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<東京怪談ノベル(シングル)>


天使、誕生‥‥?


 それは、彼女が主役だった。沈痛な面持ちの人々を見下ろす、微笑む少女の写真。鯨幕。たくさんの白菊。
 それは、彼女の通夜だった。彼女の微笑を恨めしげに見上げる学生服の少年に、誰かが注意を払う事はない。彼女の死を悼み、号泣する友人達に、そんな余裕はない。
 耐え切れない様子で、少年が彼女の友人達に駆け寄ろうとした。坊主頭の印象的な、強い瞳の少年。その前に、1人の男が立ちはだかる。
 鬼鮫。そう呼ばれる男。冷え冷えとした眼差しで少年を見下ろした、鬼鮫が突きつけたのは1枚の新聞記事――誘拐殺人遺棄事件。

「見ろ。IO2を離れてあっちに戻るなら、貴様を処分せにゃならん」
「でも‥‥ッ! 僕は死んでない‥‥ッ!」

 少年は、少年の姿に扮した彼女は堪らず、血を吐く様に叫んだ。この通夜のすべてが偽りである事を、誰より彼女は知っていた。彼女のダミー人形の納められた棺を見つめ、彼女自身の遺影に見下ろされる、その光景は判っていても身震いがした。
 だが鬼鮫は引かない。IO2のエージェントは、それ以上動けば自身の言葉通り彼女を処分するだろう。殺される、のではなく、もっと価値のない存在として。
 ――その夜。通夜を終えた孤児院で、1人の僧侶がそっと棺を開き、艶やかな黒髪を一筋、掬った。眠る少女に涙を零す。
 だが、誰1人としてその事実を――その夜、棺の中から忽然と姿を消した少女の遺体が人狼に奪われた事すら、鬼鮫と彼女以外に知る者は、なかった。





 研究室の中には、重苦しい空気が満ちていた。目の前に居るのは白衣の女性。対するのは、恐らく少女。と言うのは彼女が坊主頭だったからで。
 キッ、と絶対引かない覚悟を込めて睨みつける少女に、女医が小さな溜息を吐いた。

「どうしても、考え直してはもらえませんか?」
「どうしても!」

 強く言い切る。それにまた溜息が返って来る事は判っていたけれど。
 ジーンキャリア、肉体に魔物の遺伝子を取り込む事によって、人間には持ち得ない強力な能力を得た特殊な存在。ただしその代償に、エージェントの1人・鬼鮫の様に定期的に薬物投与を行わなければ、拒絶反応の末に死に至る諸刃の剣。
 そのジーンキャリアになりたいと、三島・玲奈は言ったのだ。人狼。すでに人間であるかも怪しい自分が、さらに踏み越えて魔の領域に近付く行為。
 玲奈はどうしても、人狼のジーンキャリアになりたかった。そっと自らの頭を撫でる――脳移植で髪を失った頭。年頃の少女にとって、それは死を宣告されたに等しい。
 人狼のジーンキャリアになれば、それを克服出来る。玲奈は再び、ふさふさの黒髪を取り戻す事が出来る。
 女医ほんの少し同情的な眼差しを向けた。彼女とて同じ女性、玲奈の気持ちは判らないでもない。髪は女の命、とは決して、大げさな誇張じゃない。
 だが。

「ジーンキャリアになると、今まで以上に変身に歯止が効かなくなりますよ‥‥そのう‥‥」

 言い難そうに言葉を紡ぐ女医に、玲奈は首を傾げた。変身。そんなの、今までだって何度も行ってきた。人狼のジーンキャリアになる事でふさふさの黒髪カムバック、と言うのもある意味、変身の一種で。
 ‥‥ん、変身?

「あ! 狼女!?」
「‥‥‥ですね」

 ようやくそこに思い至った玲奈に、苦々しく女医は頷いた。それで玲奈が思いとどまってくれれば、とも思ったが――ぽむ、と手を打った少女の瞳を見る限りそれはなさそうだった。





 結局、玲奈の強い希望で人狼のジーンキャリア化は恙無く終了した。のだがしかし、むしろ問題はこれからだ。
 女医は妙に座った瞳で、玲奈の前に一着の服を突き出す。へ? とソレと女医の顔を見比べたが、『着て下さい』とますます強い口調で言い切られるので、気圧される様に受け取った。
 しげしげと、眺める。非常に布の少ない、大胆なデザインの服――ではなく。

「こんなの着るの初めてだよー」

 着替えた玲奈は、クルン、と一回転して己の姿を見下ろした。それから姿見へと視線を向ける。そこに写る玲奈自身。彼女の望み通りの豊かな黒髪。少女を、少女たらしめる必須アイテム。
 ソレを見て、それから全身を見た。スレンダーな身体。それを覆う、ぴったり身体にフィットする申し訳程度の布。
 つまり――大胆且つセクシーなビキニ姿。16歳の元スポーツ少女がそんなものを着慣れていたら、それはそれで心配だ。
 珍しそうに、くるくる全身を写して眺める玲奈の姿に、女医が据わった目のまま言った。

「これまで以上に変身に気を使わなくてはいけませんし、不慮の事故の場合、白昼に街中で下着姿になる訳にいきませんから。これなら販促とか何とか、誤魔化せるでしょう」
「ああ、水着で色々配ってるお姉さん!」
「ええ。あとはその上からこれを‥‥」
「えー、ブルマー?」
「羽根を隠すにはやはり、伸縮性の高い体操服が適していると思われます」
「そう言われれば‥‥? で‥‥まさかそんな短いスカートを履くの‥‥?」
「ええ。ズボンでは尻尾を隠せませんよ。長過ぎても引き摺りますし、機動力はミニスカートが一番です」
「うーん‥‥」

 それは本当にアンタの趣味じゃないのか、と思わず半眼になる玲奈の反論を正論(?)で封じ、女医はテキパキ手際よく玲奈に衣類を身につけさせる。逆らえない。逆らったら怖い、何となく。
 首を捻りつつ、女医から『これなら大丈夫でしょう』とお墨付きが出たのを良い事に、逃げ出すように部屋から転がり出てきた玲奈を待っていた鬼鮫が、現れた少女の姿に軽く目を見張った。それから物珍しげにじろじろと、遠慮なく、上から下まで眺め回して。
 ふん、と鼻を鳴らした。

「属性とか言う奴か?」
「咬殺するよ!」

 どんなに気をつけてもミニのプリーツスカートの裾から見え隠れする、ブルマを必死に引っ張って隠しながら玲奈が鬼鮫を睨みつけた。その眼光はとても鋭かったのだが、残念ながら、威厳は全く伴っていなかった。





 それは、満月の夜。人狼達が血に狂い、月に狂う夜。
 ――アオォォー‥‥ン
 遠吠えが、夜気を切り裂いた。この辺りには人狼が多い、いわば巣窟。その中に、人狼の遠吠えが高く、低く響き渡る。

「『あたし』を返してもらうわよ‥‥ッ!」

 その遠吠えに、応えるように玲奈は降り立った。夜風に翻るミニのプリーツスカート。セーラー服のリボンが鮮やかに目を引く。
 玲奈人形。戦艦玲奈、彼女の細胞より創造される宇宙船の原材料である肉体を、社会的に抹殺する為に営まれた葬儀の為に作られたダミー人形。でも――自分だ。それが感傷だと判っていても。
 だから、人狼達の中に居る『自分』に、もうすぐ助けてあげる、と呼びかける。

「今度は簡単に行くとは思わないでよねッ!」
「させるか‥‥ッ!」

 鋭い爪を剥き、襲い掛かった玲奈に人狼が吼えた。迎え撃つのも、刃の様に鋭い爪だ。
 ガキィッ!
 爪と爪がふれあい、鈍い音を立てた。ガガガガガッ! とそのままの勢いで、爪を繰り出し、受け、突く。防ぎ切れない爪が玲奈のセーラー服を切り裂き、柔肌を傷付ける。
 負けない、と強く胸に誓う。玲奈人形は、自分は取り戻す。必ず、だ!
 その気迫が、人狼のそれを上回った。ガキィッ! 火花が散り、次の瞬間、人狼の爪がパッキリ折れる。玲奈の爪は無事だ。すでに双方、これまでに負った傷で赤に染まっている。
 クルリ、人狼が背を向けた。体勢を立て直すつもりか。その腕にはしっかり玲奈人形を抱えている。

「‥‥ッ、逃げる気!?」

 すかさず、玲奈はその後を追った。タンッ! 軽やかに人狼の脚力で跳躍し、ふわりと天使の翼を広げる。べりべりべり、と何か音がした。だが気にしない。玲奈の視線はただ、逃げる人狼に、その手に抱えられる『自分』にだけ向けられている。
 ひょい、と人狼が角を曲がった。こちらを巻こうとしての事だろう。だが天使の翼で空駆ける玲奈に、その程度の小細工は通用しない。彼女の瞳はしっかり、人狼が袋小路に突っ込んだ事を確認している。
 不敵に、微笑んだ。

「年貢の納め時なんだからッ!」

 高らかに叫ぶと同時に、玲奈は翼を動かし、人狼の頭上から急降下した。不意打ち。満月の光を遮る不吉な影に、ハッ、と人狼が夜空を仰いだ時にはもう遅い。
 ――ザシュッ!
 自分に何が起こっているのか、理解したのと玲奈の爪が人狼の喉を切り裂いたのは、同時。一瞬の沈黙、直後に噴水の様に吹き上がる鮮血。
 ふわり、血を受けてなお可憐に舞い降りる彼女の姿を、人並み外れた生命力を持つ人狼が見たのは、幸運だったのか――

(‥‥‥?)

 金の月光を受け、全身を夜気にさらした、ビキニ姿の天使。それに、何かを思う前に人狼の意識は闇に解け、事切れた。ガクリと、力の抜けた腕から玲奈はようやく『自分』を取り戻す。
 人狼の血に汚れた、玲奈人形。

「‥‥待たせてごめんね」

 そっと囁くと、玲奈人形がかすかに微笑んだ気がした。