コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


【呼ばわる相手】

広い水槽の中、手足を曲げて眠る黒髪の少女を引き上げる手があった。
喉の左右に鰓を持ち、背には濡れぼそる白い翼。様態は人間の大多数からは逸脱していたが、浮力によって漂う長い黒髪は少女に幽玄の美を与えていた。
少女を引き上げた手が、脇に置かれたケースを撫でる。
「もうすぐここから出してあげるからね」
黒髪の少女は、『彼女』のための器。
ケースに向かってそう言うと、彼女は眠る少女の前髪に鋏を入れた。

数時間後、「何なのよー!」という目覚めた少女の元気すぎる第一声に対し、髪一筋ほどの動揺も見せず彼女は自らの名を名乗る。
「鍵屋智子よ。気分はどう?」

――私の人形姫。



「こんな場所に棄てるだなんて、ほんと理解できないわ」
少女特有の澄んだ声が、至る所に詰まれた廃物の山にぶつかって消える。
その反響が思ったよりも耳につき、声の主、鍵屋智子はほとんど反射的に自らの口元へ手をやった。
実際は思ったほど大きな声ではなかったのだが、鍵屋にそのような仕草をさせたのはこの場所のせいだ。
人気のまるで感じられない、時間に置いていかれたものだけが存在する空間。
ずばり廃墟である。
当然そうと知った上で訪れた鍵屋は、それにふさわしい装備を携えている。
黒髪は不用意に引っ掛けないようにと一つにまとめられ、人目を避けての探索であることを示すように、各所にポケットのついた暗色の服を着ている。光源が乏しい事を見越して持ってきた懐中電灯を持つ手には手袋がはめられ、荒れた場所でも大丈夫なようにと履かれた安全靴は、砂と埃と細かに砕かれた瓦礫を踏みしだく。常の彼女の面影を留めるのは、わずかに光を弾いて存在を主張するモノクルだけ。
そんな鍵屋が朽ちていくだけの無機物達の墓地に来た目的は、ここにいる筈の『もの』。

とある生体兵器の制御中枢として組み込まれていた、人間の脳。

そもそもは某国が巨大な妖怪、巨大戦艦タイプを兵器に使う事を思いついたのがきっかけだった。
その技術がテロ組織に渡り実際に製造されてしまい、しかし間一髪でIO2がそれを押収し封印した。
問題はここからで、テロ組織が製造した完成品には厄介な設計がされていたのだ。
兵器の制御には人間の心が必要で、したがって材料として組織は強力な霊能者である三島玲奈という少女に目をつけ誘拐していた。
そして彼女の脳を中枢部に組み込んだのだ。
当人の同意などかけらもない、生身の人間の脳を生きたまま、である。
当然扱いに困ったIO2は兵器の封印の際、捜査資料作成後にまず中枢部を破棄した。……ここで何故処分ではなく破棄という選択になるのか、感情で考えたなら判りやすいだろう。
要するに脳だけになった被害者を『殺す』のは嫌だったのだ。
それを聞いた時、鍵屋の中に形容しがたいもやが湧いた。
積極的に殺さないから良いという問題ではない。三島玲奈はまだ生きている。
拉致されて肉体を失った哀れな少女の人格と魂は生きているのだ。
厄介者を視界の外に追いやりたいだけとしか思えない――その考えに至った時、鍵屋は動いた。
そして今、目の前にはガラスケースの中に浮かぶ灰色で皺だらけの肉塊がある。
鍵屋は携えた測定器を当てて頷いた。
「強力な霊力だわ……神の域ね。貴方はここに置いてちゃいけない子よ」
周囲を見回し、おもむろに赤子を抱くようにガラスケースを抱いた鍵屋は、廃物の山から数歩離れた所でくるりと身をひるがえし全力疾走でその場を去った。



(うーん、間違ってなかったわね、私の判断)
鍵屋は自分のカップに口をつけつつ向かいにさりげなく視線をやった。
追想の引き金になったのは玲奈と自分の前に置かれているケーキセットだった。紅茶とイチゴショートという何の変哲もないメニューだが、それに刺激されたのだ。
玲奈はおいしそうに物を食べる。
とても廃墟の中でガラスケースに浮かんだまま朽ちていくばかりだったとは思えないほどに、生き生きと。
鍵屋はあるIO2職員のクローンに玲奈の脳を移植する事で復活させるという形をとったのだが、脳というのは最もデリケートな部位だけに、覚醒後にすさまじいまでの抗議をされてすら、その姿に十全の復活を遂げた事が見て取れて実に喜ばしかった。
残る課題は精神面のケアだったが、確かに目覚めたら姿がまるっきり変わっていましたとなれば普通の女子高生なら相応のショックを受ける。
彼女が個として安定するためにもショックの緩和は最優先課題でもあり、そこで持ち出した筋書きが、
「貴方は人類の危機を救う為に周囲の説得に屈して天使になったのよ」
である。
後はもう口八丁手八丁、詭弁上等で押し流し。
若干十四歳にして既に学会の論壇で集中攻撃を受けてきた経験を持つ鍵屋にとって、市井の十六歳女子高生を丸め込むなど壇上での孤独な戦いに比べたら遥かにたやすい。
なんだかんだとうやむやの内に、第二の人生を謳歌しようという方向へ持っていった鍵屋は、その後なにくれとなく玲奈の世話を焼いた。
最初はそれこそ翼や鰓をカモフラージュできるようにとの名目でのほとんど着せ替え人形的な服選びや、自分の髪は棚に上げて玲奈の長い髪をさまざまに結って好みの髪形を見つけるなどだったが(「マネキンはどんな服も髪型も似合う究極の美人だからねぇ」とさらっと言った事も)、やがてその『世話』の内包するものは変化していく。
意識が明らかに変わってきたのは、特に翼を持つせいで起きるいろんな生活上の不具合――たとえば眠る時に背中で翼を潰してしまうからうっかり寝返りを打って仰向けにもなれないなど――に対処した時だっただろうか。
当事者と研究者、二人で相談しあいながら解決し解消していく。
その空間は一人では成り立たなかった。

私の人形姫。

その筈だった。
けれど。
「割と豪快に食べるわね、貴方」
「訓練の後って甘いもの欲しくなるの知ってるでしょ? それにここのケーキおいしーんだもん♪」
「当然よ。私が見つけたんだから」
打てば響く、呼べば応える、その相手は人形ではないだろう。
誰かが自分のプライベートスペースの内側にいる。その状態が当たり前になった事を自覚した時、鍵屋は一連の自分の行動にすとんと納得がいった。

私は、『こう』したかったのだ。

ぱく、と口に運ぶショートケーキは甘くて柔らかい。その感覚はさして遠くない記憶に直結する。
ある日料理好きの玲奈がリハビリと称してイチゴショートを作った事があった。変わらず自分の味が作れたのだと、嬉しそうに自分に振舞ったのだ。
今なら何故料理を得意としている彼女がケーキ一つでそうだったのかが判る。
記憶の味を保持できているということは、平穏な過去と今の自分が断絶していないという事だからだ。
それが判る位には、玲奈との心の距離が近くなった。
それが心地いい。
自分を認めなかった無礼な科学者達には、判らせてやるという敵愾心しか持ちえないが、玲奈に対してはその類の思考が向かない。
双方向で、もっと細やかに、自分の思うものも彼女に理解されればいいと思う。
そのための努力は、きっと苦にはなりえない。

親友を得たいという渇望を満たしていくのは、まさしくそうやって共にいる時間なのだろうから。


〔終わり〕