見ていては反応が間に合いそうにない事も。刀術どころか基本の身体操法からしてもう、正道の武術とは外れている――とにかく普段通りの心構えでまともにぶつかれる相手じゃない。その事だけは理解した。
 斬りかかってくるその動きが確りと見えはしているのだが、何故か、初動から経過、結果に至るまで一連の動きが上手く繋がらない。こう動いたからこうなった、と言う繋がりが読めない。この一度の動きを見ただけでは相手の体捌きがまるで読み切れない。情報が足りない。…まだ、様子を見る必要がある。…勿論、それを長い事許してくれる相手ではないだろうが。
 白刃を振り下ろす過程。この女の子の口許に浮かぶ挑発的な歪んだ笑みが印象に残る。…嫌な笑い方。見ている間に、白刃が――大刀が振り下ろされている。飛び退く前、スザクが元居た場所。そこから、先程のように一見隙だらけに見える姿で、よろよろと振り下ろした大刀を再び持ち上げようとしている。…けれどやっぱり先程同様、隙がない。もしここを本当に隙と見て衝いてしまったら、軽く反撃されてしまう気がしてならない。何故そんな気がするのか。…スザクはこの子の何処の動きを見てそう思っている? スザクは何を以ってそう判断した? 自問しながら今度は相手の身体全体の動きを見てみる。
 大刀を持ち上げる過程。まるで首が据わってない赤ちゃんみたいに、力なくいきなりかくんと首が曲がっている。俯く形になる。俯いたままで、身体の方は――大刀を握る腕の方は何事もないようにそろそろと持ち上げられている。ゆったりと力が籠められているような、いやに不安を煽る動きと言えるかもしれない――けれど同時に、わざとそうやって見せているのかも? と言う気もしてきた。こちらが隙を衝こうとするのを誘っているような――何処か、狂気めいた芝居がかった仕草。
 女の子は一拍置いてから、身体ごと仰退くようにして俯いた顔を跳ね上げ、今度はゆっくりと首を回すように傾げつつこちらを見る。
 そんな何処か異様な動き方にも関わらず、こちらを射抜いてくるような鋭い目は相変わらず。
 …この場に現れたその時からずっと、とことん、冷静に見える。
 目の色に狂熱は、ない。

 ああ、だからか。
 やっと自分の判断の理由が腑に落ちた。
 動きの問題じゃなく、こちらを見る『目』が理由であると。
 これで漸く、次の行動が取れる。

 ………………こんな子にいつまでも主導権を取られていては始まらない。

 思ったところで、女の子の目の光り方も少し変わった気がした。
 向こうもこちらが思った事に気付いているとすぐにわかった。
 …さっきは、一見した外見からして趣味が合うとは思えない、と思ったけれど。
 この反応を見る限り、案外、そうでもないのかもしれない。

 面白いわ。

 …ふふ。『ここは今更間違いで済ませるのも失礼』、だったわよね?
 然り。
 同意するわ。
 …こんな失礼、スザクは簡単に赦さない。

「そうね」
 常に共に在る大事な『相棒』の――持っている傘の柄にさりげなく意識を向ける。
「一瞬であれ、あなたはスザクに真剣を向けた。向き合えと要求したのだから当然ね」
 意識を向けて――戦う為にさりげなく傘の柄を握り直しつつ、こちらも女の子に問うてみる。

「…何を視たの? 誰と間違えた?」
 このスザクを、誰と?

 ねぇ?

「――――――教えて?」

 言い切るのと殆ど同時。足は地を蹴っている――その時にはもう傘は攻撃の形に構える事ができている。もう、脇に引き付けすぐにも突き出せるよう力は籠めてある。次の瞬間には、その傘の尖った先端を相手に穿つ形で一気に肉迫。
 が。
 穿つ形で確かに打ち込んだ筈のそこに、手応えはない。
 …やっぱりね。
 内心で肩を竦める。
 攻撃を仕掛けてくる時だけじゃなく、躱す時の身のこなしもまた『同じ』らしい。…この女の子が今のスザクの攻撃をどう動いて躱したのかがやっぱりよく見切れない。視界に入った――こちらの五感で感じた『直前の状況』を分析する。女の子の佇む姿は一見隙だらけ。なのにやっぱり攻撃は当たらない――重量があるだろう幅広の大刀の位置、腕の位置、肩の動き、身体の捻り、足の踏み出し…体軸の置き方を見るが、どうにも動きが繋がって感じられないのは先程と同じ。今の攻撃は一応虚を衝いたつもりだったがそれでも入りはしなかった。当然、入らないと見た時点で即座に攻撃の勢いを殺し、相手の様子を窺う。反撃に備える。
 女の子はこちらの攻撃を躱し様に斜め後ろに数歩下がっている。…やっぱり相変わらず、覚束無いように見える足取りでよろよろふらふらとしている。
 大刀は動いていない。
 今、カウンターで反撃する事も簡単だっただろうに、その女の子は反撃して来るより先に――ただ、そうだなぁ、とだけのんびり思案げに口を開いている。
 大刀は構えるでもなく右腕にぶら提げたまま。
 その間、こちらを見ていない。
 状況を無視して本気で思案しているように、視線は何処かぼうっと中空を見ている。…スザクを誰と間違えたのか。考えているのは恐らくその事。…つい今し方まで得物を向け合い対峙していた――今もまだ対峙している相手の目の前で。とことんふざけた態度。
 …でもやっぱり、それでも隙に見えない。
 ほんの少し間を置いてから、女の子の科白が続く。
「あー…誰に見えたんだったっけ?」
 茫洋と言いながら再びこちらを見ると、女の子の口許がにやりと揶揄うように歪む。
 …どうやら言う気はないらしい。
 と、次の瞬間には大刀の切っ先がまたこちらに飛んできた。スザクの左側、横様に叩き付けられる――叩き付けられそうになっている事に直前で気付く。殆ど反射。腕が動く――遮る形でスザクの持つ傘が跳ね上がり、大刀の刃は『相棒』で咄嗟に受け止められた。
「…あら、そんな事も忘れちゃったの?」
 何とか受け止められたそこで、こちらも揶揄うように返しながら挑発的に微笑んで見せる。…今受け止められたのがぎりぎりだったなんて、絶対に顔には出してやらない。
 そうしたら、女の子がちょっと意外そうな顔をする。かと思うと、意を得たりとばかりに舌なめずりしそうな顔で笑い掛けてきた。大刀を受ける『相棒』に――傘に掛かっていた重みがふっと消える。続いて、今度は右斜め上からの鋭い風圧。そちらからの攻撃とわかった時には傘はそちらに跳ね上げられている――今度は跳ね上げた勢いのまま大刀を弾く事ができている。けれどその次の瞬間には左斜め下からまた風圧。速い。連撃が入れられている。こちらは傘が間に合わない。思った時には自ら右後方に跳んでいた。跳んだそのまま、大刀の間合いをほんの僅か外れた位置――空中で止まる。…その事だけでも相手にしてみればフェイントになる筈、と思う。
 少し、見えてきた気がする。相手の体軸の置き方。そこからどう繋がって動いた結果、攻撃が来るか。まだ見切ったとは到底言えないが、もう少しで何かが閃きそうな。思っているところで相手からの次の一撃――こちらが滞空している時点でもう来た。今度は大刀の太刀行きもこちらまで届く――届くと思ったその時には既に傘が動いている。次の刹那に打ち合う事になる。反応が間に合っている――今度は咄嗟ではなく意識して間に合わす事ができている。
 ――――――今の感覚、と思う。
 思うが。
 思ったそこで――今度は力強く捻られた女の子の身体が一気に跳躍、浮くように軽い動きでこちらに躍り掛かってくる。
 まずい、と思う。
 直後、左の二の腕辺りに衝撃と熱が来た。
 それらはすぐに、鋭い痛みに変わる。
 変わった途端、不意にがくんと左腕から力が抜ける。
 斬られた。…掠った程度だが。
 すぐに気付く。
 いつの間にそうなっていたのか、こちらに躍り掛かってくる女の子の揮う大刀の刃がこちらの左側――二の腕のすぐ横に滑り込まされていた。
 その白刃はすぐに引き戻されている。
 女の子のにやにや嗤う口許が妙によく見えた気がした。

 ――――――やってくれるじゃない。

 ちくちくとした痛み。左二の腕の傷に感じたそれと、当然その傷の位置――服の袖も一文字に切り裂かれてしまっているだろう事実に凶暴な気持ちがふつふつと湧き上がる。不意に力の抜けた腕。…そうは言っても意識すればすぐに力を籠め直せる程度のごく軽いダメージ。完全に躱し切れなかったとは言え、大した事はない――そんな事、斬り込んだ方でも当然わかっている。それでも嗤ってくる。愉しそうに。…何よ。もう。そんなに反撃して欲しいのかしら。

 ――――――なら、お望み通りにしてあげる。

 刃に掠められた左腕。改めて力を籠め、『相棒』である傘を棒術の構えに構え直す。構え直したところで一気に膂力を籠め先端を打ち込む。狙うのは下方、まずは女の子の足元を払うように。躱される――相手が躱すその動きの内に、次を打つ。握る手を支点に傘をくるりと回し、跳ね上げて上方――右目。流れるように連打する。すかさず首が傾げられ躱される。当たらない。右目の次はまたやや下方。腰の辺り。打ち込んだところで体軸から下がられる。間合いが外され攻撃が届かない。そう見た時には追いかけるようにまた足元を打つ。
 こちらが引っ切り無しに続ける連打の一つ一つが躱される。相手の動き。体軸は――重心は何処に置かれているか。籠められた力が四肢の先までどう伝わり動くのか。躱されるその動きの一つ一つを確り追う。追った上で崩し方を考える。体軸の移動。右。左。膝が撓められ、沈む。伸ばされて、跳躍。動きに従い右手に提げられている白刃も揺れている。靡くレインパーカーの裾。一拍遅れて翻る左袖の方は気にしない。…身体の側面左は狙わない。左には目も腕もない――誰もが弱味と思う。…だからこそ。たぶんそこは鉄壁の防御。
 ひゅぅと口笛らしき音がする。相手の女の子が感心したみたいに口笛を吹いているのだとすぐ気が付いた。…あんまり品の良い行為ではないけれど、意図がわかれば、悪くない。
 つまり、相手にとってこのスザクの攻撃は黙っていられない程度のものではある、と言う事になるから。
「へぇ。…結構やるじゃねぇの」
「あなたこそ。…全然当たらない」
 返したところで、次に女の子が動くと読んだ――読めた位置に傘の先端を振り下ろす。瞬間的に瞠られた朱金の隻眼。ほんの僅かながら、明らかに先程までと違う反応。当たり。獲れる。確信して一気に『相棒』を振り抜く――振り抜いたところで、何故か、真正面からぶわっと一気に攻撃的な風圧が襲い掛かってきた。
 視界に広がる赤とオレンジ。
 ついさっきまでの場合、感じた風圧は女の子の揮う大刀の剣圧だった。けれど今の風圧はそれとは違う――さっきまでの風圧より、範囲が広くて、熱かった。
 それが熱波であると――炎であると、一拍置いてから気付く。
 思わず目を瞬かせた。
 …なんで、炎?
 よくわからない。
 まぁ、襲ってきたのがただの炎であるなら何も問題はないけれど。…スザクの身は炎に耐性がある。こんなものでは傷付かない。
 けれど同時に疑問も浮かぶ。
 それは、何が起きたのだろう、と言う事。
 いきなりのこの炎は、何処から来たのか。
 不思議に思う。
 …取り敢えず、振り抜いた傘の方に手応えは、ある。
 ただ、攻撃が入ったと言うより、受け止められてしまったような感じではあるが。
 それでも少なくとも、余裕で受けられたような手応えではなかったからよしとする。
 視界に広がる赤とオレンジが消えてから、目の前の状態を確認する。相手の姿。スザクの傘を受けている位置。女の子の身体は腰を落として低い位置に下がり、右の肩口に右の手許が引き付けられている状態だった。その手許――大刀の鍔元。そこでこちらが渾身の力を籠めた傘の打撃が受けられている。
 女の子の目だけじゃなく表情の方にも、ふっと真剣な色が覗いていた。それは勿論、今のこちらの状態が理由だろう。って事は。今の炎はこの子って訳か。…こんなところもお揃いなの? やっぱり面白いわ。
「…ああ、そうだった。スザクは炎に包まれても灰にならないのよ」
 悪いけど。
 ふふ。やっとこの子の方にも余裕がなくなったみたい。
 大刀の鍔でスザクの傘を受け止めたままで、ちょっと悔しそうに舌打ちをしている。
 …この子には、スザクに炎が効かなかったのがそんなに意外なのかしら?
 スザクにとっては当然の事なのだけれど。
 …ああ、じゃあ、この子はそうでもないのかも。
 思いながら、くすりと小さく笑ってみる。
「そうね、そうだわ。…思い出した」
 …試してみよう。
 決めて、相手の女の子の顔を見、小首を傾げる。

「――――――あなたはどうなのかな?」

 言った、ところで。
 虚を衝くように相手の女の子に『炎を返す』――黒の業火。スザクの意志ひとつで好きなように点けられる黒い炎を発生させる。相手の女の子のすぐ側。朱金の隻眼が瞠られる――相手が気付いたとわかったその刹那、容赦無く相手のその身を薙ぎ払うようにその逆巻く黒を差し向ける。黒炎に気付いた時点から動いても躱し切るのはまず無理な間合い。女の子の反応を見る――黒炎で薙ぎ払った位置から一気に地を蹴り跳び退っている。…ああ、本気ね。慌てて避けてる。ふふ。これが見たかったの。やっと見れた。素敵な反応。
 …確かに反応も速いし、躱す動きも見事。
 でもね。

 もう、火、点いてるの。
 …あなたのレインパーカーのその裾に。

 跳び退る過程。女の子の動きにやや遅れて付いて行くレインパーカーの裾――そこから黒い炎が燃え上がっている。…本人も気付いてる――跳び退り様、攻撃するみたいに思い切り身体を捻っていたのは何故かと思ったら、それで羽織っていたレインパーカーの左袖から背の部分が羽みたいに大きく翻っていた。
 かと思ったら、幅広の大刀が女の子の手許で奇妙な形に閃いた。
 白刃が向けられたのは殆ど自分自身。お腹を刺すみたいに――否、すぐ近い位置、後方を突き刺している。
 次の瞬間には、黒炎に舐められていた部分が女の子の身から完全に離れていた。
 どうやら、黒炎に舐められ炙られていたレインパーカーの裾から背の部分を切り離したと言う事らしい。
 離れたその切れ端は、地面に落ちる前に燃え尽きていた。
 跳び退る足が止まった時には、女の子はもうこちらを見ている。
 …どうやら。ぎりぎり間に合ったみたいね。
 それで、女の子が幾らかほっとしているのが見ていてわかる。少し、息も上がっている。…こうやって余裕を剥がしてやってみると結構普通の子に見えるわ。…世界の全てに安息を、とか言ってた癖にね。
「…ふふ。スザクとは違うみたいね?」
 あなたの方は。
 炎で包まれたら燃やされちゃう。
 …そうじゃなきゃ、わざわざ慌てる必要ないものね?
 揶揄うみたいに言ってあげる。
 女の子はスザクをじっと見ている。
 相変わらず鋭い朱金の隻眼。
 スザクも目を逸らさない。
 …そろそろ立場は逆転かしら?
 と。
 思っていたところで。
 不意に女の子の表情が僅かに歪む――かと思ったら。
 次の瞬間、いきなり派手に噴き出された。噴き出したそのまま、堪え切れないとばかりに心底愉しそうに爆笑している。
 思わず、何事かときょとんとする。
 女の子はお腹を折ってまで笑い続けている。
「――…っははは。…いいねあんた」
 ひとしきり笑ってから、ぽつりと言われる。
 ?
 何のつもりだかよくわからないけれど、そう言ったところで女の子は持っていた幅広の大刀をあっさりと無造作に放り捨てている。捨てられた得物を何となく目の端で追って、またちょっと驚いた。捨てられたその得物は――捨てられ地に落ちる前、得物の形から解けるように崩れ、その形を構成していただろう粒子が宙に舞い上がるような残滓を見せて消えていた。…粒子? 違う。粒子の一つ一つが一対の羽を持ち、きらきらと羽ばたいていた。無数の蝶か、蛾か。…よく見れば、それも違う。
 …そんな羽を持つ、妖精のようだった。
 放り捨てられ形をなくしたその大刀の方など一顧だにせず、女の子は空けた右手で前髪をくしゃりと掻き上げている。
「スザクって言ってたか。…それあんたの名前?」
「そうよ。スザクはスザク。黒蝙蝠スザクと言うの。…そういえばあなたは?」
 聞いていない。
 と。
 …この子は何故か悩み出した。
 が、別にスザクに聞かせたくない、と言う風ではない。
「えー…っと。…どれがいいかなぁ…」
「?」
「黒蝶。BB。ファレン。野獣。アーティファクト…って辺りで呼ばれる事が多いんだよな。今挙げたのだとあんまり呼ばれる頻度は変わらねぇから…どれっつーべきか…。…まぁ一応の本名つーと、凛になるけど。速水凛」
「…色々あるのね」
「まぁな。好きに呼んでくれりゃいい。…で、あんたを誰と間違えたか、だったっけ」
「そろそろ答えたくなったかしら?」
 戦意は消えたみたいだけど。
 そう促すと、女の子は――凛はにやりと人が悪そうな顔で笑い掛けてくる。
「誰と間違えたかって――バケモノだよ。闇属性の。知能は低くて獲物は見境無し。名前なんかわっかんねぇ。単にうちから逃げた奴、って話」
 うち。
 それは。
「…虚無の境界から?」
「そうそう。俺ァ頼まれて始末に来ただけでな。ちょうどこの辺りに来てるんじゃねぇかって言われてよ?」

 …ああ。
 納得できた。
『その子』なら。

「――――――『その子』ならもう倒したわ」

 さっき。
 あなたとここで出遭う前。
 夜の散歩の邪魔をして、あんまり失礼だったから。

 もうとっくに、焼き尽くして。
 ………………『その子』の魂、喰べちゃった。

 秘密めかしてそう言ったら。
 聞いていた凛はそのままきょとん。…この子がそんな素直そうな顔するの、スザクは今になって初めて見た。
 それから、一拍置いて。
「…あんた最高だわ」
 それだけ言うと、凛はまた、弾けるように爆笑している。
 あんまり品が良くないのは相変わらずだけど、それでもどうもさっきから、笑い方が違う。
 何と言うか第一印象の狂気めいた嫌な感じとは、随分違って見える気がした。

 でも。

 だからって。
 ここまで笑われるのは――ちょっと、心外。
 だって。スザクはスザクにとって当然の事をしただけで。
 ………………そんなに笑われるような、おかしい事を言っているつもりはないんだもの。

【了】


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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

■PC
 ■7919/黒蝙蝠・スザク(くろこうもり・-)
 女/16歳/無職

■NPC
 ■速水・凛/虚無の境界構成員、クラスとしては邪妖精召喚師に該当。

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          ライター通信
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 いつも御世話になっております。
 今回は発注有難う御座いました。
 毎度の事ではあるのですが、今回もまたお待たせ致しました。…休日前で納期直前、漸くのお渡しです。

 内容ですが…何だか話の持って行き方が一番初めに発注頂いた「Extra Track」に近いような感じになってしまった気もするのですが…(汗)
 そして微妙に前回発注頂いた「ゴーストネットOFF:black archetype」との関連もあるようなないような感じになってもおりまして。
 で、この終わり方でエンドマークを付けて良いのかどうかも何だか微妙っぽい気もしますし…。

 …如何だったでしょうか。
 少なくとも対価分は満足して頂ければ幸いなのですが。

 では、また機会を頂ける時がありましたら、その時は。

 深海残月 拝