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<東京怪談ノベル(シングル)>


     神遊(かむあそび)の夜祭り 〜神女となりて身を尽くす〜

 月光の降り注ぐ中、太鼓と笛の音が鳴り響く。
 それに合わせ、扇を手にした少女が厳かに舞い踊る。
 白衣に緋袴の上に千早を羽織った正装姿。長く艶やかな青髪は水引で結わえられ、頭部には前天冠(まえてんがん)という冠が乗せられている。
 まだ幼い顔に化粧を施され、奇妙な色気をかもし出していた。
人々は、その愛らしくも美しい姿に釘付けになっているが、その舞は彼らのために行われているわけではない。
神に捧げるための舞。祭りとは、神を祀るためのもの。巫(かんなぎ)とは、神を和(な)ぐためのものだから――。


「……一夜妻?」
 その言葉に、みなもは目を丸くした。
「あ、いや。正確には一時上臈(いっときじょうろう)とか、一夜官女(ひとよかんじょ)と言ってね。一晩、神様のお世話させていただくだけだ。もちろん、危険なことはない」
 神官は慌てた様子で取り繕う。
 十三歳の少女にそんなことを強要したともなれば大問題だ。焦るのも無理もない。
「何をすればいいんですか?」
「祈りを捧げる。と言いたいところだけど、あまり難しく考えることはないよ。ほら、神様はここに来て間もないだろう。だから寂しくないようお傍について、気を紛らわせてくれるだけでいいんだ」
 そう、神様が家移りをする際、みなもも協力した。
 神懸りを行い、櫛を使った術でその身体を馬に変化させ、その背に神様を乗せたのだ。
「寂しくないようにって……だけど、その日って夏祭りがあるんですよね?」
 十分賑やかだと思うけど、とみなもは首を傾げる。
「そのお祭りっていうのは、なんていうか、元々この土地にある、氏神様を祀るものでね。だから――」
 つまり、せっかく越してきたのに自分ではなく他の神様の祭りをされて独りぼっちになる……寂しがるどころか、ともすれば怒りかねない神様をなだめ、鎮めてくれということなのだろう。
「氏神様は御神輿に乗せて町内をまわった後、神楽殿で舞と音楽を奉納。そのまま一晩お祀りするから、その間に神殿でおもてなしをして欲しいんだ。いつもお社じゃ窮屈だろうから……」
 山の上にあったボロボロのお社から新しい神社に引越したとはいえ、主祭神は他にいるため、ほとんど間借りをしているような状態らしい。
 とはいえ、新しい神様を雑に扱うこともできず困っているのだろう。
 ――あの神様、怒らせると怖そうだったしなぁ。
 みなもはぼんやりと目にした神様の姿を……白いモヤの形作った狼を思い出す。
 それにしても、一晩神様と対峙するなんて、そんなことが可能なのだろうか。
 話ができる相手なのかどうかもわからない。
 とはいえ……夏休み最終。その時期にバイトを含めた用事がぽっかりと空いているのも、きっと何かの――おそらくは神様の、意志によるものなのだろう。
「わかりました。……あたしに、務まるかどうかわかりませんけど」
「そうか、やってくれるか、ありがとう! いや、君なら全然大丈夫だよ。きっと神様も喜んでくださるとも」
 控えめにうなずくみなもの手を、神官を強く握り締めて感激した。
 怖がらずに接することができるのも、いざというとき鎮められることができるのも、みなも以外にはいないだろうと考えていたのだろう、断られずにすんで心底ほっとしているようだった。
 そうして……みなもは急遽、神楽(かぐら)の舞を覚えることになった。
 氏神様と、新しくやってきた神様と、双方に捧げる舞を。
 

 舞の奉納が終わると、みなもは一人、神殿へと向かった。
 神殿というのは通常の拝殿――手を合わせて拝む場所の、更に奥にそびえる建物で、通常は入ることの許されない神域である。
 けれどこの一夜限り、みなもは神の嫁となる。その特別な場所へ、入ることができるのだ。
 神官の案内は、途中まで。雅楽の奉納がまだ続いているのが、遠くに聞こえる。
 神殿の中に入ると、空気がヒヤリとしているように思えた。
 ほんのり汗ばんだ装束が、寒く感じるくらいに。
 更に奥に進むと、雅楽も祭りのざわめきも、届かなくなる。
 深淵の闇に篝火(かがりび)が揺らめき、一歩一歩、踏みしめる足音が妙に大きく聞こえた。
 みなもは頼りない燭台を手にして、神殿の中へと入っていった。
 中には祭壇が組まれ、榊や御饌(みけ)――お神酒(みき)、水に塩、餅や魚、野菜や果物などのご馳走――を供えられている。
 それが、ぼんやりとした灯火の中に浮き上がっている。
 暗く、静謐な場所。
 この場で一人、夜を過ごすのは恐ろしいように思えた。
 そのとき――ぼんやりとした白いモヤが現れ、それがゆっくりと犬のような……いや、狼の姿を形作る。
 白い狼だ。ゆらめくような白い光を放つ狼、大口真神(おおくちのまかみ)が、四本の足で立ち、真っ直ぐにみなもを見つめていた。
 畏(おそ)れはあったが、それは通常の恐怖とは異なるものだった。
 ただ尊いものと対面し、それを見続けるのも、また目をそらすのも失礼ではないかと思えたのだ。
「――先だっては、世話になったな」
 ……しゃ、しゃべった。
 しゃがれたような声に、みなもは一瞬、どう答えるべきかと迷ってしまった。
「その後、異変はないか」
「あ、はい。大丈夫……です」
 見た目の割りに、意外と気さくというか、親切な神様だ。
「あたしの方こそ、ありがとうございます」
「我は何もしていない」
「だけど……助けて、くれましたよね?」
「知らんな。ここの氏神のしたことだろう」
 答えると、白い狼はごろんと横になり、みなもの膝に頭を乗せた。
「一応、呼んだのは我だがな。我の力は弱っておるのだ。人間どもは祀ろうとせんし、山からは引き離されるし」
 そのままの体勢で、ぶちぶちと文句をたれる。
「力があれば、氏神の祭りなどぶち壊してくれるのに……」
「そ、それは駄目です!」
「冗談だ」
 慌てて声をあげるみなもに、あっさりと答える狼。
「ただ社を壊されただけなら祟りもするがな。代わりの社を用意し、機嫌を損ねぬよう、我のための巫女まで用意する。その意を汲まぬほど、狭い心は持たんぞ」
 大きな口をあけて、かかか、と笑う。
「舞も中々だった。お前はきっと、さぞかし美味かろうな」
 パッと頭をあげると、狼は立ち上がった。
 大きく裂けた口から赤い舌を垂らし、みなもを見る。
「美味……って?」
 みなもの顔色が、さっと青ざめた。
 まさか。危険はないと、一晩だけお世話をするのだと、そう言っていたはずなのに。
 ――神様のお嫁さんって、もしかして、生贄のこと……?
 身体を硬直させつつも、じりじりと後ろに下がる。
「何を緊張しておる」
「あの、だって」
「案ずることはない。手の平を出せ」
 わけのわからない要望に、みなもは恐る恐る手を差し出した。
 すると、手の平をぺろりとなめられる。
「ひゃっ?」
「うむ、美味なり」
「な、何なんですか?」
「力を少し、もらっただけだ。巫女は神を宿し、神を鎮め、そして、力を与えてくれる。今ではそれができるものも少ないようだがな」
 みなもにはよくわからないのだが、どうやら満足してくれているらしい。
 もう一度膝の上に頭を預けてくる狼の頭を、みなもはそっと撫でてみた。
「……一時上臈って、そうやって力を与えることをいうんですね」
「うん? そうとも限らんぞ。要は人身御供(ひとみごくう)だからな。食らおうが犯そうが、こちらの勝手だ」
 当然のごとく口にされた言葉に、みなもはまたしても固まってしまう。
 ざぁっと、血の気が引くのがわかった。
「安心しろ。我はお前が気に入っている。会えなくなるような真似はせん」
 ――あ、安心できない……。
 そうつぶやきたかったが、言葉にはならなかった。
「氏神もお前を気に入っているようだがな、今夜はこの神殿もお前も、我のものだ。信仰心の薄いものどもに派手に祭り騒ぎをされるより、どれほどよいか知れん。きっと今頃、悔しがっておるだろうよ」
 まるで子供のように、勝ち誇る。
 何て正直で、邪気のない。
 みなもは呆れつつも、思わず笑みを浮かべていた。
 自分を助けてくれた神様が、この大口真神にみなもを奪われたと、悔しがっているだなんて。想像すると、微笑ましくて。
 やがて蝋燭の炎が尽きてしまっても、狼の発する淡い光のおかげで暗闇にはならなかったし、怖いとも思わなかった。
 色々お話をしながら、餅や果物をいただいたりして。舞を所望されてはまた、踊ってみせたりと。
 二人きりの楽しい宴は、夜明けまで続くのだった――。


              END