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<東京怪談・PCゲームノベル>


paradise age 16



 高校には大抵、数人は目立つ人間がいる。
 その目立ち方はそれぞれ違うが、時に成績優秀、スポーツ万能、容姿端麗と言う完璧な人間が存在する。
 ここ、神聖都学園では生徒会長がそんな完璧人間だった。
 サラリと長い黒髪に、エメラルドグリーンの瞳、白い肌は透き通るようで、誰もが振り返る美少女だったが、その表情はいつも無に徹しており、笑顔を見たものはあまりいない。
 彼女が廊下を歩けば、お喋りをしていた女生徒達は口を噤み、さっと道をあける。男子生徒達は魔法にかかったように彼女に視線を吸い寄せられ、見えなくなるまでその背を見つめてしまう。
 凛とした声は鶴の一声。強さは皆無にもかかわらず、誰もがその言葉に従ってしまうほど鮮烈な響きがある。 髪から香る甘い匂いは官能的で、お菓子で出来た少女のよう。それなのに瞳に宿る光や、毅然とした立ち振る舞いは男に全く引けをとっていない。
 文化部系クラブのリーダーも兼任している生徒会長のリディア・カラスは、神聖都学園にこの人ありと言われるほどの才女だった。

 高校には大抵、数人は目立つ人間がいる。
 その目立ち方はそれぞれ違うが、時にスポーツ万能で明るく華やかで、計算なしに周囲の人々を魅了し、味方につけてしまうような人間が存在する。
 ここ、神聖都学園では体育会系クラブのリーダーをしている少女がそんな人間だった。
 サラリとした漆黒の髪に、吸い寄せられるような紫の瞳と闇色の瞳のオッドアイ、スラリと高い身長に華奢な体はスタイル抜群、誰もが振り返るほどの美少女で、その表情にはいつも明るい笑顔が浮かんでいる。
 彼女に微笑まれれば、誰もが幸せな気持ちになり、思わず笑顔になる。彼女がヒラリと手を振れば、男女を問わず手を振り返してしまう。
 華やかな声は天使の囁き。彼女が大丈夫だと言えば、どんな困難なことにも打ち勝てるような勇気をもらえる。 髪から香る爽やかな香りは健康的で、決断力と行動力に優れた彼女の魅力を引き立てている。
 そこにいるだけで場を華やかにする天性の才能を持った三島・玲奈は、神聖都学園の中で知らない人は誰もいないというほどの有名人だった。





 残暑が残る9月、神聖都学園の校内はいつにも増してにぎやかだった。
 普段ならただ真っ直ぐに伸びているだけの廊下にも、今日ばかりは様々なものが所狭しと並べられており、通る人は皆困ったような顔をしながらジグザグと歩いている。
 本来ならば授業中で、教師の声だけが響いているはずの教室内も、生徒達の華やかな声で満たされており、怒鳴りあわなければ相手に届かないと言うほど賑やかな教室もあった。
 文化祭前日の今日、神聖都学園は準備に大忙しだった。
 廊下は走ってはいけません!と言う張り紙も無視され、教室の端から端へと文房具が宙を飛ぶ。先生達も普段の落ち着き払った大人な雰囲気はどこへやら、あっちへこっちへ右往左往している。
 青春真っ盛りと言った楽しげな声を遠くに、本館と校庭とを結ぶ部活棟は静まり返っていた。
 文化祭前日とは思えないほど陰鬱とした表情は黒魔術でもやっているのが似合うほどで、どす黒い沈黙が支配する部屋には青春などと言う輝かしい言葉は似合わない。はっきり言って、お先真っ暗と言う言葉がピッタリだ。
「はああぁ〜」
 誰かが今日何度目かの溜息をつく。溜息をつくと幸せが逃げると言うが、もしそれが真実だとすれば、この場にいる全員今後の人生に幸せを見出すことはできないだろう。もはやすでに、普通の呼吸が溜息に取って代わってしまっている。
 チマチマと看板の色を塗っていた少女が項垂れる。“陸の水族館アクア”と言う赤い文字は、ペンキが垂れておどろおどろしくなっている。水族館などと言う楽しさに満ちた場所ではなく、恐怖に満ちたお化け屋敷の看板が似合っている。
「何で俺、水泳部なんて入部したんだろう」
 風船に魚の絵を描きながら、少年が遠い目で窓の外を見つめる。その視線の先には本館があり、シンデレラの衣装を着た綺麗な少女がクルクルと回っている。
「うちらみたいな部活は、体育祭ではサッカー部とか陸部とかに押されて、パレードくらいしか活躍する場がなかったのに」
「文化祭なんてよっぽど出番ねぇよな」
 ただでさえ、運動部に割り当てられた場所は少ないのに、体育祭で満足な結果を残せなかったいわゆる“インドア系”の運動部は、“アウトドア系”の運動部に押されて満足な展示スペースが確保できていない。
 しかも、文化祭の主役はほとんど文化部だ。演劇部は体育館を使って劇を発表するし、音楽室はストリングスが使っている。科学部は科学室を、生物部は校庭に設置されているウサギ小屋や鳥小屋プラス本館の生物室を、手芸部は本館の準備室を、料理部は家庭科室を使っている。
 集客が見込める本館は文化部が大半の教室を使っており、運動部に割り当てられた教室もアウトドア系が使用している。厳正なる抽選によって食品関係から漏れたインドア系運動部に残された道は展示しかなかった。
 展示では、人を呼べる見込みはあまりない。食品関係でなくとも、お化け屋敷やフリマ、ゲームなどが出来るのであれば客も来るだろうが、ただの展示ではせいぜい気まぐれに少し入ってザっと見るくらいだ。ヨーヨー釣りをした後で喫茶店に入る手前に何か展示してあるから見てみるかと言う、悲しい“ついで感”が漂うのが展示だ。
 わざわざ見てみたいと思えるほど強烈に人を引き寄せる展示品を思いつけば良かったのだが、インドア系とは言え運動部は運動部だ。アイディアを出してみたところで、文化部には敵わない。
 さらに悪いことに、彼らが使えるのは部活棟のみだ。本館ならば貧相な展示でも、ついでに見ていってくれる人もいるとは思うが、部活棟まで足を伸ばして見てくれるのはせいぜい身内程度だろう。気まぐれに足を運んでくれる人もいるだろうが、一般客の集客率は望めない。
 客の来ない展示部屋の監視など、気が遠くなるほどつまらない。1分が1時間にも感じるほどつまらない。たった1時間の客なき店番で、3日くらい過ごしたような気になるだろう。
 楽しくない事が分かりきっているからこそ、明日は休みたい。けれど休めば一緒に監視をする相棒がどうなってしまうかは分からない。あまりのつまらなさに右手と左手を友達に例えて一人で語り続けるような人になってしまう危険性もゼロとは言い切れない。
 いっその事文化祭をボイコットしてしまおうか?いや、そうすれば文化部やアウトドア系運動部に何を言われるか分かったものではない。文化祭を集団ボイコットしたという汚点を残しては、来年度の部費が切ないことになるかもしれない。現生徒会長に限ってそんなことはしないだろうが、他の生徒会メンバーがゴリ押しすれば生徒会長も折れる可能性を否定できない。
「はああぁ〜」
 再び誰かが溜息を吐いたとき、ノックもなしに突然扉が開いた。 溜息をつきかけていた新体操部の可愛らしい女の子が息を吸い込んだまま固まり、看板に色を塗ろうとしていた卓球部の男の子の手が止まる。
 開け放たれた扉の先には、腰に手を当てて笑顔で仁王立ちする少女がいた。 半袖から覗くレオタード、綺麗にアイロンがかけられた制服のプリーツ、ギリギリまで短くした丈が風に揺れ、下に履いたスコートをチラチラと見せる。
 少女は部室内にいた全ての生徒の視線を受けると、ゆっくりと中に入ってきた。 踵を踏んだ上履き、重たげな白のルーズソックス。揺れる髪の下からは、“三島”と書かれたゼッケンが白いシャツ越しに透けて見えている。
「玲奈?」
 部室の中央でチマチマと折り紙を折っていた少女が顔を上げ、立ち上がると首を傾げた。
「どうしたの、こんなところに」
 新体操部部長の彼女は、玲奈と同じクラスだ。小麦色の肌で健康的な玲奈とは違い、新体操部部長の少女は色白で、ともすれば病弱そうにも見えた。
「玲奈?玲奈って、三島玲奈?」
「女子高生標準スクールアイテム来た」
「標準?」
「玲奈が来たってことは‥‥」
「三島玲奈って名前は聞いたことあるけど」
「彼女は各部の兼任コーチよ」
「三島玲奈っつったら、生徒会長と同じくらい有名だろ」
「スポーツで会長と勝負できるの三島さんくらいだよ」
 ボソボソと低い呟きが聞こえる中、玲奈はニカっと満面の笑みを浮かべるとビシリと本館に向かって指をさした。
「あはっ♪健康姫の二つの名を持つ玲奈が来たからには、な〜んにも心配はいらないよ。ジメジメしないで!もっと明るい顔で青春青春♪文化祭のことなら、玲奈にぜーんぶお任せ♪」
 それまで陰鬱としていた空気が、玲奈の一言で一瞬にして華やかなものに変わった。





 コンコンと軽いノックがして、リディアは見ていた報告書から顔を上げた。
「どなた?」
「三島玲奈です。会長さんにお話があります」
「どうぞ、入って」
 玲奈は元気良く扉を開けた。 見た目でよく誤解を受けるのだが、玲奈はきちんとTPOをわきまえて行動できる子だった。ノックもせずに突然入ってきて、たのも〜!と威勢よく啖呵をきるような礼儀知らずではない。もしも仮にそんなことをすれば、クールな生徒会長は一瞥しただけで受け流し、その後どんなに必死に話そうとも聞いてはくれないだろう。
「失礼します」
 丁寧に頭を下げ、生徒会室に入る。玲奈の後ろからはインドア系運動部の部員が続いており、そこそこ広い生徒会室は、それでも人でいっぱいになった。
「お話って、何でしょう?」
 凛と響く声に、背後で生唾を飲む音が聞こえる。腰まである長い黒髪を揺らしながら立ち上がったリディアは、机にもたれながら玲奈を上目遣いに見上げた。
「部活棟で展示をする運動部のことなんですけど」
「えぇ、それは何となく分かってるわ」
「展示スペースの拡大、もしくは展示場所の変更をお願いしたいんです」
 リディアの目がすっと細められ、周囲の気温がグンと下がったような気がする。
「他の部もクラスも、自分の持ち場で着々と準備しているのよ」
「もちろん、文化祭前日に無理なお願いしてるって百も承知してます。それでも、どうしてもお願いしたいんです」
「他の部やクラスに迷惑をかけてでも推し進めたいの?」
 なんて自分勝手で迷惑な人たち。 生徒会長の目はそう言っているようで、背後にいた部員たちが後退りするのが分かる。
「玲奈、もう良いよ」
「そうだよ、前日にこんなこと言ったって、無理に決まってる」
「だよな。他のクラスも部活も、準備し終わっちゃってるだろうし、それを無理にどかすってのもな」
「何日も前から飾りつけやってたところだってあるんだし‥‥‥」
「一度飾りつけたものをまた撤収して部屋移動して‥‥‥なんて、どこも良いって言わないだろうしな」
「他のクラスや部とわだかまりが残っちゃってもねぇ‥‥‥」
 肩を落とす部員達を鼓舞するように玲奈が口を開こうとしたとき、それより先に生徒会長が言葉を発した。
「どうして急にそんな事を言い出したの?」
 生徒会長の視線を受けて、玲奈は無意識のうちに背筋を伸ばした。しっかりとリディアのエメラルドグリーンの目を見て、意識しながらはっきりと言葉を紡ぐ。
「文化祭は、みんなのための文化祭です。つまらないと思う人がいたら、つまらない文化祭になると思うんです。あたしは、みんなが楽しめるような文化祭がやりたいんです」
 生徒会長の視線が揺れ、小さく溜息をつくと長い髪を掻きあげる。ふわりと香ったお菓子のような甘い匂いに、玲奈の口元が自然と緩んだ。
「他のクラスや部に掛け合っていまさら変更することは出来ないわ。でも、文化部が準備のために抑えていた部屋くらいなら何とかしてあげられるかも知れない」
 演劇部の更衣室として使われる予定の本館1階の角部屋、生物部が荷物置き場として押さえてある本館3階の真ん中の部屋。一番賑わうだろうメイン部分からは少し離れてはいるが、なんと言っても本館だ。部活棟でひっそりとやるよりはお客さんも足を運んでくれるだろう。
 わっと歓声が上がる。 玲奈ありがとう!生徒会長ありがとうございます! そんな感謝の言葉が飛び交う中、リディアは不敵な笑みを浮かべたまま玲奈を見上げていた。
 玲奈は会長のその笑顔に、何かを感じ取った。 言葉では言い表せないけれど、会長は何か案がまだあって、それを隠している。そんな気がした。
「会長‥‥‥」
 生徒会メンバーが、苦々しい顔でリディアの袖を引っ張ると耳打ちする。
「いくら準備室だって言っても、他の部が良いって言うわけないじゃないですかぁ」
 もし演劇部の更衣室を部活棟に変更したら、演劇部員たちはドレスのまま体育館と更衣室を行ったりきたりしなければならない。他の文化部だって、何か必要なものがあるたびに遠い部活棟まで歩かなければならない。生徒会長の頼みと言えど、素直に首を縦に振るところは少ないだろう。
「そうね。あれだけ話し合って決めた部屋割りなんだから、素直に応じてくれるところは少ないと思うわ」
 盛り上がっていた気分が一気に下降する。特に話し合いに参加していた部長達は、表情を暗くしていた。
「そうですよぅ。もう前日なんですし、どこの部屋もあいてな‥‥‥」
「あら、本当にどこの部屋もあいてないのかしら?」
 会長の唐突な質問に、生徒会メンバーの少女が目をくりくりさせながら首を傾げる。
「部屋を無駄にしないようにって、会長があきのないように組んだんじゃないですかぁ」
「もし、1つだけあいている部屋‥‥‥それも、一番盛り上がる場所の真ん中にそんな部屋があるとしたら、三島さんならどうする?」
 突然話をふられ、玲奈は眉を顰めながら必死になって考えた。
 一番盛り上がる場所 ――― 本館の2階中央棟 ――― に、誰も使っていない部屋なんてあっただろうか?
 1つ1つ教室を思い浮かべ、否定していく。教室は全て埋まっているし、地学科準備室や地理室も埋まっている。どの部屋も全てきちんと埋まっているはずだ。それこそ、本館2階の中央棟でどこも使っていない部屋といったら、職員室と校長室と ―――――
「生徒会室‥‥‥」
 玲奈の呟きに、会長が“正解”とでも言いたげに微笑む。
「だ、だ、ダメですよぅ!生徒会室は何かあった場合の臨時の部屋として生徒会が使うんですからぁ!」
「そうね、基本的に生徒会室を部活やクラスに開放することは出来ないわ。こんなに良い場所にあるんですもの。あなたたちに特別に使用を許可しては、他のクラスや部から異論が出るでしょうし」
 それなら、異論の出ないようなやりかたはないの? 玲奈の脳裏に、1つの案が浮かんだ。
「‥‥‥それなら会長さん、生徒会室をかけて勝負しませんか? あたしから勝負を申し込んだんですから、勝負内容は会長さんが決めてくださって構いません。 会長さんが勝ったら、展示は部活棟でやります。でももしあたしが勝ったら‥‥‥」
「生徒会室の使用を許可するわ。生徒会は部活棟に移ります」
「か、会長ぉ〜!」





 体育会系の会長で運動は一通りこなす玲奈だったが、インドア系のスポーツは苦手だった。卓球にしろ新体操にしろバレーボールにしろ、何となく苦手意識がある。苦手とは言っても各部の兼任コーチをしているだけあって普通の部員よりは上手いのだが、特別上手い部員よりは下手だ。
 全生徒の素行や成績、家庭事情まで知っていると噂されている ――― あくまで噂だ ――― 生徒会長なだけあって、玲奈の苦手な分野での勝負を提案してくるのではと思ったのだが、会長は何を思ったのか“マラソン”を提案してきた。
 ほとんど会長自ら提案したようなコトで、頭脳勝負などは出してこないだろうと思ってはいたけれど、まさか玲奈の得意な分野で来るとは思わなかった。
 純白の下着が顔を覗かせないよう細心の注意を払いながらブルマを履くと、玲奈は軽くその場で足首を回した。肩の筋を伸ばし、アキレス腱も伸ばしておく。
「ねぇ、玲奈。会長さん、もしかして私達を勝たせようとしてくれてるのかな?」
 困ったような申し訳ないような表情で言う彼女から視線をそらす。
 もしかしたら、そうなのかも知れない。
 会長さんが何を考えているのかは分からないけれど、生徒会室での会話や態度と良い、勝負内容と良い、あたしたちを勝たせようとして動いているみたい。
「お待たせしてごめんなさい」
 長い黒髪をポニーテールに結んだ会長が、悠然とした足取りで玲奈の隣に来ると足首を回し、アキレス腱を伸ばす。 体操着のズボンからは白い太ももが露になっており、その場にいた男性陣の視線を釘付けにする。
「ルートは先ほど説明したとおり。例え途中で道が分からなくなっても、各所に人を配置しておいたから大丈夫よ。 スタート時もゴール時も、トラックを1週するの。先にテープを切ったほうが勝ち。良いわね」
「はい」
 コクンと頷き、スタート地点に移動する。 インドア系運動部の声援を受けながら、玲奈は会長の横顔を盗み見た。いつもと変わらないクールな無表情に、思わず声をかける。
「あの、会長さん‥‥‥」
 もしかして、あたしを勝たせようとしてませんか?
 喉元まででかかった言葉を飲み込む。
 会長の冷たいエメラルドグリーンの瞳を前に、そんな勝手な想像を口に出すことは出来なかった。
 そうよ、冷静に考えてみればおかしいわよ。会長さんからすれば、あたし達を勝たせて何になるの?
「どうしたの、三島さん?」
「あの‥‥‥正々堂々勝負しましょうね」
「えぇ、もちろん」
「位置について、よーい、どん!」
 様々な疑問が胸中を渦巻く中、玲奈は走り出した。
 マラソンとは言え、42,195kmも走ると言うわけではない。学校周辺を走るコースで、大体距離は2kmくらいだ。 会長の運動神経の良さは玲奈も知っていたけれども、マラソンが得意だと言う話は聞いた事がない。
 玲奈はと言えば、マラソンは得意中の得意だ。自身のペース配分も分かっているし、ここぞと言うときのスパートのかけ方も分かっている。最初は様子見で会長についていくくらいの速さで走って、途中でペースが落ちてきたら抜けば良い。後は最後まで逃げ切れば勝てる。
 そう思っていた玲奈は、会長のまさかのスタートダッシュに驚いた。 それはもう、50m走と勘違いしているのではないかと言うくらいの本気のスピードだった。
 会長さん、あんなんじゃ最後まで持たないよ。
 いくらスポーツ万能の会長とはいえ、あのスピードじゃ1kmも持たずにダウンするだろう。 ここは普段よりも心持速く、会長さんの背中を見失わないくらいのペースで走ろう。呼吸をマラソンモードに変えながらそう考えていたとき、先を走る会長が玲奈を振り返った。
 まるで駿馬の尻尾のように、綺麗な弧を描きながら髪が揺れる。振り返った顔は微笑んでおり、あれだけのスピードを出しながら出来る表情ではなかった。
 ゾクリ。 玲奈の体を何かが駆け抜ける。
 会長さんってもしかして、マラソン得意? ‥‥‥そうだよね、きっとそうだよ。だって、あんな顔してるんだもん。
 “そんな速度じゃ、私に追いつけないわよ。三島さんの本気って、その程度なの?”
 微笑む会長がそう言っている気がする。
 会長さんはもちろん、あたしがマラソン得意なの知ってるよね。だから、勝負内容にしたんだよね。
 なんであたしの得意なものにしたの?あたし達を勝たせるため? ううん、きっと違う。もしそうなら、あんな最初からスピード出したりしないでしょう?
 じゃぁ、なんで会長さんはあたしの得意なマラソンを選んだの?
 “もしも”の想像が玲奈の頭の中で回っている。
 もしも ――― ううん、会長さんに限ってそんなことしない。 でも、もしも‥‥‥もしもほんの少しでも、微かにでもそういう思いがあったとしたら?
 もしも、会長さんがあたしのことを嫌っていたとしたら?
 会長さんがあたしと目を合わせて、ニッコリ微笑んでる。
 “ねぇ三島さん、あんなに皆に期待を持たせておいて、あっさり負けちゃうの?私はわざわざあなたの得意分野を選んであげたのに?”
 そんな声が聞こえた気がした。 会長の髪が大きく揺れる。前を向き、さらにスピードを上げて走り出す。
 会長さんはそんな人じゃない。会長さんに限って、そんなこと言うはずがない。
 でも、それならさっきの笑顔は何なの? あの笑顔は、何なの ―――――
 速度を上げる。自分のペースを守っている場合ではなかった。会長の表情からして、まだ余裕があるのだろう。今のペースで走っていたら、会長がつぶれる前には差が開きすぎてしまい、後半に巻き返しが出来なくなる。
 整えていた呼吸が上がる。いつもとは違うペースに、早くも体が拒絶反応を示している。 会長の隣に並ぶ。チラリと横目で見れば、会長は口を閉じたまま真っ直ぐ前を見つめて走っていた。
 抜くどころか、併走するのがやっとだ。身長は会長のほうが低いにもかかわらず、脚の長さが違うような錯覚を受ける。
 荒い呼吸に変わる。吸って吸って吐いてのペースが乱れ、吸って吐いてを繰り返している。
 大きく息を吸い込んでいるはずなのに、苦しい。渇いた喉が張り付く。無理矢理唾を飲み込んでみれば、血の味がした。
 1kmを過ぎても、まだ会長は最初のスピードを保っていた。 けれどさすがにキツクなってきたのか、呼吸が乱れ始めている。
 町行く人が、会長と玲奈の勝負を足を止めて見つめている。歩道を走っていた自転車を追い越し、水泳部の少年が大きく手を振りながら右をさしている。 会長が右に曲がり、玲奈もすぐにそれに続く。
 息を吸うたび、肺が痛む。奥歯を噛み締め、ただ前を向いて走る。 額に浮かんだ汗が頬をすべり、白い体操着をジワリと濡らす。貼りついた前髪が視界を邪魔し、玲奈は乱暴に髪を払った。
 最初よりもペースダウンしてきているとは言え、辛い速度であることに変わりはなかった。 新体操部の部員が目の前で大きく手を振っている。
「ここを曲がったら学校だよ!あとちょっと!会長も玲奈も頑張って!」
 右に曲がれば、学校が見えてきた。普段はなんとも思わない坂も、2km近くを全力疾走で駆け抜ければキツイ。 会長の肩が大きく上下しているのを見ながら、玲奈は唇を噛んだ。
 坂を上りきり、校門を抜ける。いつの間にかギャラリーが増えていたらしく、そこかしこで歓声が上がる。
「うそっ!速くない!?」
「ありえないだろ、あのスピードは!」
「どっちも辛そうだよ‥‥‥」
「玲奈頑張れ!」
「三島、行けーっ!」
「会長さんも頑張って!」
「会長ファイトー!」
 文化部も運動部も関係なく、皆が2人を応援し、その勝負の行方を固唾を呑んで見守っていた。
 校庭の中央に楕円に描かれたコーナーを回る。半分回ったところで白いテープが張られ、それを横目で見ながら玲奈は脚に力をこめた。
 今までずっと追いかけるだけだった会長と並ぶ。荒い息を聞きながら、震えそうになる脚に鞭を打ってスパートをかける。会長の前に出、すぐに抜かされる。コーナーを回り、直線に出る。
 直線の先には宙に浮かぶ白いテープ。意地でさらにスパートをかける。会長をグンと追い抜き、再び並ばれる。
 ここまで来て、負けるわけにはいかなかった。
 足がもつれそうになりながらも、さらにスピードを上げる。会長も同時にスピードを上げ、肩がぶつかりそうになる。
 あと30m、会長がグイと前に出る。あと20m、玲奈が巻き返す。あと10m、会長が前に出る。あと5m、会長に並ぶ。あと1m ――― ふっと、会長が笑った気がした。 真っ直ぐに前を向いていたのだから、直接に見たわけではない。でも、確かに玲奈の耳には会長の笑みを含んだ小さな溜息が聞こえた。
 玲奈の胸がテープを切る。ほんの少し、握りこぶし2個分遅れて会長がゴールする。
 わぁっと、歓声が上がる。拍手が霰のように耳に降り注ぎ、玲奈はゴールすると同時にその場に崩れ落ちた。
 いくら吸っても、息が苦しい。胸を押さえながら短く息を吸い続ける玲奈の上半身を、生徒会副会長の男子生徒が持ち上げる。
「三島さん、落ち着いてゆっくり息を吐いて」
 苦しさを我慢して息を吐き、思い切り吸う。口に当てられたスプレー缶のようなものから、濃い空気が吐き出され、玲奈の全身を駆け巡る。
「大丈夫? リディア会長のスピードについていけるなんて、三島さん凄いんだね」
 玲奈の顔を見下ろしながら心配そうな表情でそう言った女の子は、確か生徒会書記のうちの1人だ。
「‥‥‥会長さんは?」
「あっちでダウンしてたと思うけど‥‥‥」
 ザっと砂を踏む音がして、見上げればリディアが玲奈を見下ろしていた。
「私の負けよ。生徒会室を好きに使って。 皆も、異論はないわね?」
 生徒会メンバーが頷き、早速生徒会室を片付けるよう指示を飛ばす。
「玲奈!玲奈凄いよ!会長に勝っちゃうなんて、本当に凄いよ!」
「マジ感動ものだったよな!まさかあの会長に勝つなんて!」
 インドア系運動部の部員達が口々に玲奈を賞賛する。手を取り合い、心底嬉しそうに微笑む部員達に複雑な笑顔を見せた後で立ち上がる。膝が笑い出しそうになったが、何とかそれに堪えると、校舎へ入ろうとする会長の後姿を呼び止めた。
「会長さん!」
 リディアが振り返り、額に浮かんだ汗を拭う。呼吸はすでに整えられているが、顔には微かに疲労の影が見える。
「正々堂々勝負しましょうねって言ったじゃないですか!それなのに、何で‥‥‥」
「私は正々堂々勝負したわ」
「でも、最後‥‥‥」
「私は全力を出し切ったわ。最後まで、手は抜いてない」





 お化け屋敷にフリマ、メイド喫茶に綿あめ屋さん。
 水泳部の展示も新体操部の展示も、人がごった返している。3分の2は玲奈と会長の勝負を見て興味を持った生徒、残りの3分の1は生徒達から又聞きした他校生や親、賑やかさにつられて来た一般客だった。
「三島さん、こっち寄ってってよ!」
「玲奈、こっち見て行きなよ!」
「あはっ♪みんな、玲奈は1人しかいないんだからねっ!焦らない焦らない♪あとでぜーったい見に来るから、ね?」
 ヒラリと手を振り、玲奈は足早に廊下を抜けた。階段を下り、外に出る。日差しは暑いくらいなのに、風はすでに秋の匂いを纏っている。
 遠くからサッカー部の呼び込みの声が聞こえてくる。先ほどチラリと見たが、今年もサッカー部恒例の“炎のイカ焼き”は人気のようだ。甘いマスクのサッカー少年達につられてイカ焼きを買ういたいけな乙女達が後を断たない。
 部室棟に足を踏み入れれば、静寂が支配していた。ヒヤリとした冷たい空気は凛と透き通っており、文化祭の熱気に揺れる本館との温度差は大きかった。
 新体操部と書かれた部室の前で立ち止まり、控えめにノックする。 中からは何も音は聞こえてこない。一呼吸置いた後で再びノックしようと手を上げたとき、中から小さく声がかかった。
「どうぞ、入ってきて」
「失礼します」
 突然の訪問だったにもかかわらず、会長はまるで玲奈が来ることを最初から分かっていたかのように、ごく当たり前に手に持っていたカップのうち1つを差し出した。
 温かな紅茶はアップルティーだろうか。爽やかな酸味が鼻をくすぐる。
「運動部は大盛況みたいね」
「文化部だっていつもより華やかじゃないですか」
 とりとめのない話をしながら、玲奈はいつ聞こうかタイミングを計っていた。
 ふっと沈黙が訪れ、意を決して口を開く。
「あの、会長さん。あの勝負のことなんですけど‥‥‥」
「前も言ったけど、手は抜いてないわ」
「会長さんは、あたしに勝って欲しかった。違いますか?」
 真っ直ぐな玲奈の視線を受けて、会長が微かに口に端を上げる。
「あなたを勝たせて何になるの?」
 エメラルドグリーンの瞳が細められ、長い黒髪がスルスルと肩から零れ落ちる。
「だって、もし ――――― 」
 もしあたしが会長さんだったら、きっと同じ事をすると思うから。
 喉元まで上がってきた言葉を飲み込み、アップルティーを流し込む。
 “特例”を認めるためには、それなりのコトが必要だ。誰からも不満の出ないようにするためには、どうしたら良い? 誰もがその特例が妥当であると認めれば良い。
 ただあたしを勝たせるだけじゃダメ。もしも会長さんがあたしを勝たせるために手を抜いてたとしたら? そんな想像をさせたらダメ。そこから不満が噴出してしまうから。
 だから会長さんは、最初から飛ばしてきた。演技ではない、最初から最後まで本気で走っていた。会長さんは、テープを切るほんの一瞬前に一呼吸溜めた以外は、勝つ気でいたんだ。
「今年の文化祭は、例年以上に盛り上がってるわね」
 カップに残った最後の紅茶を飲み干し、満足げな甘い吐息をついた玲奈に、リディアがポツリと独り言とも取れるような小さな声でそう話しかける。
「あなたの言ったとおり、誰か1人でもつまらないと思う人がいたら、皆が楽しめるような文化祭にはならないものね」
 立ち上がり、紅茶ご馳走様でしたと言って頭を下げる。
 きっと、会長さんはインドア系運動部の文化祭に対する不満を知っていたんだ。でも、立場上自分から動くことは出来なかった。
「これが良い前例になるかも知れないわね」
 歩き出しかけた玲奈の背を、会長の柔らかな声が引き止める。
「臨時の部屋なんて、そうそう使う機会はないのだから、こういうところで十分なのよ。 ありがとう、三島さん。あなたが行動を起こしてくれたからこそ、来年からの文化祭もきっと盛り上がるわ」
 確かに、きっかけを作ったのはあたしかも知れない。 でもそれは、みんなの協力があったからこそ。会長さんの協力や、生徒会メンバーの承諾、他のクラスや部の快諾があったからこそ出来たこと。
 だって、文化祭は生徒全員が主役なんだから ―――――
 指先が銀色のドアノブに触れた瞬間、玲奈の中で何かが弾けた。
 世界を覆っていた薄い膜が弾け飛び、現実が幻へと変わって行く。
 特別な力のない、普通の高校生としてのあたし。高校生らしく皆と騒いで、遊んで、行事の時には張り切ったりして、青春を謳歌する。ぬるま湯のような穏やかな世界。その世界に、憧れがないわけじゃない。でも、この世界にいるあたしは本当の“あたし”じゃない。
 丸かった耳が尖り、首筋には鮫の鰓が、背には天使の羽が生える。
 心の中で、そっと会長に別れを告げると躊躇することなく扉を開けた。





 扉を開けた先は、見慣れない場所だった。
 対の概念が対立することなく絡まりあい、穏やかに溶け合う雰囲気は奇妙なものがあったが、不思議と気持ちが悪いとは思わなかった。
「お帰りなさい」
 生クリームに砂糖をこれでもかと言うほど入れたような、甘い甘い声が玲奈の耳を撫ぜた。声のしたほうに視線を向ければ、ピンク色に近い茶色の髪を頭の高い位置でツインテールにした、可愛らしい少女がニコニコと無邪気な笑顔を浮かべながら立っていた。
「ここは‥‥‥」
「ここは夢幻館って場所なの。あなたがどうやってこの扉の中に入ったのかは分からないけど‥‥‥現実の世界に戻ってこられて良かったね」
 極端に低い身長に、裾の広がるピンクのドレス。多分小学生だろう目の前の少女は、片桐・もなと名乗ると玲奈についてくるように言って歩き出した。
「昨日ね、美味しいケーキ屋さんを見つけて、ケーキ買って来たんだ。ね、良かったら一緒に食べよう?えっと‥‥‥」
「玲奈。三島玲奈って言うの。よろしくね」
「玲奈ちゃんって、可愛い名前だね。 玲奈ちゃん、扉の中の世界は楽しかった?」
 階段を一段抜かしに駆け下りるもなの髪が、左右に揺れる。まるでブランコのような動きに目を奪われながら、玲奈は彼女に倣って一段抜かしに下りながら、微笑んだ。
「楽しかったよ。 でも、やっぱり今の“あたし”が一番楽しいかな」



 ――― ちなみに
 神聖都学園でばったりリディアと会い、思わず大きな声で
「会長さん!!」
 と叫んでしまったのはまた別のお話 ―――――



END


◇★◇★◇★  登場人物  ★◇★◇★◇

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


 7134/三島・玲奈/女性/16歳/メイドサーバント:戦闘純文学者


 NPC/リディア・カラス