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<東京怪談ノベル(シングル)>


鵺が鳴く夜 -前-

 雨の後の湿り気を帯びた空気に、雷鳴が轟いた。
 黒い絵の具を溶かした水のような、もやの掛かる雷雲に包まれた東京の街中。
 誰もが急ぎ足で家路へと付く中、円はふと足を止めて、不機嫌な空を見上げた。
 異形の者を討ち取った帰り道。いつもなら清々しく、ごく僅かな哀れみを抱く胸の内は、けれどこの日に限ってやたら晴れない。
 突如吹き付ける突風に浚われた、長い黒漆の髪を耳に掛けた。
「嫌な感じがする」
 ぽつ、とこぼした少女の声は、急ぎ足の世の中で、誰の耳に留まることもなかった。

 一九八○年代後期、東京。
 バブル景気に沸く人々の間で、近頃政界に不穏な話が流れている。
 お偉いさん方の間で揉め事が起こるのは世の常だったが、今回のそれはどうやら少々様子が違ったようだ。
『数日前から議会の席に欠席の見られた野党の――氏が、先日二十時頃、原因不明の病に倒れ、病院へ搬送された模様です』
 テレビから流れてきた朝のニュースに、円はちらと一瞥を送った。
 朝食を済ませ、後はゆっくり高校への登校路につこうかという時間。聞こえたニュースの内容に、少女は眉根を寄せる。
 普通の一般的な女子高生であったなら、何だそんなこと、と別世界のことのように割り切ってテレビを消しただろう。
 しかしながら、円はここ最近連日の如く放送されるその内容に、ある種の陰謀めいたものを感じていた。
 人の手の絡まない、闇の中で進められる謀。
 つまり、妖者と呼ばれる者達が手を染める謀略。
 隙あらばヒトの世を支配せんとする、ヒトならざる者達の存在を感じ取ったのだ。
「政界で名を馳せた歴々が、皆一様に原因不明の病で倒れてる――ここがミソか」
 顎に手を当て、暫くテレビの前で思案した円は、すぐに学校指定の鞄を持つことなく家を出た。
 念の為に公言しておくならば、その日は一週間の中でも一番気怠い月曜日。休み明けの朝に、鞄も持たず黒いセーラー服に身を包んだ円は、少し注意して見れば非常に浮いた存在だった。
 彼女が向かった先は、近くのコンビニエンスストアだ。こぢんまりとした店が軒を連ねる街角に、通勤時間でも空いた店内の一角。
 入り口に面した硝子張りの壁の、雑誌コーナーで円は立ち止まる。
 隣の漫画雑誌に手を伸ばしたい心境を押し殺して、彼女が取ったのはゴシップ系の経済週刊誌だった。
 株式が云々、どこの会社が今一番の注目を浴びている。そんな記事をパラパラと飛ばし見て、円が手を止めたのは例の事件に関する記事だった。
 二、三ページ程度にまとめられた記事を要約すると、以下のような内容だった。
 ここ一週間ほど相次ぐ、政治家達の入院事件。
 数日間「誰も居ない部屋から、不気味な獣の鳴き声が聞こえる」と怯えに怯え抜いた政治家や閣僚達が、遂に原因不明の病で倒れて病院へ担ぎ込まれる、というものだ。
 日本の未来に暗雲か、などと囃し立てる見出しの下に、この数日間で病院へ搬送された政治家達の名前と党派が書き出されていた。
 今朝の人物を加えれば、既に与党から二、三名、野党から七、八名ほどの人数が削ぎ取られている。
 野党側で上がっていた名前は、どれもここ一年で目覚ましい功績を上げた者達ばかりだ。逆に与党側はと言えば、党内でも怪しい動きを見せていた人物ばかりが上がっている。
 これは果たして、偶然だろうか。
「与党の上の方に、何か大きなモノが入り込んでいるということか。それとも……」
 折しも丁度一週間前から、東京の街全体に、まとわりつくような暗い気配を感じ取っていた円だ。
 自分の中に眠る“朱雀の力”が、燃え盛るように騒ぐのを自覚していた。
 ――朱雀の巫女。
 それが、闇の世界に生きる者達による、円の通り名だ。
 別名を鬼姫と名を馳せる彼女は、赤羽根と呼ばれる妖狩り一族の娘だった。
 そんな彼女の、こういう時に走る直感は外れた試しがない。
 一度お上の方に探りを入れてみようか。
 踵を返した円が、コンビニの自動ドアを出た時だった。
「君、待ちなさい」
 不意に呼び止められて、円は足を止める。振り返れば、巡回中らしい警官が自転車を押しながら円へ近付いて来る所だった。
「もうどこの学校も閉門している時間だろう。こんな所で何をしているんだ?」
 如何にも仕事に従順な人間なのだろう。角を立てないように、円が「鞄を何処かに置いてきてしまったようで」と適当な言い訳を口にしようとした。
 しかし開き掛けた彼女の口は、また別の声で遮られる。
「あぁ、君。探していたんだよ」
 聞き覚えのない男声に、円と警官は道端へ視線を向けた。驚いた様子の警官とは裏腹に、円の瞳は常と変わらず冴えた光でその人物を捉える。
 頭に白髪が交じり始めた、恰幅の良い初老の男。いつの間に曇が差したのか、辺りは暗雲に包まれ小雨が降り始めていた。
「そこの警官殿。すまんね、彼女は私の知人の娘なのだよ。急な用事が入ったもので、迎えに行くからここで待っているよう言ったのさ」
「はぁ、そうでしたか。それは、失礼しました」
 やはり円には見覚えがない。けれどどうやら助けてくれたらしい初老の男の口車に、この際乗せられておくことにする。
 申し訳なさそうに警官が自転車を押して通り過ぎて行くと、円は改めて男を眺めた。
 雰囲気は一見穏和であったが、その内側には途方もない威圧感のようなものが渦巻いている。
 眼鏡の奥の瞳は、優しそうでいて狡猾だ。かと言って、ただの老獪な人間には見えなかった。
 何より、どこかで幾度か見たような顔だ。
 男の底にあるものを見極めようと目を細めた円の中で、炎の力が僅かにざわめいた気がした。
「ありがとうございます。それでは」
 ともあれ、これ以上ここに留まっておくわけにもいかない。助けてくれたことには礼を言って、この場を辞しようとした円に、初老の男は笑みを浮かべて言った。
「いいや、構わんさ。それより、学生の内はしっかり勉強をするものだよ」
 大人の鑑。そんなレッテルが相応しい言葉と共に、ぽんと少女の肩へ軽く手が置かれる。
 何気ない接触だったが、円はその瞬間にぞわりと背筋が粟立つ感覚を覚えた。
 生理的な嫌悪などではない。それはどす黒い、負の力に反応した己の中の第六感が騒ぐ感覚だ。
「……そうですね。未来を担っていくのは、私達子供ですから」
 何食わぬ無表情を装った円は、当たり障りのない返事を返して踵を返す。
 満足そうに頷いた、初老の男が見えなくなるまで走って、角を幾つか曲がった少女は不意に足を止めた。
「あの男……道理で見たことがある筈だ。与党の幹事長というポストに納まって以来、色々ときな臭い噂が絶えない人間のようだけど、なるほど」
 何やら一人で納得して、円は辺りを見回した。
 腰程まである黒髪が、重力に従うよう下方へ向かって揺れる。
 意思の強そうな黒い瞳が、近くの木に留まっていた小鳥を捉えた。
「少し、頼まれてくれないか?」
 人通りのない細道で、ふと声を上げた円が右手を差し出す。誰にともなく掛けたものだと思われた言葉は、しかし、小鳥が彼女の指へ留まったことで独り言ではないことがわかった。
 円は、呼びかけた小鳥へふっと息を吹きかけると、幼子へ言い聞かせるように告げる。
「そこのコンビニ付近に居た男。奴を追ってほしい。お前が近付けば、あれは自ずと気配を辿って私の元へ来るだろう」
 ぼそぼそと呟かれた言葉に、小鳥は返事をするよう一度だけ鳴いた。すぐ様舞い上がった曇天に、褐色の小鳥はすぐ見えなくなってしまった。

 時刻は、昼に差し掛かる頃。
 とある商社ビルの屋上に、円は立っていた。どこよりも高い高層ビルは、東京の都心を一望できるのではないかという程だ。
 天気は、益々悪くなっていた。
 ここ最近続く、悪天候。黒煙る視界と、時折落ちる雷鳴が轟く。そう、それはある物の怪の到来を意味する、謂わば合図のようなものだった。
「その昔、平安の京に恐ろしい化け物が現れた。それは毎晩のように清涼殿へと潜り込み、黒煙と共にやって来る。身の毛もよだつ不気味な鳴き声が御殿を巡り、二条天皇はこれに恐怖した末、遂に病に伏したという話だ」
 円が昔話を聞かせるように、厳かに口を開いた。一つの伝承は彼女の唇から滑り落ち、音もなく背後へと忍び寄っていた人物の元まで、ころころと転がっていく。
 話を耳に拾い上げた人物は、喉の奥でクツクツと笑って手を叩いた。
「まさか、あの一瞬で見抜かれるとは思わなんだわ」
「よく言うな。触れられた瞬間、朱雀の力が暴れるほどの妖気を纏っていながら」
「ほう、ではやはり、ぬしは赤羽根の鬼姫か。鳥を使役し、我を焚き付けた頃より、薄々想定してはおったがな」
 円の耳に聞こえたのは、たった数時間前に聞いたばかりの男の声だった。
 初老の、穏和なようでいて凄まじい威圧感を孕んだ声。それが段々とぶれて、耳障りな籠もった声へと変貌していく。
 円は一度静かに瞳を閉じると、振り返ってゆっくりとそこに居る筈の人物を見つめた。
 それはまるで、嫌悪すべき物を見るかのように。
 凍り付いた冷たい視線が刺したのは、初老の男ではなく、異形の化け物の姿だった。
 猿の顔に、虎の四肢。尾先では蛇の口がおどろおどろしく開き、ちろちろと赤い舌を踊らせていた。
「妖獣、鵺! 貴様に焔の粛正を与えよう」
 すい、と空を掻くように動いた円の両手が、弓をつがえる動作を見せる。
 ニタリと笑った鵺が、ヒョウヒョウと鳴いて駆け出した。

◇ 続 ◇



◇ ライター通信 ◇

赤羽根・円様。
初めまして、こんにちは。
この度は、シチュエーションノベルの発注ありがとうございます。
前後編の二部構成で、円PC様と鵺との一騎打ち、とのことですが、与党だとか野党だとか、あまり生かしきれていない感ありありで申し訳ございません(苦笑)
「鵺」という題材は、いつか一度は書いてみたいと思っておりましたので、執筆する機会に恵まれたことを、嬉しく思っております。
物語は後編へと続きますが、今暫く、お付き合い頂けますと幸いです。