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<東京怪談ノベル(シングル)>


歌よ祈りよ

 好きな人がいた。隣に並び、笑い合い、そして、愛し合う日々が、幸せだった。
 けれどそんな日々は、唐突に奪われた。
「停学処分で済んだことを救いと思いなさい」
 厳しい声が、三島玲奈の耳朶を、突く。
 ぼんやりと虚ろな表情で項垂れていた玲奈は、あれやこれやとかけられる訓告に対し、頷くことも反抗することもせず、ただ、長い髪が垂れ広がる机を、眺めていた。
 好きな人がいた。けれど、その人と愛し合うことを咎められた。
 理由は、おぼろげながら理解していた。戸惑うその人の目の前で、さらりと音を立てて掻き上げられる玲奈の髪。その下から覗いたのは、人にはない、先端の尖った長い耳と、鮫の鰓。
 玲奈は人ではない。突きつけられた言葉に、その人は愕然とした顔で玲奈を見つめてきた。
「彼女は戦艦です。そんな物が徒党を組めば人類はどうなるか……」
 淡々と述べるのは、IO2の職員を称する存在だった。
 人と兵器の恋など愚かでしかない。小難しい言葉で諭す声に、玲奈は怒りにも似た感情が沸く。
 だが、その感情も、唐突に滾り、すぐに落ち着いていく。起伏の激しい心内とは裏腹に、表情は失せ、覇気のない目が、かつて愛し合ったその人を見つめていた。
 期待していた。それでも、と言い縋ってくれるのを。
 だが、理解もしていた。彼の心根に、そんな言葉は、ないのだと。
 もう行きなさい。告げられて、放免されたのだと判ったその人は、逃げるようにその場を立ち去った。
 去っていく背中を見つめながら。けれど、玲奈は泣くことをしなかった。
「いいもん……」
 ポツリと呟いた声を、己の胸中で反芻して。玲奈は、また、不意に滾った激情に任せて、声を荒げた。
「いいもん! あたし、神様の嫁になる!」
 この世の中には神という存在がいるではないか。
 人が駄目なら神を慕う。その心があれば、子を成せずとも構いはすまい。
 だが、噛み付くように訴える玲奈にたいし、返されたのは、非情というより他ない、言葉。
「洗礼も禁止だ。宗教と君の戦力が結びつくと厄介だ」
 抑揚なく告げられる言葉に、玲奈は初めて、目の奥が熱くなるのを感じた。
 不老不死の玲奈は、永く、永く、この差別じみた扱いの中、ただの戦力として使われるしかないのだと、改めて知らしめられたかのようだ。
 兵器だ戦艦だと称するくらいなら、中途半端に人の心など残さなければ良いのに。
 悩み苦しむ様を、嘲笑われているような気がして。指が震えた。
「こんなのってない……いっそ殺して。殺してよ! あたしを今すぐ殺してよ!」
 泣き喚き、殺せと叫ぶ玲奈を、複数の男が押さえつける。
 自殺を図る恐れがあると、全ての武器を没収された。そうしておいて、有事の際はそれらを再び与えて戦地へ放り込むのだろう。
 勝手なことだと吐き捨てるが、淡白でしかない彼らは意にも介さないようだ。
 ふと顔を上げれば、先ほど逃げ出したその人が、つれられるようにして歩かされているのを見つけた。
 目が合えば、その人露骨な嫌悪を見せる。
 口ほどにものを言うそれは、玲奈を好きだと語ったのと同じはずなのに。そこにあるのは、異端の存在を侮蔑する、ただ冷たいだけの眼差しで。
「っ……死んじゃえ!」
 死ね、と。あまりにあっさりと吐き出した玲奈の口もまた、かつてその人に愛を語らったものと、同じはずだったのに――。

 ぐす、と、鼻を啜り、玲奈は立ち尽くしていた。
 周りには、誰もいない。いついなくなったのかも、知れない。
 ただ泣いて喚き続けていた玲奈は、今、どこにいるのかも、理解していなかった。
 ふ、と。何気なく流した視線の端に、本が、映る。
 分厚くて固い表紙のそれは、いかにも難しそうなタイトルが、厳かな字体で記されていた。
「認識しようと人が関わった途端に現実は乱れるゆえ、この世に客観はなく主観が世界を形作る」
 不意に、聞こえてきた、声。ついと玲奈が視線をやれば、痩身の男が、緩やかに微笑みながら佇んでいるのが、目に留まる。
 にこり、と笑いかけられているのを受け止めると、何故だか、頭が冴えた。
「不確定性原理……」
「そう」
 手元の本のタイトルを呟いた玲奈に、男は頷く。
「……あなたは?」
 ようやく思い至った疑問に、男は玲奈の手から本を攫いながら、くすり、笑う。
「あなたが知るまでもない存在です。ただ、呼ぶ名前が必要だというのなら、叶、と」
「叶さん……」
 呟く声に、叶はまた頷いた。そうして、玲奈から預かった本を開いてみせた。
 何を言うでもない。ぱら、ぱらと紙が擦れる音を立ててページを捲る以外、何もしない。
 だが、玲奈の頭の中には、何故だか、一瞬で移り変わっていくページの中身が、刷り込まれるように入ってきた。
 ざぁ、と、激しい音を立てて雨が降る。ここは屋外だったのだろうか。
 風を伴う雨は、淀んだ黒い雲をひたすら泳がせ、時折、激しい轟音とともに雷を閃かせた。
 雨に打たれる玲奈の心は、雨雲と同じように淀んでいく。
 暗く、暗く、まるで奈落に突き落とされるかのような感覚に晒されながら。それでも、玲奈は目の前で本を捲る叶の姿を見つめていた。
「界鏡現象で乱れた世界は支柱を欲した。そうして主観を持つ者――知性体を生んだ」
 訥々と、まるで自分の物ではないかのように、玲奈の口が語る。
 本を捲る叶は、やはり、何を言うでもない。
 ぽたぽたと、玲奈の髪から雫が零れる。
 雨も、風も、雷も、激しさを増す一方で、彼らの間――叶の存在だけは、静かだった。
「競争原理を導入し屋台骨の座を争わせた。人類の天敵……自由意志の、権化」
 ぴたり。雨が、風が、雷が……玲奈の声が、止んだ。
 濡れた顔を拭うこともせず、張り付いた髪や服を払うこともせず、玲奈は、先ほどまでとは違った、どこか吹っ切れたような顔で、きっ、と、空を見上げる。
「ライトを頂戴」
 凛と、通る声に呼応するように、雨雲が晴れる。
 玲奈の頭上に光が注ぎ込まれるのと同時に、彼女の眼前には、得体の知れない、ゾンビや妖怪に良く似た風体の群れが、現れた。
 それは明らかに敵対する意思を以ってそこに存在しているのだが、不思議と、玲奈には臆する気持ちがなかった。
「さぁ」
 促すような叶の声に。世界が姿を変える。
 玲奈の周囲を何かが纏う。それは文字列であり、楽譜であり、歌で、あった。
 すぅ、と大きく息を吸い込んだ玲奈は、とん、と地を蹴って、敵対する存在へと向かった。

 翼の上に降り注ぐ光
 蒼い星空ずっと夢見てる
 夜明けまで月を愛で
 飛んで幾夜スターライトGO

 歌声は静かに、静かに、世界を満たす。
「スターライト」
 誰かが囁くタイトルに応じて、曲が舞う。

 悔しくて涙呑み元気出ない夜
 どんなに心配でも脅えなくていい
 構えて希望を囀れば未来は開ける
 明けない夜は無い私は此処にいる

 旋律が切り替わり、世界の色も応じて変化する。
「存在の歌」
 諭すような声が、曲を導く。

 ほら見て
 星空をちりばめた海より綺麗
 君の歌声輝くよ
 濡れた翼を風で梳かそう

 まるで、彼女の存在を詠うかのように。旋律は玲奈を包み込んだ。
「無限飛行のツアーはいかが」
 囁くように告げた叶を見つめる玲奈は、にこりと微笑むその顔につられるように、ゆるり、笑みを浮かべていた。
 暗がりばかりが広がっていた、どことも知れない世界に。
 色が灯り、形が生まれ、光が満ちた。

 ぱちぱちぱちぱち――。

 目を開けた玲奈の前には、友人たちの姿があった。
 カラオケボックスで歌を披露する玲奈に送られる拍手は、彼女の孤独な闇を埋める。
「ありがとう」
 応える少女に浮かんだのは、満面の笑みだった。