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<東京怪談ノベル(シングル)>


寂しい果実2


 八月の半ば。
 あたしはいつもの生徒さんたちに呼ばれてWクマのお医者さん”になるアルバイトをしていた。
 相手は、八歳の女の子。病弱で極度の対人恐怖症、でも人一倍寂しがりやさん。
 あたしは数日間クマさんとしてこの子と暮らしながら、心身のケアをしていたんだけど――。

「作戦を変更する時期が来たみたいね」
 と、生徒さん。
「え?」
 メイクを落とされてすぐ裸の状態で、あたしは訊き返した。
 最初の案では、もう一度前回と同じW便利さを追求した身軽なクマさん”のメイクで女の子の元に戻るはずだった。
 だけど、一緒にいる期間が長すぎる。一日なら正体を誤魔化せても、二日、三日となれば話は別だ。一度違和感が生まれてしまえば、それがどれだけ些細なものだったとしても消えはしない。特にあの子の場合は。
「正体を知られてしまう訳にはいきません」
 あたしはいつになく強い口調で言った。
 だってあの子は……W友達”は何より人間を恐れているのに。
 やっと心を開いた相手があたしというクマさんなのだから。引き続き行う健康診断のこともあるし、人間だと疑われてはいけなかった。
「そう。だから前のメイクをベースに、よりクマだと印象付けるものを考えたの。変更点はこれかしら」
 そう言って、生徒さんは目の前にいくつかの道具を並べた。
 大きな瓶。ラベルには癖のある筆記体で何か書いてあるけど、あたしには読めない。中には透明の液体が入っている。
 前回のときも使った粘土のようなもの。でも以前のときよりずっと多い。全部つけると結構重そうだ。
 それから銀色の……何かの器具の部品かな? バネもあるように見えるけど。
(どこに使うんだろう?)
「まずは瓶ね。みなもちゃん空けてみて」
「はい。…………うぇ!」
 言われた通り蓋を空けて――、あたしはむせ返って口を覆った。吐きそうだった。
 なんて臭い!!
 顔を瓶から背けて数回咳をしても、獣の臭いが鼻の奥に残っていた。その残り香が鼻を通って喉から舌の上に流れ込み、あたしは再びむせた。
「みなもちゃん大丈夫よ、じきに慣れるわ」
 生徒さんはあたしから瓶を受け取ると、素早くあたしの顔に掛けた。
「…………うぅ……」
 あたしは腰を折って吐くのを堪えた。頬を伝った液体が開いた唇に潜り、口を押さえていた掌にポタポタと落ちた。顎から首、胸、下腹部へもゆっくりと流れていく。腿を伝って膝の裏、ふくらはぎを流れて足の裏まで。臭いが強すぎて頭がぼんやりしてきそう。
 今度は前と同じように土台作りのメイク。粘っこい素材で大まかなクマさんの体型を作り出す。器具もしっかりセットして、と。胸のふくらみを基準にして、お腹も同じくらい太くさせられた。
 そして顔。
 前回の欠点は口が開かないことだったけど、今回は口も開くようにしたそうだ。
 生徒さんはさっきの器具を手にとって、以前の口の部品をバラして組み込んだ。奥歯周辺の顎のところにギミックを嵌めて、開閉出来るようにしたらしい。
 装着してみると、多少の力はいるけれど口を大きく開けば、それに合わせてクマさんの口も一緒に開いてくれた。ギ、という音が微かに聞こえたので、微調整をして無音にする。
(あたしの口が二つあるみたい!)
 なんだかおかしくって、不思議な感覚。
 鏡で映しながら口を開くとさらに面白い。
「ふ、おー、い(すごーい)」
 ……人間の言葉は少し発音し辛いみたい。ちょっと重いし。
 でもでも!
 まだメイクが完了していないからクマさんには見えないけど、人でもない生き物に見えてワクワクする。
 前無理だったことが出来るようになってるし、生徒さんたちってやっぱり凄いなって思うし……。
「ほれれ、こえ あら ろう ふふん れふあ?」
「え、ええと? みなもちゃん?」
「ふぇ?」
「……………………」
「……………………」
 あたし、室内にあったノートにシャープペンシルで文字を書いた。
Wそれで、これからどうするんですか?”
 人間の言葉だったのね、と生徒さんがポツリ。
「次はこれね」
 生徒さんは粘土みたいな素材を指差した。
「今回は顔だけじゃなくて、全体につけて厚みを出すの。重くなるから前回はやらなかったけど、リアルになるわよ」
「あうおお」
 ……なるほど、って言ったつもりだったんだけど……。
 生徒さん、また首を傾げていた。ごめんなさい、発音難しくて。
 ――幼稚園の頃や小学生のときって、工作で粘土を触ることがあった。複雑だったり大きなもののときは、まず芯を置いて、それから外側を粘土で包み込むようにして形を作る。
 その芯に、なった気分。
 あたしという身体は粘土に包まれる。人間としてのあたしの胸や腰の輪郭は失われていって、かわりに凹凸のないずんぐりした動物のものになっていく。粘土は最初に塗った素材の上からべったりと肌にくっついてきて、その重みをあたしに預けてくる。
 身動きが取り辛くて、少し息苦しい。着物を着たときみたいだけど、あのときと違うのは、帯で締め付けられている訳じゃないから、二本足で歩くより四本足でいた方が楽そうだということ。
 それから、植毛。
 これにもあの瓶の液体が染み込ませてあるのか、強烈に獣の臭いがする。ただあたしの鼻は慣れてきていて、さっきみたいに吐きそうにはならないけど。むしろ懐かしいような気さえする。ずっとこの臭いと共にいたように。
(そんなことないのにね)
 茶色の毛は触るとゴワゴワしていて少し硬い。柔らかな肌を守ってくれそうな頼もしさを感じる。植えつけられていると、だんだんと自分の体毛のような気がしてくるから不思議だ。臭いがそんな気にさせるのかもしれない。今の自分の体臭と同じだから。
 口にはさらにメイクをする。色をつけて、口内を少し獰猛に見せるためだ。友達を怖がらせる気はないけど、クマさんなら多少のインパクトはあった方がいい。
 掌もクマさんと同じ色のものになり、五本の指には鉤爪がつけられた。
 おしりの尻尾も大事だ。取れないように、内側から組み込んでおいてある。友達はあたしの尻尾を触るのが好きだから。
 目にはカラーコンタクトを入れた。青い瞳だと目立つから、毛の色に合せて茶色にした。
 四つ這いになって鏡の前に立つ。横幅が広くなっている分、大柄に見えた。
 ――あたしは一頭のクマさん。
「あの子に疑いをもたれないために、催眠術を強くするわね」
 ……生徒さんのそんな声が聞こえた。


「おきて。ね、おきて」
 次第に大きくなる子供の声。友達があたしの耳元で騒いでいるのだ。
「もー、おきるのおそいから、わたし、はみがきしちゃったよー」
 尻尾をくすぐられるものだから、これ以上寝ていられない。あたしはむくりと起き上がると、四つ這いでキッチンに行った。友達のためにフライパンをセットしてやらなければならないから。
 後ろ足二本で立って、フライパンをコンロの上に置いてやる。そしてすぐ四つ這いに戻る。二本足で立っているのは疲れるからだ。体型上バランスが取り辛い。
「ありがとー」
 いつもの声と、いつもの匂い。蜂蜜とバター…………そしてヒトの匂い。
 友達の身体、特に頭からは不思議な香りがする。朝は寝汗を含んだ匂い。夜のお風呂上りにはミルクの匂いに少し似ている。それらが肌というフィルターを通して、ヒトの匂いに変わるのだ。
 あたしはこの香りを嗅ぐと変な気持ちになる。友達という輪郭がぼんやりしていって、一匹の生き物になる気がするから。
 ――そう言えば、あたしもお腹が空いたな。
 友達から籠に入った木苺をもらう。顔を籠の中に突っ込み、口を限界まで開いて入るだけ詰め込んで咀嚼する。甘酸っぱい味が舌の上で広がって、口の先から涎が滴った。
「もっとおじょうひんにしなきゃだめよぅ」
 ナイフとフォークで器用にパンケーキを切りながら友達が言う。まるで子供を躾ける母親のような口調で。友達だって、椅子からつま先が浮いている子供なのに。

 友達はDVDを観る。
 それは友達が観なければならないもの。
 でも、観たくないもの。
 あたしは木の壁を鉤爪で少し削って、そこに背中を擦りつけながら友達を眺める。
 マーキングはオスがやるものだけど、この家にいる間はあたしもやっている。
 ここにいる限り、マーキングされた臭いにも、オスにも出会えそうにないから。友達が孤独なように、あたしも時々寂しくなって、オスを真似てしまう癖があった。
 友達と暮らすことは楽しいけど、越えられない溝があるように感じることがある。友達がDVDを観ているときには特にそんな気持ちにさせられた。友達が人間の輪に入れないように、理由は違うけど、あたしもクマの輪に入って巣穴を作ることが出来なさそうだから。
 ――ひとりぼっちのヒトと、ひとりぼっちのクマ。
 マーキングした傍の畳にはあたしの毛が数本落ちている。その隣には猫用のトイレがある。あたしは一度唸り声を上げてから、そこで排泄した。ペット用のトイレなんて嫌だけど、そこ以外で出来る場所がないのだから仕方ないのだ。
 ……途中でテレビを消した友達が、振り返ってあたしを眺めている。
 あたしが排泄したのを見て、苦笑いしながらも安心したように呟いた。
「クマ、だあ……」
 畳の上、二人で思う存分寝っころがる。お互いくっついたり、離れたりしながらゴロゴロと移動する。夕暮れにさしかかると、ふすまには二つの影が重なり合って一匹の獣が出現してくる。一頭と一人でそれを眺めていた。
(怖くはないの? 獣だよ。あたしも、影も)
 あたしがそう疑問に思っても、友達は微塵も気にしていない。
「ひとじゃないもん」
 友達が入浴したりトイレに行くとき、あたしも一緒についていく。友達の隣で四本足をゆっくりと動かして――背中には友達の手を乗せて。あたしが傍にいなければ、友達は何処にも行かなかった。

 夜が深まれば、二つの影は完全に重なり合う。
 あたしは大の字になって横たわり、友達はあたしのお腹に乗ってうつ伏せで眠る。可愛らしい寝息を確認したあと、ブランケットをそっと友達の背中にかけてあげる。何度も繰り返していることだ。
 鉤爪にサラサラと髪が絡む。あたしは目を閉じて、深い眠りに落ちていく。
 翌朝の「おきて。ね、おきて」を聞くために。


終。