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<東京怪談ノベル(シングル)>


<引裂かれた夜>

「ん、っ! は、ぁ……!」
 白く柔らかな皮膚に無骨な指先が食い込み、彼女はふっくらとした唇を喘ぐように開いた。男の腕から逃れようと振り翳した細い腕は、プロテクターに覆われた男の腕によって安易に捉えられ、冷たいコンクリートの壁面へと容赦無く叩き付けられる。
「……っ、あ、ぁ!」
 右腕を貫いた激痛に、彼女は帯の隙間から取り出した苦無をフロアの上へと放してしまう。落下と同時に反響した金属音が消えるより先に男の靴先が苦無を捉えると、男はフロアの奥に向かって薙ぎに蹴った。男の動きに弾かれるように視線が愛器を追うが、彼女の網膜が刀身を捉えるよりも先に、磨き上げられた切っ先が冷たいコンクリートのフロアへと突き刺さる。
「余所見をするな」
「あ、ぐ……っ!」
 言葉が終ると同時に彼女の喉を鷲掴みにした腕を頭上へ掲げると、男は鮮血に濡れたたおやかな肢体をフロアの奥へ振り投げる。頭からコンクリートに激突する刹那、彼女の細胞に刻み込まれたし忍びの本能が僅かに目を覚ました。
「……っ! は、ぁ!」
 麻痺した身体を強引に反転させ背中で衝撃を受け止めるが、投げられた力を弱める事は出来ず、彼女の身体は数メートル先のフロアの床まで滑り静止した。
 豊満な胸を抱くように心臓の前で両腕を交差させ、酸素を求めるように顎を上げて唇を開く。美しく染められた瑠璃色の着物は男の打撃により無残に引裂かれ、彼女の身体を汚す真紅が布地を黒紅へと染めていく。百合のように白い肌を隠す漆黒のインナーは衣服としての機能を殆ど失い、繊維の残骸へと成り果てている。着地の衝撃で胸骨にひびが入り、起き上がろうと肘を張った彼女の身体が信号を拒絶したように短く痙攣を起こした。
「……無様だな、女」
 淀んだ大気の中に抑揚の無い男の声が静かに響いた。
『……い、て。……おね、が……い……』
 辛うじて開いた瞼の先には破壊されて点滅するラウンライトの乳白色が広がり、抉られて剥き出しになった配線からは伸びたケーブルが命の灯火のように火花を散らしていた。軋む首を僅かに右に向けると、視線の先に黒く光る金属が斜めに突き刺さっている姿を捉える。
『……おねがい……うご、いて……。もうすこし、だけで、い、いです、から……』
 感覚を失った指先でそれに触れようと、彼女は懸命に腕を延ばした。普段の彼女なら意識をしなくとも手にする事の出来る愛器が、この時ばかりは遥かに遠く、そして彼女を拒絶する異なる何かに映って見えた。
『おねがい……! わたしに、ちからを……!』
 鮮血を靴底に残しながら歩く男の脚が、彼女の顔の直ぐ傍で止まった。声を失ったように呼吸だけを繰り返す彼女の唇からは血液と唾液で濡れた浅蘇芳の舌が覗き、腕が這ったコンクリートの表面には鮮やかな真紅が緩やかな曲線が残されている。生を繋ごうと胸を上下させる彼女を見下ろす男の姿からは、僅かな感情すらも伺い知る事は出来なかった。
「……最後だ。美しい華を咲かせてやろう」
 残された視界が闇に閉ざされる。
 彼女の肢体に、鮮やかな真紅の華がひとつ散った。


<引裂かれた夜>
 絶望よりも深い、闇

 
 排気ダクトの金属網を静かに取り外し無人に等しいフロアの様子を肉眼で確認した水嶋琴美は、漆黒の髪を細い指先で流し、溜息のようにゆっくりと息を吐き出した。
『……粗末な警備ですね。これでは、口を開けて待っているのと変わりがありません』
 今回、彼女が行う任務は、某国のマネーロンダリングに加担しているとされる金融機関のホストに潜入し、金の流れが記録されたデータを盗み出すというものだった。組織に持ち込まれる膨大な情報の中で軽視する事が出来ないものの一部に匿名によるリークがあり、今回の件もホスト不明のメールから送信されたものだった。裏付けを行った調査班によると、目的のサーバールーム周辺は不自然な程にセキュリティレベルが低い区画であるとの報告がされていた。
『……ですが、少し不気味でもありますね。我々の知らない警備システムが備えられていか、あるいはこの場所自体がデコイか』
 ダクトの縁を逆手に掴むと、琴美は倒立前転のようなゆっくりとした動きで排気口からフロアへと着地した。消音効果が施された特殊なブーツは、彼女の猫のようなしなやかな動きの全てを受け止め遮音する。目的のサーバールームまでは2ブロックあるが、赤外線センサーすら設置されていない場所ならば歩いて辿り着く事すら彼女には可能だった。
『油断は禁物です。行きましょう、水嶋琴美』
 自戒を込めた言葉を心の中で告げると、琴美は低い体勢から跳躍をするようにフロアを蹴り上げた。重力に従うように彼女の豊満な胸が大きく揺さ振られ、下肢を覆う着物の裾が煽られたように捲り上がる。彼女の身体に密着したスパッツが露になり、無駄な脂肪が一切無い完璧なまでのヒップラインが覗く。だが、その妖艶さに見惚れた者はこの世界には一人も存在していない。それは、彼女の美しさに目を奪われた瞬間には息の根が止められているという事を意味していた。

 サーバールームを目前にしたフロアの真ん中で、琴美は突然足を止め辺りを見渡した。身体を舐め回すようなねっとりと纏わり付く違和感に、彼女は帯の隙間から苦無を取り出し逆手に構えた。呼吸を整え耳を澄まし、肌に触れる空気の僅かな流れすら逃さないように慎重に視界を巡らせた時、世界が大きく揺れた。
 目的地とは逆のフロア側で何かが砕けるような音が鼓膜を揺さ振り、琴美は苦無を構えたまま息を細く吐き出した。砕ける音は徐々に近付き、彼女の三メートル手前で停止する。ずん、と小さく縦揺れが起こった後、振動に重なるように大きな衝撃がフロアへと直下する。轟音と煙を身に纏い、コンクリートの天井を破壊してフロアに降り立ったのは、琴美が最も忌み嫌う男姿だった。
「貧の無い現れ方ですね、ディテクター」
「生きていたのか……水嶋琴美」
 瞬間、彼女は調査班の報告が、一分の狂いも無く正しいものであった事を確信した。殺気の塊と呼ぶに等しい男ディテクター、その男がこの場所に現れたという事は、ビルがIO2の管轄下にある事を無言で示している。IO2には最も信頼する番狗が存在し、対外的なセキュリティに意味が無い事も彼女は理解していた。
『……全ては、仕組まれていたという事ですね』
 偽の情報を組織へ流し、テリトリーの中へとエージェントを招き入れ始末をする。相手にとって良くも悪くも誤算であったのが、彼女、水嶋琴美の存在だった。
『どこまでが本当であったのか、真相を確かめる必要がありそうですね』
 柔らかな琴美の黒髪が、風になびくように空を踊る。直立していたディテクターは僅かに体勢を低くしグローブに覆われた拳を構える。ばちん、と天井から垂れ下がった蛍光灯の一本がスパークした瞬間、二つの影は同時に床を蹴り上げた。

「はぁぁぁっ!」
 空中で二度の火花が炸裂した。両方の拳が装甲と金属を掠め、擦れ違うように逆方向へと着地をした二人だったが、先に反転をし攻撃の態勢を取ったのは琴美だった。通常、体格差が数倍もある相手ならば初撃で喉を捉える事が出来る。だが、男はハンディとなる体重を驚異的な反応速度と先読みでカバーしていた。初見の相手ならば確実に読まれる事のない彼女の動きも、何度も対峙を繰り返す男の前では曝け出されているに等しい。だが、経験が攻撃の手を助けてくれるという意味では彼女も同じだった。
「やぁっ!!」
「……チッ」
 正拳に突き出される拳を外側へ向かうように回避し、視覚の端から急所を捉えるように苦無の切っ先を向ける。が、琴美の刀身は男の短い髪を捉える事は出来たものの、皮膚にまで辿り着く事は出来なかった。腕を伸ばした事でがら空きになった懐へディテクターの二撃目が打ち込まれる。
「くっ!」
 寸での所でバックステップをし男の拳を回避するが、グローブに埋め込まれた金属の切っ先が琴美の着物とインナーを大きく袈裟懸けに切り裂いた。インナーの隙間から赤い一筋の線が覗き、彼女の白く美しい肌の表面にじわりと滲んでいく。
『リーチでは絶対に勝つ事は出来ません。……絶対に懐に入り込まなければ!』
 体勢を低くした男が、突進をするように琴美へと飛び込んで来た。体重の乗った男の突進を食らえば、琴美のような細い女性は無事では済まない。さらに重心を低くした琴美は擦れ違い様に男の脇側へと潜り込み、手の甲で男の顎を打ち上げ、僅かに重心が傾いた上半身へ拳を叩き込んだ。が、男の身体は僅かによろめいた程度で明確なダメージには至らなかった。再度バックステップで間合いを取ろうとした彼女の身体が、不自然に空へと舞い上がる。逆の腕が琴美の頭部を捉え、腕の力だけで軽い肢体をフロアの上へと叩き落す。
「あ、ぐっ!」
 フロアの上に横たわった肢体へ向け、続け様に男の拳が琴美の腹部を狙う。が、拳の到達した場所は彼女の柔らかな肌ではなく冷たいコンクリートの上だった。
「同じ手は……二度も通用しません!」
 琴美の美しい声が濁った空間に響いた瞬間、ディテクターの視界が僅かに歪んだ。男の背後へと回りこんだ琴美は、その豊満な胸の間に相手の頭部を挟み込むようにして首をホールドし、腕の力を利用してディテクターの喉へと苦無を付き立てた。プロテクターを突き破った苦無の切っ先が男の喉へと突き刺さる瞬間、彼女の身体が再度空を舞い、背負い投げの要領でフロアの上へと叩き落された。引裂かれたインナーから肌が大きく露出し、赤く濡れた谷間が曝け出される。受身を取る事が出来なかった為、叩き落された瞬間のダメージを全て受けてしまい彼女の痛覚神経を突き刺した。
「ぁ、ぅ、っ……!」
「……小賢しい真似を」
 プロテクターに突き刺さった苦無を引き抜きフロアへと投げ捨てた男は、掌を強く握り締めると琴美の肢体へ向け再度拳を叩き落した。一撃、二撃、三撃と、数を重ねる毎に男の拳は重さを増す。拳が白い肌へと食い込み、切っ先が彼女の衣服を切り裂く。真紅の傷跡が重なるように増えていき、滴り落ちた鮮血がコンクリートの中へと染み込んだ。
「っ、は、ぁ……っ!」
 ディテクターの拳が腹部から胸部へと上がり、琴美の細い首を捉える。酸素の求めるように大きく開いた唇から、血液の混じった唾液が滴り落ちた。
「哀れみをくれてやろう。それが手向けだ」
 瞬間、琴美は初めて男の裸眼と視線を合わせた。


..........................Fin