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<東京怪談ノベル(シングル)>


なつ×なつ


夏の海。
プライベートビーチ。
水着で恋の夢花火。
そんな話を聞けば、そりゃあ誰だって心のひとつやふたつ浮き立つってものだろう。
羽があろうが鰭があろうが、女の子であるなら輪をかけて。
だから三島玲奈は悪くない。
ちょっと奮発して新しいセパレートビキニを買っちゃったことだって、全然悪くなんかないのだ。


「悪いのはIO2だもん。世間に負けたんだもん…」
微妙に演歌じみた文言で組織を非難し、玲奈は我知らず息を吐いた。
すぐにぽこりと泡が立ち、遥か頭上の海面へ向かってのぼり消えていく。
ティーンらしい乙女な期待を胸にいそいそとやって来た玲奈を迎えたのは、夢や希望でないばかりか
罰でも地獄でもないただの現実だった。
夏の海…ではあるが深海通り越して殆ど海底。
プライベートビーチ…と言えば聞こえはいいが隔離に近い辺境も辺境。
水着で恋の夢花火……は誰が言ったのか忘れてしまったけど。
誰も言ってなかったかもしれないけど。
それにしたって妄想、もとい想像の余地くらい残してくれたっていいじゃない。
…いや、余地の欠片、くらいなら、あると言えばあるのか。
目前の水中にたゆたうダークグレーのスーツにセルフレーム眼鏡の男。
全体の印象は見たまんまの生真面目かっちり硬質型であるにも関わらず、硝子の向こうの瞳が
思うより柔らかなのが意外な隙になっていて、総合するとまあ悪くはなかろう。
シビアな女の審美眼でもそれなりの得点がつく彼であるのだが、如何せん口から出るのが、
「…の場合もまた同様となります。先に述べた事象の繰り返しになりますが基礎としては重要なポイント
ですので重ねて説明しますと、霊力と霊圧の相関における位置または質量の保持とは極めて」
というような色気も素っ気も義理も人情も完全皆無のテキスト文章でしかないので減点以下である。
この夏合宿限定の臨時講師らしいが、玲奈がすっかり拗ねて夢花火だったり演歌だったりしている間も
我関せずの態で滔々と話し続けているあたり、教える立場の者としてどうなのだろう。
給料分だけ働きます、と全身で表す姿は、ここまで達するといっそのこと潔い。
それでも花の女子高生、ささやかなバカンスを諦め切れない玲奈は、僅かばかりの抵抗を試みた。
「あのー、えっと……アサギさん?」
「…など様々な方法が採られますが、集束或いは集中と……一応今は講師ということですので
正しく呼びかけて頂きたいものですが、何でしょうか」
「アサギさんも喋りっぱなしでお疲れでしょうし、ちょっと休憩にしませんか?」
「先生です。霊体には疲労するような声帯も筋肉ももうありませんのでお気遣いなく。では続きを」
「で、でも、アサギさんは霊ですけどあたしは生身で、息も苦しくなってきちゃうし」
「先生です。立派な鰓をお持ちのように見受けられますので問題ありません。ということで続きを」
「で、でもアサギさんっ、夏は水着だし、恋で夢花火だしっ」
「先生です。申し訳ありませんが突っ込みきれないのでさっさと続きを」
「アサギさん〜!」
「先生、です」
「……すみませんでした、アサギ先生」
心なしか満足そうに頷き早速講義を再開する相手に、何だか敗北感が一層募る。
案外堪能してるんだろうか、教師役。
見るものもなく微かな水流に揺れる胸元のフリルやらリボンやらが空しいったらない。
張り込んだ分だけ切なくて、もう一度ぽこりと泡の息を吐いた、そのタイミングを計ったように、
「…という課題をクリアして頂いて、カリキュラム修了とします」
特に楽しくもなさそうな声が、あくまで淡々と締めの言葉を告げた。
しゅうりょう、という響きだけで一瞬素直に喜びかけ、すぐに次の一瞬で現実に立ち戻る。
「あのぅ、すみません今のもう一度…」
「カリキュラム修了とします」
「あ、もう少し前を」
「富士の召還という課題をクリアして頂いて」
どうやら聴覚の不調ではなかったらしい、聞き直しても同じだった。
「富士…ってやっぱり、あの富士山です、よね?」
「霊的存在の象徴としては最たるもののひとつです。特別難しい素材とも思われませんが」
あっさりと言ってのける彼にしてみれば、言葉通り大したことでもないのだろう。
確かに神秘深き霊峰富士、その巨大な流れは巨大であるがゆえに掴みやすい、しかし問題はそのあとだ。
掴めたからって終わりじゃない、引っ張って来なきゃならないのだ。
それには別のもの、具体的には力とか格とか操作とか経験値とか諸々が必要で、つまりそれらを
全て欠くことなく兼ね備えた講師には妥当な課題と見えているらしい。
「……無茶振り…」
こういう完璧優等生タイプは指導者に向かないと思う、絶対。
「そうですね…ではイメージの喚起、投影まででも及第ということにしましょう」
暗く俯く玲奈の姿に流石に何かしら思うところがあったのか、幾分口調を和らげて妥協案が出された。
ここで成功したとしても既に駄目な子認定は動かない気がしてちょっと涙目になりつつ、
兎にも角にも挑戦すべく両手を胸の前に翳す。
乙女の正しき夏の思ひ出について思索を巡らせていたのであまり講義内容は覚えていないが、
耳に入った範囲で単語だけでも拾えればどうにか体裁は繕える、はず。
霊力と霊圧、保持、集束で集中でうんたらかんたら…。
水とは違う涼やかな流れに指先が触れた、そのまま握るとずしりと重い。
実際の重量ではなく感覚だけのものであるだけに引きずられやすく、必死で抵抗しながら、
一本釣りと似た要領で一気にえいやと引き寄せた。
流れてもいない汗を拭う仕草の玲奈の目に、苦労の成果が近づいてくるのが映る。
青々とした尾根に敷かれ白く広がる雲の海、何とも鮮やかな…鮮やかすぎるような。
「ああ、これがよく言う『絵に描いたような』っていう」
半ば自分を納得させるための言葉をぶったぎる形で、
「×○☆☆△○〜!!」
文字にも出来ない、色で表すと灰か茶くらいの野太い悲鳴が複数上がった、と認識した瞬間に、
突如視界が暗転、次いで全身に打ち付ける衝撃。
玲奈の口から反射的に落ちた、あう、とか、ひゃう、とかそんな声も、周囲の混乱に掻き消されて
誰の耳にも届かない。
寛ぎの入浴タイムを思いもよらぬ形で邪魔された男風呂の客たちは、意味もわからず右往左往するばかり。
「お、おいなんだ!? ここはどこだ!!」
「関東圏です、という以上のことはお答え出来ません」
「仕事帰りに汗流したかっただけなのに、何だっていきなり海ん中なんだよ!?」
「彼女の最もイメージしやすかった映像が銭湯の壁画富士だったために、召還位相がずれてしまった
ようですね。海中といえども一帯の空気は確保してありますのでご心配なく」
「な、なんか変なねえちゃんが壁にめりこんでんぞ…?」
「僕の生徒です。場所と期間を限定した上の、ですが」
「ち、痴漢!? …いや、えーっと女の場合は…」
「痴女です」
「そうそう痴女…じゃねぇよにいちゃん! 冷静に答えてねぇでどうにかしてくれ!!」
「どうにか…」
曖昧な注文に眉を寄せ、壁に盛大な破壊痕をつけている生徒を見遣る。
激突のショックか召還のダメージか、意識を失っているらしい玲奈はぴくりとも動かない。
眼鏡のブリッジをくいと上げ、限定講師は無情にも言い放った。
「とりあえず、補講ですね」



花も恥らう麗しの女子高生・三島玲奈。
恋の夢花火、未だ、不発。


<END>