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<東京怪談ノベル(シングル)>


鵺が鳴く夜 -後-

 きりきりと引き絞った円の指先から、赤い炎が渦巻いた。
 細くしなやかなそれは、彼女の指が放されると同時に鵺の額めがけて飛んだ。
 瞬く間に鵺の眼前へと迫った炎の矢だったが、鵺はそれを突き出した前足で薙ぎ払った。その瞬間、まるで一本の矢がへし折られるかのような容易さで、炎の筋は跡形もなく消失する。
 流石に、その辺りに転がっている手合いほど一筋縄では行かないようだ。
 短く舌打ちをした円は、口の中で何事かを呟くと腕を前方へと突き出した。それと同時に、彼女を取り巻くよう炎の渦が巻き起こる。
 それらが一斉に獣へと押し迫っても、鵺はせせら笑うばかりだ。
『無駄。無駄よ、鬼姫。かような狐火程度の妖術で、どうしようと言うか! 我を誰と心得る』
 鵺が濁った声で咆吼すれば、円は冷たい視線で不敵に微笑んだ。
 瞳の笑わない冷笑が、シニカルに獣の瞳を穿つ。
「そんなもの、私の知ったことか。だが……これを狐火と侮れば、地獄の囚獄で悔いることになるぞ?」
 炎のうねりと熱気に煽られて、鵺は猿の口で大きく吸い込んだ息を吐き出した。同時に黒煙が辺りを取り巻き、炎で輝きを増す周囲を覆っていく。
 黒く淀んだ辺りの景色に、円は尻込みすることなく前方へと突っ走った。敵の姿が見えなくなってすら、彼女の動きは鈍ることがない。
 黒煙を熱風が押し戻して、巧妙にその奥へ隠れる鵺の姿を探す。
 微かな妖気の揺らぎとほんの僅かな気の乱れに、再び炎の矢をつがえた少女が、引き絞った矢を放った。
 途端に、ギャオウと獣のひしゃげたような悲鳴が聞こえる。
 仕留めたかと一瞬気を緩めた矢先、ピリピリと空気が震えて目の前を青白い閃光がひた走った。
 生き物のように伸びた閃光は、バリバリと紙の破けるような音を辺りに散らしながら円の片足を捕らえる。
 途端、身体に激しい痺れを感じて、円は悲鳴を上げた。
「ぅぁあぁああ!」
 落雷に打たれたなら、こんな痛みになるのだろうか。そう考えるほどの電流が、円の足下から脳天にまで突っ切っていく。
 不整脈に浅い呼吸を繰り返し、膝を付きそうになった彼女は、後方へ跳び退ろうとして背中から何かに殴り倒された。
「ぐっ……!」
『どうした、朱雀の。ほざいた割にはもう終いか?』
 霞む視界には、大きな鉤爪の付いた虎の片足。
 はらりと地へ散ったのは、彼女の艶やかな黒髪の束だった。
 電流に晒されたことで、まとわり付く黒煙と背後に迫った鵺に気付かなかったのだろう。
 負の力渦巻く煙で上手く自身の身を隠した鵺は、円の射た矢に撃たれ、負傷した腕で彼女を薙いだのだ。
 少女の炎で形成された矢が貫く前足は、鵺特有の暗く濁った気配を薄れさせる。
 自らの炎に打ち消された獣の妖気を、上手く掴めなかったらしい。
 簡単に放り出された身体は、畳みかけられた攻撃に受け身を受ける間もなく、屋上のコンクリートへ叩き付けられた。
 肉を斬らせて骨を断つ。
 鵺の戦法は、流石人間社会に紛れて国を動かそうとするに相応しい、狡猾なものだった。
 しかして、手を噛まれた程度で引き下がるほど、円も弱くはなかった。彼女には、譲れない信念がある。
「貴様のような、悪知恵の働く闇の者を討つことが、私の役目だ。おめおめと逃げ帰れるものじゃない」
『ほう。ならばどうする、朱雀の鬼姫よ』
 ヒョー、と鳥の鳴き声を上げた鵺が、牙を剥き円へ飛びかかった。
 その刹那、ゆらりと少女の姿がぶれる。灼熱の炎に見せられた幻影のように、背を低く伏せた円は鵺の攻撃をかわすと、その横っ腹に手の先へ集中させた気を放った。
 慢心していた獣は、退くことを忘れて円の覇気に勢いよく吹き飛ばされる。
 ぐゥ、と喉の奥で獣が唸った。
 ダメージは、さほど大きなものでもなかったのだろう。すぐに立ち上がった鵺は、中を駆けて円の頭上から大きな前足を振りかぶった。それをも避けた円だったが、後方へ足を付いた瞬間、その足首を絡め取るものがあった。
「うわっ!?」
『甘いの、朱雀の巫女。我が尾は己が意思で動くもの。決して目を逸らしてはならぬものを』
 ククッ、とせせら笑った鵺の尾が、円の右足に絡み付いていた。バランスを崩して宙吊りとなった少女は、何とか足首を締め付ける蛇へ届かないものかと手を伸ばす。
 ともすれば骨が軋みを上げそうなほどに巻き付いた蛇の頭は、今にも噛み付こうと尖った歯をちらつかせていた。
「く……っ。仕方がないか」
 独りごちた円は、強く振り回される中空にあって、足の先へと意識を集める。ちりちりと体内が火に炙られるかのように熱くなり、やがって彼女は小さく鋭い呼吸を一瞬だけ吐き出した。
 その刹那、彼女の足の先から、仄白い炎が渦を上げて発火する。
『何!?』
 突然の事に、身を焼かれた蛇の尾は、耳障りな悲鳴を上げて円の足を振り払った。
 宙に投げ出された円は、そこで一回転すると綺麗なフォームで屋上の給水塔へと着地する。真ん中から半分ほど、背中の上の方でブツ切りになったざんばらの髪が揺れる。
 尾にまとわりつく炎を消そうと、もんどり打つ獣へ向けて、円は間髪入れずに炎の弾丸を撃ち込んだ。
『がァあ!!』
「余所見をしてると、足下を掬われるぞ」
 氷のような眼差しが鵺を射抜く。派手な轟音を立ててビルの屋上へと伏した獣は、よろよろと前足で身体を支えた。
 鵺が立ち上がるよりも前に、円が己の中で気を練り上げる。それに朱雀の能力である浄火を乗せて、鵺の方へと撃ち放った。
 獣を焼き尽くすものと思われた火炎だったが、炎はたちまち鵺を内側へ閉じこめるように取り囲む。
 さながらそれは、一部の隙もない猛獣の檻だった。
『このようなもの、我が雷雨で――』
 パリパリと放電し始めた鵺の身体が、次の瞬間、盛大に発火した。火に囲まれた場所で雷撃を放とうとした鵺の身体に、炎が引火したのだ。
 雨を降らそうと振るった力は、しかし巻き上がる熱風に気圧されたように不発で終わる。
 折しもそれはただの炎ではなかった。
 清浄なる、神の炎。
 妖獣の降らせる雨粒でさえ、たちどころに蒸発するほどの熱を持った力だ。
 それに焼かれ、火を打ち消そうとビルの屋上を転がり回った鵺は、背後に迫る別の炎の気配に気付かなかったようだ。
 肉塊に、刃物を突き立てたような音が鈍く脳へと響いた。
『ァ……?』
 口から漏れた間の抜けた声は、しかしそろそろと視線を遣った胸の上でカッと見開かれる。
『ァああぁァァアぁあああ!!』
 鵺の胸には、深々と緋色の焔で象られた矢が刺さっていた。背後から一撃。狙いは獣の心臓で、内側からじわじわと鵺の身体を焼いていく。
 剥いた目の玉で頭上を仰げば、一人の少女がつがえた矢を放った格好で、目と鼻の先に着地する所だった。
「鵺は矢で射抜かれて、討たれるものだろう?」
 肉の焦げる匂いが鼻を突く中、風に煽られてセーラー服の黒いスカートが翻る。
 暗雲垂れ込めていた空には、微かな晴れ間が差していた。

 浄火に焼かれて朽ちた鵺は、後に灰すら残さなかった。
 じわじわと、いつものスカイブルーが広がりつつある空を見上げて、円は漸く一息をついた。まだ鈍い痛みを残す背後をちらと見遣れば、視界に入ったのは読んで字の如く虎刈りの黒髪だった。
「腰まで伸ばすのも、大分掛かったんだがなぁ……」
 やれやれと肩を竦めれば、少女はポケットから細身のナイフを取り出した。
 折りたたみ式の、刃渡り五センチほどのナイフ。小学校の図画工作で使うような小さなナイフだが、切れ味は悪くない。
 円は残る長い髪を一つに束ねると、項辺りから一気に刃を引いた。
 ざくりと妙に生々しい音が響いた気がするのは――ここまで伸ばした髪を切るという、ある種の決別のような重みを背負っていたからだったのか。
 掴んでいた指をそっと広げれば、漆黒の髪は風に乗ってビルの外へと散って行った。

◇ 了 ◇



◇ ライター通信 ◇

赤羽根・円様。
前編に引き続き、こんにちは。
この度は、シチュエーションノベルの発注ありがとうございます。
後編は丸々一本を戦闘シーンに費やしまして、このような仕上がりになりましたが、如何でしたでしょうか?
この回で長かった髪を切る、とのことで、そのシーンも入れてみました。
戦う女の子が大好きな自分にとっては、後半は特に生き生きと書かせて頂きました。サッパリとした、しかし勇ましく使命に忠実な円PC様の魅力を引き出せていれば、幸いです。
それでは、ここまでの読了ありがとうございました。
また、再びのご縁があることを願いつつ、締めとさせて頂きます。
今一度、発注ありがとうございました。