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<東京怪談ノベル(シングル)>


Milking


 優れた試作品は、更なる改良が加えられて市販化されるのが普通である。
 過去に何度となく様々な試作品が作られては試され、その中でも優秀であったごく一部のものが更なる改良を加えられて世に出回っている。中には軍事兵器であったものが日常生活のものとなった例も存在する。
 それは道具である以上当然のことである。道具は人のために作られ、役立てられるべきなのだから。
 ならば、この流れも当然といえば当然だったと言うべきではないだろうか。





「……牛、ですか?」
「そ、牛」
 そう言いながらゆっくりと紫煙をはく動作は何時もの彼女らしくのんびりとしていてどこか優雅なものだった。

 海原みなもがこの店に来るようになってから、一体どれくらいが経っただろうか。随分前のようにも感じられるし、つい最近だった気もする。あまり数えることにも意味がなく、みなも自身よく覚えていない。
 今日も日常の一部となったこのアンティークショップに足を運び、店主である彼女とお茶をしたり会話をしたり。そんな些細なことが楽しかった。
 店主である碧摩蓮の困った性格で集められた道具に散々な目を合わされることもあるけれど、それもまた日常としては思い出になるからよしとしよう。

 その散々な目に合わされ、そして今はみなものパートナーと呼べるようになった道具がある。今正に彼女が着ているそれがそうだった。
 通称「生きている服」……正確には彼女の体に宿る魔法生物が擬態しているもの。
 最初こそお互い加減も何も分からず、半ば人としての尊厳すら破壊されそうになってしまったが、今はお互いにいい距離感を保ち付き合うことが出来ている。
 良くも悪くもみなもの中に深く息づいたそれであったが、今ではすっかりその使い方も覚え彼女の日常生活になくてはならぬものとなっていた。
 しかしその特異な性質上(そして生まれの特異さも合わせれば)、その『服』はこの世に一つの代物と言えた。みなも自身他の『服』など知らないし、勿論蓮だって知らないはずだ。

 だからこそ、その日蓮が話したことには少なからず衝撃を受けてしまったのだ。





 話は冒頭の少し前に戻る。
 何時ものように店にやってきたみなもを出迎えたのは、勿論何時もどおりの蓮だった。
 それはもう何度も繰り返してきた日常で、これまで変わらなかったからこれからも暫く変わる事もないだろう。
 何時ものように蓮の前に座り、何時ものように笑いながら話しかける。これもまた何時もと同じ日常。
 しかし、今日はそこに一つだけ違和感があった。

「蓮さん」
「んー?」
「これ、何ですか?」
 みなもの前に、どこか古めかしい箱が置かれていた。明らかに年代物であろうそれは、何時もこの店に足を運んでいるみなものであるからこそそれが別の日常からの来訪者だと気付くことが出来た。
 確かに昨日まではなかったもの。それが今日ここにある。
 蓮は元々曰くつきのものを色々集めてくるのが趣味ではあったしそういったものが突然増えていてもなんらおかしなことではないのだが、今回はちょっと様子が変だ。
 具体的に言えば、何時もの『らしい』ものである感じがしないのである。
 曰くつき、呪われたもの、ちょっとおかしなもの……言い方は様々であるものの、それら全てに共通するものがある。それは、雰囲気。なんとなく嫌な感じや違和感が漂っているものなのだ。
 事実この店に置かれているものはどれもこれもがそんな感じで、寧ろ普通と呼べるものがあまりない。
 蓮の性格からして普通のものを買ってくるわけがない。ではこれは一体何なのか?
「あぁ、それね」
 いかにも気付いたか、そんな感じの不適な笑みを蓮が浮かべる。
「あんたにも関係あるものだよ。なんだか分かる?」
「と、言われましても……」
 当然みなもには見当がつかない。そんなことを言われても、彼女はこれを初めて見るのだから。
「開けてごらん。開けた瞬間何かが襲い掛かるとかそういうことはないからさ」
 何か、嫌な予感がする。
 しかし蓮に言われ、自身も何が入っているか興味があるのも事実。だからみなもは素直に蓋を手に取った。
 大した抵抗もなく蓋が取れる。箱の中には何か液体のようなものが満ちていた。そしてそれは、彼女にとってとても馴染みのあるものだった。
 見た瞬間に総毛立つ。確証など何もない、あくまで感覚だけが先行する。しかし、それを彼女はよく知っている。
「……あの、蓮さん。これ……もしかして」
 意味を理解したらしいみなもに、蓮は紫煙を吹かす。そして、
「あぁ、あんたの中にいる『服』と同じものさ」
 事も無げに、そんなとんでもないことを言った。
「……はい?」
「だから、同じもの」
 みなもは一瞬自分の聞き間違いかと思い聞き返したが、帰ってくる返事はやはり同じもの。そこで漸く、蓮が冗談でも何でもなく本心からそう言っているのだと理解した。
 なんでそんなものがここにあるのか。あれは一つだけではなかったのか。いやそもそもそんなものをどこから手に入れてきたのだろうか。
 色々なことが頭に浮かんでは消え、みなもは一人軽い混乱状態に陥る。そんな彼女が面白いのか、蓮は何時にもまして笑みを深くしていた。
 しかし流石にそのままにしてくことも出来ないと思ったのか、彼女はいまだ混乱状態のみなもを前に真実を語りだした。
「いやねぇ。それを作った魔法使い、そいつがあんたの服の現状を知って一つ金儲けに走り出したわけ。普段面倒くさがりな癖にこういうときだけは行動が速いから嫌になるよ」
「魔法、使い……? えっと、作者の方はもう亡くなったんじゃ……」
「あたしは別にそんなこと言った覚えはないんだけど?」
 みなもが混乱した頭で思い返せば、確かに蓮は一言もそんなことは言っていない。なんとなく魔法使いが作ったもの、という時点ですでに作者が亡くなってしまっているとイメージしていたのかもしれない。魔法の道具というものは、大体にして大昔に作られたものが多いから。
 それは兎も角、ひとしきり混乱したのか少しずつみなもにも冷静さが戻ってきた。そして冷静になると同時に、今度はまた別の思考が頭を覆う。
「だけど、お金儲け、ですか? これを使ってどんな……」
 そこまで言ってはっとする。彼女自身が今まで散々『彼』の能力を証明してきたのだ。確かにその能力は、商売と結び付けても十分なものが多すぎる。
 そして、みなもだからこそ知っている『彼』の欠点もまた存在しているのは確かだ。商品化するとなれば、それをどうにかしなくてはならないはずだが。
「あの……商品化するといっても色々と問題があると思うんです。その、依存性とか……」
 それは既に彼女が通った道だ。依存性はかなり厄介で、下手をすればそのまま廃人となりかねないほど強烈なものでもある。、
「その辺は大丈夫だってさ。機能はあくまで限定的にするらしいし。あ、その『服』のいいところは基本的に全部残してあるらしいけどね」
 しかし、そんなみなもの過去の出来事は既に報告されているのか対策はなされているらしい。

 で、本題。これは一体どういうものなのだろうか?
 みなもとしては当然そこが一番知りたいわけで。
「蓮さん、これは一体どういうものなんですか?」
「こいつはねぇ……」
「こいつは?」
 思わず息を呑む。単刀直入な質問に、蓮はまた紫煙を吐いて答えた。
「牛になれる」
「……牛、ですか?」
「そ、牛。それも乳牛」
 何故牛なのだろうか? あまりに突飛な返答過ぎてみなもは再び軽い混乱状態に陥った。
 幾ら機能を限定しているとはいえ、何故牛なのか。もっとカッコいいものやニーズのあるものは他にもあるのではないか?
 分からない。その魔法使いの思考が全く分からない。
 そんな彼女の様子が面白いのか、やはり蓮は楽しげな笑みを浮かべている。
「機能的には完全に出来上がってるそうだよ。特定の生産能力を持ったものをこいつで補えないか、って話でね。いやまぁ人が沢山牛になって牛乳を搾り出す姿はシュール以外のなんでもないんだがねぇ…」
 全くだ。それは軽い悪夢かもしれない。
 しかし仮にこれが量産され、牛乳が文字通り人工的に作れるようになったなら状況はどうなるだろう? そこに考えが到って、みなもの思考が戻ってきた。
「けどそれでもし成功したとして、じゃあその後乳牛などで生計を立てている畜産農家の人たちなんかはどうなるでしょうか……?」
 蓮もそれは考えていたらしく、幾分神妙な顔つきになりつつも紫煙を吐く。
「さぁ、それはあくまで仮定の話し出しあたしにはどうとも言えないさ。とりあえず今のあたしはクライアントの要望を叶えるだけだしね」
 そこには、大人としての蓮の素顔があった。



 当然の話ではあるが、完成品と言えどそれはあくまで製造過程の話。実際に使用し、使えなければただの失敗作だ。
 で、ここに持ち込まれたからには当然それをテストするわけで。そうすると、既に実体験を何度も済ましている人物がテストベッドとしては最適なものとなる。
 つまり、みなもに着て欲しいというのがクライアントの要望だった。それなりにお得意先であるのか蓮も断りきれなかったらしく、かなり歯切れが悪い説明となっていた。
 みなもも何時も蓮に世話になっているから、それを断ることはなかったが。

 みなもは店の奥に箱を運び、その前で服を脱ぎ小さく息を吐いた。
(牛になれる、ですか……どうやってなるのでしょう?)
 ふと、疑問が頭を過ぎる。彼女と『彼』の変身プロセスは外からは見えないほど複雑である。あくまで牛と限定されているものの、その作業はやはり大変なものなのではないか?
 とは言えやってみないことには何も分からない。だから、意を決して箱の中へと足を踏み入れた。
「っ……」
 あの日と同じように、指先が触れた瞬間スライムが一瞬で広がりみなもの全身を包み込んだ。その感覚は『彼』を自分の中に迎え入れたときとなんら変わりがなかった。だからだろうか、大した抵抗もなくそれを受け入れられたのは。
「……全く同じ感じでしたね」
 自分の全身は、当然のように今までと変わりない。どうやらスライムはすんなりと受け入れられたようだ。

 さて、ここまではいい。問題はここからだ。
 みなもはまず自分が『彼』を服へと変化させるプロセスを思い出す。
 服のような単純な作りで普段から接しているものであれば、脳裏に思い浮かべれば即座に変化させることが出来る。しかし、それを生物の擬態という状態まで昇華させるにはその生物の構造を知り、文字通りその構造全てを頭の中に思い浮かべなければならない。
 そんな複雑なプロセスを経て、それでもまだ不完全なものが漸く出来上がるのである。
 蓮は牛のみと言っていたが、幾ら機能を限定したところでその構造は驚くほど複雑だ。そんなことが本当に出来るのだろうか?
 みなもは試しに脳内に牛の構造を想像してみた。以前馬を擬態したことがあるみなもではあるが、幾ら草食動物という同じくくりであると言っても牛の構造を思い浮かべることは出来ない。似ているようで全く異なるのだから仕方がない。
(……?)
 が、そこでおかしなことが起こった。
 みなもの脳裏に、詳細な牛の構造が浮かび上がる。それは自分が思い浮かべたという感覚でもなく、まるで自分の脳内にもう一つの脳があるかのような感覚。確かに自分が思い浮かべているはずなのに、それがまるで他人事のように感じられてしまう。
 自分の中にもう一人の別人がいる感覚。酷く違和感があるが、それ以外のことを思い浮かべることはなかったので嫌悪感はない。
(なるほど、こういうことですか)
 つまり、あのスライムにはそういった情報が予め全てインプットされている、ということなのだろう。そして、機能を限定しているというからには恐らくはその情報だけが。彼女の中にいる『彼』が何度も書き換えが可能な記録媒体だとすれば、このスライムは書き換えが不可能な再生専用の媒体と言ったところか。
 そういうことであれば話は早い。みなもはその情報を元に、牛になるということを思い浮かべてみることにした。――が、その必要すらなかった。
 牛になる、そう明確に思った瞬間みなもの体が変化を起こし始めたのだ。
「凄い、ですね……」
 それはまさに全自動と呼べるもの。あれほど苦労した血流の流れから内臓の移動、皮膚と体毛の作成などが全て自動的に行われていく。
 『彼』が自分で着ているのに対して、これは誰かに着せられているという感覚だった。
 勿論『彼』の美点である苦痛を脳内ホルモンの分泌により抑える機能など、そういったものは全て受け継がれているらしい。ただ、やはりというか自分の体の外に新しい皮膚などが出来る感覚はおかしなものだった。
 自動的に出来上がっていく体。四肢が出来上がり伸びていくと同時に立ち辛くなり、自然の流れのように四足となっていく。
 女性であるみなもにとって、一番の違和感は恐らく乳房の部分だっただろう。人間などは乳房は一対のみだが、牛は四つの乳房を持つ。これは体にある脂肪が新しい乳房を象り、その中に新しい乳腺等を作成することで補われた。
 また馬のときに一番違和感を感じた首及び顔は、馬ほど長くはないためそれほどのものはなかった。とはいえ人間に比べれば当然口腔等が伸びるため、やはり依然として違和感は残していたが。
 こうして、みなも自身拍子抜けするほどあっさりと牛への擬態が完了したのだった。

「……」
 鏡に映った自分の体は、確かに牛で。当然人間の体をベースとしているため尺や人の顔と牛の顔が混ざった頭等おかしな部分は多かった。が、それでも見事なまでに化けたものだと感心する。
 声をあげてみれば、しっかりと声帯も作り直されているらしく牛らしい低くて伸びやかなあの鳴き声があがった。

「おー…本当に牛だねぇ」
 店の奥からあらわれた人牛、もといみなもの姿を見て蓮が感嘆の声を上げる。若干ぎこちない姿に多少の苦笑が漏れたのは仕方のないことだろう。
 しげしげとその姿を暫く眺め、屈み込んである部分を確認する。
「?」
 みなもが軽く首を傾げていると、暫くして蓮が立ち上がりその頭を撫でた。
「牛になれたら、ちゃんと『機能』を確認してくれって言われててねぇ」
 その顔に浮かんだのは、少しばつの悪そうなものだった。蓮にしては珍しいものだ。
 みなもがまた首を傾げる。擬態が完了した時点でその機能は確認できているのでは、と。
「言っただろ、特手の生産能力を持ったものだ、って」
 牛で生産するものといえば。肉牛であれば牛肉。では、乳牛なら?
「!?」
 それを理解した瞬間、みなもの顔が目に見えて赤くなる。当然といえば当然だろう、まだ中学生なのだし。
 しかし、蓮としてはそれをしないわけにもいかないらしく、やはり罰の悪そうな顔でみなもの首に手を回す。



※以下その状況をイメージ会話にしてみたので勝手にご想像ください(なおみなもは牛状態のため人間の言語を発音できないため、あくまでイメージです)

「あの、蓮さん……こんなの、駄目、です」
「大丈夫、あたしに任せな……優しくしてやるから」
「ぁ……ッ」
「一杯出てるよみなも……」





◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「酷い、です」
 こんなことをされるとは想像もしていなかったみなもは、元の姿に戻った後部屋の隅っこで膝を抱えしゃがみこんでいた。まだ顔や首筋が真っ赤なのは、相当恥ずかしかった証拠なのだろう。
「悪い悪い。けど全部確認できたし、クライアントも満足だろうさ」
 その言葉にみなもが顔を上げた。これを作った人物は一体どのような人なのだろうか、と。
 もっとも一つだけ分かっていることはある。面倒くさがり屋だということだけは確かだ。蓮自身そう認めていたし。

 なおその魔法使いがお礼としてみなもにそのスライムをプレゼントすると言っていたらしいのだが、それはみなもが丁重に辞退した。
 既に彼女の中には『彼』がいるのだし、それにもうあんな恥ずかしい思いはしたくないから、というのが理由だ。こればかりは蓮もよく分かっているのか、後で返しておくということになった。
 ちなみにあのスライムは、すんなりとみなもの体から抜け出しまたあの箱の中へと戻っていった。着脱も自在と考えれば、『彼』よりも確かに道具らしい道具だったかもしれない。



 その帰り道、みなもはすっかり日が暮れた空を見上げながら考えていた。
 あの服。機能を限定しているとは言え、しっかりとした道具であることは確かだった。もしあれが量産されることになったら、それこそ人を集めるだけで乳牛の牧場などは必要がなくなるのではないだろうか。
 確かに牛を育てる手間もなくなるし、便利といえば便利なのかもしれない。しかし、それでは問題が出るのも確かだ。
 それに、人を家畜のように扱うようになるのもどうなのだろうか?
 と、そこまで考えて、自然に思考が人間>家畜という風になっていることにみなもは気がついた。
 確かにそれはそれで人間の価値観としては間違いはないかもしれない。しかし、生物として考えたら……?
 止め処なく色々な思考が頭を駆け巡っていく。今日はどうも調子がおかしい。
「世の中、分からないことばかりですね……」
 それは全くその通りで。彼女がそれらに答えを出すのは、まだまだ先になることだろう。
 難しいことを考えすぎた。みなもは少し頭を振り、前を向いた。
「疲れました」
 早く帰って寝よう。『彼』と一緒の睡眠時間はとても気持ちがいいから。
 そんなことを考えて、みなもはその足を少し速めたのだった。





<END>