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記憶がない
■オープニング
ある日の白王社・月刊アトラス編集部。
警備員のおっさんが、ビルのエントランスで困ってたお客様ですと一人の妙齢の女性をわざわざ連れて来た。
…妙齢。
即ち、年頃が全然読めない。
一応子供と言えるような歳でも老人と言えそうな歳でも無い、それなりに歳を経た…ひとまず大人と扱っておけば間違いは無さそうな年頃のようには見える。が、今時はその辺の外見の特徴などわかったものではないので結局言い切れない。…やたらと若く見える御年配の方や素で大人に混じれるような外見のガキんちょも居ない訳でも無い。
女性、とも言ったが、そこもまた同じ事。
…今時、見た目だけで性別を言い切れるものでも無い。
つまりは連れて来られたのは正体不明の人物である、と言う事になる。
で、そんな彼女(?)がここに連れて来られたのは、月刊アトラス編集部に用事があるらしい、と言う話だったから、との事。
だが。
「…記憶が無い?」
「ええ。ここに来た理由も自分が何者かも何処から来たのかもぜーんぶ」
で、そんなこの彼女が何故か白王社ビルエントランスに訪れて、受付で唯一はっきりと出した名詞が、『月刊アトラス編集部』。それだけ。
なので取り敢えずここに連れて来られたらしい。
…月刊アトラス編集部と言えば白王社の中でも特に何が起こるかわからない魔窟として認知されており、結果としてちょっと普通じゃないと思われても、そこに用があるとわかればどんな客でも殆どフリーパスで通されるのが常の事。
だから追い返されもせず、警備員のおっさんに御丁寧に案内までして貰えている訳である。
「…てな訳で、話聞いてやっちゃくれませんかね?」
■と、警備員のおっさんにそう言われ。
編集部内休憩所と化している来客用ソファに掛け、のほほんとプリンを食べていた清水コータは…――。
誰に頼まれるまでも無く、自らその女性(?)にさくっと声を掛けていた。
…ちなみに、女性(?)を連れた警備員のおっさんにまず応対したのは、その時偶然編集部室入口辺りに居た――貧乏籤なら常から引き慣れている三下忠雄。が、当然と言うか案の定と言うかその女性(?)の処遇をおっさんに押し付けられた三下の方がむしろ挙動不審な感じで編集部室入口内側で停止、記憶が無くて現在進行形で困っている筈の正体不明な女性(?)の方がそんな三下に大丈夫ですかとか声を掛けている始末だったので…さすがに見兼ねてコータがひょこりと顔を出してみた、と言う事情もある。
まぁ、見兼ねてとは言うが、コータにしてみれば願ったりと言ったところ。
何故なら、ここに居座る理由として、彼女(?)の相手を――話を聞くのはちょうど良いと言えば良いからになる。
…コータにしてみると周囲の視線がしみじみ痛かったので。
そう、コータは夏のうだる暑さの中、ふらっとアトラスに涼みに訪れていたところ。白王社、これだけのビルならば空調は整っていると見てまず間違いは無く、幾らエコエコ叫ばれ空調の温度も上げられがちな昨今だとは言えそれなりに期待通りに快適な涼しさが保たれている。故にコータはそんなビル内の馴染みの場所――月刊アトラス編集部に訪れていた訳なのだが、それ以外には特に何の用件も無くただただ持参したプリンを食べ、涼みつつ寛ぎ続けていると言うのは…幾分気が引けはする。忙殺されている編集部員やバイトたちからの数多の殺気立った視線がぐっさり突き刺されば余計。…本人後生楽に見えても気は引けているのだ。一応。
なので、コータは三下から問題の女性(?)を引き取り、あー、そいつは可哀想だねー、と訳知り顔で声を掛けつつ取り敢えず来客用のスペース、テーブルを挟んでソファが向かい合わせに並べられている場所――今までコータもまた寛いでいた場所――までエスコート。そこでどーぞとばかりに女性(?)を座らせた。…どうでもいいが三下の態度より余程この場に居るべき人の如き自然な態度でもあったりする。
女性(?)の方は心許無さそうな様子で、縋るようにコータを見返した。
「あの…」
「うんうん。察するよ。いろいろ大変だったみたいだねぇ」
「はぁ…」
「…記憶がないのもだけどさ、ないなら全部忘れちゃっていればいいもんを、よりによってアトラスなんつー言葉だけ覚えてるなんて」
「…?」
「あー、これはもうあれだよ、ここにいる人たちの手にかかったら、思い出したくないことまで思い出しちゃうよ。…なーんてね、まあとりあえずプリンでも食べなよ」
と。
言うなりコータは何処からともなく良く冷えた未開封の市販品カッププリンを一つ。
スプーンと共に取り出して、記憶の無いその女性(?)に対し、はいとばかりに差し出している。
女性(?)、差し出されるままにそれらを受け取るが――そのまま暫し停止。
何となくお見合い。
「…」
「…」
「…」
「…どうかした? いやもしやまさかプリンが嫌いとか…!」
そんな人が居るものか! と思いつつ、もしそうなら勿論彼女(?)に渡さず自分で食べる気満々だが。
と。
コータがそこまで思考を巡らせたところで。
予想外の爆弾発言が発された。
「…ぷりん…と言うものなのですか、これは?」
「え?」
「これを使って…食べる…もの、と言う事ですよね? いえ、食べるってどういう事なんでしたっけ?」
そもそもこれ、どうやって使うものでしたっけ、と問われながら目の前に示されたのは…プリンと一緒に握らせたスプーンで。
「…」
ちょっと待て。
ここは何処、私は誰どころではなく――そんな基本的な事からしてもう記憶が無いと言うのかもしやまさか。
自分の事どころか、プリンと言う庶民派なスイーツ代表格の事さえ! そんなのはありなのか。俺ならばプリンを忘れて生きて行くなど到底考えられるものではないのに…!
と、コータは思わず自分に引き寄せて、何だか反射的に物凄く恐ろしくなる。
そして同時に――この彼女(?)が『月刊アトラス編集部』と言う名詞以外記憶していない、と言っても。
それ以上に――ちょっとした危惧が。
「…あのさ、んじゃ『アトラス』の意味もひょっとして」
わからない、とか。
「…えっと、それを言ってさっきの方…『けいびいん』、と仰る方なのですか? その方にここに連れて来て頂けたんですから…この場所に関係する名詞だとは思っているのですが…って、名詞って何でしたっけ? 私はどうして『げっかんあとらすへんしゅうぶ』などと言ったのでしょうか…!」
「…。…やっぱり」
スプーンを銜えつつ、コータは停止。
そのままでテーブルに突っ伏すようにして顎を置き、うーん、とばかりに唸る。
…これは思ったより面倒かもしれない。どうやら普通に日常生活を送る事すら危ういレベルで記憶が無いらしい。それはまぁ、普通に生活していればアトラスの名前はまず知らないだろう。その時点でそっち系の人――いや人間ではなく人外かもしれないがその辺はこの際どうでもいい――だろうなと思いはするが、幾ら何でも取っ掛かりが少な過ぎやしないか。…警備員さんがお手上げだった理由もわかる。
と。
悩んでいたところで――コータらと同じく来客用ソファに腰掛け、何やら束になった原稿らしきものを読んでいた、どうにも場違いっぽい――何処か貴族的な印象の、髪の長い美青年が不意にこちらに声を掛けてきた。
「取り敢えず、容姿から調べてみては如何です?」
「んー、やっぱりそっからかなぁ…ってところでにーさんこちらの話聞いてたんすか」
「それは聞こえますよ。これだけ近くに居る訳ですし」
と、髪の長い美青年が当然のようにさらっと言ったところで。
「こっちもこっちで暇だしね」
と、こちらもやっぱり原稿の束らしきものを持っている――今度は中世ヨーロッパから抜け出してきたような赤いドレスに長い黒髪をアップにした貴婦人然としたやけに顔色の悪い女性が続けてくる。…どうでもいいがこちらの人もまた果てしなく場違いっぽい。その口調の方は意外なくらい気さくだが。
ただ。
…暇と言うなら持っているその原稿の束は何。
と、コータが思ったところで――うわあああんいけずー、と何だか目を丸くしたくなるような声がもう一人の同席者から発された。…ちなみに現在この来客用ソファ周辺に居るコータの同席者は問題の女性(?)除いてこの三人。最後の一人になるこちらに限っては格好の方は場違いでもなく、むしろこの場に普通に馴染んでいるラフなものだったのだが――その顔立ちが近寄り難いくらいに整ったアジア系の美形な青年だったので――それで黙って原稿の束らしきものを読んでいるとくれば、コータとしてもまず余計な声は掛けない。見た目からして声も掛け難いし何かお仕事の最中かなーとも察したりする訳で。
が。
それにしては。
…何だ今のこの男から発されたちっさいガキの如き甘ったれた声。
と反射的に思い、そちらを見たら――その男の手からさくっと原稿の束を取り上げていたまた別の青年が、はぁ、と盛大に溜息を吐いていた。…いつの間にか何処からか近付いて来ていたらしいこの青年、何だかひょろっとした印象の二十歳前後の兄ちゃんである。風体のみならずオーラと言うか人物の感じが場所に馴染んでいる時点で、こっちの兄ちゃんはこの場に居て妥当な人種だと判断出来る。つまり編集部員だかライターだかカメラマンだか何かと言ったところ。
但しそれにしては――ガキの如き声でぐずり出した謎の超絶美青年と知り合いらしい雰囲気でもある。
「…何勝手に人の原稿読んでるんですか師父。エルさんもセエレさんも。返して下さい。…何処に失くしたかと思って焦ったじゃないですかまったく」
「だってだって折角来たのに空五倍子構ってくれないんだもん。どんなお仕事してるのかなーって見てみたいもんじゃーん」
「俺の仕事見てる程度ならいいですがお願いですから仕事の邪魔はしないで下さいね。…幾ら暇でも」
「だって暑いからってただぼーっと涼んでるのってどうも気が引けるじゃん」
「…。…師父がそんな事を気にするような方だったとは今初めて知りました」
「あーそんな言い方するんだー。これでも一応空五倍子の為を思って気ィ遣ってんだよー?」
「はいはい。…わかりましたわかりました。じゃ、コレは回収させて頂きますので。後は他の方に迷惑掛けない程度で御自由になさっていて下さい。では」
と、三人からそれぞれやけに手際良く原稿の束を回収すると、その兄ちゃん――謎の超絶美青年の言によると恐らく『空五倍子』と言うのがその名だと思われる――はすぐさま何処ぞへ去っていく。
後に残された三人は、手許の原稿が消え空五倍子と呼ばれた兄ちゃんも消えたところで、当然のようにコータと問題の女性(?)の方を見た。
先程の会話から察するに、どうやらこの三人も――実は立場としてはコータと大して変わらなかったらしい。
しかも恐らくはコータと女性(?)のやり取りを余さず聞いていた模様。
…コータとしては(恐らく女性(?)の方も)全然気付かなかったのだが。
「えーと…御三方とも実は暇人だったってコト?」
恐る恐る聞いてみる。
と、まぁね、と顔色の悪い貴婦人に非っ常ーに軽く返された。
「暇と言えば暇よね。…そこに湖藍灰――見た目がこうなのに口を開くと残念なこいつの事ね――が何処からか原稿の束持ってきたから私たちも暇潰しに読んでただけ」
「ええ。空五倍子様――先程原稿を回収なさった方の事ですが――が書かれたもののようでしたね。湖藍灰様は空五倍子様の師父と言う立場の方なので…まさか弟子である空五倍子様のお仕事に差し障るようなものを持参なさっていたとはついぞ思いませんでしたが。空五倍子様には申し訳無い事をしましたね」
と、貴族的な長髪青年がにっこりと優雅に相槌を打ちつつも、さらりと毒も吐いてくる。
二人の科白を受け、空五倍子の師父らしい口を開くと残念な謎の超絶美青年――湖藍灰とやらはそんなに言わなくたって良いじゃん、とばかりに、ぶー、とむくれている。
…何だか反応に困った。
が。
一番話を聞いていなさそうな態度を取っていたその湖藍灰が、いきなり問題の女性(?)の方に――『本題』に話を戻してくる。
「んで、まずは外見から調べてみたほーが、って話をしてたっけ?」
「そりゃあこっちのロン毛なにーさんの提案だけど…まぁそうだよね。そこが一番無難だよね。って言うか他に手掛かりないもんね。アトラスなんつー言葉以外記憶が全然ないんだもんね」
うんうん。と頷きつつ、コータも戻された本題に参加し――同意する。
…いや、一度同意しはしたが。
それ以前に確認しておくべき事を思い付く。
「いやちょっと待った。それより先に一応確認。…お三方、この彼女(?)に心当たりありません?」
訊いてみる。
…まぁ、まず無いとは思うが、この時点で誰かが彼女(?)に心当たりがあれば一番手っ取り早いので。
「私は特に無いけど?」
「私も…心当たりはありませんが」
「あったらおにーちゃんより先にそのおねーさんに声かけてると思うよん。暇だったんだし」
…然り。
まぁ、その通りである。
改めて先程の貴族的なロン毛のにーさん――恐らくはセエレと言う名であるらしい――の提案に戻り、その為にコータは周辺を見渡してみる。ここは雑誌編集部である訳で、カメラの一個くらい使わせて貰える余裕が無いか、と思ったのだが――さすがにその辺に放置してあるようなカメラは無いらしい。ならばと思い、誰かに借りて来ようと席を立つが――同じタイミングで何故か湖藍灰が懐から何か引っ張り出していた。
コータは何となくそれを見て――はて何だろう?と動きを止める。
湖藍灰が懐から取り出していたのは酷く古風な巻物――絵巻物らしいものだった。巻いてあるそれをくるくるくると開いたところでそれとわかる――かと思うと、湖藍灰は『当然のようにその画の中に手を突っ込んで』暫しごそごそ。突然何をしているのかと思い――と言うかそもそも絵巻物の画の中に手を突っ込んでる時点で尋常ではないのだがそこはまぁアトラスに居るような人なのでそんな事もあるんだろうとコータは理解し、湖藍灰の手許をただ覗き込んでみる。…結構興味津々でもある。
暫くそうしていたかと思うと、湖藍灰は絵巻物の画の中からあろう事か小型のデジタルカメラを引っ張り出した。…取り出し方は尋常では無いがモノ自体は結構普通に見掛けるその辺の日本のメーカー品。湖藍灰は問題の女性(?)にそのカメラのレンズを向けたかと思うとあっさりパチリ。…許可も何も得てないが。
と思ったら、案の定女性(?)の方が慌てている。
「…え、あの、今の光ったのってなんですか!? 私何かされたんですか!? いったい今のって…!!」
見るからに動転。
やっぱり、どうやらカメラと言うものについての記憶すらも無いらしい。…まさかデジタルカメラを元々知らないと言う事も無いと思うので――いや決めつけてしまうのは危険かもしれないが。…何と言ってもアトラスと言う言葉だけを頼りにここに来た人であるからして。…いや、考え過ぎても始まらない。
そこまで考えるだけ考えてはみるが、コータはひとまず、宥めがてら女性(?)に説明してみる。
「カメラ。写真。…これでパシャっとやるとアナタの見た目、姿がこの中に写し取れるって代物で」
説明しながら湖藍灰を横目で見る。と、意図を察して湖藍灰もたった今撮ったその映像を表示させたデジタルカメラの画面を女性(?)の前に差し出して見せる。
見せたら、女性(?)は、目を丸くしてびっくりしていた。
…びっくりどころか、茫然と言った体である。
「こんな小さいものの中に人が居ます…」
「…いやこれはアナタの姿が写ってるって事なのね」
これではまるでデジタルカメラ――どころかカメラと言う文明の利器に初めて出会った人の言である。…いやある意味この女性(?)の現状はそれで正しい状態なのかもしれないが。
ともあれ、コータの追加説明を聞き、女性(?)は改めて画像を見直す。
「…。…これが私、と言う事なんですか…」
「ってありゃ…ひょっとして自分の姿も忘れちゃってるんだねぇ…」
まぁ、予測はしていたが。
「…この写ってる人が私だと言うのなら…忘れてしまっているんだと思います…と言うか『しろもの』って…『うつる』って…『ひと』って…『わすれる』ってどういう事でしたっけ…?」
女性(?)の声が消え入りそうに小さくなる。
それから、俯いてしまった。
ぽりぽりと頭を掻きつつ、コータはその姿を見ていたかと思うと――何となく湖藍灰と顔を見合わせる。
「んで、どーするの?」
目が合うなり、あっけらかんと湖藍灰に促された。
■行動開始。
で。
コータはひとまずは湖藍灰のデジタルカメラ――と言うかそのデジタルカメラで撮影した問題の女性(?)の画像入りなSDカードとアトラス編集部備品のプリンタを借り印刷。印刷するのみならず、やっぱりアトラス備品なパソコン(ちなみに常から有効活用とは程遠い状態に放置されている三下忠雄のパソコン)もちゃっかり拝借、印刷したのと同じ画像を取り込み何やら操作。
それを終えてから、コータは女性(?)の待つ来客用ソファの方に戻る。
ちなみに印刷した画像のプリントアウトは四枚。一枚は自分で取って、他の三枚は同席していた暇人三人にほいとばかりに配ってみる。
コータから配られたそれをぴらぴらと振りつつ、顔色の悪い貴婦人風のお姉さまが口を開いてきた。
「私たちに聞いて回って来いって事?」
「うん。だって皆さん悉く行動半径違いそうじゃない? どう見ても同じ組織とか集団に属してなさそうな面子っつーか。…まぁそれはアトラスに居るって共通点はあるけどそれ以上の関係が思い付かないっつーか…あ、でもさっきの兄ちゃんの原稿皆して読んでたって事は御三方それなりに前からの知り合いなのか…。…じゃなくって。すっごく今更だけど自己紹介をしよう。こちらさんも不安だろーし?」
言いながらコータは記憶の無い女性(?)の肩をぽむ。
「ちなみに俺はコータね。清水コータ。便利屋やってっからこーゆー困り事はオールウェルカム」
もらうもんさえもらえれば。
…とは言えまぁ、今のこの場合この女性(?)がその辺駄目なよーならアトラスから立て替えてもらう気満々なので、コータは特に今その事を口に出してこの女性(?)を困らせるつもりも無い。
コータに続き、貴婦人なお姉さまが気さくに名乗ってくる。
「私は取り敢えずエル・レイって名乗ってるけど。呼ぶ時は好きに呼んで」
次は、貴族的な印象のロン毛な兄ちゃんがにっこり。
「私はセエレと申します。宜しく」
で、最後は見た目と実際の落差あり過ぎな謎の超絶美形。
「俺は鬼・湖藍灰ってゆー仙人さんですよん」
と、あっさり名乗られたその時点で、すみません宜しくお願いします、とやっぱり消え入りそうな声で記憶が無い女性(?)が名乗った皆に頭を下げてくる。…どうやら、自分が名乗れないのが恐縮らしい様子でもある。
そこに至り、ん? とコータがちょっと引っ掛かった。
…今の一連のやり取りの中で、何か引っ掛かるような――何処かで聞いたような事柄が何かあったようななかったような。
頭の中を思わず探る。…いや、この記憶が無い女性(?)に関係する事では無いのだが。それでも引っ掛かってしまって出て来ないとどうにももどかしい。記憶が無いと言うのはこの状態がずーっと続いていると言う事なのか。それは辛いぞ。うん。
「あの…コータさん?」
暫し後、コータが女性(?)から気遣われるような声を掛けられてしまった。
…これでは最初の三下と同じ状態である。
ヤバい。
と、思ったところで――コータは自分が何に引っ掛かっていたかに気が付いた。
改めて湖藍灰を見る。
「…あんたが湖藍灰さんって仙人なんだ」
「? ん、俺がどーかした?」
「いや、前にちょいと風の噂で。…虚無の境界が何たらと」
「いやいや今はそれは無しの方向で☆」
「…今はナシ、って事は場合によってはアリな時もあるんすね?」
「んー、まぁね。でも今は無しー。ここで無駄に面倒な事になっちゃうのは嫌でしょ?」
「…。…それもそっすね。ところで仙人さんだってんならこの彼女(?)のコト何かちゃちゃっと調べられるような手段とかないのかなー、とか思ったり。…ホラ、『そっち系』の人だと思うんで余計にね」
この彼女(?)は。
と、コータは科白の後半で内緒話でもするように声を抑えて湖藍灰に言う。…仙人だと言うなら結構何でも出来そうだし、それ以上に本当に虚無の境界関係者であると言うなら…こちらがアンテナを張ってない方向の世界に関しても色々知っていそうだと思う訳で。
湖藍灰の方もコータに合わせたか、こそりと小声で返してくる。
「それこそ下手にやったらさっきコータくんが言ってた通りになっちゃうよ」
幾ら『出来る』って言っても。
「…えー、思い出したくないところまで思い出しちゃう、って事っすかね」
「…そうそう。人間て普通に生きてるだけでも相当色んな事を忘れながら生きてるもんだから、その忘れてた方が良い部分は無暗に思い出さないように整理して戻してやらないと脳の機能的にきつくなっちゃうんだよね。…それだけでも結構危ないのに、生活の基本になるような記憶すら危ういこの彼女(?)の状態でただ無くした記憶を全部戻すー、ってなっちゃったら相当危険。記憶の一つ一つを吟味して選別して元々残ってる記憶と照らし合わせて戻してかないとまず精神の方が参っちゃう。相当丁寧にやらなきゃならないから時間も掛かるし、やる方も異様に手間食うし。それから下手したら前世とかも何世代分か丸ごと…下手すると一番初めに生まれた時の事とかまで思い出しちゃい兼ねないと思うから最終手段にした方が良くない?」
「…」
…仰る通り、最終手段にした方がいい気がする。
と、コータと湖藍灰でそんなやり取りをしているところで、エルと名乗った顔色が悪いおねーさんが女性(?)の顔をじーっと伺っている。女性(?)の方はそんなエルの様子に何事かと目を瞬かせる。エルはそれでも目を逸らさない。
暫くそうしていたかと思うと、エルはおもむろに口を開く。
「はっきりとはわからないけど闇の眷属の気配はするのよね、実は。…まぁ、今時複雑な事情とか持ってたりする子も多いから…言い切れないけど」
「やみ…の、けんぞく、ですか?」
「そう。私こう見えても一応吸血鬼で通ってるから、闇の眷属ならそれなりに気配でわかる訳。…って説明しても今の貴方だと漠然としたイメージすら把握して貰えそうにない気がしてならないけどね。あ、セエレの方はどう思う?」
「どうでしょう。…ひとまず七十二柱の中に似た気配を持つ方は居ませんし、それ以外の魔界の住人とも思えませんが。…まぁ、私の場合は名前は大層ですが実際は大した力は持ち合わせていませんので…純粋に気配を読んで判断するとなるとエル様より確度に欠けますが」
「でも西側の魔界は私の守備範囲じゃないから少なくともそこに関してはセエレの方が確度が高いでしょ。でも心当たりは無いか…となると私の気のせいかしらね。…湖藍灰にはどう見えるかしら?」
「俺? うーん…微妙」
「…微妙なんすか」
「だって俺の…っつか仙人の視点で、気配で――『気』で対象を見るとなるとある意味誰でも何でも同じなんだもん。その流れが良いか滞ってるかで質とか養える量の多寡が変わってくるってだけで。この見方だとね、極論しちゃうと人間でも仙人でも吸血鬼でも悪魔でも他の普通の動物植物でも、その辺に転がってる物体でさえも実は全然変わんないんだよねぇ。一度面識持った相手かどうか区別しろって話なら、どれだけ姿形が変わってたとしても速攻で判別付くけど、『気』だけ見て闇の眷属かどうかとか――『どういう存在』か判断しろってのはやっぱり微妙。言い切れない」
「…何だか凄い話を聞いた気が。っつか闇の眷属系な方なんすねエルのねえさんにセエレのにいさんって…」
吸血鬼とか魔界とか何とか当然のように話に出てくる辺り。
…そんなのが普通にたむろしている月刊アトラス編集部の来客用スペースっていったい。
コータは思わず考え込みそうになるが、殆ど同時に考えても意味が無い事にも気付き、何となく先程のプリントアウトをぴらぴら。
「んでもまぁ、やっぱり『そっち系』の人って考えて良さそうだね?」
この彼女(?)は。
属性吸血鬼なヒトの感覚で、はっきりしないけどそれっぽい気配がするかもしれない、って事は。
「…そっち系?」
女性(?)が不思議そうに小首を傾げてくる。
「いや何と言うか…人外とかそーいうのが全然平気だと言うか…平気じゃなくても普通に関わっちゃってると言うか…ってそもそもこの説明で理解できそうにないよね?」
基本的なところから記憶がないとなると。
「…すみません」
「いやいやいやねーさんを責めてる訳じゃなくて謝らなくていーから。それは単に事実として受け止めればいーだけの事だから。後はせめて普通に生活が出来るレベルにだけでも記憶を戻せれば…戻せなかったら一つ一つ憶えて行けば良い訳で」
「そうね。それくらいなら周りの助けがあれば簡単だと思うし。…例えば草間さんとこの零ちゃんみたいな前例もあるしね?」
エルがさらりと援護射撃。
有難く受けてコータは更に続ける。
「そうそうそう。そーゆー訳アリな場合でも慣れてるからこの辺の人って。だからあんまり心配しないの。記憶が戻ろーが戻るまいが何とかなるから。俺が出来なくてもきっと誰かが何とかしてくれるから。まぁ俺で出来る範囲なら俺が面倒見てあげるけど。…例えばもし全部わかったところで、元の生活に戻りたくないーって事になったとしても、バイト先と住む場所の紹介くらい出来るし。ね?」
「…はぁ」
と、やや圧倒されつつ女性(?)は頷いている。
それは安請け合いにも聞こえる気がするが――コータの風体や態度からそう聞こえるだけかもしれないが――、同時に頼もしい言い分でもある事は確かな訳で。
と。
そこまで話が進んだところで、何故かどてばたと三下がコータらの元へ駆けてきた。
いつもの事なのかも知れないが――妙に慌てていて挙動不審である。
「あ、ああああのっ、コータさんさっき僕のパソコンで何かしてましたよね、それで何か色々連絡入ってるっぽいんですけどっ、どどどどうしたらっ!」
「…あ、来た?」
「は、はい」
三下はよくわからないながらも肯定。
コータはそんな三下の肩をぽんと叩きつつその横をすり抜け、んじゃちょっと行ってくるわと問題の女性(?)及び他三名に言い置き、軽やかな足取りで三下のデスクに勝手に向かう。
が。
その途中で――聖職者らしい黒の長衣を着た、険のある鋭い目付きの――そこはかとなく怖い感じのある三十前後と思しき長身痩躯の男性にぶつかりかけた。
「あ、すんませんっ」
「…いや。待て」
「いやうわその別に悪気があった訳では無くすんません急いでて不注意でっ!! どうか見逃して下さいっ!!」
「…。…そうじゃない。…こっちだ」
と。
指差されたのは、コータが持ったままだったプリントアウトの方。…別に因縁付けられたとかそういう訳では無かったらしい。
プリントアウトに写っているのは勿論、問題の記憶の無い女性(?)になる。
聖職者らしい男性が写真を指差したかと思うと、その傍らに居たまだ小学校の中学年程度らしい元気そうな少年がまたそこを覗き込んで来る――纏う髪色や瞳色が同じだったり顔形が何処となく似ている時点でこの二人は血縁か何かかと思うがまぁそれはそれとして。…果たしてこれは雑誌編集部に居るべき面子なのかと一瞬疑問に思い掛けるが、そこはやっぱりアトラスだからなのだろうとすぐさま思考修正、勝手に納得し勝手に適応、コータは改めて二人を見る。
どうやら、プリントアウトを挟んでのその様子からして聖職者らしい男性の方、一見怖そうな人には見えたが実際はそうでもなさそうである。
…なら、別にわざわざ避ける事も無い。
「なになにお二人さんひょっとして見覚えアリ?」
このおねーさんの事。
「…似てないか?」
青年はプリントアウトを指差しつつ、それだけ少年に振っている。
少年の方は、うーん、と軽く唸っていた。
「…似てる…とは思いますけど、でも違う以上は…この場合はまずいかと…」
「そうか…」
そこまで言うと、二人はお互いの顔を見合って、考え込む。
…コータには何だかよくわからない。
恐る恐る二人の顔を覗き込んでみる。
「えーとあの何か引っ掛かる事でも? 取り敢えずこのおねーさんご本人様、来客用ソファ辺りに居てもらってますけど?」
アトラスの名前だけ憶えててそれ以外の記憶が無い状態で。
「…え?」
「何だと?」
「…いやだから記憶喪失だと。この彼女(?)、アトラスの名前以外自分の由来どころか日常生活すら危ういレベルで記憶がない、ってビルのエントランスで困ってたんだってさ。だから俺たち彼女(?)に心当たりある人とか物とか情報とか何かないかなーって探してんのね。だからこの写真見て反応されたって時点でむしろこっちがお二人さんに話を聞きたいところで」
そこまで言ったところで、小学生程度の少年の方がコータの後ろを見、あ、と声を上げる。コータもその視線を追い、その先を振り返ってみると――そこには来客用ソファ周辺に居た面子がぞろぞろと皆付いて来ていた。
コータが気付いたところで、はぁい、と湖藍灰が小さく手を上げてくる。
「なんか話し込んでるみたいだったから進展あったのかなーと思って来ちゃったんだけど。…別件?」
「…と言うか何と言うか別件のようなそうでもないような…」
いまいち説明に困りつつ、コータは聖職者風の男性と小学生の少年を見、助けを求めてみる。
と、その二人もどう説明したものかと言いたげな顔をしていた。
「いや、な。…何処から話したら良いんだ…」
「あー、えーとですね、事の発端はと言うと今僕が書いてる原稿なんですが…」
と、小学生の方――曰くイオ・ヴリコラカスが掻い摘んで説明するに。
何やら某所で目撃されたと言う人造人間らしき存在についての検証記事を『現代のフランケンシュタイン』等と銘打ちイオが書く事になり、聖職者風の男性――キリエ・グレゴリオは昔取った杵柄と言う事で、魔術的な面でのアドバイザーとしてそんなイオに付き合っていると言う事らしいのだが。
端的に言うと、検証する過程――『取材』時に見るだけは見た『フランケンシュタインズ・クリーチャー』の姿がこの彼女(?)とそっくりなのだと言う。但し、撮影は出来なかった為に写真や映像は入手出来ていない。
そこに、このプリントアウト。
キリエがコータを呼び止めたのは、入手出来なかった写真の代わりに、これが使えないかと思っての事だったらしい。が、アトラスの姿勢として「煽る方の記事」では無く「検証記事」の方で明らかな嘘はまずかろうとイオが断った、と言うところだったとか。…まぁそもそもこのプリントアウトの画像では検証記事に乗せるにはあまりにも日常的過ぎるしそれこそ被写体がその辺の何処にでも居そうなお姉さんにしか見えない以上、雑誌的に役に立ちそうにないと言うのもあるが。
だが、そのプリントアウトに写っている取材対象と『よく似た』人物が、あろう事か記憶が無い状態で困ってアトラスに訪れている――となると。
少し話が変わってくる。
「…まさか『本物』さんとか」
ぽつりとイオが呟くが、簡単に否定出来ない。否定材料が無い。
女性(?)は何処か茫洋と視線を揺らしつつイオを見る。
「私が…人造人間…えっとあの、『じんぞうにんげん』、ってなんですか?」
「…。…人に造られた人間って事です」
「『ひと』…『つくられた』…『にんげん』…って、あの、どういう…。すみません。きっと説明してもらってもわからないんだと思うんですが…あれ、『せつめい』って…なんでしたっけ…」
「…」
「…」
…ほんのちょっと口を開いただけで女性(?)の記憶の状態はイオとキリエにも確りと伝わった。
と、そこで――あ、あ、あの…と消え入りそうな遠慮がちな三下の声が再び聞こえてくる。
コータはその声で何故自分がこちらに歩いて来ていたのかを思い出し、そうだった、とばかりに改めて三下のデスクに向かう。
デスクに着いたところでやっぱり勝手に三下の席に陣取り、操作。
目的の画面を呼び出す。
が。
「おー、来てる来てる――って。…うわ」
画面を見、コータは思わず声を上げる。
…実はコータは先程三下のパソコンを勝手に拝借した時点で、デジタルカメラで撮った問題の女性(?)の画像をUPし――私は誰!? とばかりにがっつり煽って、人捜しのホームページを立ち上げていたのだが。
その画像に対する反応の中に――検討の余地がありそうな見覚え報告から冷やかしのような他愛無いものだけでなく、何故か連絡を下さいと逆に求めてくる反応がある。それも、恐らくはそれぞれ違った相手から、多数。どれもこれも、やけに場違いなくらいに丁寧かついまいち真意が見えない文面で。どうにも必死さ、切実さを思わせるものさえある。
文面の感触、反応の量からして――コータはどうも引っ掛かった。
…コレ、何か、ヤバそうな気が。
思ったところで。
わさっと背後に気配を感じた。
その正体は――付いて来ていた皆々様。
「…わーすごーいたくさん来てるねー、三下くんが慌てるのも道理だわ。…コータくんどうするのこれー?」
「この反応は…やっぱりどーも『本物』さんだったみたいですね…」
「おやおや。…このお嬢様は随分様々な方から捜されているとお見受けします」
「…それも、自分の正体は晒したくない相手から、ね」
「…連絡を乞うてこの娘を何とか誘き出したい、と言うところか…」
「そんなところでしょうね。いったい何を考えてその行動を起こしているのかまではわかりませんが」
と。
それぞれ好き勝手言っていたところで。
呆れたような声が飛んできた。
「…卿らは何をしているのだ?」
■判明。
声の主は一言で説明すると何だかヴィジュアル系な神父さんだった。
染めたように真っ赤な短い髪と瞳に黒い十字のピアス、それと黒の長衣に、十字杖。
聞こえた声の通りに呆れたような様子で三下の席を――その周辺に集まっている面子を見ている。
と、その視線が面子の内一人に集中した。
問題の、記憶が無いと言う女性(?)その人に。
ヴィジュアル系神父さんは暫くその姿を見ていたかと思うと、軽く頷く。
それから、女性(?)に向けて開口一番。
「自力で逃げられたようだな。主殿から迎えを頼まれた。戻ってはくれないか?」
「え…」
驚く。
女性(?)のみならず、その場に居る他の面子からも、その神父に一気に視線が集中した。
「どういう事、バーガンディ?」
エルがすかさず聞く。
バーガンディと呼ばれたその神父はすぐに答える。…どうやら元々の知り合いらしい。
「言葉通り。その者の主殿からその者の迎えを頼まれただけの事。何か問題でもあるのか」
「…あると思うけど。この子、今何の記憶も無いのよ? いきなりそう言われて素直に従えると思う?」
エルはそう続け、女性(?)を指し示す。
「ん…そうか。もう始まってしまっているのだな」
「?」
「その者の身は単独行を続けると積み重ねた経験や知識が少しずつ零れ出てしまうと聞いている。放っておく限り、あまり長い間蓄えておけないそうだ。定期的にメンテナンスが必要らしい」
「…んじゃそれがどうして一人でアトラス目指して困ってるような羽目になってるの?」
素朴な疑問。
浮かんだそのまま、コータはバーガンディに訊いてみる。
…そんな理由があるのなら、まず一人で放っておかれるような事は無さそうな気がするが。
と、そう思ったら。
「攫われたんだそうだ」
バーガンディからあっさりとそう返された。
…曰く、この彼女(?)の身は何者かに攫われ、行方がわからなくなっていた、と言う事らしい。それも攫ったからその主殿の方にこういう要求をして来られた云々と言うより、攫われた当人の身柄が既に目的と見て良いような状況下で。
それで心配して、結構荒事にも慣れているらしい稼業でもあるこのバーガンディが――空いた時間がある上に力量もある適任者として特に今回頼られた、とか何とかで。
どうやらこのバーガンディ、ヴァチカンの非公式機関の人間…とか言う事らしい。…となるとやっぱりそんな人がアトラスに普通に訪れると言うのは何なのだろうと思うが以下略。
バーガンディは説明を続ける。
「…私の上司がその者の主殿と知己でな。その縁で話が回ってきた。…いや。私もアトラスだけで用が足りるとは思わなかったが」
ここへは情報収集の為に来ただけだったのでな。
そう言いながら、バーガンディは懐から一枚の紙を取り出す。
…否、取り出されていたのは一葉の古びた写真だった。
写っていたのは、問題の記憶が無い彼女(?)が佇む隣でやや年配の男性が椅子に座っている形のツーショット。写真館か何かで確りと撮ったような、そんな被写体の様子と服装。
バーガンディはそれを女性(?)に差し出し、無言で受け取るよう促す。
受け取った彼女(?)は暫くその写真をじっと見詰めている。
「思い出せそうにないか?」
「………………お父様…?」
「あ」
反応した。
かと思ったら。
「ってあの…『おとうさま』ってどういう事でしたっけ…」
…すぐ記憶が零れた。
だが。
「まー、今の反応って事は…たぶん間違いは無さそうだよね?」
バーガンディの依頼元が、本当にこの彼女(?)のお父様だって事くらいは。…少なくとも悪い感情を抱いている相手に対する反応では無く見えた。
コータが皆に振る。
ん、とエルも頷いた。
「信用はして良さそうね」
「ですが、それで解決するとして――こちらの始末はどうするんです?」
と。
セエレが指差したのは――三下のパソコン画面。…人捜しホームページの話。
これはひょっとすると、却って面倒を呼び込む事になってしまうのではと思える訳で。恐らくは馬鹿丁寧な連絡を乞う反応は――総じて『攫った』方の同類連中と想像出来る。
一瞬、空気が止まった。
「…えーっと、俺ひょっとしてマズい事した?」
思わずコータ。
「いや。聞く限りの状況では致し方無かったとは思うが…」
バーガンディも言葉を濁す。
…記憶も何も無く容姿だけで正体を探るとなれば、今時このくらいの事は思い付いてしまうだろう。
と。
「…その辺は問題無いと思いますよ?」
イオがあっさり言っている。
キリエもイオに同意した。
「だな。…元々取材対象だったんだ。記事が出ればアトラスは元々その連中の視界に入る事になっていた」
「そうです。結果として少し前倒しになっただけの話で。幾らでも誤魔化しは利きますって。それに今ここならバーガンディさんも居ますし、キリエさんにエルさん、湖藍灰さんだっていますから半端な人たちが力尽くでどうこうってのはまず無理でしょうし。て言うか、面倒事全部端折ってセエレさんに彼女を直接お父様のとこに『送って』貰うって手もありますしね?」
と、イオはセエレを見上げる。
「構いませんよ。そのくらい」
にっこり微笑み、セエレ。
コータは何の事だかわからない。
「…えーと、セエレの兄さんそんな能力持っているって事?」
「おや。御存知ありませんでしたか? イスラム系の話ですが、ソロモン王に封じられた七十二柱の事を」
「…あー、何となく察しが付きました」
「そういう事です。私は『移動』と見なして出来る事なら何でも容易く出来ますよ」
…そんな大仰な素性の人と言うか悪魔と言うか魔王と言うか精霊と言うかとにかくそんな方々が平然と居るアトラス編集部と言う場所は以下略。そろそろコータにも突っ込み切れない。
「つーと、取り敢えずこれで解決、って事で良い訳? おねーさんもそれでいいのかな?」
周りがどう言ってもそこが一番肝心なので、コータは彼女(?)に訊いてみる。
彼女(?)の方は写真を見詰めたまま暫く止まったままでいる。
コータの科白を聞いてから、彼女(?)はぽつりと口を開いた。
「…私は…この人に会いたい…です。…って…『あう』って何でしたっけ…」
「よし」
決定。
本人の意志がそうなら止める理由も無い。
が。
素朴な疑問はまだ残る。
「…ところでなんでアトラスの名前だけ憶えてたんだろう」
「さぁ…」
女性(?)は困惑気に首を傾げる。
依頼主――女性(?)の主と言うかお父様から話を聞いているらしいバーガンディにもその旨訊いてみるが、心当たりは無いらしい。
あまり考え込んでもどうしようもないので、どうでもいいやとコータはその疑問をあっさり放置。
そして――再び何処からともなくカップのプリンをずらっと取り出した。
「じゃ、一応切りが付いたって事で――ここはひとまず皆でプリンでも食べて前祝いと行かない?」
「…」
■その後。
結局、何故かコータが言い出した通りプリンを皆で食べ。
彼女(?)目的でアトラスに群がって来るかもしれない連中への誤魔化し対策を兼ね、改めての取材(と言うか『らしい』画像入手)目的で同行を希望したイオとキリエ、それからバーガンディと彼女(?)をセエレの能力で目的地まですぱっと送り出したのを見送った後。
来客用スペースにはエルと湖藍灰、それとコータの三人の暇人が相変わらずのほほんとたむろしていた。…ちなみにセエレは移動組と同行している。曰く、彼の場合はキリエに付き合ってこの場に居たとかなので、そちらに付いて行くのが自然な行動にもなるらしい。
それ以外の面子はそのままそこに居る。
…やはりこのうだる暑さの中、外に行くという選択肢は自然外されてしまうもので。
アトラスの本業・雑誌編集に関わるものでは無いとは言え、一仕事終えたとなれば余計。
暇人たちはそれぞれアイスティーやらプリンやらをおともに、行き交う編集部員たちの突き刺さる殺気立った視線をものともせず寛いでいる。…一応一仕事はしたのだと言う免罪符を胸に、ちょっとくらい休んでたっていーじゃん、と開き直っている、とも言う。
と。
「あのーたびたびすいませーん、またこちらの部署へのお客様をお連れしましたー。いえ、今度の人もエントランスの受付で『月刊アトラス編集部』としか言わなくて、どうしたもんかと思いましてねー」
………………何だかデジャヴ感溢れる警備員のおっさんの声がした。
【了】
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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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■整理番号/PC名
性別/年齢/職業
■4778/清水・コータ(しみず・-)
男/20歳/便利屋
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…以下、登場NPC(□→公式/■→手前)
■記憶が無かった『フランケンシュタインズ・クリーチャー』(仮)。結局最後になっても名称不明。
■警備員のおっさん
■初めに応対して巻き込まれた人
□三下・忠雄
■実は来客用ソファ周りでPC様同様ただのんびりしていただけの人々
■セエレ(未登録/登録NPCキリエ・グレゴリオ内にちらっと表記)/一応キリエの従者中なソロモン72柱の魔王の一人。『移動』と見なして出来る事なら何でも出来る能力を持つ。
■エル・レイ/一応吸血鬼らしい謎のフリークス。
■鬼・湖藍灰/空五倍子の養父で術の師匠な一応仙人、そして一応虚無の境界構成員。
■それぞれ何らかの理由で編集部内を行き交っていた人々
■空五倍子・唯継/大学生で似非陰陽師なライター。湖藍灰の弟子。
■イオ・ヴリコラカス/名前通りの事情(?)ありでアトラスに流れ着いた小学生ライター。
■キリエ・グレゴリオ/魔術系アドバイザーとしてイオの手伝いをしていたエルの『息子』吸血鬼で元正教会聖職者。
■ルージュ・バーガンディ/情報を得る為に来ていたら逆に情報提供者になった旧教会関係者。
■名前だけ出た人々
□草間・武彦
□草間・零
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ライター通信
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いつもお世話になっております。
今回は発注有難う御座いました。
内容に反し納品時期が軽く夏を過ぎてますが…お待たせ致しました。土日除いて納期直前のお渡し…になると思います。いや過ぎて月曜になってしまっているかも知れません。…微妙なタイミングで納品してしまっておりますので(え)
今回は御一人様の御参加になりました。
そんな訳で余計なNPCがぞろぞろ出て来ていたり。アトラス系NPC総勢とは行きませんでしたが(むしろアトラス調査依頼でありながら編集長が出てないのは珍しいかもとか)
結果としてゆるゆるグダグダな方向で始まって終わっているような感じです。何だか色々脱線もしているようなしていないような…。
最後にはコータ様と皆でプリンを食べて頂きました。…そしてまた結局スタートに戻る的な…。
ともあれ、如何だったでしょうか。
少なくとも対価分は満足して頂ければ幸いなのですが。
では、また機会がありましたらその時は。
深海残月 拝
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