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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


この手で掴むもの


 長身を窮屈そうに曲げてほとんど机を覆ってしまうように突っ伏している姿は、教室内を見渡せる位置にある教卓からはとても目立つ。事情があることを知りつつも、やや困り顔で眉尻を下げた教師は、ソフィーの方を向いて問うた。
「試合でもあるのか?」
 ソフィーはちらりと真吾の方を見た後、再び担任の教師に向かって言った。
「プロテストが近いんです」
 その一言で教室内は俄かに色めきたった。騒々しくなる教室に苦笑を漏らしつつ、教師はソフィーに言った。
「俺の方から先生方に一応伝えてはおくが、できるだけ起きて真面目に受けるように言ってくれ。それかもう少し目立たないようにしろってな」
 堂々と寝られると困る先生もいらっしゃるだろうから、と言い置いて、教師は朝の定例職員会議のために教室を出て行った。途端に生徒達は自分の席を離れて、あちらこちらで噂し合う。そのあまりの騒々しさに眠りから覚醒した真吾は、のろのろと顔を上げた。
「お、鬼山が起きたぞ!」
 起きたんじゃない、起こされたんだ、と内心で思いつつ、真吾は騒々しさの理由を聞こうとソフィーの姿を探した。ところがソフィーの方は女子たちに囲まれて、何やら照れたようにやや頬を赤らめている。真吾が訝しがって眉をひそめていると、先ほど声を上げた男子生徒がこちらへ寄ってきた。
「プロテスト受けるんだって?すげーよな!俺らのクラスからプロボクサー誕生かよ」
 真吾はやや肩を竦めて答えた。
「…C級からだし。それにまだ受かるって決まってねーよ」
 とは言いつつも、受かる自信はあった。ジムの会長の話では、プロテストは筆記とスパーリングを2ラウンド見るそうだ。筆記テストの対策は、あらかじめ対策用の問題を貰っているので、それを丸暗記すればいいらしかった。スパーリングの方は手数を見るらしいので、その点会長は心配していないと言っていた。ただ、パンチをもらいすぎてもよくないらしいので、いつもよりもディフェンスに気を配れ、とは言われた。2ラウンドだからスタミナの心配も然程されていない。
「むしろお前の腕なら相手の受験者を早々にノックアウトしかねん。そうなると技能を見るどころではなくなるから、多少の手加減はしてやれよ」とは会長の言だ。
 相手は多分最初、舐めてかかってくるか必要以上に警戒してくるかのどっちかだ、と会長は言っていた。身長のわりに体重の軽い真吾は、体格的に薄っぺらい、と相手に思わせるか、或いは長身で相手に威圧感を与えるかのどちらかだ。
 つらつらと考えている間にも、目の前のクラスメイトは何やら語っていて、最後には「じゃあ頑張れよ!」と笑顔で去っていった。そうすると今度は別の生徒が集まってきて、真吾を囲んでわいわいと喋りだす。「ああ」とか「そうだな」とか適当な相槌を打ちながらも、真吾は再び襲い来る睡魔には抗えず、盛り上がるクラスメイト達を放って曲げた腕の上に顔を伏せたのだった。
 一方ソフィーは女生徒たちに囲まれて、まだプロ入りが決まったわけでもない上に、ソフィーが受けるわけでもないのに「おめでとう」を連発されていた。曖昧に笑いながら返していると、一人の女生徒がほうっと溜息を吐く。
「でもいいよねー。かっこよくて強い彼氏なんて…鬼山君に比べたら大抵の男子なんて芋じゃない?」
「そりゃあソフィーちゃんこんだけカワイイんだからさぁ、やっぱり男の方もそれに吊り合うぐらいでないと」
「でもさ、心配じゃない?ボクシングって結構おっきな怪我とかしそうじゃん」
 確かに格闘技の中でもボクシングはかなり危険な部類に入るだろう。けれど真吾がそれよりもある意味で危険な仕事を『家業』としていることを知っているソフィーは、思わず苦笑が漏れたのだった。
「私は真吾が何をしていても、支えられればいいから」
「うわーあっつあつ!」
 やいのやいのと冷やかしてくるクラスメイトの言葉にやや頬を赤らめつつ、ソフィーは真吾の方を見た。同じくクラスメイトに囲まれていながら、マイペースにも机に突っ伏してしまっている。きっと疲れているのだろうと思ったけれども、クラスメイトに囲まれているその姿はソフィーの心を優しく撫でた。小さく微笑を零して、再び女生徒達と向き合う。
「ソフィーちゃんもサポート頑張ってね」
「えぇ」
 その返答には幸福感と自信とに満ち溢れていて、その時微笑んだソフィーの表情はとても輝いて見えた。

「ただいまー」
 結局学校ではそれこそ普段はまったく話さないような人間にまで話しかけられたりして、あまり眠ることができなかった。ロードワークの前に少し寝ておくか、と着替えもせずにベッドに倒れこむ。疲れているはずなのに、なぜか気持ちがふわふわとしていて落ち着かなかった。
 うつ伏せていた体をごろりと転がして仰向けになる。天井に向かって伸ばした右手をじっと観察した。節くれだった大きな手だ。ぎゅっと拳を握りこむ。この手で今まで色々なものと戦ってきたが、今度は自分のために戦うことになる。誰に決められたことでもない、自分で決めたことだった。高校生であり、家業の退邪士を続けつつプロボクサーになるというのは、難しいことなのかもしれない。けれども自分のこの大きな手は、それら全部を掴むためにでかいのだ、と思いたかった。
「絶対ぇ合格する」
 呟いて、腹筋だけで勢いよく体を起こす。何だか眠る気分ではなくなってしまった。いつもより時間は早いが、ロードワークに行ってこよう。少し長めの距離を走って、早めに帰ってこれたらペーパーテストの問題の暗記時間に当てればいい。
 廊下でソフィーと擦れ違った。ソフィーは真吾の様子を見て、ふふっと小さく笑みを漏らす。
「?どうした」
 真吾が立ち止まって問いかけると、ソフィーは一層笑みを深くしつつも首を振った。
「何でもないわ。ただ、これから二人でみんなの期待に応えていきましょう、と言いたかったの」
「そうか」
 真吾も自然微笑を零す。そうだ。自分ひとりの夢ではない。こうして今は支えてくれる人もいるのだから――。

 無事にプロライセンスを獲得した真吾は、ジムの会長の部屋で色々と今後の心構えなどを聞いていた。それにしてもさっきから同じことを何度も繰り返しているが、普段はこんな風に長々と話す人じゃないのに、一体どうしたんだろうと真吾が内心で首を傾げていると、部屋の扉をノックする音が聞こえた。何故か会長がほっとしたように息を吐く。「入っていいぞ」という声が少し笑っていた。
「失礼します」
 入ってきたのはジムのマネージャーだった。何か仕事の話かと思って真吾が部屋を出るべきかどうか示唆していると、会長が目でここにいろ、と合図をした。真吾はわけがわからないまま取り合えず体を机の真正面から脇に避ける。
「新しい雑用のバイトを雇いました。先に会長に挨拶を、と思ったので連れて来ました」
 どうせ後でジムの連中にも一斉に紹介されるのだろうから、自分がここにいる必要はないのではないかと思ったが、その考えもその後に入って来た人物の姿で一瞬にして消え去った。
「ソ…!」
「初めまして。ソフィー・ブルックと申します。一生懸命ジムの皆様のお手伝いをさせていただきたいと思っていますので、どうぞこれからよろしくお願い致します」
 ソフィーは真吾の方は見ず、真っ直ぐ会長に向かって挨拶すると、丁寧な辞儀をした。真吾がようやくソフィーから視線をはがして会長の方を見ると、ニヤニヤとした笑みを浮かべている。
「可愛い子じゃないか。なぁ鬼山?」
 真吾が何も言えないでいるのを明らかに面白がっている様子だ。会長は驚いた顔の真吾を見て満足したらしく、「あんまりジムではいちゃいちゃするなよ」と言ってから、2人をマネージャーと一緒に退室させた。このままジムのみんなに挨拶するらしい。
「…あの含み笑いはコレか」
 数日前の遣り取りを思い出して、何となく悔しいような気持ちで真吾が言うと、ソフィーは悪戯っぽく笑って言った。
「言ったでしょう?これから、2人で、みんなの期待に応えていきましょうって」
 ソフィーの笑顔に、真吾もプロテストに合格したこと、そしてこうしてすぐ側で大切な人が自分をこれからも支えてくれることなどに対する喜びが、じわじわと胸の内で広がりだした。けれどその喜びはとても大きくて、うまく言葉にはできないもので、だから真吾が口にしたのはたった一言だけだった。
「……そうだな」


 END.