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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


ティレイラのお留守番

 ある日の昼下がり。
 シリューナ・リュクテイアの魔法薬屋の奥からは、掃除機の排気音と共に、少女の楽しげな鼻歌が響いていた。歌っているのは、ファルス・ティレイラだ。
 本日、薬屋の主は、日用品と薬の材料の買出しのため、留守をしている。
 そしてティレイラは、その間の留守番を任されたのだった。
 最初ははりきって店番をしていた彼女だが、さほど頻繁に客が来る店でもないため、少し退屈になり始め――やがて思いついて、掃除を始めたというわけだ。
 店内の方は、薬の瓶などを壊したりするといけないので、ざっとハタキで埃を払ったり床を掃いてモップをかけた程度だったが、奥の居住区ならば大丈夫とばかりに、さっきから熱心に廊下に掃除機をかけている。
 と。ふいに鼻歌が止まった。小さく目をしばたたくと、彼女は目の前のドアを見やる。
 そこは、シリューナの魔法実験室だった。異空間とつなげているため、日ごろから開閉にはずいぶん気を遣っていたはずが、ドアが半開きになっている。
 ティレイラは、掃除機のスイッチを切ると、それを置いてそっとそちらへ歩み寄った。
「普段はあんなに気を遣っているのに……お姉さまったら、閉め忘れて行くなんて、よほど慌てていたんですね」
 小さく笑って呟くと、彼女はドアを閉めようとして、ふと手を止める。
「あ……。もしかして、ここもお掃除しておいた方が、いいんでしょうか」
 異空間とつながっているだけではなく、さまざまな魔法道具や薬品が置かれているため、一人の時には入らない方がいいと言われている部屋だ。とはいえ、まったく足を踏み入れたことがないわけでもない。
 少し迷った末に彼女は、ざっと掃除機をかけるぐらいならいいだろうと判断した。
 廊下に置いた掃除機を手にすると、彼女は半開きのドアを押し開けて、魔法実験室の中へと足を踏み入れる。
 そして、思わず彼女は目をしばたたいた。
 そこには、どこか荒涼とした風景が広がっていたからだ。
「え?」
 きょとんとして、彼女は思わずあたりを見回す。
 そこは石造りの高台で、足元は白っぽいレンガを組んだ床になっていた。だが、屋根はなく、同じくレンガで組まれた柱らしいものが何本か、ぽつぽつと立っている。柱にも床にもつる草が生い茂り、ここが廃墟らしいと見る者に教えてくれる。
 その高台から見えるのも、白っぽい岩山ばかりがつらなる眺めで、ところどころにごくわずかな緑が見えるばかりだ。夕暮れ時なのか、あたりを包む光は陰りを帯びて黄色っぽく、そんな中を風が悲しげな音を立てて渡って行く。
「ここって……」
 最初は驚いていたティレイラも、すぐに好奇に目を光らせながら、あたりを見回した。
「すごいです……! こんな風景、今まで見たことがありません!」
 小さく叫んで、床に掃除機を下ろすと、そのまま数歩前へと進み出る。
 手前には、わずかに朽ちた、これもレンガで組まれた手すりがあって、そこから身を乗り出せばあたりが眺望できるようになっていた。
「うわあ……」
 彼女は低い叫びを上げて、そこからの眺めに目を見張る。
 冷たい風が、彼女の長い髪をなびかせ、耳元でうなった。
 彼女は、しばしの間、そこからの眺めに酔い痴れる。
 だが、ややあって、ようやく首をかしげた。
「それにしても、どうしていつもと違う空間につながっているんでしょう?」
 その時だった。
 耳をつんざくような鋭い声と共に、鳥とおぼしき物体が彼女めがけて突進して来たのだ。
「きゃっ!」
 思わず叫び声を上げながらも、彼女は身をかわす。そのまま、ふり返った彼女が見たものは、体はトカゲのようだが頭と足は雄鶏で、背中にはコウモリの翼を持つ奇怪な姿の怪物だった。コカトリスと呼ばれる、伝説上の化け物である。
 とはいえ、ここが異空間の一つである以上、そうしたものが実在していてもおかしくはない。それにそもそも、ティレイラ自身が竜族なのだ。
 コカトリスは、あきらかにティレイラを獲物と定めたようだった。
 一度はかわされたものの、再び鋭い声を上げながら、彼女に襲いかかって来る。
「いや〜ん!」
 ティレイラはどうしていいかわからず、ただ両手で頭をかばうようにして、その場にしゃがみ込んだ。その頭上、頭すれすれの位置をコカトリスが凄まじい速さで、通り過ぎて行く。そして、途中で旋回するとみたび彼女を襲撃する。
「いや〜! 来ないで〜!」
 叫びながら、ティレイラはとっさにそちらに向けて、火の魔法を放っていた。
 無意識に彼女が向けた手のひらから、炎の塊が生み出され、それがコカトリスめがけて突進する。
 たちまち、コカトリスの体は炎に包まれた。凄まじい叫び声を上げながら、コカトリスが空中でもがく。その体から大量に舞い落ちるのは、頭部を包む鳥の羽根だった。それらもほとんどが途中で火に包まれるため、あたりにはしばし火の粉が舞い踊る、どこか幻想的な光景が繰り広げられる。
 だが、ほどなく全てが消えた。
 コカトリスの体は黒こげの炭の塊と化して、石の床の上へと落ちる。
 ふいに静けさが戻ったことに気づいて、ティレイラはようやく身を起こした。恐々と立ち上がり、黒こげのコカトリスの残骸を軽く目を見張って、見下ろす。
「これ……私がやったんです……よね? 私……魔法で、コカトリスを倒したんですね……」
 思わず呟いた自分の声に、ようやく彼女は目の前にあるものが現実だと理解した。じわじわと、勝利の喜びが胸に湧き上がって来る。
「すごいです……! 私、自分一人だけで、しかも魔法で、襲って来るコカトリスを倒すことができたんですね! お姉さまが戻ったら、さっそく報告です!」
 両手を胸の前で組み合わせると、楽しげに飛びはねながら、声を上げる。
 だが。不用意に動いたのが、間違いだった。
「あ……ら?」
 こうなったら、早くこの異空間を出ようと、後ろに見えているドアの方に歩きかけて、彼女は目をしばたたいた。どうしたことか、足が動かない。
「ど、どうしたんでしょう?」
 首をかしげつつ、自分の足元を見てみれば。
「え? ええっ!」
 動かないのも道理。彼女の足は、くるぶしのあたりまでが、石と化していた。
「ど、どうして?」
 石化の魔法を発動するようなものなど、なかったはずだ――と呟きかけて、彼女は自分の足が踏んでいるものに気づく。それは、小さな白い、おそらくは鶏の羽根。そう。あのコカトリスの体から抜け落ちたものだ。
 コカトリスは、その体に石化の魔法を帯びている。
 昔から、声を聞いたら石になるとか、触れると石になるとか言われていた。
 ティレイラが遭遇したのはきっと、後者だったのだろう。
「え? 嘘……! そんな……!」
 彼女は焦って支離滅裂なことを叫びつつ、なんとか足を動かそうとするものの、石と化したものが動くはずもない。しかも石化は、次第に彼女の全身へと及び始めていた。今はすでに、膝のあたりまでが石だ。
「いや〜ん。これって、どうすれば……」
 とうとう彼女は、半泣きになる。だがもちろん、それで状況がどうにかなるはずもなかった。

 その同じころ。
 シリューナは買出しを終えて、魔法薬屋に戻ったところだった。
 しかし。留守番を任せたはずのティレイラの姿が、どこにも見当たらない。
(まさか……)
 わずかに嫌な予感を覚えつつ、彼女は魔法実験室へと向かった。
 ドアを開けるなり、彼女は自分の予感がはずれていなかったことを悟る。同時に、見覚えのない風景と、石の床にころがっている炭化した鳥らしきもの、石化しかけているティレイラとその足が踏んでいる鳥の羽根から、瞬時に状況を把握した。
(実験室につなげた異空間が、なんらかの誤作動で別の空間へと移動し、そこへ入り込んだティレがそこの生物に襲われ、倒したはいいものの、その生物の持っていた魔力で石化しかかっている……といったところか。その生物とはおそらく、あの羽根と石化能力からしてコカトリス……。にしても、いつもながらに詰めが甘いな、ティレも)
 そんなことを胸に呟く彼女の姿を、ティレイラも見つけたようだ。
「お姉さま! 助けて下さい。このままじゃ、私、石になってしまいます!」
 泣きべそをかきつつも、笑顔が浮かんでいるのは、これで助かると思っているからだろう。
(やれやれ。しようのない。……だが、その詰めの甘さの罰として、しばし私を楽しませてもらおう)
 胸に呟くとシリューナは、さほど急ぐでもない足取りで、ティレイラの傍へと歩み寄った。そのころには、すでに彼女は胸のあたりまで石と化していた。それでも、シリューナを見るなり、安堵の笑顔を漏らす。
「お姉さま」
 だが、シリューナは黙って彼女の体を両手で抱えると、そのままドアへと向かった。
「お姉さま、魔法を解いて下さるのじゃないんですか?」
 驚いたように訴えるティレイラに、シリューナは答えなかった。
「え? じゃあ、これってどうすれば……。えい……! やっ……!」
 それをどう取ったのか、ティレイラは必死に体をねじったり、まだ少しは自由になる両手をばたばたさせたりして、石化に抵抗し始める。とはいえ、魔法の効果なのだから、それでどうにかなるはずもない。
 ドアの傍にたどりついて、ふとシリューナがティレイラを見やると、彼女はすでに首のあたりまでが完全に石と化していた。
「だめ……でした……」
 抗議の視線をシリューナに向けて、やがて彼女は低い声を最後に、完全に石像と化す。
 それをドアの外に運び出すと、シリューナは廊下の端に立たせた。
「ティレ。……こんな目をしたティレも、可愛くて、悪くない」
 低く、囁くように言って、シリューナはそっと石像と化したティレイラの頬に触れる。こちらを見やるまなざしは、いつも明るく笑う彼女のものと違って、わずかに怒りを含んでいた。だが、だからこそ新鮮で、愛らしいとシリューナには感じられる。
 本体のコカトリス自体はすでに絶命しているため、おそらく石化の魔法自体もそう長くは続かないだろうとシリューナは考えていた。長くとも、三十分程度のものか。その間、彼女は愛らしいティレイラの石像姿をじっくりと堪能させてもらうつもりだった。
「ティレ……」
 また低く彼女の名を呼びながら、シリューナは石像と化したティレイラの頬を撫で、その怒りを含んだ目の輪郭を指でなぞり、唇に髪に、肩や腕にゆっくりと味わうように触れて行く。
 もっとも、その頭の片隅にはちゃんと、ティレイラの石化が解けた後のことも思案されてはいたけれども。
(今日の夕食は、鶏肉料理だな。たっぷりスパイスとハーブを効かせて、美味しく仕上げよう)
 もしかしたら、ティレイラはそれを見て少しだけ嫌な顔をするかもしれないが。
(それもまたきっと、可愛いだろうな)
 シリューナは胸に呟き、口元を更に笑み崩れさせる。
 そうして、楽しい時間に没頭して行くのだった――。