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<東京怪談ノベル(シングル)>


Dear Mother


それは過去の夢なのか
それとも未来の幻か



 雨が降っている。
 夕方から降りだした雨は、夜になって雷を伴う豪雨となっていた。立ち並ぶビルの谷間を吹き抜ける風が、大粒の雨を窓へと叩きつける。その度に揺れる窓硝子の向こうは何も見えない。全てを飲みこむ黒色に彩られた世界。否、暗闇にじっと目を凝らせば、雨のカーテンの向こうに白濁としたネオンがあるのが分かる。この嵐のような夜の中で、それだけがここが東京であると主張しているようだった。
 コスプレ喫茶の窓から、外へと目をやって三島玲奈はふっと息を吐いた。激しい雨音が、空を割く稲光が、彼女の心をざわりと揺るがす。それは何処となく不安で、そして何かの始まりを告げる予感のようなものを感じさせた。
「……随分とひどい降りだ。」
 玲奈の視線の先を追ったのか、窓へ目をやった客が呟く。玲奈の働くコスプレ喫茶は、嵐の晩だというに客が溢れていた。目の前の男もその一人で、この店によくやってくる常連だ。その客の手には、シナモンの香りが立ち込めるカップがあった。幾分か冷めてしまったカプチーノ。その茶色の液体がカップの中で、ゆっくりと回されている。
「本当に。このまま、東京が沈没してしまいそう。」
 ふふっと語尾に笑いを含ませて歌うように言った彼女に、客はカプチーノを一口飲んでから言った。
「地上の不夜城から、海の底の竜宮城へ…か。まぁ、あのコスプレ師ならやりかねん。」
「コスプレ師?」
 唐突に話題にあがった単語を玲奈は、きょとんとした顔で復唱した。それが面白かったのだろうか、客が楽しそうに、にやりと笑う。
「そう、伝説の。興味があるかい?」
「そう…ね。だって、ここはそういう店だもの。伝説って言われる程、凄い人の話なら聞いてみたいわ。」
「なるほど、それもそうか。何でも、彼女が砂漠に水着で立つと、そこが客の目にはビーチに見えてくるんだとか。人間離れした演技力らしいぜ。」
「ふぅん……。」
 『彼女』というからには女性だろうと思われる伝説のコスプレ師の人間離れした演技力。それは霊感の類ではないのだろうか。玲奈の第六感に何かが引っかかった。これは、もう少し話を聞いておく必要があるかもしれない。玲奈は目の前に座る客の袖を引き、もっと伝説のコスプレ師の事を教えて欲しいと強請った。
「随分と御執心なんだな、玲奈チャン。そんなに気になるんなら、神田に行ってみな。」
「神田?そこに何があるの?」
「そう、神田の書店街さ。何があるかは、行ってみてのお楽しみだ。」
 意地悪く、にやけた笑みを張りつけたまま、客はカップの中身を煽った。その態度と焦らすような言葉に苛立ちを覚えながらも、玲奈は冷静を装って質問を投げる。
「行ってみるわ。けど、彼女の名前くらいは教えて?」
 それが分からなければ困るという雰囲気を滲ませながら、目に力を込めて客を見やる。客は暫し黙した後、降参だというように肩を竦めた。そして、言ってはいけない秘密を口にするかのように声を潜めて、玲奈に囁く。
「彼女の名は」
 アストラル・グレイス、と―――。
 それはまるで悪魔の囁きのように、玲奈の思考の中へ滲み込んでいった。


 翌日、玲奈は客の言われた通り、神田の書店街に来ていた。ここに何があるのか分からなかったが、何気なく覗いた書店で彼女の足が止まる。玲奈を釘付けにしたのは、平積みにされた漫画本だった。題名は、『異端の眷属サモン☆レナ』というらしい。何かに取りつかれたように漫画本へ指を伸ばした玲奈は、ページを捲り……そして、固まった。
 紙面の中で、可憐なエルフの少女が生き生きと動いている。万物を産む方舟と七体の召喚獣を纏うエルフの少女を中心とした物語。平積みにされた本の横に添えられたポップには、『オススメ!話題の人気漫画!』の文字が躍っている。しかし、彼女の目は漫画本に向けられたままだ。
「あたしが…あたしが本の中にいる…!」
 何時しか、漫画本を持つ手に力が入っていた。エルフの少女、箱舟、七つの獣。物語を彩る要素は、彼女自身の持つ物と余りにも重なり過ぎていた。
 一体、誰が、と思う。
 どんな人間がこの漫画を書いているのだろう。
 そう思った時、玲奈の頭の中に一つの可能性が浮かんだ。彼女と共通するキーワードを持った物語を書けるのは、彼女を良く知る人物、両親ではないかという事だ。玲奈は両親の事を知らない。だから、まさか、と思う。だが、同時にそうであって欲しいという気持ちが彼女の中に確かにあった。逸る心を抑えて、作者の名前を確認する。その名前に見覚えはない。だが、玲奈は監修者の欄に見覚えのある名前を見つけた。
 アストラル・グレイス。
 あの客が伝説のコスプレ師だといった女性の名前が、そこにある。この人が、この漫画の原案を作っているとするのならば……。
「もしかして、お母さん、なの?」
 写真もプロフィールすらもない監修者の名に向かって呟く。そして、玲奈は何かを決意したように顔をあげると、手にした本を閉じた。





 御世辞にも冷房がきいているとは言えない店内で、古いタイプの扇風機が回っている。5分程前に注文したばかりのアイス・ココアの氷は、既に溶け始めていた。
 ここは玲奈の働いているコスプレ喫茶ではない。メインストリートから外れた路地の奥、ひっそりと営業している小さな喫茶店だ。玲奈は、待ち合わせの為にこの店に来ていた。 溶けた氷の水分とココアに分離しかけている中身をストローで混ぜ合わせる。ふと壁の時計に目をやると、カウンターの中でグラスを磨いている店主と目があってしまった。
 随分と時間を気にする客だと思われたかもしれない。
 そんな事を思いながら、少し俯く。彼女の待ち人は、少し遅れているようだった。
 先日の神田での出来事の後、玲奈は漫画の作者に会う事を強く望んだ。作者であれば、監修者であるアストラル・グレイスの事を何かしら知っていると思ったからだ。だが、その願いは叶わなかった。出版社、及び担当者を通じて面会を申し込んだが、熱狂的なファンか何かと思われたらしく、前払いされてしまったのだ。だが、玲奈は諦めなかった。直接話しを聞く事が出来ないのなら、その身辺を調べればいい。母かもしれない女性の手がかりがあると信じて、玲奈は1人の情報屋に調査を依頼した。そして、功刀圭と名乗った黒ずくめの情報屋と、彼女は今日ここで会う事になっている。
 調査は上手くいっているのかしら……。
 小さくため息をついて、指先でストローを弄ぶ。なかなか減っていかないグラスの中身と対照的に、氷だけが溶けて小さくなっていく。大きくなった不安に希望が飲みこまれそうになっている自分の心のようだな、と彼女は思った。その時、最後の氷が溶けて崩れる音に、喫茶店のドアベルの音が重なった。


「例の件だが、大体、調べはついた。」
 遅れた事への謝罪もそこそこに、男は早速切り出した。そして、荷物の中から取り出した本と写真を資料だと言って、テーブルの上に置く。本は勿論、『異端の眷属サモン☆レナ』だ。そして――。
「この写真は?」
 本の横に置かれた写真を玲奈は、穴が開くほどに見つめた。写っているのは、一人の女性だ。若いとはいえないが、写真の中で穏やかに微笑んでいる。
「アストラル・グレイス、といったか。君の母君の写真だ。尤も、それは投稿写真で些か古いものだが。」
「本当に…その、あたしの、お母さんなの?」
 声を震わせて問う。自分の声が震えているのが、玲奈には分かった。ずっと探していた母の姿がそこにある。写真から目が離せない。じんわりと視界が滲みだしていた。
「本当だ。」
抑揚のない声で功刀は肯定し、一息間を開けてから続ける。
「君の母君は、相当な鬼才だったようだな。」
 言いながら、彼はテーブルの上に書類用の封筒を置くと玲奈の方へ滑らせた。調査の報告書だというそれを受け取ると玲奈は中身に目を通した。否、通そうとした。だが、滲んだ視界が邪魔をして文字が見えない。
 母の事が書いてあるのに。
 ポロッと玲奈の目から涙が零れおちる。零れてしまった涙は簡単には止まらず、次から次へと少女の頬を濡らした。
「……お母さんに会いたい…。」
 どうしたら会えるの、と独り言のように呟く彼女に、功刀はすまない、といい頭を下げた。
「母君の居場所までは分からなかった。だが、その漫画の作者が時折、取材旅行と称して出かける場所があるらしい事が分かっている。これから行ってみるつもりだ。そちらの報告は調査が済み次第……」
「あたしも、功刀さんと一緒に行く。お母さんの手がかりがあるかもしれないんでしょ?それなら!」
 功刀の言葉を遮って、玲奈は決意を込めて言った。その目には既に涙はなかった。
「遠いぞ。」
「何処なの?」
「九州は、長崎県の軍艦島だ。昔は炭鉱で栄えた島だったらしいな。だが、現在は無人島で建物の崩壊が進んでいる。数年前まではメディア関係者以外、上陸禁止だったらしいが、ある程度、島内の安全が確保できたとかで最近になって一般にも一部分が公開されている。だが、恐らく、今回の目的地はその見学ルートからは外れる筈だ。」
 暗に危険な場所へ飛び込む可能性を示唆する言葉だったが、玲奈は怯まなかった。
「それでも行くわ。」
 母の写真を胸に抱きしめて、彼女は凛として顔を上げた。



 軍艦島は功刀の事前情報通り、廃墟の島だった。昔は東京以上の人口を誇っていたとは到底思えない。だが、島に林立する高層アパート群が過去の繁栄を物語っていた。見学用のルートを外れれば、潮風と海鳥の声しか音のない島を2人は早足で歩いた。まず目指したのは、島の西側だ。そこは無人島になる前、住宅等の島民の暮らしに必要な施設があったという。都市としての高度な機能を持ったそこは、過去において謂わば箱舟のような場所だったのだろう。だが、そんな都市も今では崩れかけた廃墟だ。
「高度成長期の幻影でも見ている気分だな。」
「頑張れば、その分、願望が叶う時代だったって事ね。今はそうもいかない時代だけど…。」
 溜息をついた玲奈に返答するでもなく、功刀はただ肩を竦めた。周囲に注意を向けながらも、歩く速度はそのままに2人は島の東へと向かった。そこには軍艦島を栄えさせた大元である炭坑の跡があるのだ。閉山されてから30年以上経っている炭鉱施設に近づいた時、それは起こった。
 突如として、2人の回りに活気が溢れたのだ。廃墟だった施設に灯りが灯り、あちこちで機械が動く重い音がする。慌てて周囲に目を走らせた2人を取り巻くように、大勢の炭鉱夫が採掘の道具を持って行きかっていた。この場に渦巻く熱気にのまれそうになりながら、玲奈はアストラル・グレイスの名前を囁いた客の言葉を思い出していた。
『あのコスプレ師ならやりかねない』
 砂漠をビーチに変える程の人間離れした演技力。今、自分の目の前で起こっているこの変化も、母の力に違いない。直感的に、玲奈は、母がこの島に来た事があると知った。そして、更なる手がかりを探そうと目を凝らす。そんな彼女の前に、もう1つの幻影が姿を現す。突如に現れたそれは、水着姿の女子高生の姿をしていた。突然に現れた少女は、何処かで見た事のある可愛らしい顔に笑みを浮かべ、炭鉱夫達が行きかう中で準備運動を始める。それは余りにも自然な仕草で、そして周囲に溶け込まない余りにも不自然な光景だった。
「……何だか社会問題になりかねない幻影ね。」
 何故こんな幻影を見せるのか、そう思いながら玲奈は率直な感想を吐きだす。斜め後ろにいた情報屋が、ふっと小さく笑ったような気がした。
「その意見には同意する。だが、彼女は……。」
 言いかけて逡巡するように言葉を切った男をいぶかしげに玲奈が振り返る。無言で先を促すような視線を受けて、一旦は終い込んだ言の葉を彼は紡いだ。
「君に似ている。」
 その言葉に玲奈は幻影の少女をまじまじと見つめる。幻と現実の2人の少女の目があった。その様子を見ていた男が後ろから声を掛ける。
「彼女は君の母君が描いていた未来の『レナ』なのかもな。」
 それが聞こえていたのかどうか、過去の幻の中で、対面する2人の『レナ』が示し合わせたかのように、ふわりと笑った。


■終■