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こわがりの詩
いやだ。あたしはまだ、死にたくない。あたしは――。
必死の叫びに、ラクスは耳を傾ける。
強い意志。目的と望み。死の間際における、あらん限りの力。
それは1つではなかった。今このとき、同じように滅び逝くものたちの声が重なり合う。
ひっそりと、それらに語りかける。
あなたの望みは、何ですか……?
頼りない蝋燭の灯りに照らされる薄暗い部屋には、薬品特有の臭いが立ち込めていた。
加熱された『賢者の石』が、水晶の容器越しに白い湯気と共に赤い光を放っていた。
黒から白を経て、死から復活した物体。
滅びにおける綻びを修正し、再生するこの実験には不可欠なものだ。
様々な粉末、鉱物、標本などの並ぶ怪しげな棚。その前に置かれた大きな、テーブル似た高いベッドには今回の協力者――検体が、眠っている。
すでに、施術は終えた。
肉体も精神も、正常に融合しているはずなのだが……。
じっと眺めていると、彼女はふっと、目を開いた。
「……あたし?」
ぼんやりとラクスの顔を見て、不思議そうにつぶやいた。
『優美な葡萄』と称えられる、紫がかった艶やかな赤髪。鮮やかな緑色の瞳。小麦色の健康的な肌。
眩しげにそれらを確認し――下に目を移したとき、驚きの表情が浮かぶ。
美しい女性の胴体につながるのは、ライオンの四肢。よく見れば、その背には鷲の翼が生えている。
神獣、スフィンクスの姿である。
「気分はいかがですか? 痛かったり苦しかったりしませんか?」
緊張したように身を強張らせる少女――女性と呼ぶにはまだ幼いようだった――に、ラクスは笑顔を向ける。
彼女自身、その威厳ある姿とは裏腹にかなり気が弱い方なのだが、相手に怯えられ、パニックでも起こしたら大変だ。
大丈夫ですよ、心配することないですよ、となだめてみる。
彼女はラクスの説明を、ふんふん、とおとなしく聴いていた。
生きることに執着しながらも亡くなっていく人たちの身体を、絶滅動物の細胞からつくりだした身体で補う。
それだけではない。欠けた魂――器を満たし円滑に操作する存在――を補完するため、更にもう1つの魂を融合させている。
難しい処置ではあるが、それによって結合は強化され、検体完成度は増すことになる。
「絶滅動物って……」
少女はふっと、自身に目を落とす。
それは、狼のような姿だった。
けれど尾まで入れれば体長2メートル近く、どっしりとした体つきをしている。
強靭な顎と長く大きな牙は、骨ごと噛み砕くことすら可能だろう。
両耳と尻尾が、彼女の反応に応じてちょこちょこと動いた。
「ダイアウルフという、巨大な狼です。とても強く見えますが、基本的にはハイエナと同じく他者の狩った獲物を漁る、腐肉食だったそうですよ」
ラクスの説明に、半狼の少女はまじまじと自分の身体を見つめる。
珍しいおもちゃを手にした、好奇心旺盛な子供のように瞳を輝かせて。
「魂っていうのは?」
ようやくラクスを敵ではないと判断したのか、先ほどとは違う、打ち解けた様子で尋ねてくる。
人見知りこそ激しいが、根は明るいようだ。
「あなたと同じ頃、同じような想いを抱いて果てようとしていた、犬の魂ですよ。共に身体を共有するのですから、仲良くしてあげてください」
「――ああ、本当。あたしの中に、誰かいるみたい。すごく怖がってる。威嚇してるよ」
目を閉じて思いを馳せ、彼女は微かに苦笑した。
瞼が開かれると、その瞳にはまたしても怯えがあった。
不安そうに目を走らせ、ラクスから距離をとろうとベッドから飛び降り、睨みながら身構える。
うぅー、とうなり声をあげながら。
どうやら、もう1つの魂と入れ替わったらしい。
完全に融合されれば意識も一緒になるが、今はまだ完全には混ざりきっていないのだ。
ラクスはまたしても、自分が敵でないことを証明するために骨を折る羽目になった。
彼女たちは基本的に、似たような気質をしていた。
人見知りが激しく他人を警戒する反面、心を開いた相手には従順でよくなつく。
口数は多くないが明るくて運動好きなところもそっくりだ。
それもそのはず――前回、2つの魂があまりに違いすぎた上、ラクスは知らなかったが奇妙な因果で対立していたために融合はうまくいかなかった。
そのため今回はできるだけ同じ気質を持った、それでいて目的意識の近い魂を探し出したのだ。
魂の半分は犬――身体の一部となった狼に比較的近い存在でもあるため、なじみやすいと思うのだが……。
草原や森林のある巨大な部屋――ラクスの管理する検体の居住区で、半狼の少女は思う存分、駆け回っていた。
昆虫や鳥を追いかけてみたり、花に顔をつっこんで鼻先を花粉まみれにしてみたり。
そうして遊んでは、笑い声をあげる。
狼としての本能よりも、彼女らの意識が強いせいだろう。
人間のいない、自然と動物に囲まれたこの場所を、すっかり気に入っているようだった。
「今は、どちらの意識の方が強いですか?」
彼女らの態度や反応はよく似ているので、ラクスはことある度にそう尋ねた。
最初の頃は、犬の性格の方が警戒が強く、言葉もたどたどしかったのだが、今となってはほとんど見分けがつかなくなっていた。
「さぁ、どっちだと思います?」
彼女はいたずらっぽく笑ってみせる。
こうした態度も、慣れてきたおかげだろう。
たまに嘘をつくこともあるので、それには閉口するが――実験に差し障りがあるのでやめてほしい、と注意すると、ひどい叱責を受けたかのように、しゅんとされてしまう。
非常に繊細で、相手の怒りに敏感なのだ。
「でも最近、本当によくわからないの。過去の記憶を共有してるから……あの子の怒りも悲しみも、よくわかる。同じように、あの子もわかってくれてる。どっちがどっちの感情なのか――見分けがつかない」
2人の意識は、かなり融合しつつあるようだった。
そのことに対して、自分がなくなるのではという不安もあるが、それ以上に1つになれることが嬉しい、と語る。
それは本当にすばらしいことだった。
今回の実験はかなり精度が高く、大した事件もなくよい結果が出せそうだと、ラクスは思った。
彼女たちの居住区には、動物たちが沢山いた。
けれど腐肉食の身体なのもあって、食事はラクスの用意するものだけで満足していた。
しかし、あるとき――研究に没頭していたラクスが、いつもの食事時間をオーバーしてしまったときだった。
慌てて駆けつけると、そこには引きちぎられた動物の死骸が散乱していた。
血が、周囲の草花を赤く染めている。
「ラクス」
その顔を見るなり、口元を赤く染めた彼女は、屈託のない笑顔を見せた。
「遅かったね。おなかがすいたから、先に食べちゃった」
お母さんが夕食をつくる前にお菓子を食べちゃった、そんな感じの言い方だった。
確かに、これだけ立派な顎と牙をもっているのだし、ダイアオオカミだって獲物がなければ狩りをしただろう。
ラクスはそうした本能を否定する気はなかった。
だが――これだけ意識の強い彼女が、まるで罪悪感を抱いていないというのは不思議だった。
つまり、今の彼女は元犬なのだろうか? それとも犬の考えに影響された少女なのだろうか?
「あたしね、ようやく気づいたよ。ずっと欲しかったものを、ラクスはくれていたんだね。……あたしはもう、怯えなくてもいいんだね」
「ええ、それはもちろん、ここには外敵もいませんし」
「けど外にはいる。――ねぇ、ラクス。ここを出ることはできないかな。少しの間でいいの。すぐにすむから……」
ドキリとした。
「どうして、ですか」
「わかってるんでしょ。あたしの……あたしたちの、目的くらい」
そう、知っている。同じような目的を持つからこそ、2人を選んだのだから。だけど……。
「あなたたちは、望みどおり強くなりました。もう誰も、あなたたちを害することなどできない。怯える必要は、ないはずです」
「そういう問題じゃないの」
驚くほどにきっぱりと、彼女は言い切った。
「――残念ですが、許可はできません」
以前、検体の一人が脱走したとき、事後処理にはかなり骨を折った。
それでも、その検体は自由に生きたいという希望があっただけで他者に危害を加える気はなかったからまだいい。
それに引き換え、彼女の目的は――。
「……だったら、ラクスが何とかしてよ。アイツらを殺してよ! 生きる価値なんかないんだ。人を貶めて、嘲笑って。いきなりクラス中から無視されるのがどれだけつらいか、ラクスにわかる? 殴ったり蹴ったりとか、そんなのよりつらいよ。存在を、認められないんだ。生きてる価値がなくなるんだよ!」
拳を握り締めて、必死になって叫ぶ。
それは、人間だった頃の記憶だった。
彼女は亡くなったのは、事故だった。自ら命を絶とうとしたわけじゃない。最後の最後まで……見返してやりたいと、絶対に死ぬもんかと、強く願っていた。
「それだけじゃない。あたしは、8年一緒にいた家族から、簡単に捨てられた。結婚した相手になつかなかった、ただそれだけで。山奥に捨てられて、おなかをすかせながらさまよって……懸命に家に帰ろうとしたのに、捕まって、殺された。閉じ込められて、最後の最後まで、苦しみながら……」
今度は、犬の方の記憶だ。
そう、本来は無邪気で明るく彼女たちは……つらい記憶から人との関わりを拒み、憎んでさえいた。
それでもラクスに心を開いたのは、普通の人間ではなかったからなのかもしれない。
「――すみません」
情に流され、解放してしまえば大惨事になる。
少女を無視したクラスメイト全員。犬の飼っていた家族に保健所の人間。
いったいどれだけの被害が出ることか。
ラクスの立場を危うくさせるというだけじゃない。
そんなことをさせるために、甦らせたわけではないのだ。
「あなたたちは、生まれ変わったんです。以前のあなたたちは、亡くなったんです。だから……どうか、新しい人生を歩んでください」
植物を愛し、動物と戯れ、踊るように駆け、歌うように笑う。
そんな風に楽しむことだってできるのに。
復讐ばかりにとらわれてしまうのは、あまりにもったいなさすぎる。
ラクスの懇願に、彼女は失望したように肩を落としたが、何とか諦めたようだった。
そして何事もなかったかのようにまた、無邪気に遊びまわる。
それでも夜になると、どこか寂しげに遠吠えをあげる。
一人は嫌だと嘆くように。
それでいて、誰もここには来るなと威嚇するように。
一匹狼は、強く、気高く――そして何よりも、怖がりだった。
END
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