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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


ある女の趣向品

 女という生き物は、そのほぼ全てが装飾品や調度品といった趣向品に弱い。
 何故、それほどまでに趣向品に弱いのかと問いかければ、巷に居る全ての、そういった品々に見惚れる女性に聞いたとしても、納得のいく回答は得られないだろう。
 ただ、宝石に入ったカットから溢れる妖艶とも表現出来る光に憧れ、かと思えば何十年、何百年も前に作成された調度品の角に入った装飾にですら身も震わせんばかりに感激の色を見せるのだから、全くもってそれらに興味のない人間には理解しかねる世界である。

「しかし、上手く集まったものだな。 少々入手は困難だと思ってはいたが……」

 女は女、けれど少々趣向品に憧れるというよりは、蒐集家のように満足げな、口を一文字にし、眉を吊り上げた黒髪の女性。シリューナ・リュクティアは彼女独特の黒くフォーマルなスタイルに身を包み、暗闇の中で数時間という時を過ごしていた。
「お姉さま。 おねえさまぁー! もうお時間ですよう!」
「ん? ……あぁ」
 暖かな足音が木製の床を歩いている。その硬質過ぎず、軽すぎぬ音はシリューナの耳には聞き慣れたファルス・ティレイラのものだ。
 妹のような、悪い言い方をすれば玩具のような人間ではない少女、ティレイラ。彼女はシリューナの弟子という位置で身を寄せているが、実際習得する筈の魔法薬について、しっかりと学んでいるのかと言えばどちらとも言えない。
 要するに、師であるシリューナの思うところを読みきれない、学習能力が少しばかり悲しい事になっているのがティレイラなのだ。
 そこが可愛い、などとは師匠である身ゆえ、言葉に出すことは無いが。
「時間です。 お姉さま、そろそろ閉店しないと、明日の開店に支障が出てしまいますよ!」
 シリューナが今何を考えているのか、やはりティレイラには分からない。
 分からないからこそ、数秒間シリューナの瞳を凝視して、ついでに手に持った宝石も眺め、綺麗と言った後に零すティレイラの可愛らしいお小言は、しっかりと師の心の隅に落ちてくる。
「そうだ。 そうだな、ティレ。 店は私が閉めよう」
 魔法薬、その効能は多岐に渡るシリューナの得意とする分野の店は本当に数少ない客しか招きはしないが、効能は絶大だ。そして、その効能を生み出す主人は、こと自らの趣向品に熱中するきらいがあるのだ。
 開店し、閉店するまでに眺めたシリューナの興味をひくものは皆、閉店までには店を散らかしている。最後にそれらを片付けるのは決まって、ティレイラだというのに。
「え、じゃ、じゃあ、私はどうしましょう?」
「ティレは倉庫の中を出来る範囲で整頓してきてくれないか? 暫くあそこも放っておき過ぎた」
 シリューナが店の片付けをすると言うと、まるで主人に捨てられた子犬のような顔をするティレイラであったが、当の「主人」からお願いをされればまるで尻尾を生やしたかのように、頬を上げて満面の笑みを見せた。
「はい、お姉さま! ここ暫くお店のお片付けでいっぱいいっぱいでしたし、大分倉庫も散らかっちゃっていますよねっ!」
 私、頑張ってきます。と、言い終わらぬうちに軽い足音はシリューナの側から踵を返す。
「まったく、転ぶでないぞ」
 ティレイラも子供ではない、が、店の整頓と戸締りを確認する前にシリューナは彼女らしくない穏やかな笑みをたたえながら弟子の後ろ姿へと、言葉を投げるのだった。

 ■

 女性は綺麗好き。そんなレッテルを誰が貼ったのだろう。
 もしかしたら、そんな綺麗好きという眼鏡を通してでしか、愛する女性を見る事が出来ない。そんな理由でもあるのだろうか。
「ふう、お姉さまったら、散らかし過ぎにも程がありますよう……」
 魔法薬と聞いただけで、そのジャンルに知識の無い人間からしてみれば狭い部屋に用法の分からない草や鍋の散らかった中で老婆が怪しげな煙を上げている姿を思い浮かべる。そんな人間も少なくは無いだろう。
 半分は当たりで、半分は外れだ。
 シリューナは同性のティレイラから見ても美しい女性であると言えるし、魔法薬の店で怪しげな草を用いる事もあるが、煙ばかり上げているわけではないし、散らかっているといえば師の愛用品である魔力の強い装飾品や家具の類が目立つ。
「アクセサリーは右の棚にいっぱいですし、今度新調しなきゃ……置物も、えっと」
 師の言う装飾品はティレイラで言うアクセサリーだ。どちらも同じものを指すが、シリューナの考えにはその品そのものに魔力をもつ、と言った敬意や畏怖の念も入っている。
(確かに、綺麗ですけれど、これだけあるとなあ)
 可愛らしい形のアクセサリーが倉庫に置かれている筈も無く、少女らしい思考のティレイラは片付け終わった装飾品専用の棚を一瞥した後、肩を落とした。
「お姉さまには似合っても、私には、ね」
 半ばがっかりとしたような、呟きを一つ。静かな倉庫内で漏らせば、天井に開いた窓から夜風の冷たさが身にしみて、そんな季節だったのだと思い知る。

「もう遅いし、さて、次は……うん?」

 店の方はもう戸締りを済ませただろうか。またシリューナは寄り道をして、装飾品に浸っていないだろうか。倉庫整理を早く終わらせなければその確認すら出来ない。
 眺めていた棚から離れ、今まで小ぶりの家具で埋もれていた倉庫の隅に目をやると一際、重そうな石像がティレイラの視界に入った。
(うわ、お姉さまの趣味……なんだろうけど、なんだろう)
 悪趣味と言ってしまうには惜しい、滑らかな造形を持った、今にも動きティレイラの足を掴むような、そんな気にさせられる見事な狼の石像は、何かに足掻く仕草で、研ぎ澄まされた鋭い空気を放っている。
「綺麗……ううん。 なんだか怖い」
 全身の毛を逆立て、全てを威嚇する牙。その口に悪戯に咥えさせたかのように光る宝玉は満月のように穏やかに、しかし新月のような虚ろを感じさせる。ティレイラが近づくにつれ、魅せられる。これは少女特有の好奇心でもあったが、美しいものを愛でる女性の感覚とは程遠くあった。
「……あ」
 悪魔に誘惑されるのと変わらぬ。ティレイラの興味と共に、木製の床を叩く振動も石像へ近づき。
 宝玉が、とれた。
(宝石、取れちゃった)
 師に怒られるという気持ちはすぐには沸いてこなかった、ただ、取れたと思いその石の色の如く虚ろに呟き、秒を数えぬ前に満たされた焦りに変わる。

「や、やだっ! 取れちゃったっ、なんとかしないとっ!」

 細い指先で慌てて拾えば意外にも小さく重量が無いものであると認識する。同時に、初めて見た時に感じた禍々しさが石像を省いた為もあり美しくすら感じた。
「でも、早く戻さなきゃ! ……でも」
 開く狼の口に宝玉を入れる前に、ティレイラは持ち前の好奇心に身を任せていた。つまり、一度は不吉に感じた物を観賞してしまったのである。
「すごく透き通ってる。 本当に、あっ……!?」
 宝玉は、倉庫で唯一開いた窓から覗く月光に美しく照らされていた。それに一瞬でも見入ってしまったのがいけなかったというのだろうか。心臓が鷲づかみにされたような痛みに、ティレイラは驚愕した。
「どうしたの、なんで……そんな!」
 この痛みは死の痛みではない。
 身体が変化してゆく、異形の者になる痛みだ。少女の身体であるティレイラの骨格がしなやかな何かに変わり、皮膚は人ではない体毛を纏い、視界ですら人のそれではなくなる痛み。
(これは、犬? ううん、狼。 ――そんな)
 冷静に判断している場合ではなかったが、頭意外は動かないのだから、変わりゆく自らがどうなってしまうのか、理解してからどうにかシリューナに助けを求めるしかない。
 けれど、どんな姿になろうともティレイラは少女である。人間とは別の存在であったが、人の形を崩すには抵抗も、恥じらいすらもある。
「いやだ……いや」
 身体が狼となって、次は何処か、考えるまでも無い、心臓から徐々に変わり、魔力の薄い部分から侵食されたが、最後に「完全な姿」として変わってしまうのは意思を発する顔なのだ。

 ――お姉さま!

 ティレイラの心は張り裂けそうな程の恐怖で膨れ上がり、シリューナを呼ぶ。
 届くのか、いや、届いて欲しい。
 宝玉を咥えた石像のようになってしまうかと懸念したが、元が人間ではないティレイラには強い魔力への抵抗力が存在する。お陰か、完全な石にはならずとも、じわじわと自らの動きが封印されていくのは分かった。

 ――お姉さまお姉さま! 助けて!

 倉庫の扉へ伸ばした腕は既に人の肌をしておらず、かと言って狼のものとも違う。まさに人と獣の入り混じった異形のティレイラは眼を見開いたまま、願う人物へ届けと腕を伸ばす。

「ティレ? どうかしたか?」

 不安という塊の一切を振り払う強い声色。シリューナが整理の終わらぬティレイラの様子を見にやってきたのだ。多分、いや確実に「遅いではないか」というお小言がついてくるであろうが、それはこの際どうでもいい。
「お、おね……!」
 ティレイラは既に曇った視界に入ってくる師の顔を必死の形相で仰ぎ見て、そして最後の一言を搾り出し。そしてとうとう固まってしまった。
 まさしく、宝玉を咥えた狼の像のように。足掻き、苦しみ、小さな希望に縋らんと言葉を発して。

 ■

 ティレイラの失敗はいつもの事であった。
 本人に言えば怒るか、お姉さまのせいです、とばかりに涙を浮かべながら反論されるだろうが、シリューナからしてみれば魔法薬という危険な薬品を扱う者として当然の注意がティレイラにはない。
「やれやれ、そこが愛らしいのだがな」
 喉から漏れる笑みは女性らしくない、くつくつと鍋が煮えるような音。
「ティレ、この石像は元々人間でな、月の満ち欠けによって人を食らう宝玉で成り立っているものだ。 ……ふふ、能書きはもう聞こえはせんだろうが」
 シリューナの覚えでは、この石像の呪いが消えるのは次の新月まで。
(消してやれなくもないが……はて)
 弟子の仕事が遅いのもいつもの事だ。分かってはいても、可愛いティレイラを放っておける筈もなく、店じまいのついでとばかりに倉庫へ寄ってみれば案の定。狼の石像へと変化しつつある彼女は口元までを獣にしながら石へと変わってしまったのだから。
「これはこれで、罰という事にもなるかもしれんな?」
 話せないのだから、相手の了承など得られはしない。
 ただ、シリューナは趣向品を愛する以上の慈愛に満ちた笑みと、壊れ物を触るかのような手つきで狼の石像と化したティレイラを撫でるのだ。
「ティレ……」
 聞こえない耳元も、やはり狼であって、今は石と化している。
 けれど、そんな事は些細な問題と、シリューナはティレイラの耳元で甘く、吐息を送り込むように囁く。

「私の、可愛いティレ」

 趣向品を愛でる女性のようであり、恋人を愛する人間のようでもある。しかし、同時に悪魔が頭上でけたたましく高笑いをするにも似た、恐ろしい紅を灯したシリューナはそうやって弟子を可愛がるのである。
 美しい、気高い、全くもって理解できない竜の女は。

END