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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


『おかあさんの匂い』


 死の瞬間とは、体が朽ち果てた時なのか、精神が希薄になりとろけてしまった時なのか。医学的な死や世間の心情としての死とはまた別の「死の定義」を、その女は模索し続ける。
 背負ってしまったのは、罪か、それとも・・・。
 足首を強く引かれて飲み込まれそうになる、闇色の渦。轟々と唸る波音に脅えながら、羽根やすめできそうな岩場を捜す。たとえ、背筋を伸ばして翼をはためかして高みを目指しても、その宙は同じ色、紺青の闇なのだ。

 葵・八月(あおい・はちがつ / NPC1735)は缶コーヒーを振ってみる。それはもう空っぽだった。インタビュー中に必要以上に飲み物へと手を伸ばしたのだろう。
「もう一本、お飲みになる?」
 取材の相手、美貌の女社長は、黒と紫のオッドアイを細めてにっこりと微笑む。八月が望めば、ケースで十年分も届けかねない、そう思わせる微笑みだった。
「い、いえ、あまり水物を飲むと、佳境を聞いている時に、ションベン行きたくなる・・・」
 言って、しまったと思ったが、藤田・あやこ(ふじた・あやこ / 7061)は不快な顔もせずに頷いていた。
 八月のこの喉の渇きには理由があった。乾燥の激しい新幹線内。そして慣れないグリーン車の、広い車両でのたった二人きりでのインタビュー。相手は若くてセレブな美人社長。
 いや、それだけではない。「エルフ病」に冒されているというその女性の容姿に、リラックスしろと言うのが無理だと八月は自分に言い聞かせた。羽根や鰓は服や髪で隠せても、兎のように長く先が尖った耳は、黒く艶やかな頭髪の間からにょきりと突き出している。未知の病と聞いているが、本当に感染しないのか。
「取材はもう終わったの? 早くトランプしようよぉ。電車の旅と言えば、トランプよね」
 愛らしい声の主が、あやこのスーツの袖を引いた。厳密には車内は二人ではなく、二人と一台なのだった。エンゼルの白い翼を持つこの女の子は、サイボーグなのだそうだ。
 
 八月は、偶然、飛行戦艦とヒヨコみたいな短髪の少女が空を舞うのを目撃し、カメラにおさめた。その子は、巣から初めて飛び立った小鳥のように頼り無げに飛び、飛行戦艦を追っていた。八月は、新規のエルフ病患者かと思ったのだが・・・。
 カメラをケースに収めた瞬間、屈強な男たちに両腕を取り押さえられた。そのまま車に押し込まれ、連れて行かれたのは、この女社長が経営する芸能プロダクションの応接室だった。
「大作特撮映画の為に製作された、国連と極秘共同開発中の、サイボーグと飛行戦艦なの。今、マスコミ公開されるとマズイのよ。
 写真公開を控えてくれれば・・・映画の取材記事はあなたに一任します」
 つまりどの雑誌も、八月から記事を買うことになる。貧乏ライターから見ればオイシイ仕事だ。八月は二つ返事で承諾した。
 
 青年がジョーカーに指をかけて持ち去った瞬間、あやこはうふふと笑った。
「あーっ!」
 八月はがっくりと肩を落とす。「くそう」と二枚を同じ高さに慎重に並べるが・・・あやこが取っていったのは無情にもダイヤの5だった。
「やった、上がりね」
「ちぇっ、また俺の負けか」
「八月さん、全部顔に出るんだもん」
 とっくに上がっていた三島・玲奈(みしま・れいな / 7134)が、八月が全敗している理由を告げた。楽しそうに、少女特有の笑い声をたてる。
 八月に撮られた時は脳の移植手術直後で、剃った髪が生え始めた時期。今は高価な鬘のおかげで、すっかり緑の黒髪の乙女だ。
 映画は、卑弥呼の時代・江戸時代・三十年後の近未来の三つの時代を行き来する壮大なストーリーで、今回は太秦で江戸時代部分を撮影することになっている。
 八月は、あの時、あやこが必死に作り上げたデマカセを信じ込んだ。
 八月が破天荒な嘘を信じてくれなければ、IO2としては彼の記憶を書き換えるしかなかった。現在の技術では、必要な部分だけを消すことはできず・・・幼児期からの記憶をすっかり失うことになる。
 あやこは、罪のない人間に理不尽に降りかかる不幸は、最小にしたかった。

『地球上の人間は、何故、宇宙に“神”を見るのだろう。何故そこに神が居ると思うのだろう。
 ここで言う“神”は決して救う者ではない。裁く者。この畏れは、どこから来るのだ』
 映画は、数億光年彼方の敵と地球防衛軍が宇宙の存亡をかけて戦うという、壮大なスペースオペラだ。
 あやこの会社は、そんな「今さら」な内容の映画を、製作するハメになった。

 そう、あやこは、罪のない人間に理不尽に降りかかる不幸は、最小にしてあげたかった。
 かつての玲奈は、肉体を切り刻まれた。テロ組織が孤児の少女を誘拐し、脳をバイオ戦艦型怪獣の制御部に使用したのだ。IO2が乗り出し大事にはならずに済んだが・・・。さて、どう「処置」したものか。その戦艦は「生きている人間」同等。
 あやこは、玲奈とは会ったこともなかった。だが一人の女性として、世間が「母性」と呼ぶ、「当たり前の優しさ」が、備わっていた。
 体の無いこの子はもう死んでいるのか? 脳が存在するのに、そんなわけはない。体という受け皿がないというだけで、見殺しになんて、あやこにはできなかった。

 つらい運命を背負って生きる子は、幸せにはなれない?
 かつて、人類が発生してから、幾度となく母の胎内で繰り返された問い。

 自分のクローンを使った(血が繋がっている)からとか、たぶん、そういうことではないのだ。守ろうと思った、その時からあやこは玲奈の母だったのだ。

 あやこの肉体にも複雑な事情があった。
 エルフ病と呼ばれるこの身体は、実は病気などではない。エルフ族の皇女と肉体交換されたのだ。
 未来には、この身体を返す時が来る。だが、あやこも事故などで身体の一部(または全部)を失う可能性からは逃れられない。あやこは律儀にも、クローンを創り保管してあった。玲奈の魂の受け皿に、それを転用したのだ。

「くそう。今度は七ならべにしよう。ババ抜きは苦手なんだ」
 玲奈につきあって始めたトランプ遊びだが、八月がムキになってカードを切り始める。あやこは呆れて、「車中の小さなテーブルでは無理だわ」と止めるが、「床に広げればいいだろう? どうせ京都まで貸し切り状態だし」と譲らない。
 最初はあやこ達と距離を隔てようとしていた八月だが、二時間足らずの旅行で少し打ち解けたのかもしれない。もともと単純なヒトのようだし。
 玲奈も楽しそうに「やる、やる♪」とスカート姿で膝をつく。あやことしては、サイボーグとして精巧すぎて不審に思われるといけないし、八月と仲良くしてほしくはないのだが。
「あたしの番かぁ。・・・ええと、パス2。・・・誰か、ココ、ずっと止めてるよね?」
 玲奈があやこを疑いの目で見るので、「え、私じゃないわよ」と否定する。
「うぉっほん、俺だよ。玲奈ちゃん、カード出して欲しければ、何か隠し芸すること」
「えーっ。・・・猿耳っ!」
 耳を髪から出すだけの一発芸は、尖った玲奈のそれでは猿の耳には見えないのだけれど。
「あはははは」
 八月は、大きな声を上げて笑った。
 あやこはふと、親子で遊ぶのってこんな感じかしらなんて思ったりした。


 京都に着くとハイヤーでホテルに向かい、あやこと玲奈でスイート全室を占領した。撮影は明日の早朝からなので、観光はせずホテルで早く休むことにしてある。

 一つ嘘を付くと、それをごまかす為に次々と偽りを続けなければいけない。
 あやこは、玲奈にも嘘を付いていた。
 彼女の誕生のいきさつを隠し、元の体は世界を救う為に使われたことになっていた。
「極秘なので誰も知らないけど、あなたはこの世界を救ったのよ。誇りを持って生きなさいね」
 話が長くて嫌われる校長だって、もっとマシな励ましを言いそうだ。だが、玲奈はその設定を信じ、それを心の支えに生活しているように見えた。
 玲奈の記憶も改竄してあるが・・・実際、玲奈がどこまで覚えているのか、あやこに知る術はない。彼女は口では「なーんにも覚えてないよ」と投げやりに言うだけだ。

「ねえー、お腹すいたんだけどー」
 玲奈は、人前ではもちろん、二人だけの時も滅多にあやこを「おかあさん」とは呼ばない。「ねえー」とか「ちょっとー」と呼ぶ。この体があやこと血が繋がることは知っているが、母と認めるには抵抗がある。
 玲奈がドアを次々と開けながら、駄々っ子のように空腹を訴える。しかし目当てのあやこの姿を発見することはできない。金にあかして(というか、秘密保持の為なんだろう)スイートのフロアを借り切ったものの、部屋が多くても不便なものだ。
 やっと、鞄や服が置かれた、人の気配のする部屋に辿り着いたが・・・あやこはシャワー中のようで。暫くこの応接間で待つのが良さそうだ。
「勝手に出前頼んじゃっていいかなあ。でも、どうすればいいんだろ?」
ルームサービスのメニューはあるものの、手順もシステムもわからない。

「あっ。痛っ」
 椅子に立てかけてあったアタッシュケースに、肘が引っかかった。硬い音をたてて鞄は床に落ち、書類が散らばった。バイオテクノロジーを悪用したテロ組織の記録。玲奈には関係ない、あやこの科学関係の仕事の書類だろう。それとも、映画の設定考証に必要な資料だろうか。二重に封筒に入れられていたが、ケースの金具に引っ掛かり封筒が切れたようだ。
「怒られちゃう。早く戻さないと」
     え?
 難解な言葉の羅列の中、自分のフルネームが視界をよぎった。
 テロ組織なんて、玲奈には関係ない筈だった。なのに、なぜ、自分の名が? 

「あら、玲奈。・・・ねえ、見て、どう?」
 応接間に戻ってきたあやこは、浴衣を着ていた。
「遊びには出られないけれど、せっかくの京都だし。湯上がりに浴衣を着ようと思って、ホテルに届けさせておいたの」
 白地に藍が目にしみる、金魚柄の涼しげな浴衣だった。
「あなたのも、あるのよ。後で着せてあげるわね」
 無邪気に団扇で涼を取るあやこに、無性に腹が立った。
「おかーさんっ!?」
 突然そう呼ばれ、あやこは扇ぐ手を止めた。
「この書類、なに? おかあさんは、あたしの体は薬として使われたって言ったよね? ウソだったんだ? 
 あたしは、身寄りがないからどうでもいいだろうって思われて誘拐されて。体は必要ないからって捨てられて。テロ組織を倒した後も、あたしの心はまだ生きてたのに、不要なものとして廃棄されようとしてたんだ?
 おかあさんのうそつきーーーっ! だいっきらいっ!」
 玲奈は手に持った書類をぐちゃりと握ると、床に叩きつけた。そして、次に、テーブルにあったウェルカムフルーツを握ってあやこに投げつけた。
「痛っ」
 完熟マンゴーがあやこの額に直撃した。果汁が白い浴衣に飛んだ。
 映画の撮影にかこつけて、少しずつ、世間にも玲奈にも真実を明かしていく計画だった。こんな形で、一番傷ついてほしくなかった玲奈に知られてしまうなんて。
 あやこは言葉が出てこなかった。
 傷ついたこの子に、今、どんな言い訳を言っても、慰めを言っても、耳を素通りするだけだろう。
 次に投げられた大きな房のアレキサンドリアは、あやこの肩に当たり、シミを作ってばさりと落ちた。

 クローンに玲奈の脳を移植した時、「あ、これで私に娘ができるのかも?」と、不謹慎にも少しときめいた。エルフ皇女の自分の体は、あやこの意志で子供を産んだりは許されない。母になることは諦めていたのだから。
 この額の痛みは、肩の痛みは、そのことへの罰なのか。

 違う。
 ここで認めてしまったら。「うそつき」で「だいきらい」をそのまま認めてしまったら。二度と関係は修復できない。
 あやこは大きく息を吸い込んだ。

 つかつかと玲奈の前に歩み寄ると、あやこは、娘の頬を叩いた。
「親に物を投げるなんて、許しませんよ!
 言いたいことがあったら、言葉で訴えなさい。きちんと聞いてあげますから」
 玲奈は、きょとんと、叩かれた頬に手をあててあやこを見上げた。「ほんとうのおかあさん」なんて記憶にないのに。それはまるで、その知らない記憶のひとに叱られたようだった。
 シャボンの匂いがした。

「お腹が空いているんでしょ。何か食べたら、少し気持ちが落ち着くわ。
 話は、食事の後にしましょう」
 一瞬前とは違う穏やかな口調であやこは微笑むと、部屋の受話器を取って、ディナーを注文した。
 あやこはいつの間にこんなに的確に知ったのだろう。玲奈の好物と苦手な食材を。
「三十分くらいで出来ますって。
 我慢できる? それとも、フライングして果物食べちゃう?」
「待つ・・・」
 玲奈は気持ちを爆発させた居たたまれなさも有り、ぶっきらぼうに答える。
「じゃあその間に、浴衣、着せてあげようか。これからご飯だから、腰ひもも帯もゆるく着付けてあげるわね」
 唇を噛んで上目使いにあやこを見る玲奈の、睨むに似たその表情は、しかし「イエス」だ。

 食事を終えたら、つらい真相を聞かされるのかもしれない。
 でも、今は。
「ほら、手を上げて。・・・そんなに上げなくていいの! 横断歩道を渡るんじゃないんだから。もーう、せっかくおはしょりを整えたのに、着崩れちゃったじゃない」
 あやこも、子供に浴衣を着付けるのなんて慣れてないらしく、悪戦苦闘している。
 藍地に赤い金魚柄は、あやこのものと色違いだ。
 玲奈は、糊の利くバリっとした肌触りを心地よく感じた。

 戦いに巻き込まれた遠い土地、子供らの未来を思い、平和な国々は同情で眉をひそめる。だが、家を無くした家族が集って暮らす避難地で、一日中母親と遊ぶ幼い子の瞳は輝いている。
 その幼児が不幸だなんて、誰も決めつけることはできない。

 これはこれで、あたしは幸せな子供なのかもと思った。

 
< END >