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幻影浄土〜還らぬ夜の星を抱いて〜
「こちらでお待ちください」
学生服を着た少年に寺の奥まで通されて、そこで御巫・楓耶 (みかなぎ・ふうや)は座して待った。これから楓耶の前に出てくるのは、この寺の住職か縁者かであろうと思ったが――正直、楓耶にはこの寺に呼び出される憶えはなかった。
王禅寺、と言っただろうか……と、楓耶は記憶を探る。楓耶個人はもちろんだったが、御巫の家と繋がる縁の中にも、この寺の名はなかった。
御巫の家は、表立てぬ生業の旧い名家だ。繋がりということでは、様々な権力と知識と人脈と繋がっている。
その若き当主たる楓耶をじきじきに指名して、呼び出しをかけてくるというのは、本来非常識な話である。しかも信頼できる人を介してというのでもなく、それはただ本当に何の変哲もない手紙でだった。
手紙の内容も、あまり意の汲み取れるものではなかった。
――お預かりしている品がございます。
一言で要約したなら、そういう内容だと言えただろう。
名前だけの家ではないのだから、弟子も使用人もいる。見も知らぬ寺に楓耶が出向くなど、本来ありえない。
それなのに。
何故か、楓耶はここに来ることにした。
何故なのかは、楓耶自身も良くわからなかった。
いつの間にか訪れる流れになってしまった……と言うべきだろうか。
ふと、庭を見遣る。
美しく手入れされた庭園は、人の手を感じさせる。だが、それだけだ。何の変哲もない。
あの手紙も美しい跡であったけれど、何の変哲もないものだった。調べさせたので間違いはない。
そこに、呪はなかった。
けれど。
王禅寺のことも調べさせた。これも何の変哲もない寺だった。地味すぎて、調べるのにも苦労するほどで、有名とは言い難かった……そして何か隠し立てすることもなく『お祓い』をしている。
お祓いくらいならば、どこの寺でもやっているかもしれない。霊験あらたかと評判でもない。
ただ裏家業の縁の中にも王禅寺を知っていると言う者は、多くはないけれどいくらかいて。王禅寺のお祓いが、本物であることの証言が取れた。
本物であれば、本物なりの縁がある。
それが御巫の家に、楓耶に手紙を送ってくるようなことに繋がったのだろうと……さて、つらつらと思ってはみたものの、それが真実かはわからなかった。
ぼんやりとしているうちに、人影が廊下に射した。
それは先ほどの少年で、住職の姿はなかった。
「おまたせしました」
まるで少年はこの寺の主のように、畳に膝を突いた。
「先ほどは名乗りもせずに失礼しました。王禅寺万夜と申します。ここの住職の孫……で、見習いをしています。本日はお運びいただいて、ありがとうございました……ええと、不躾にお呼び出しして、すみませんでした」
さらさらと少年……万夜が語るのを、楓耶は酷く奇妙な気分で聞いていた。どこからかと言えば、万夜が名乗った辺りからである。
その名を、楓耶は憶えていた。
手紙の差出人の名であったからだ。
住職の名ではないのもわかっていたが……なにしろ寺の名と同じ姓である。まだ中学生かというような子どもの名だとは、思ってもみなかったのだ。
……虚を突かれた。
子どもに、呼び出されたのだとは。
差出人のことを調べさせなかったわけではなかった。だが年齢までは聞かなかった。
「預かっている品があると、手紙にはありましたが……共通の知人は、いないと思うのですけれど。誰から」
「ああ、ええと……誰からというわけではないのです」
「どういうことです?」
「うちには色々いわく付きの品物がたどり着くので」
それは、その中の一つであると万夜は告げた。手元には布張りの箱が一つ。
差し出されたそれを受け取り、開ければ、その中には指輪とネクタイピンが並んで納められていた。箱はあつらえたものではないだろう。
指輪には深く細かな金の星の輝く青い石が填まっていて、ネクタイピンにはその細い身に同じ石が貼られている。
ラピスラズリ……だろうか。
吸い込まれるような、青。
その貴石には見覚えがあった。
はるかな昔の記憶の中に、それはあった。
かつてそれを見た時には、その石が何なのかは知らなかった。
それは……遠い昔、まだ楓耶の傍らに母がいた時のこと。
その指に、この石はあった。
同じ石だ。
――まったく同じ石だと、楓耶は気づいた。
これは優しく微笑んでいた母の指にあった青い石。
そしてネクタイピンは、その傍らで寡黙に立っていた男の胸にあったものだ。
当時には、それが揃いのものだとは気づかなかった気がする。
ただ二人の身に、それがあったことだけは憶えている。
それは楓耶の、ほんの幼い時にある記憶――
「楓耶」
儚く優しい声が楓耶を呼ぶ。
どこだったのかは憶えていない。花畑のような、草原のような……どこかの、別荘だったのだろうか。
呼ばれた方に振り向けば、白い日傘の下に優しい顔が微笑んでいた。しゃがんで差し出された片手を求めるように走り寄る。
「あ」
けれどその手にたどりつく、その直前に草に足を取られて滑り……転びかけ。
だが、地面に倒れこむことはなかった。母の後ろに立つ逞しい影が、その腕を伸ばして楓耶を支えたからだ。
「楓耶、大丈夫?」
心配そうな母の声。
頷けば、また、母はほっと微笑んで。
「――楓耶、お礼を言わないの?」
おじちゃんに。助けてくれたのよ……母がそう言った時、楓耶を腕に抱え支えていた彼はどこか寂しげに見えた。
「ありがとう、おじちゃん」
「……どう、いたしまして」
その時には知らなかった。
母の影のように常に共にいたボディガードの男性が、楓耶が「おじちゃん」と呼ぶ時に寂しげな表情を見せていた理由を。
聞かされても、理解はできなかったかもしれない。
ただ、幼い楓耶は彼が好きだった……母と同じくらい。
具体的な理由などはない。
多分、優しかったから。
「おとうさん、よ」
「……おとうさん?」
父親が別にいることは知っていた。
会うことも滅多になかったから、その頃既に、自分の父に対しては朧げな……嫌悪に近い何かしか感じてはいなかったけれど。
しかし、だから、彼を父と呼ぶように言う母には、ひどく戸惑った記憶がある。
「おとうさんと……呼んであげて」
それは星の瞬く夜のことだった。
どこであったのかは、やはり憶えていない。
「……おとうさん」
彼の笑顔を見たのは、もしかしたらその時が初めてだったかもしれなかった。
その嬉しそうな笑顔を、忘れられない。そして楓耶は、それ以外にははっきりと彼の笑顔を憶えていない。
いつも彼は優しかったけれど、寂しそうだった。
「――ありがとう、楓耶」
それを言ったのは、母だったのか、彼だったのか……それすらも曖昧な、記憶の向こう。
長く車で走ってきて、わずかな休憩の時間だった。
ただ闇ではない深い青に輝く、満天の金の星を見上げて。
それは――母の手にあった、石のように。彼の胸にあった石のように。
彼が楓耶の本当の父親であったことを、今ならば理解できている。
だから、すべての理由も知っている。
罪の子であると言うのならば、そうなのだろう。
「――楓耶!」
その記憶の最後は、母の悲鳴で終わっている。
「楓耶だけは……!」
彼はとうに息絶えていた。
母も……それがきっと、最期の言葉だった。
――楓耶を連れて行かなければ、逃げ切れたのかもしれない。
二人だけならば、逃げ切れたのかもしれない。
楓耶を連れて行ったから、追撃の手は厳しさを増したのだろうと。
楓耶の戸籍上の父である男は、多分、楓耶を実の子と信じていたのだろうから……でなければ、生かしておく意味はあるまい。自分の子でないのなら。妻を奪った男の子だと、思っていたのなら。
二人だけならば……楓耶を捨てていったのなら。
二人は今も生きていただろうか。
もはや、それは巻き戻すことはできぬ過去の仮定であるけれど……
「御巫さん」
万夜に呼ばれて、楓耶は追憶から戻ってきた。
頬に伝うものを感じて、楓耶はそっとそこに触れた。
そして、苦笑いを浮かべる。
ただ一筋でも、今の楓耶が涙するなどとは思わなかったからだ。
――現実の二人は楓耶を連れて逃げて、そして御巫の家の追っ手に殺された。
それは御巫の当主への……楓耶を我が子として取り返した男への、憎しみを楓耶に刻みつけ。
そして、今に至っている。
憎い相手は、もういない。
青い石の填まった指輪をネクタイピンを持つ手が、真っ赤に染まっている……そんな幻視をして……楓耶は微かに笑った。
これで良かったのだと思う。
あの二人に、自分を捨てていったと憎しみが向かわずに済んだのだから。
逃げ切れぬと半ば知りながら、それでも楓耶を連れて行った二人だから……記憶の中の二人は、穏やかで、優しい。
二人と共にいる記憶は、だから優しい。
だから。
この涙は、その優しさへの追悼。
「これは、確かに知人の持ち物でした」
そう言って楓耶は、箱の蓋を閉めた。
「いったいどこをどう辿って、ここに流れついたのかはわかりませんが」
「……お邪魔でなければ、お持ち帰りください。貴方が持っているのが、良いと思います」
その蓋を、再び開ける日が来るならば……と。
「これを持つには、俺は相応しくないかもしれませんが」
時は流れ、子どもは大人になった。
無垢ではいられないままに。
「それでも……」
二人の魂は無条件に自分を許してくれるのだろうかという言葉を飲み込んで、楓耶は還らぬ夜の石たちを懐に抱いた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【8124 / 御巫・楓耶 (みかなぎ・ふうや) / 男性 / 22歳 / 御巫家当主】
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■ ライター通信 ■
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ご参加ありがとうございました〜。ここから始まりということで、楓耶さんの過去について書かせていただいて、ちょっと緊張しました。
まとめて一つにしようかとも思ったのですが、アイテムは二つに分けました。
もし次がありましたら、よろしくお願いします。
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