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<東京怪談ノベル(シングル)>


Pseudepigraph de l'apocalypse

 今世紀最大と称される国際的プロジェクトが、世界各国の報道陣を前に成功を収めようとしている。
 地上と成層圏をつなぐ高分子のレアメタルワイヤー。
 ワイヤーをたどるように1機の円盤が浮き上がり、そのまま上昇して虚空へと消えて行く。その光景を、地上の人々は歓声とともに見上げていた。

 地球周回軌道――
 対地高度400kmに位置する宇宙船。
 漆黒の闇の中、蒼い地球を眼下に望みながら、他の衛星群と同じようにポツンと浮かんでいる。
 その船内では、各国の政府関係者、技術者、マスメディアなどが地球から浮上してきた円盤とのドッキングの瞬間を、かすかな緊張と、未来への希望とともに待ちわびていた。
 徐々に接近してくる円盤がモニターに映し出され、それに呼応するかのようにカウントダウンが開始される。
 船内にいる誰もが成功を確信し、お祭り騒ぎにも等しい状況である。
 わずかな衝撃とともに、円盤と宇宙船が接触する。
 一際、大きな歓声が巻き起こった。
 ハッチが開放され、円盤に乗りこんでいた人々が続々と宇宙船に移ってくる。互いに握手を交わし、その場にいる全員が実験の成功を祝っていた。

 宇宙船、制御室。
 モニターに映る人々の歓喜を目にしながら、三島玲奈は短い嘆息を漏らした。
「あたし、政争の道具じゃないんだけど……」
 どこか憮然とした表情で玲奈はつぶやいた。
 周囲では多くの技術者たちが実験の成功を祝い、また同時にデータの解析を進めている。実験の成功に伴って制御室の雰囲気は明るくなり、技術者たちの全身から喜びが感じられる。
 そんな中、憮然とした玲奈だけが場違いな雰囲気を発している。しかし、歓喜に酔いしれる技術者たちは、そんな玲奈の様子に気づく素振りもない。
「本来、おまえはテロ組織の兵器でしかないんだ。IO2の隠蔽能力と温情に感謝することだな。このまま平和目的の国際宇宙船を演じるんだ」
 玲奈の背後に立つ鬼鮫が静かに告げた。
 与党、環境党が日本主導で推し進めてきた高軌道リフト計画。JAXA、NASA、ESAなどを巻きこみ、その起動実験はたった今、成功を収めた。だが、その計画の裏ではIO2が暗躍し、国際的な政争に加担していることも、また事実であった。

 渋谷、109前。
「これは黙示録の前触れである!」
 スクランブル交差点が見渡せる位置に陣取った街宣車のスピーカーから、男の声が街に響き渡る。
 街宣車の車体には「電波党」の文字が大きく記されている。
 車体の屋根に設置されたデッキの上では、マイクを握った男が声高に叫んでいる。
「この計画は中止されるべきなのだ! 虚空に浮かぶ鉄塊は燃える星と化し、そう遠くない未来、海へ没するだろう! やがて深き闇の底よりアバドンの蝗が群れを成し、世界を蹂躙する! そうなってからでは遅い! 黙示録を成就させてはならないっ!」
 世界は破滅へ向かっている、と男は訴える。しかし、それに耳を傾ける者は少ない。大概の者が頭のおかしい人間の世迷言だと思い、無関心を装って街宣車の前を通り過ぎる。
 だが、それでも男は熱のこもった様子で訴え続ける。
 環境党が掲げる高軌道リフト計画は危険であると。
 大気圏外に浮かぶ宇宙船は、やがて墜落し、それが黙示録の引金になると。

 臨時召集国会。
 高軌道リフトの是非を巡って議論は紛糾し、議場には怒号にも似たヤジが飛び交っている。このまま計画を推し進めたい与党と、実験の危険性と、運用費の国庫負担などで反対する野党。議論は平行線をたどり、妥協案が見出せずにいた。
 議論の中でも野党側が論点に掲げているのが、地球周回軌道上に浮かぶ宇宙船の危険性だ。昨今、電波党なる団体を中心に、宇宙船の地上墜落の危険性が世間で話題となり、高らかに実験成功を賞賛していたマスメディアですら、宇宙船が地球へ墜落した際の被害規模を取りざたし、手のひらを返したかのように危険を訴え始めている。
 野党にとっては政権側を非難する格好の攻撃材料であったが、与党、そして計画に加わるJAXAも「一切、危険はない」とし、それらの追求を跳ね除けていた。

 渋谷、電波党本部周辺。
 電波党による「高軌道リフト計画=黙示録」説は、そう時間を置かずして一部の市民に受け入れられ、リフト計画の中止運動に拍車をかけていた。そのオカルトめいた説を信じる人間たちは、電波党の言うなりにすることこそ正義と信じ、それはさながら狂信的な信徒のようにも見える。連日、国会議事堂周辺で計画反対を唱えながらデモ行進を行い、その運動はマスメディアですら注目するようになっていた。
 事態を忌々しく感じた一部の政治家、官僚たちは、電波党の動きを牽制するべく、党本部前に機動隊を設置し、人の出入りを制限する処置に出た。しかし、その行動が電波党関係者の怒りを買ったのか、一部の狂信的な信徒たちが、本部を包囲する機動隊に向けて火炎ビンを投げつける暴挙に出た。これにより、機動隊と信徒の間で小競り合いが勃発した。

 怒号が飛び交い、もはや暴徒にも等しい群集の中から火炎ビンが投げつけられる。
 ビンは強化プラスチックの盾に当たり、地面に落ちて砕け散る。中身のガソリンがアスファルトに広がり、炎が燃える。
 機動隊は配備された装甲車から放水を繰り返し、群集の沈静化を試みる。しかし、怒りに扇動された人々は水を浴びたくらいでは止まらない。
 先頭の人間が放水で倒されても、その後ろから続々と人間が壁となって押し寄せ、機動隊への攻撃を繰り返す。散発的だった火炎ビンの投擲も、いまや断続的に行われている。
 強行的に本部ビルへ進入しようとする人々を前に、このままでは埒が明かないと判断した機動隊は、催涙弾を使用するためにグレネードランチャーを構えた。
 その瞬間――
 異変が起きた。
 足元にある下水道のマンホール、そして側溝の蓋の隙間から、蟲があふれ出したのだ。
 その数は瞬く間に増え、一気に視界を覆い隠すほどになる。
 それは蝗の群れであった。羽音を響かせながら宙を舞い、機動隊に襲いかかる。
 どこかで悲鳴が上がった。
 悲鳴と混乱の声が連鎖的に広がる。混乱を収めようと、蝗への対処を試みるものの、数万匹にまで膨れ上がった蟲の群れは、もはや人間ごときではどうすることもできず、一方的な蹂躙がその場で繰り広げられた。

「いくわよ」
 玲奈の声に、鬼鮫が嘆息めいた吐息を漏らした。
 先日の蝗大量発生事件と、それに伴う機動隊襲撃により、電波党に対して破壊活動防止法が異例のスピードで認定された。これには関係各方面へのIO2の根回しもあったが、高軌道リフト計画を推進したい政府側が、反対勢力の急先鋒である電波党の活動を封じたいという、利害が一致したためでもあった。
 玲奈と鬼鮫が路上を疾駆して党本部の建物へ接近する。
 まるで接近を拒むかのように、蝗の群れが2人へ襲いかかる。
 だが、玲奈から放たれた破壊光線が蝗どもを薙ぎ払う。超高熱の光線で焼かれ、消炭と化した残骸が地面に降り注ぐ。
 圧倒的な力の差である。数の上では蝗がはるかに勝っているものの、玲奈の超絶的な攻撃を前にして、2人に肉薄することすらままならず、次々と消えてゆく。破壊光線での縦横無尽な攻撃を繰り返しながら、玲奈たちは建物へ進入した。

 党本部、最上階。
 玲奈たちの目の前にいる男は、明らかに顔を引き攣らせていた。
 党本部内にいた蝗の群れ、そして要所で警護に当たっていた人間たちを瞬く間に蹴散らし、自身の目前に現れた玲奈と鬼鮫に対して、党首は改めて恐怖と脅威を感じていた。
 自分が追い詰められていることを党首は自覚していた。これほど圧倒的な戦力差を見せつけられては、逃走も容易ではないことも理解していた。しかし、おとなしく2人に捕まったところで、無事に済むとは限らない。高軌道リフト計画推進派の連中からしてみれば、彼と電波党は目の上のたんこぶに等しい存在だ。
 正攻法で進めるのなら、党首の身柄を確保し、刑事裁判によって社会的制裁を与えることが筋というものだろう。だが、それでは計画に疑問を抱き始めた世論を抑えることは難しい。手っ取り早く反対派を沈黙させるには、党首を密殺するに限る。こうした混乱に乗じて彼を抹殺すれば、残された烏合の衆を沈黙させることなど容易いからだ。
「ええい! このままで終わると思うな!」
 最後の悪あがきとばかりに、党首は祈りを始めた。
 最初、玲奈には彼がなにをしたいのか理解できなかった。追い詰められた人間の行動にしては、あまりにも間抜けな姿であるからだ。
 しかし、その思いは瞬時に改めさせられることとなる。
 突如、宇宙空間に巨大な隕石が出現し、それが玲奈号へ向かって落下を開始したのだ。
 宇宙船からのテレパシーで隕石の存在を知った玲奈の胸中に、焦りが生じる。
 その光景を、玲奈号から送られてきた映像として、鬼鮫も目撃した。
「はははははははは!」
 勝ち誇ったかのような、党首の哄笑が響き渡る。
 その笑いを耳にしながら、玲奈の意識に1つの違和感が生まれた。
 確かに「隕石召喚」という秘術は存在する。失われた太古の魔術だ。
 だが、それにしては質量が感じられない。少なくとも宇宙船のレーダーに反応はない。映像として捉えているものの、各種レーダーが隕石に質量が存在しないと告げている。
 不敵な笑みが玲奈の口許に広がる。
「あれは幻影よ。それにさっきから妙な通信が入ってるわ」
 そんな玲奈の言葉で、鬼鮫はなにが起きたのかを察した。
「シューマン共鳴か!」
 シューマン共鳴――またはシューマン共振と呼ばれる現象が地球上には存在する。
 地表と電離層の間で極々超長波が反射し、その波長が地球1周の距離の整数分の1と一致した値のことを指す。このシューマン共振は人間の脳波とも相関関係があることが、後年になって明らかにされている。
「これは恐らく、シューマン共鳴を利用したタルポイド効果だ」
 タルポイド効果とは、人間の思考が物質化してしまうという超常現象で、天使や悪魔、怪物などの出現は人間が心の中で想像したものが、現実に物質化するというオカルト説である。
 今回の事象は、そのタルポイド効果とシューマン共振を併用した、一種の集団幻覚であるといえるだろう。党首の想像を具現化し、シューマン共振によって人間の脳に直接、その映像を送りこむというわけだ。
「蝗は毒電波のせいね?」
「玲奈号のワイヤーが電波を拾ってるんだ」
「そうか……それであたしが世界制覇の邪魔だと」
「お前の霊力で毒電波を妨害できるか?」
「任せて! あたしは妄想を手懐けるコスプレの女王よ!」
 玲奈の言葉と同時に、彼女の思念を察知した宇宙船から別の電波が放たれた。
 それはシューマン共振の周波数と一致し、瞬時にして虚空から飛来した隕石の幻影を打ち消した。
 玲奈の驚異的な霊力をまざまざと見せつけられた党首は、自身の敗北を知り、その場に膝をついた。

 Fin