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<東京怪談ノベル(シングル)>


星夜の召喚歌



その男たちは全身を黒で覆い、威圧的で、誰が見ても只者ではなかった。
しかも、追いかけているのは一人の華奢な少女なのである。

「んもぉ!」

膨れながら走っているあたり、さして危機迫ってないことがわかる。
が、少女が男たちに追われているというのは、一見して明らかに異常事態だ。
とはいえ運の悪いことに、すぐ側のテニスコートにも道路にも、人の姿がない。
車さえ通っていないのだ。助けを求めることはできそうになかった。

「停止しろ、三島玲奈」

走りながらも乱れのない声。おそらくは少女、玲奈を疲れさせて捕える気かと思われた。
だが、一般の少女と異なり、それが難しいことは少女も男たちも十分すぎるほど理解している。

「いやぁよ!」

澄んだ声で答えると、彼女はこれしかないかと頭の中で呟いた。
次の曲がり角が勝負だ。おそらく、他の能力者にまで援護要請はしていまい。
ようやく手に入れた家出のチャンスを、逃すつもりはさらさら無かった。

ラストスパートをかけて、飛び込むように角を曲がる。
さして時間をおかずに男たちも追いついたが、彼らは足を止めるしかなかった。
少女が身に着けていた制服――それだけが地面に残されていた。







(おやや?)

ティースは目の前に降ってきた白いものに気がついた。思わず掴んでみると、それは純白の羽だ。
鳩…いや、鳩はこんなに白かったっけ? そう思うほどに白い羽だった。
ふと振り仰ぐと、彼は口を開いて絶句した。

そこには―天使がいたからだ。

天使は着地すると、わずかに羽を震わせた。
人間ではないと、ティースは瞬時に悟った。
体のあちこちが人間ではない。しかし天使でもない。
というのは、どうにも彼が思い描く天使のイメージよりも、
幾分、いやかなり大胆な装いだったからだ。

「ええと…」

玲奈も少年に気付いたらしい。
左右色の違う瞳でじっと見つめ返した。お互いに“一般人ではない”ことは
察したが、少年は混乱しているようだ。

彼の中の天使は衣装も真っ白で、ひらひらしたイメージだ。
間違っても、水着などというものを着て、空から降ってくるわけがない。
しかも、どうにも不思議な雰囲気を持っている。
彼女には、正確には彼女が持つ能力には――いろいろなものが混ざっているようなのに、
奇妙な統一感があるのだった。
それは真っ直ぐに伸びた髪と、色違いの瞳の力によるものなのかも知れない。

結論として、一言。

「…幽霊?」

呟いた彼に目をぱちくりして、玲奈は立ち尽くしたが、すぐにむっとしたように人差し指を突き出した。

「失礼ね、私は玲奈。三島玲奈よ」
「ああ、君があの」

納得したようにティースは頷く。

「あら、知ってるの?」
「まぁ少しはね…IO2のお姫さまだっけ? 僕はティース・ベルハイム」
「私も少しはあなたのこと知ってるわ。見習い魔法使いさん」

互いに紹介が済んだところで、沈黙が過った。
この場合、初対面なのだから、それではさようなら、となっても全く問題ないはずなのに、
玲奈の瞳がまっすぐにティースを見ていたのだ。

わずかに、蛇に睨まれた蛙の気分でティースは尋ねた。

「あの、僕に何か?」
「決めたわ」
「は?」

会話が成っていない。
だが、玲奈は一人納得したようにうんうんと頷き、むんずと彼の腕を掴むとすたすた歩き出した。

「ええと、あの?」
「協力してちょうだい」
「へ? あの、だから何に?それに君…服着た方が、いいと思うよ」

一瞬むくれた顔をして、玲奈はため息をついた。

「これは仕方がないの。追っ手を撒くためだったのよ」
「追っ手?」
「さっきまでコートにいて、とっさに飛んだのよ。でも、また来たようね」

振り向けば、黒ずくめの男たちが数名、こちらに向かってきている。
明らかに一般サラリーマンとは異なる雰囲気で、ティースでさえもすぐに彼らの正体を理解した。

「行くわよ!」

宣言と同時に走り出す。
ティースは引きずられるように後に続いた。

途中で、彼女がどのような技を使ったのか、見習い魔法使いのティースにはよくわからない。
けれどいつの間にか駅前に、しかもそういった空気が濃厚に漂っているホテル街にたどり着いている。

「え、ええと…!」
「勘違いしないの、そんな余裕ないでしょ!」

また、景色がかわる。
ホテル街のネオンの先、角を曲がれば、そこは墓地だった。
表の賑やかさが全く感じられず、冷ややかな静寂だけがある。
目まぐるしい変化についていけず、また、自分では信じられないほどの早さで駆け抜けたため、
ようやく立ち止まったとき、ティースは思わず座り込んだ。

「ここは、一体…」
「あなた、カメラ持ってる?」
「え、ああうん。安いやつだけど…」

ポケットから差し出された小型のカメラを見て、玲奈は嬉しそうに微笑んだ。

「ありがとう、何から何まで好都合よ」
「はぁ…。それで、ここで何をするんだい?まさか庭球ってわけじゃないだろう?」
「当然よ」

霊気に満ちた墓地の空気を吸う少女は、やはりどこか神秘的な存在に見えた。

「悲しみに――」

一瞬、ティースにはそれが声だとわからなかった。
不思議なほど澄んだ歌声だ。細いけれど、途切れることはなく、威圧するほどの強さはないが、心を揺さぶる力がある。


 雫を流す その想い 
 星の瞬き 掻き消す宵闇 其の心が深きに沈む
 されど 恐れることなかれ


空気が――いや、“空間が”変わった。
足下が揺れる。どん どん どん と、巨大な太鼓を打ち鳴らしているような音と振動。
そして一筋の光。

「幽霊列車……!」

現れたものを呆然と見上げるティースに向かって、玲奈は花のように可憐に微笑んだ。
墓地を見たことが嘘のように思えるほど、昔は立派だったのだろう駅のホームに入り込んでいたのだ。
活気があるはずの場所に誰もいない光景というのは、奇妙なものだった。

「もうすぐ解放してあげる」

そう言いながら、まっすぐに前を見つめて歩き続ける玲奈。
ティースは星明かりに照らされた少女の横顔を、ただぼんやりと見つめていた。
なぜ彼女がこんなところに来たのか、自分が巻き込まれているのか。
まったく事態は読めないのだが、逃げ出す気にはなれなかった。

ホームの中央まで来ると、幽霊列車の正面を見ることができた。
ほどよい重厚さと、品のいい装飾。
大きなライトが二つ、目のようで――玲奈もそれを見つめると、ようやくティースの手を離した。


 星の希望は 陽の輝き
 宵を切り 歌い進めよ さすれば瞳に開かれん
 彼方の未来は 無限の調べ
 昼と夜とが 其の友となる


鳥肌が立つほど、このホームには彼女の歌声がよく響いた。
幽霊列車は応えるように、ぼんやりとオレンジ色の光を灯す。

「政府が隠匿している秘密の一つ…。それがこの場所よ。かつては運輸省があったけれど…、
 でも、今日からは私の隠れ家」

その笑顔に、ティースの心臓が跳ねた。
よい意味でも、悪い意味でも魔女の笑みだった。
妖艶でいて、魅力あふれるその表情。

だが、不意に電子音がホームに鳴り響いた。
うるさいなぁと言いながら玲奈が通話ボタンを押す。
思わず耳をそばだてると、重低音の男性の声がわずかに聞こえた。


「そうよ、もう着いちゃった。ええ、だって、あそこは私の場所じゃない」
―だが玲奈、我々がお前を保護した理由がわかるか?
「訂正してよ、保護観察でしょ。大事にしてくれたのはわかってる。
 でも、私は自由じゃないと歌わない。…歌えないわ」
―我らの下では生きられない、か?

「歌えないなら、私は死ぬわ。…お前だってそうでしょう?」


幽霊列車に触れると、“それ”は頷いてでもいるかのように優しくライトを瞬かせる。


―…わかった。尊重しよう。ただし俺達はだ。他の連中を納得させられるかは知らん。
「それについては大丈夫。有無を言わせないものを送るわね」

意外にあっさりと通話が終了し、玲奈は魔女の笑みが嘘のように嬉しそうにティースを振り返った。


「さあ、今よ」


結局、証拠写真係と重要参考人として活躍したティースであったが、
本人自体は自分がいったいどのような役目を努めたのか、どれほど役立ったのかはさっぱり分からないままなのであった。