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<東京怪談ノベル(シングル)>


Anthropic principle -戦闘文学入門-

「ここが坂川かぁ……」
 三島・玲奈は薄汚れた街を見回しながら呟いた。今にも崩れそうなビルを見上げた先には、どんよりとした空があった。
 汚い。
 埃っぽい。
 本当にこんな所で目的の物――そして目的の人物ーーは見つかるのだろうか。
 そもそもが幸先の悪い今回の依頼に不安を覚えつつ、玲奈は握りしめたメモに視線を落とした。
『人間原理』
「とりあえず、こっちが先だね」
 まずは宿題をこなす。努力家の才女らしい玲奈の判断だが、本当に刺激されたのは好奇心。
 玲奈は謎の言葉を頼りに見知らぬ街へと一歩踏み出した。



「今回の依頼は写真じゃないの」
 ある雑誌の懸賞品を調達して来て欲しい、と彼女は言った。聞けば、既に発送作業中の懸賞品に欠品が生じたのだと言う。しかし――
「開運グッズなんですよね? そんな……間に合わせって言うか、その」
(欠品なんて幸先悪い……)
「開運グッズなんて物はね、増幅器に過ぎないのよ」玲奈の言葉尻をとらえて彼女は言う。「奇跡は人が起こす物なの」
 しかし、澱粉を胃薬と偽って治療するのとは違う。現実を暗示にかけるのだ。それは即ち魔法の行使に他ならず、現に護符の類は一定のご利益を上げている。だから廃れない。
「増幅器の性能の問題って事」
 意味ありげな微笑と共に差し出された紙切れを、玲奈は釈然としない気持ちを抱えたまま受け取った。




 アテもなく坂川の街を彷徨った玲奈は、偶々立ち寄った書店で紙切れに書かれた謎のキーワード――人間原理――に関する本を買った。路地裏で不審な男性に声を掛けられたり、道に迷いそうになりながら、漸く一軒の珈琲専門店を見つけ中に入った。
 珈琲を片手に読み進める。

 『人間が万物を認識する為には調査が必要だ。
  だがそれ自体が対象に干渉する行為に他ならない。即ち、干渉する事――触れる事が結果的に事実を確定する。
  よって世界は人間の主観に委ねられる。』

(じゃあ私が白衣を着て願えば看護師になれるの?)
 否、そういう事ではない筈だ。玲奈は更に読み進める。

 『新たな論理学が必要だ。
  事実は明白に白黒つかず、各々の可能性で真偽を語る量子論理学と呼ぶべき物が。
  論理学を演繹すれば哲学、文学となろう。』

(哲学……)
 玲奈の頭に戦闘哲学という単語が浮かんだ。聞き覚えのある言葉だ。
(戦闘哲学……戦闘文学)
 世界を創作し、記述する。
 現実にある無数の可能性(=命題)の真偽を表し、真理値を左右させる事が出来れば――、
『増幅器の性能の問題』
 そういう事か。
(わぉ、これって戦う魔法じゃん)
 自身の閃きに、玲奈の心は踊る。
(アイテムゲットで中ボス撃破ですね!)
「コレ本物?」
 人間原理に夢中になっていた玲奈は、突然背後から聞こえた声と無遠慮に玲奈の耳を掴んだ手に、飛び上がる程驚いた。
 振り返るとそこには、背の高い若い男が立っていた。
 首には古めかしいゴーグルが下げられている。
「もしかして――」
「あ、オッドアイ」
 初めて見た、と男は玲奈の目に顔を近付ける。
 それを押し返すように「あのッ」と強い声を出した玲奈は、男が口を開く前に急いで喋り始めた。
「発掘屋さんですよね? 宝探しで有名な」
「有名かどうかは知らないけど、そういう風に呼ばれてる」
「私、探したい物があるんです」
 協力してもらえませんか。玲奈が訊ねると、発掘屋は至極面倒くさそうな顔をした。
 断られる、と咄嗟に身構えた玲奈に、
「女子高生かぁ……」
と、片手で顔を覆った発掘屋は深い溜息を吐いた。


 とりあえず歩きながら話を聞く、と言う発掘屋に連れられて店を出た。玲奈が大まかな事情を話すと、
「それでなんで俺の所に来るかな」
と発掘屋は肩を落とした。
「有名ですよ。伝説の発掘屋が坂川にいて、どんな物でも探し出す、って」
「尾ひれつきすぎだろ」
「そうなんですか?」
「そうだよ。俺は単に、高く買い取ってもらえる物を探せるってだけ」しかも、と発掘屋は続ける。「開運グッズだろ? こんな寂れた街で幸運を運んでくれそうな代物が手に入ると思うか?」
 それは、確かに……。
 思わず頷きそうになった玲奈だが、ふと思い出して首を振った。
「人間原理です」
「はぁ? 何それ」
 ついさっき本で読んだ知識を玲奈が口にすると、発掘屋は首を振って遮った。難しい話はわからない、と言う。
「えっと、可能性を左右させる、と言うか……確率を変化させると言うか」
「……護符とか?」
「そうです! そういうものです」
 ふぅん、と呟いて少し考える素振りを見せた発掘屋は、
「つまり『本物』なら良いって事だろ」
 まぁそれならどうにかなるか、と遠くを見やって少し笑った。


 発掘屋は街の案内をしてくれるという事も特になく、ずっと南の方へ歩いて行く。彼に着いて行きながら周囲を見回す玲奈は、ただでさえ人の気配が疎らだった街の様子が、歩みを進めるに連れて目に見えてひっそりとしていく事に不安を覚えていた。
(お化け屋敷がいっぱい……)
 見た所住宅地のようだったが、どの家を見ても人が生活している様子はない。まるでゴーストタウンだ。しかも、木造建築ばかりでなんとなく怖い。
 ちらりと隣の発掘屋を盗み見ると、ゴーグルをかけていた。二輪に乗る人がよくかけていそうなゴーグルを徒歩の人間がかけている事に若干の可笑しさを感じたが、何故かよく似合っていた。
「ここら辺で良いか」
 何がですか、と玲奈が訊ねるより前に、発掘屋は一軒の民家に近付いて行った。玄関の引き戸を力一杯叩いた後、お邪魔します、と言って中に入った。
「誰もいないみたいですね……」
 ずかずかと靴のまま家の中を歩き回る発掘屋に、玲奈は遠慮がちに声をかけた。ゴーグルをかけたまま振り返った発掘屋は、そうでもない、と言う。
 首を傾げた玲奈に差し出されたのは発掘屋のゴーグルで、言われるままにかけてみると驚きの光景が目の前に広がった。
 薄ぼんやりとした光が幾つか、家の中を彷徨っている。
「な……なんですか、これ……」
「幽霊」
「ユーレイ!?」
 多分ね、という無責任な言葉を聞きながら、本当にお化け屋敷だったのかと玲奈は背筋が寒くなった。
 発掘屋は光が沢山集まっている部屋へ入って行く。玲奈も着いていくと、そこには神棚があり護符が祀ってあった。
「コレとかどうよ」護符を手に取って発掘屋が振り返る。
「え、でもそれ護符の意味ないんじゃないですか?」幽霊が集まってますよ、と護符に群がる光を見ながら言う。
「……いや、酷い目に遭わせたい奴の家に送りつけるとかして使えば――」
「それじゃあ呪いの品です!」
 駄目か、と舌打ちでもしそうな勢いで発掘屋が護符を投げ捨てた。それで済ませるつもりだったのか。「座敷童でもいれば早いんだけどなぁ」と彼は言う。
 まったくもう、と溜息を吐いた玲奈を他所に、発掘屋は他の部屋を物色しに行った。
「やっぱり難しいなぁ……」
 一口に開運グッズと言っても、要求されているのは現実を暗示にかける増幅器――それも性能の良い物を求められているのは玲奈も薄々勘付いていた。だからあえて、土地勘はないが伝説の発掘屋がいるという坂川に赴いたのに、当の発掘屋は些か頼りない。
 期限は今日明日中。もし今日の内に何の成果も上がらなければ……と考えている玲奈の耳に、向こうの部屋から、おーいジョシコーセー、という間延びした声が聞こえた。
「玲奈です!」
 さっき言ったじゃないですかぁ、と言いながら部屋を覗くと、発掘屋が畳の上に座り込んでいた。
「こっちの部屋は少し温かいですね」
 陽当たりかな、と部屋を見回す玲奈に、発掘屋は子供のように無邪気な笑顔を向けた。
「見てコレ! 招き犬!」
 一瞬、聞き間違いかと思ったが、発掘屋の言葉通り、彼の足の上では招き猫ならぬ招き犬がいた。
 普通は………猫だろう。小判を抱えた白い猫が、そして大抵赤い首輪をした猫が、前の片足を上げて福やお客を招くと言われている。しかし犬というのは聞いた事すらない。
 茶色の犬は首輪が黒で、悪戯っぽくベロを出して笑っている。
「珍しいよな!」いーなー、コレ欲しいなぁ、でも売れないだろうなぁ、とニコニコしながら招き犬を撫でる。「どうよこれ!」
 どうよ、と言われても困ってしまう。視線を逸らした玲奈は、畳の上が泥で汚れている事に気付いた。よく見てみるとそれは何かの足跡のようだ。
(足跡……)
 はっとして視線を上げる。この部屋は他の部屋より温かかった。空中に浮いている光の数が少ない。これは、もしかして――
「使えるかもしれません!」
「だよなー、なんか可笑しいもんな……え? マジ?」
「マジです!」
 てっきり却下されると思っていたのか、発掘屋は唖然として、今時の女子高生は趣味悪いな……、と呟いた。



 坂川駅に戻る途中、玲奈は発掘屋と少し話をした。足跡の事、幽霊らしき光が少なかった事、そして、現実は個人の主観に拠って認識される事。
「だからこれを」そう言って玲奈は招き犬を撫でる。「開運グッズとして受け取るかは人それぞれだし、これによって齎される事を『幸運』だと思えるかはその人次第だと思うんです」
 相変わらず難しい話はわからないという顔で曖昧に頷いた発掘屋は、地下鉄坂川駅付近で玲奈が別れを告げると、最初と同じ言葉を口にした。
「その耳本物?」
「どう思います?」
「作り物だと思う」
「それじゃあ」玲奈は笑って自分の耳に触れる。「そうなんだと思います」
 本当は、本物だ。人狼のジーンキャリアである玲奈は普通の人間とは異なる容姿を持っている。
 しかし、無数にある可能性のどれを選択するかはその人次第だから。
(なんだか面白い事になりそう)
 玲奈はにっこり笑って招き犬を抱きしめた。