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<東京怪談ノベル(シングル)>


【湖に浮かぶ月輪】





 青白い月光が、湖畔に佇む町を照らす。
 森に囲まれた湖は広く、かろうじて対岸が見える。濃い霧が立ちこめれば、対岸が容易に見えなくなってしまうだろう。
 その夜は雲ひとつなく晴れ渡り、霧もなく、星明かりが煌めく夜空を、青白い月光のベールが覆う。
 風が木々をざわめかせ、水面にさざ波を立てていく。
 湖に映る月は、波打つ水面にその姿を崩しては揺れている。
 満月まであと少し。
 
 町が恐怖に怯える満月の日まで、あと――
 
 
 
 翌朝、森に囲われた渓谷を抜け、町の駅に寝台列車が到着した。
 高台にある古い駅舎に降り立ったのは、ひとりの少年。
 名はティース・ベルハイム。
 ピンク色の髪のティースは、バックパックを胸に抱え、タクシーに乗り込んだ。ホテルの名前を運転手に告げ、窓から町を見下ろした。
 町の半分は山の傾斜に作られており、半分は湖に近い低地に広がる。赤煉瓦の屋根が密集し、三百戸ほどだろうか、軒を連ねた小さな町。
 「まずいときに来たなあ、坊主」ごま塩頭の運転手がいう。
 「まずい?」とティース。
 バックミラーに映る運転手。その人の良さそうな小さな目をティースは見た。運転手は苦笑し、困ったとでもいうふうに眉根を釣り上げる。
 「昨晩、またひとり、女の子が攫われたんだ」

 タクシーが坂を下り、湖岸沿いの平地に出ると、町はどこか騒々しい雰囲気がある。山の手の住宅地は閑静な、というよりも閑散とした雰囲気だったが。
 「山の手の邸宅は貴族連中の別荘だからね、普段はあまり人が住んでいないのさ。この国はほら、いまだ王政だろ? 排他的な連中が多いからね。あすこの屋敷のいくつかでもホテルにすりゃあ、観光業で潤うだろうに」
 この国は欧州でも珍しい、今なお絶対王制で成り立っている国である。
 「それによ。ここんとこ半年ずっと、満月の夜にかぎって女の子が行方不明になっている。湖岸の町の、山の手の。どっちを問わずにいなくなってる。もう十人以上いなくなっているんじゃないか? 攫われた、誘拐事件だ。なんて貴族連中は騒いでよ。警察隊やら何やらを増やしたけど、成果はないね。若い娘がいなくなる理由なんて、分かるだろ? 男と駆け落ちでもしたんだよ。それかもっと大きい都市に憧れて、出ていっちまったんだよ。こんなよ、深い森に包囲された町にいたら、家出だってしたくなる。王政の古い国の貴族なんてやっていれば、外の世界に出てみたくもなる。そう思わないか?」
 ティースはあいまいな表情で頷いた。
 「ま、昨日いなくなったのは観光客だっていうからよ。上の連中は国際問題がどうとか、やかましいこといってやがる。俺はそういうの知らねえからよ、とっとと自分の車に逃げ込んできたのよ。まあ、そのおかげで坊主も朝っぱらからタクシー、捕まえることができたんだぜ?」
 湖岸の道からまた少し坂を登ると、タクシーは一件の邸宅の前で停まった。平らな石を積み上げて作った背の低い石垣の向こう、綺麗に整えられた庭が広がっている。L字型の邸宅が庭を囲むように建てられており、玄関のアーチにひとりの老メイドが立っていた。
 「警察隊がよ」と、運転手はティースから紙幣を貰いながらいう。「昨晩、犯人を追いつめたなんていってるが、ありゃあ、ウソだと思うぜ? そうでもいわなきゃ風当たり強くなるから、そういっただけさ。犯人なんていないんだからよ」
 
 
 
 いったん部屋に行き、出かける準備をして外へ出ると、老メイドが庭先のテラスにお茶を用意して待っていた。娯楽の乏しい小さな村にありがちな、村人の噂好き、詮索好き、自分の推理の話したがりの傾向を知っているティースは、老メイドの接待を受けることにする。
 「昨晩、女の子がいなくなったって、運転手の人に聞いたんですけど?」
 いって、ティースはスクランブルエッグの入ったサンドウィッチを口に運ぶ。
 「ええ、ええ。そうなんですよ! またですよ、また!」
 老メイドは話したくてしょうがないといったふうにまくしたてる。
 「これで十三人目! 毎月毎月、満月の晩に! 昨日は満月じゃなかったから、油断していたんですよ。町の人、みんなね。でもね、とうとう犯人の姿を見たんですって!」
 ティースの碧眼がサンドウィッチから老メイドに向けられる。
 「全身、毛むくじゃらで、凄まじい風にその毛が炎のように逆巻いていたらしいですわ! あれは狼男ね、間違いないわ」
 いつの間にか自分のカップにもお茶を注いでいる老メイドに、ティースは目をぱちくりさせる。
 「それ、さっき運転手の人から聞いた話と違います。蝶のようなひらひらしたドレスが夜闇に舞ってた、って」
 「それは、酔っ払いの寝ぼけた男がいった話。パブで飲んで、酔いつぶれて路地で寝て。それで目を覚ましたときに、目に飛び込んできたのが、それだっていうじゃありませんか。そんな話、誰が信じますか。私が聞いたのは警察隊の目撃談ですからね。間違いありませんよ」
 「警察隊に散弾銃を撃たれて、逃げていったとも聞きましたが?」
 「ええ、そうですとも。今、警察隊が総出で山狩りに出ていてね。犯人がいた東から順に探していますわ。ここは町の西側だから、まだ騒がしくはないけれど、明日か明後日にはちょっとうるさくなるかもしれませんね」
 東か、とティースはつぶやき、ひとつ訊ねた。
 「ミイラは出てないんですか? 昨晩は」
 「ミイラ?」老メイドの目に好奇心の色が輝く。「あなた、ミイラを見に来たの? 最初の誘拐事件の翌日に発見されて、町中の噂になったアレね? 少女がいなくなり、ミイラが現れる。誰もが疑いながらも関連性を想像したわ。吸血鬼が現れたんじゃないか、って。でも、ミイラのDNAは、いなくなった少女のDNAと一致しなかったんですって。ミイラを見たいなら、ここじゃダメね。王都の研究施設に送られたって聞いてますよ」
 
 
 
 老メイドとのお茶会を適当に切り上げて、ティースは森に入っていった。
 庭を出るとき、「犯人は大きな白いブーメランを持っているそうだから、気をつけて」と老メイドにいわれたものの、ティースは苦笑を返すだけ。
 「どうも、僕の聞いている情報と違うなあ」
 ホテルの裏の山林ではなく、湖岸の森に入っていく。
 「さすがにDNA鑑定の結果は、本当のこと伝えてないみたいだけど」
 ティースは何かを探すかのように、あちこちに視線を配りながら逍遥する。
 「今回のミイラ、どこだろ? 早く見つけてあげないと可哀想だよね。あ、先にIO2のエージェントが来てるって話だから、その人がもう回収しちゃったかな?」
 ティースは大きめの茂みを見つけては、その中を探っていく。
 「全身、毛むくじゃらねえ。人狼との交配種って話は本当みたいだなあ。外来種ってだけでも大変なのに。やっぱりこれ、僕の管轄外……」
 ティースの、その小さな身体が強ばった。
 今、視線の先で何かが動いたように見えた。
 木々の向こう、土の盛り上がったその影に、何かが――
 
 そのとき、狼のそれによく似た咆哮が、鋭く響いた。
 雄叫びがした方向とは逆の茂みに飛び込んだティースは、指先でスペルを描き、口の中で呪文を唱える。
 恐る恐るといったふうに茂みから顔を出したティースは、同じように土の影から顔を出す、ひとりの少女と目が合った。
 その少女は愛らしい人間の顔をしていながら、頭には狼の耳がある。
 ティースが訊ねる。
 「キミが、カッパ?」
 「ちがうわよー」
 少女はふてくされたような、かわいい声でそう答えた。
 
 
 
 
 五時間前。
 三島玲奈(みしまれいな)は、ドジを踏んだと自覚していた。
 この半年間、何人もの始末屋を退けているターゲットを相手にするというというのに、油断するなどありえない。満月まではまだ日があるから、という理由はいい訳にもならない。
 突然の遭遇から追跡戦。
 そして、ちょうど着地したときに目の前にいた警察隊。
 満月が近いから巡回を強化しているとは聞いていた。だが、いきなり散弾銃を発砲するとは思わなかった。獣人化した自分が突然空から降ってくれば、驚かないほうがおかしいとは思う。だが、なにもいきなり撃つことはないだろう。しかも、彼らが追うべき誘拐事件の犯人ではなく、どちらかといえば味方である自分を撃つなど。
 獣人化したときの獣毛の防御力は高く、警察隊に配備されている散弾銃程度では弾丸が肉の奥まで届くことはありえない。だが、皮膚を裂くくらいの傷は負ってしまうし、着ていたドレスもぼろぼろになってしまう。
 
 警察隊から逃れた玲奈だったが、目標をロストしていた。
 「今日はもう出ないかもね」
 玲奈は湖岸の森に身を隠し、獣人化を解く。だが、獣人化の解除は顔しか成功しなかった。頭には狼の耳が残り、人間の耳はない。全身に生えた獣の長い毛はそのままであり、尻尾も長いままである。
 「まずいなあ。王政府のエージェントと会うのって、たしか明日だったような。って、もう今日かー」
 軌道上の宇宙船にテレパスを送り、除毛剤と着替えの入ったバックパックを大気圏に投下させる。バックパックを回収した玲奈は、森の中に泉を見つけ、そこで襤褸となったドレスを脱いだ。
 全身を覆う、しなやかな長い獣毛。ローレグのショーツを隠す、ふさふさとした尻尾。そして天使のそれと見まがうような、純白の翼。沐浴をする玲奈の姿は、神話に語られそうな造形美を有している。
 散弾を受けた左脇腹に、血の滲んだ跡がある。獣人化したときの回復力なら、かすり傷程度の怪我ならすぐに治癒する。除毛剤入りのシャンプーを全身にかけ、その獣毛に泡立てたとき、すこし染みたが問題はない。
 獣人化の解除に失敗しても、時間が経てば元の姿に戻る。ただ、ところどころに獣の産毛が残るため、除毛剤を使って剃る。十六歳の乙女はそういうところに敏感である。
 
 四時間も経てば、狼の耳を残して獣人化はほぼ解けて、残るは全身の細かい産毛の剃毛となる。指先から脇の下、お尻の付け根から膝の裏まで、まんべんなく剃刀を当てていく。一通り終えた頃、頭の耳がもぞもぞとする。もうすぐ狼の耳も人間のそれに戻り、髪の毛が生え変わる。
 玲奈は泉に入り、耳に水が入らないよう、仰向けに水面に浮かぶ。太陽は空に昇り、泉はキラキラと輝いている。風が吹き、毛が抜けた白い肌に鳥肌が立つ。ぶるっと震え、玲奈は身体を拭こうと思い、泉の岸に置いておいたドレスの襤褸を手に取った。
 そのときだった。男の声が聞こえてきたのは。
 とっさに咽喉が、狼の咆哮をあげていた。恥ずかしさに怯えたせいか、威嚇の咆哮。
 続いて、小さな身体が茂みに飛び込む音がした。
 子ども?
 玲奈は泉の岸に立ち上がり、森を窺う。胸と前はドレスの残骸で隠す。
 盛り上がった土の向こう、茂みから頭を出す少年と目があった。
 「キミが、カッパ?」
 そういわれて、昨夜の失態を思いだす。目標と間違えられて被弾して、せっかく見つけたターゲットを取り逃がしたことを。
 悔しいやら情けないやらで、なんとも気の抜けた声が出た。
 「ちがうわよー」
 
 
 
 「あたしはIO2の調査員、三島玲奈。あなたが、当局が派遣したエージェント?」
 「そうだよ」いって、ティースは茂みから出て近づいてくる。
 そして、二人は互いの身体を確認する。
 「あ」と、お互いにいい、背中を向けあう。ティースは赤面し、上ずった声をあげた。
 「僕はティース・ベルハイム。よろしくね」
 「もうっ、若いわね」
 濡れた身体を拭きながら、玲奈は自嘲気味にいう。
 「キミも若い方だと思うけど?」
 あっけらかんというティースに何も答えず、玲奈は着替えをバックパックの上に取り出す。
 ショーツを脱いで身体の水滴を拭きとると、水着のアンダーショーツを素早くはいた。黒いビキニをその上に着け、乳房を揺らしてトップスの紐を結ぶ。さらに、尻尾用の穴が開いた防弾繊維のスクール水着をはいていく。携帯型ドライヤーで翼を乾かしながら、玲奈はいう。
 「今回のターゲット、河童はあたしの国が発祥らしいけど」
 「うん、こっちでは外来種になる」
 「河童の人攫いは習性なのよ。ネコが爪を研がずにはいられないのと同じ」
 「じゃあ、カッパがいなくならない限り、人間の被害はなくならないね」
 「まあ、そうなるわね」
 翼を乾かし、折り畳む。襟に赤いラインの入った体操服と、ローレグの紺のブルマに翼を押し込む。尻尾は獣人化が解けて縮んできており、ブリーツの多いスカートをはくことですっかりと隠せる。
 「もういいわよ」
 いいながら、玲奈はセーラー服を着て、リボンを胸元にたぐり寄せる。絶妙なノッドの形は身体がすっかり覚えている。
 「町の人たちが見た人狼って、キミのことだったんだね」
 いわれ、結んでいたリボンの形が崩れてしまった。
 「そこのぼろぼろのドレス。人狼のジーンキャスト。白いブーメランはその翼だね。あ、昨日いなくなった観光客って、もしかしてキミ? 先に潜入調査している、って聞いてたけど」
 「嫌味? 嫌味なのね? ああっ、超常現象を秘密裏に解決するのがIO2の使命なのにっ!」
 玲奈はリボンを握った手を震わす。
 「あたしが見つかって、超常現象の噂の元になってちゃ……減給ものだわ」
 さめざめと泣くふりをする玲奈をよそ、ティースは訊ねる。
 「キミは海兵隊なの?」
 「違うけど?」玲奈は泣き真似をやめて答える。
 「その服」
 「あ、これ? これは日本の……ああ、もう。いいわ、自分で調べて」
 「うん」
 玲奈はティースの顔をまじまじと見る。
 子どもだ。
 年は十三か、十四か。
 「あたしが主導権取るわよ、いいわね?」
 「姫さまのエスコートなら、喜んで」
 ティースはにこにこと笑顔を作る。
 姫、って。そんなお世辞いわれたってね。
 「口だけは達者なんだから」
 そのとき、玲奈の頭がびくんと震えた。
 「あ」と玲奈は背筋がぞくりとする快感に声をあげた。
 狼の耳が人間の耳へと変わり、頭の獣毛が抜け落ちて、人間の黒髪が伸びていく。玲奈の艶やかな黒髪が肩口まで覆うと、ティースは息をのみ、惚けたように見とれはじめた。
 玲奈はバックパックを肩にかつぎ、ティースに微笑む。
 「さあ、行きましょ。あたしたちの任務は、河童退治よ!」
 
 
 
 
 
     (了)