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<東京怪談ノベル(シングル)>


Ice cube project



 午前六時。早朝の倉庫街を、一台の車が走っている。メタリックブルーのフィアット・クーペ。タイヤは悲鳴をあげ、車体は朝日を照り返して、ジグザグに倉庫の間を走りぬける。いまにも事故を起こしそうな勢いで、しかし草間は的確なアクセルワークとハンドルさばきをもってフィアットを走らせていた。
「くそ! どこにいやがる!」
 必死の形相で草間が吼えたとたん。ドアミラーが粉々になって吹っ飛んだ。
 狙撃を受けたのだ。それも、レーザーによる狙撃である。見れば、車体のあちこちに大穴があいている。レーザーが通り抜けたのだ。エンジンやガソリンタンクを貫いていないのが幸運ではあったが、修理費を考えればとても幸運とは言えない状態だった。
「ああ。ちくしょう。俺のクルマが……」
 右へ左へとハンドルを切りながら、草間は大声でぼやいた。
 助手席では、三島玲奈が敵の姿を探している。黒い右目が鷹の目のように人影を探り出し、動くものをとらえた瞬間、紫色の左目から光線がほとばしった。
 キィン、という甲高い音。つづけて、倉庫の壁が爆散する轟音が響きわたった。
「しとめたか?」と、草間。
「どうかしら……。ちょっと自信が」
 玲奈が応じた直後、ふたたび赤いレーザー光がボンネットを叩き、黒煙を噴き上げた。
「くそっ!」
 ハンドルをにぎりながら、歯を軋らせる草間。
 それと同時に、玲奈は助手席のドアを開けていた。
「いまので居場所がわかりました」
 言うが早いか、彼女は獣の姿に変化した。銀色の体毛を持つ狼の姿に。そして、そのまま車の外へ飛び出した。
 フィアットは時速五十キロちかい速度で走っていたが、玲奈はそれ以上の速さでアスファルトを駆けた。その眼前に、再度レーザー光線が襲いかかる。
 命中の直前、玲奈は大きく跳躍した。ゆうに五メートル以上の高さを跳び上がり、前脚から着地する。
「ぐあっ!」という悲鳴が上がった。着地と同時に、玲奈の牙が狙撃手の肩を噛み裂いたのだ。がしゃんと音をたててレーザー射出機が転がり、男は路面に倒れて気を失った。
 そこへ、草間の操るフィアットが駆けつけた。ドアを蹴り開けるようにして車を降りた草間は有無を言わせぬ勢いで男の両腕を縛り上げ、腕時計を確認すると、「六時十七分、逮捕」と宣言した。
「逮捕って……」
 すっかり人間の姿にもどった玲奈が、目を丸くした。
 草間は苦りきった顔にほんのわずか笑みを浮かべて、答えた。
「現行犯逮捕は誰にでもできるさ」



 草間興信所。ずぶ濡れの札束とレーザー射出機を間にはさんで、草間と狙撃犯は睨みあっていた。
 男は何もしゃべろうとしない。両腕を後ろに縛られ、肩から血を流しながらも、なにひとつ口を割ろうとしなかった。彼の主張は、ただひとつだけ。「さっさと俺を警察につきだせ」というものだった。
「俺だって、できればそうしたいよ」
 コーヒーカップ片手に、草間は肩をすくめてみせた。
「だが、依頼人がそういう結末を求めてないんだ」
 彼の隣で、玲奈が泣いていた。泣き腫らした顔をうつむかせながら、「どうしてあの人を殺したのか、おしえてよ……」と呟いている。
 恋人のことを言っているのだ。
 数日前、玲奈の恋人が焼死体となって発見された。現場は、幻の地下駅が隠されているとされた昭和橋。その崩落地点。死体の状態は異様だったものの、現場が事実上の密室空間になっていたことから、事故死によるものと推定された。しかし、死の直前に玲奈のもとへ送られたメールから、彼女はこの死が事故でないことを見抜いた。
 メールの内容は「ポリーとアマンダとスコット。コマユバチはアイスエスプレッソがお好き。角氷に注意。GKZ。闇閃。改描」というものだったが、何を意味するものなのか玲奈にはまったくわからなかった。そこで草間興信所に事件の調査を依頼。紆余曲折のあったすえ、こうして犯人をとらえたのである。
 しかし、玲奈にはまだ事件の真相がなにもわかっていなかった。目の前の男が何者なのかということさえ、知らないのだ。
「おねがい、草間さん! 洗いざらい、ぜんぶあばいて!」
 号泣しながら、玲奈は懇願した。
 草間はカップを口元に運び、音を立ててコーヒーを啜った。まるで、泥水でも啜っているような顔だった。彼は狙撃犯のほうへ向きなおり、仕方なくといった調子で切り出した。
「まぁ、だいたいの推理はできあがってるんだが……。まちがってるところがあったら修正してくれ。たのむぜ? 拷問みたいなことは、あんまりしたくないからな」
 そうして、長い話がはじまった。



 アイスキューブ計画というのを知ってるか? ……いや、当事者のアンタに向かって『知ってるか?』と聞くのもおかしな話だな。俺は数日前に初めて知ったんだが、そういう計画があるらしい。どういうものかというと、GKZと呼ばれる宇宙線を兵器として利用する計画だ。こいつはニュートリノのような透過性と同時に高威力の破壊性も備えていて……と、まぁそんなこまかい部分は割愛しよう。玲奈がどうしても聞きたいというなら説明するが。……そうか。必要ないか。苦労して調べたんだがな。まぁいいさ。
 知ってのとおりアイスキューブ計画の首謀者はアメリカで、宇宙線を利用するその性質から、南極スコット基地に施設が置かれている。地球の磁場による影響上、極地のほうが宇宙線を検出しやすいのは玲奈も知ってるよな? 中学校ぐらいの理科で習ったはずだ。
 この計画に携わる連中は、南極人という意味でポリーと自称している。さらに、施設の名前はアマンダ。これで、最初の暗号三つの意味が解けたわけだ。謎解きついでに言うと、コマユバチはWASPを指している。WASPの意味は、世界史の授業で教わったよな?
 ……え? わすれたって? WASPはホワイト・アングロサクソン・プロテスタントの意味で、一般的にアメリカの支配階級をあらわしている。つまり、アイスキューブ計画の首謀者そのものさ。
 そして、エスプレッソは機密地区の別称。調べたところによると、アイスキューブ計画のほとんどは、この機密地区でおこなわれているらしい。優秀な人材なら誰でも出入りできるとされているが、実際のところはWASPに牛耳られている。
 このアイスキューブ計画だが、最終的な目標として世界中の大都市すべてを測定機器で網羅することが挙げられる。大袈裟に言えば、WASPの手で全人類の命を掌握しようというわけだ。無論、まだ準備段階に過ぎないようだが。それでも、ここ東京の地下にはすでにかなりの数の測定器が設置されている。
 このまえ、玲奈も電車が止まって困ったと言ってただろう? 不発弾の処理作業だとか言ってたな。連中は、そういう作業にまぎれて計画を進める。すでに都内のほとんどは掌握されているといっていいだろう。無論、けっして表には出てこない話だ。連中の権力をもってすれば、工作員を始末することも地図を改描することも簡単にできるからな。
 だが、WASPの連中だって別に人類を皆殺しにしようとか、都市そのものを人質にしようとか考えてるわけじゃない。むしろその逆で、あくまでも人類発展のための計画だ。まぁちょっと強引なやりかたではあるがな。
 ところが、一人のポリーがこの計画を誤解した。どういう誤解によるものか知るよしもないが、この計画がWASPによる人種浄化計画だと思い込んだのさ。そこで、彼はすべての機密事項を暴露しようとした。しかし、事前にそれを察知した同僚の手によって殺害された。……そんな顛末さ。この被害者のポリーが玲奈の恋人だったのは、偶然による不幸としか言いようがないな。
 そして、最後の謎解きだ。遺体の見つかった崩落現場は事実上の密室状況だったわけだが、犯人はどうやって被害者を焼き殺したのか。それも、彼からの暗号メールに書いてある。犯人は被害者を地下に呼び出し、地上に置いた氷を使ってレーザーを屈折させることで、本来とどかないはずの場所にまでレーザーを浴びせることができたのさ。もちろん、時間がたてば氷は溶けてなくなってしまう。証拠隠滅も完璧というわけだ。
 以上が名探偵草間の推理だが、どこかまちがってる部分があるか? なぁ、犯人君。



 男は唖然とした顔で草間の顔を見つめ、やがて一言だけ答えた。「ない」と。
 草間はすっかりぬるくなったコーヒーを喉に流し込み、玲奈に向かって微かな笑みを見せた。そして、やはり一言だけ告げた。
「さすが草間さん、と言ってくれていいぜ?」
「さ……、さすが草間さんです」
 なかば呆然として草間の推理に聞き入っていた玲奈は言われたとおりの言葉を口にしてしまったことに気付いて、照れ笑いを浮かべた。その目に、もう涙はなかった。