コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


萌え萌え福袋

「はーん、ひほふひほふうー!」

 青空に、三島玲奈のくぐもった叫びが響いた。うっかり寝坊してしまった彼女はトーストを咥え、口腔内に貼り付くパン屑と戦いながら学校へと急いでいた。

 ああ、やっぱりトーストを咥えながら走って登校、というのは無理があるんだわ。だって圧倒的に息苦しいし、漫画みたいにハッキリと「あーん、遅刻遅刻ー!」なんて言えるはずもないし、尋常ならざる勢いで口の中の水分が奪い取られてゆくもの!

 せめて牛乳も一緒に持ってくれば良かった、と後悔しつつ彼女は懸命に走った。すると直後、曲がり角にさしかかったときに事件は起こった。

 ドン!

「ひゃあ!」

「きゃあ!」

 玲奈は誰かと衝突してしまった。その衝撃で口からトーストが吹っ飛んでいく。奮発して、ちょっとお高いパン屋で買った食パンのトーストが、である。玲奈は舞い上がるトーストに手を伸ばしかけ、一瞬迷った。ちょっとお高いトーストを追うべきか、乙女の聖域であるスカートの中が白日の下に晒されてしまうのを防ぐべきか。そして彼女は、ハッと気が付いた。

 なんということだろう、玲奈はスカートを履いていなかった!

 まさかの展開、痛恨の履き忘れである。しかし彼女は常日頃から、己のスカートの中身が露呈するのを防ぐため、衣服の下にブルマを仕込む習慣があった。スカートを忘れても、その習慣は忘れていない。つまり今、どれだけアクロバティックなポージングを披露したとしても、パンチラいやーんなことにはならない訳である。これぞ勝機。そう思った玲奈は思う存分トーストを掴み取った。

「勝った!」

 無事に手の中に収まったトーストを掲げ、ガッツポーズをする玲奈。食パンを咥え直し、ふと下を見ると衝突した相手が地面に四つん這いになっていた。

「め、眼鏡、眼鏡……」

 おたおたと道路を手で探っているのは、鍵屋智子であった。智子のスカートは背中まで捲れ上がり、白と水色の縞模様が愛らしい下着が豪快に露出してしまっている。しかし彼女は紛失した眼鏡に気を取られていて、自らの痴態に気が付いていない。玲奈は同じ女子として、乙女の聖域を秘匿してやらねばならぬと思い、彼女のスカートを直すべく、めくれた布に手を掛けた。

 直後、わあっ、と歓声とも悲鳴ともつかない声があがった。声のした方に視線を向けると、同じ学校の生徒が数名、玲奈と智子を見て騒いでいるのだった。

「見たか、今あの子、彼女のスカートめくってたぜ」

「こんな朝から、ディープなラブシーンを見ちまったな……!」

 玲奈は唖然とした。スカートを直してあげようとしていたのに、逆にめくったと勘違いされてしまったのだ。なんということだろう。心外にも程がある。玲奈は誤解を訂正したかったが、口の中のトーストがそれを阻んだ。ああ牛乳が欲しい。そして目撃者たちは「すげー! すげー!」などと言いながら興奮した様子で走り去ってしまったのだった。

 玲奈は冷めても美味しいトースト(流石高級品である)を咀嚼しながら、それを呆然と見送るより他無かった。足元では、智子が未だに眼鏡を発見出来ずにいて、下半身をダイナミックに露出させたまま地面を這っていた。





 玲奈と智子が白昼堂々、しかも道路のど真ん中でいちゃついていたというという噂は瞬く間に広がり、更に噂が捻れてこんがらがって一回転して、放課後には玲奈と智子は近いうちに「授かり婚」にて挙式するという話にまで飛躍していた。一体どちらが身籠もったことになっているんだと玲奈は思ったが、それよりも智子の取り乱しぶりが凄かった。

「この噂は何事なの! どうして私が、貴女の子を産まないといけないのよ!」

 どうやら智子サイドでは、彼女が授かったことになっているらしい。どうしてと言われても玲奈には答える術がなく、「か、鍵屋さん落ち着いて!」と興奮する智子を押しとどめるのが精一杯であった。

「……そうだ、良いことを思い付いたわ」

「良いこと?」

「この噂を収束させる方法よ」

 智子は自信満々に告げた。彼女は類い希なる頭脳を誇る天才である。これだけ全校に広まり尽くした噂を鎮める方法を、こんな短時間で思い付くなんて凄い、と玲奈は憧憬の眼差しで智子を見た。すると彼女は口の端を持ち上げて、こう言ったのだった。

「貴女に更なる萌え属性を付加するの。皆の関心を、この噂よりも貴女の萌えっぷりに向けさせるのよ。そうすれば、自然と噂も沈静化していくわ!」

「そ……そういうもの、かなあ?」

 玲奈は首を傾けた。彼女の言い分には多少疑問が残ったが、智子の目は本気であった。むしろ、従わなければ私は何をするか分からないわよ、というような顔をしていた。玲奈は、「目で殺す」という慣用句を初めて肌で理解した。同時に、自分に退路は用意されていないことを直感する。

 ああ……あたしはどうなってしまうの。

 玲奈はそっと目を伏せた。口の中に、今朝食べたトーストの芳醇な味わいが蘇る。明日もあのトーストを食べることが出来るのかしら……なんて思いつつ、深くため息をついた。





 原色の瘴気が渦巻く研究室にて、玲奈は寝台に寝かされ両手両脚を拘束されていた。自由に動かない首をどうにか巡らせて、不敵な笑みを浮かべて立ちはだかる智子と視線を合わせる。

「さあさあ、貴女には萌え萌えになって貰うわよ」

 うふふ、と笑う智子の手には、注射器とスクール水着、そして白くやわらかな毛で覆われたふたつの肉片があった。

「う……うさぎさん……」

 両手が自由であるならば、玲奈は諸手を挙げていたことであろう。智子が手にしているのは、どう見てもうさぎの耳であった。

「そう、うさぎさんよ! 覚悟なさい!」

「きゃ、きゃああああっ!」

 玲奈の悲鳴は、瘴気に搦め取られ虚しく消えた。

 ……改造が終了し、拘束を解かれた玲奈は身体を起こした。首を傾けると、うさぎの耳がたれん、と横に流れるのが分かる。自分が一体どのような姿になったのかは分からないが、智子は妙に大喜びだった。

「耳は着脱可能で、セーラー服の襟元に収納が出来るのよ!」

 はしゃいだ声をあげる智子に、玲奈は吐息を漏らした。その拍子に、うさぎの耳が前方に傾く。彼女は、突然の改造に疲弊しきっていた。しかし改造されてしまったものは仕方がないので、「うん、どうでも良いよ……」と気のない返事をして早々に立ち去ろうとした。しかし、マッドサイエンティスト鍵屋智子嬢がそれを許してくれない。玲奈の投げやりな返事を肯定と受け取ったのか、そうでなくてもまだ改造し足りないのか、更なるカスタマイズを玲奈に要求してきたのである。

「まだよ! これをご覧なさい!」

 次に彼女が取り出したのは、すらりと美しい鳥の首であった。玲奈は目を見開く。

「ちょ……っ、白鳥っ!? そ、それって萌えなのっ?」

「オプションはお好みに応じて」

「要らないよ!」

 玲奈は悲鳴じみた声をあげたが、興に乗ってしまったらしい智子は止まらない。まるで暴走機関車だ。智子は歌でも口ずさみそうな調子で、玲奈の体操服の上からポロシャツをかぶせる。下半身は、ふりふりのパンツとスコートである。

「ま、まだ着るの……?」

 もはや玲奈は半泣きであった。一体何がどうなってこんなことになっているのか、全く分からない。智子はこれ以上ないというくらい良い笑顔で「うん!」と頷く。

「今度は何……ちょ……っ、触覚!」

 玲奈は叫び、頭を押さえた。頭頂部にふたつ、覚えのない突起が出現している。うさぎ耳とはまた違った感触だ。愕然とする玲奈に、智子は破顔した。

「ご名答! 三島玲奈は蝶のように舞う!」

 智子のその言葉が合図だったかのように、玲奈の背に、青く透き通ったうつくしい蝶の羽根が生えた。彼女の背にはもともと翼が生えているので、背中がもぞもぞして仕方がない。というか、重い。ランドセルの上からリュックサックを背負っているみたいだ。玲奈は、鞄持ちジャンケンに負けた小学生の気持ちが分かるような気がした。しかし小学生は、次の電信柱に到達すればまたジャンケンで鞄持ち担当を決めるが、玲奈の場合は電信柱を何本通過してもこのままである。泣きたくなった。

「きゃあっ!?」

 不意に胸元に電気のようなものが走り、玲奈は背を反らして悲鳴をあげた。胸に痺れが残る。

「今度は水母ですか……!」

 掠れた声をあげる玲奈に対し、智子は恍惚の表情を浮かべ、ほうっと色っぽい息を吐く。

「スコートとスカートの摩擦で発電し胸のスカーフから放電するのよ」

「も……っ、もう勘弁して下さ……っ」

「いいえ、駄目よ」

 智子は言って、玲奈の触覚をわしづかみにした。それから顔を寄せ、目を細めて笑う。

「主人は私、お前は犬。ほら、ご奉仕なさい」

 あれっ、何か趣旨が変わってない? こういうのって世間では超展開って言うんじゃない?

 そう思ったが、玲奈は突っ込むことが出来なかった。触覚をふるふるとけなげに震わせ、「あ、あたしは狼娘ですぅ」と訴えるのがやっとだ。智子は唇の端から赤い舌を覗かせ、笑みを深くした。

「お前は七変化する眷属よ。さあ、お鳴きなさい!」

 命令され、玲奈はわぅわぅ、と鳴き声をあげた。吠えながら、やっぱりトーストを咥えて走るのなら、せめて牛乳を一緒に小脇に抱えていなければ駄目なんだわ、と思ったのであった。


END