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<東京怪談ノベル(シングル)>


●「カタチヅクルオモイ」


 遠くまで広がる光り輝く砂浜。
 照りつける日差しは言葉にならないほどに厳しい。
 海辺とその前を走る道路の間には見上げるほどの高さを誇るヤシの木々たちが立ち並び、海岸線にわずかな涼しさをもたらしていた。
 そんな砂浜を一望できる一等地にある店内で、三島玲奈は頬を押さえながら満面の笑みを浮かべている。
「んーおいしいっ!」
 雑誌で特集が組まれるや否や、瞬く間に若い女性たちの間で話題になったこの寿司屋は、玲奈のたっての願いでようやく訪れることができた店だった。
 皿に盛られていた寿司をあっという間に食べ終えた玲奈は、隣で最後の一貫の鮪を頬張ろうとする男の姿を嬉しそうに眺めている。
 湯飲みに手を伸ばして茶を飲もうとした瞬間、玲奈の目の前に広がっていた海岸を見渡せる巨大な窓ガラスに、黒い物体が叩きつけられた。
 鈍い音と共にガラスにはたちまちヒビが入る。
 さらに大きな衝撃音が響き渡り、今度は高速で二回黒い物体が窓へと突進してきた。
 玲奈たちの座席付近にいた客は次々に悲鳴を上げながら避難する。
 三度にわたる衝撃で窓ガラスは粉々に砕け散り、一気に吹き込む外界の熱風が玲奈の身体を包み込んだ。
「なんなの!?」
 玲奈はとっさに連れの男を店の奥へと追いやり、自身も物陰に身体を隠すと、口唇を噛みしめながら外の様子を伺った。
 先ほど窓を破った物体を肉眼で確認すると、玲奈は一瞬言葉を詰まらせた。
 眼前にいるのは空中を飛び回る鮪の集団だったのだ。
 ――これじゃあ、なんとかしないとどうしようもないじゃない!
 貴重なデートの時間を邪魔された玲奈はいささか不機嫌な面持ちになり、大きく一つ深呼吸をすると瞳を大きく開いた。
 幻想的な紫電の色と、まっすぐに伸びた髪と同じ深黒の二つの異なる色の瞳が妖しい光を宿す。
 玲奈の衣服は音を立てて破れ落ち、人のそれとは明らかに異なる獣の耳が変わって生えそろい、その背中には純白の翼が大きく広がった。
 狼と人間のジーンキャリア――それが玲奈の本当の姿だ。
 彼女の身体を隠すのは小さなビキニのみ。
 その姿で空中へと飛び立つと、次々と飛来する鮪を両の美しい羽で絞殺していく。
 最後の一匹を仕留めた玲奈は天を仰ぎ、軌道衛星上に待機している自らの細胞から培養した宇宙船"玲奈号"に、無残な姿になった衣服の替えと獣化解除の代償ともいえる全身の毛が抜け落ちる後遺症をカバーするためのカツラを投下するように命じた。
 いつもであれば数秒待つ程度で玲奈の手元に届けられるであろう支援物資が、なぜか今日は幾度待てど届かない。
 沈静化した店内には騒ぎの収束を確認した人の声が飛び交っていたが、玲奈はそんな中人前に出るに出れずに冷汗を流している。
 すると突然玲奈の身体が空中に浮かび上がった。
 意図せずになった状況に驚きを隠せずにいると、玲奈の足元に一人の妖艶な容姿をした女が姿を現した。
「ケケケお前さんの彼女はご覧の通り難病さ。だから私の恋人におなり」
 高笑いを浮かべながら話しかけている相手は、玲奈の連れ。
 "彼氏"と呼ぶのも気恥ずかしいほどに初々しい付き合いではあったが、玲奈が大切に想っているその人だった。
 そんな相手にもまだ自身の身体のことは打ち明けたことがなかった玲奈。
 男は髪が抜け落ちてなぜかビキニ姿でいる玲奈の姿を見上げていた。
「うん、その水着可愛いと思うけど風邪でも拗らせたら命取りだよ」
 女は男の首筋に腕を這わすと、玲奈には届かない小さな声でなにかを告げる。
「元気になったら遊ぼう。だから病気なんだったら治さないと」
「違うのっ! 騙されないで! あたしは……あたしは、病気なんかじゃないっ!」
「ホホホ、じゃあその姿はなんなのかしら? 普通じゃないわよ」
 反論できない自分の姿を指摘された玲奈は、拳を握り締めた。
「さあ玲奈、病院に行こう」
 差し出された手に戸惑い果てたそのときだった。
 女は口が裂けるほどの大口を開けて、男の首元にかぶりついた。
 耳元をつんざく悲鳴が周囲に響き渡り、全身の血液を吸い尽くされた男の身体は一瞬で朽ちてしまった。
「いやああああああああああああああああ!!」
 ほんの一瞬の出来事だった。
 女――吸血妖精バーバンシーは口元から滴り落ちる血を美味そうに舌で舐めとり、泣き崩れる玲奈を一瞥すると姿を消した。
「どうしてっ……どうして超生産能力が使えないの!?」
 天を仰ぎ恨みがましい声を上げて、玲奈は泣きじゃくる。
 亡骸すら残らなかった愛しい相手を守れなかった自分の力に、はじめて憤りを覚えたのだった。




  IO2職員らによって先ほどの惨状が極秘裏に片付けられている同刻、玲奈は己の姿を隠すかのように小さくなりながら、人目を避けて足早に家路を急いでいた。
 超生産能力によって服とカツラの調達が不可能となってしまった今、彼女は近場の海の家でパーカーとショートパンツを買い、麦わら帽子を目深にかぶった出で立ちをしている。
 ふらつく足取りで俯き歩いている玲奈の前に、なんの前触れもなく一軒の小さな建物が出現した。
 辺りが薄闇に包まれ始めていた中、暖かな色が漏れる窓の光につられ、玲奈は建物のドアノブに手をかけた。
「こんばんは三島玲奈さん。お待ちしておりましたわ」
 目元を腫らした玲奈を待っていたのは、一人の女だった。
「……こ、こは?」
 見知らぬ女に名前を呼ばれ待っていたと告げられた玲奈は、さすがに状況が飲み込めずに両目を瞬かせた。
「当店は"念"を扱う店なんです。対象者の強い想いが届いたとき、私たちがその念の想いを昇華させるお手伝いをさせていただいてるんですよ」
 玲奈を椅子へ促しながら、女――佐伯瑞乃は、ミネラルウォーターにミントを浮かべたグラスを手渡した。
「念……? あたしの念?」
 それを一気に飲み干した玲奈は、瑞乃の言葉の続きを静かに待った。
「そうです。玲奈さんと……それからこれです」
 瑞乃から再び渡されたものは、小振りの缶だった。
 ただ普通の缶コーヒーではないのは明らかで、その色は黒……吸い込まれそうなほどの深い深い漆黒をして表面が渦巻いていた。
「ご案内したい場所があるんです。ご一緒していただけますか?」
 瑞乃の後について店の外に出た玲奈は、その周囲の光景に驚いた。
 この建物に入る前には道を歩いていたはずだったにも関わらず、今いる空間は四方をコンクリートで囲まれた薄暗い場所だったからだ。
 瑞乃の説明によると、彼女自身の能力の一つとして空間移動能力があり、"念"の昇華のための手段のひとつとして、店は世界中を移動し、また思いの場所に行き着くことも可能だという。
 夏の暑さなど微塵も感じさせない、肌が粟立つような冷気が玲奈の身体を覆う。
 周囲には生臭い匂いが漂っていた。
 玲奈の掌中にあった缶が、突如前触れもなく激しい熱を孕みはじめる。
 缶は意思を持ったかのように玲奈の手から飛び出して空中で回転をはじめた。
 すると唐突に、玲奈たちの脳裏に鮮やかな紺碧が広がる海原の映像が割り込んできた。
 水中で止まることなく悠々と群れをなして泳いでいるのは無数の鮪だった。
 数え切れないほどの鮪たちが網に捕らえられ、船上へと引き揚げられる。
 血抜きを施され急速冷凍された鮪たちはそのまま市場へと連れられていくのかと思いきや、陸に着くなりトラックへ投げ入れられ、そのまま薄暗い地下へと運ばれていく。
 凍ったままのそれらは無造作に生コンの中に放り込まれ、次々と固められていった。
『なんでこんな死に方をしないといけないんだ』
『せめて人の舌を賑わそうと思っていたのに……』
『恨めしい。人間め……』
『己等の身勝手で汚された我らの住処。そこで育った我らは食す価値もないということか』
 無限の可能性を秘めて生まれた命は、前途を絶たれた無念を燃料にして暴発する。
 無残な生涯を遂げた鮪たちの負のエネルギーは孤独で彷徨う無数の亡霊らを呼び、死の連鎖が怨念のブラックホールと化し、玲奈と瑞乃を飲み込むかのように強大な広がりを見せはじめた。
 玲奈は自らが立つコンクリートに手を当てた。
「まさかこの場所に埋められているの?」
 鮪の姿を目にし、玲奈の中には先刻の悪夢が甦った。
 この鮪たちさえあの場所に現れなければ、あたしは変身なんてしないですんだし、彼が死ぬことだってなかったのに……。
 彼らを救いたいという思い以上に、玲奈の心は憎しみと苛立ちで支配されていく。
 エネルギーを食むように吸い寄せられてきた無数の霊魂の叫びが周囲に交錯しはじめていた。
 誕生が叶わぬ者や夭折した者の無念、不発に終わった無限の可能性を嘆く悲痛なものばかりだ。
 その叫びの中から一際甲高い耳障りな嗤い声が響き渡る。
 忘れられるはずもない憎き敵――玲奈の思い人を亡き者にしたバーバンシーだった。
「懲りずにまた変身でもするつもりかい? 小娘」
 怨念と血をこよなく好み、寄生虫のように宿主に取り憑いては獲物を探すバーバンシー。
 許しがたい敵の出現を受けて負の感情に流されているのを感じ取った瑞乃は玲奈の腕を強く掴んだ。
「玲奈さんっ」
「わかってます瑞乃さん、あたしは平気よっ! 燻る念を餌にして狩りをするなんて許せない」
 鮪に罪がないことは分かっていた。
 だが玲奈には"なにか"のせいにしてしまいたいという思いがあったのだ。
 その行為が鮪の無念を増長させてしまうことを玲奈はようやく理解した。
 鎮めるために自分自身が出来ること――。
 出来るわ、きっと……ううん、絶対にあたしには出来る!
 確信して獣の姿へと変化を遂げ、言葉巧みに煽るバーバンシーを左目の射程距離に捕らえる。
 破壊光線が玲奈の瞳から照射されると、バーバンシーは見る影もなく焼き消された。
 首謀者が姿を消し去ったのも束の間、部屋の中限界にまで広がった念のブラックホールから若くして命を落としてしまった学生らの悲痛な願いが聞こえてきていた。
 玲奈はそれらに一言ずつ答えを返していった。
「え、ええ平泳ぎの記録は更新するわ。短距離のタイムもね」
 そう告げた瞬間、玲奈の目の前に制服とカツラが音もなく舞い降りてきた。
 ――ああ、そうか。
 玲奈はそれらを手にして、小さく笑いを漏らした。
 "超生産能力"じゃないのね。
 あたしを通して成し遂げて欲しいという想いが、あたしを助けてくれる形を作っているんだわ。
 この制服は、あたしが今の年齢で着るところの正装ってことなんだ。
「鮪たちはあたしの所有する"玲奈号"で宇宙空間に連れてってあげる。無限に泳ぎまわれるわ」
 玲奈が告げると、禍々しい広がりを見せていたブラックホールが瞬く間に収束していき、瑞乃が右手に持っていた黄色の缶へ納まっていった。

「……これで決着ついた?」
 制服に袖を通してカツラをかぶった玲奈は、静かに微笑んでいる瑞乃に少し不安げな眼差しを向けた。
「手荒な対峙をさせてしまい申し訳ありません。玲奈さんならきっと、自分を乗り越えて彼らの想いを救ってくれると思ったので」
 瑞乃の手の中にある二つの缶。
 玲奈自身の捉われていた心と、ブラックホールとなってしまうほどの鮪たちの無念の心。
 穏やかな黄色のそれらは想いが浄化された印であった。
「大丈夫ですか?」
「もちろんっ。これからも頑張っていきますよあたし!」
 手はじめに、あの店に鮪を食べに行こう。
 大好きだったあの子の分もたくさん。
 ――この件で、もう決して涙は流さない。
 まだ見ぬ敵との戦いへ向け、玲奈は新たな決心を誓った。
 


【カタチヅクルオモイ・完】