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<東京怪談ノベル(シングル)>


ただいまドラゴン修行中
 電脳の海には、無数の情報が漂っている。
 検索エンジンにキーワードを打ち込めば一秒と経たずに目当ての情報が現れ、目の前の画面に映し出される。それはまるで魔法のようであり、また、身近で馴染み深いが、現実世界を模倣した異世界も言えるだろう。使い方さえ弁えれば、こんなにも便利で素晴らしいツールはない。
 海原みなもは、自宅でパソコンに向かってネットサーフィンを行っていた。だが、今日の目的は時間潰しや遊びではなく、課題製作のための資料集めが目的だ。みなもの所属する班が決めた題材は環境問題についてであり、きちんとしたレポートをまとめて課題研究発表会でプレゼンテーションを行うためには、裏付けの取れた資料が必要だった。だから、みなもは熱心に様々なウェブサイトを閲覧していた。
「……んっ!」
 長時間パソコンに向かっていたため、固まった筋を伸ばすべく、みなもは背伸びをした。集めた資料を整理してから、ブラウザを閉じようとマウスを動かすと、現在表示されているページの右上のバナーが目に付いた。
『ベータ版テストプレイヤー募集中!』
 初めて見るタイトルのネットゲームだったので、運営開始前のテストプレイヤー募集広告なのだろう。キャラクターのイラストは美しく、魔法使いの女性は凛とした表情で杖を構えている。その背後には巨大なドラゴンが牙を剥き、力を鼓舞せんと咆哮を放っていた。
 そういえば、ネット関係のアルバイトはあまり数をこなしていない。興味を惹かれたみなもは、募集広告バナーをクリックしてページを移動した。僅かなロード時間の後、新しく開いたウィンドウにネットゲームの主催サイトが表示された。だが、そこに現れたのは募集広告と同じロゴやキャラクターではなく、ログイン画面に似たシンプルな画面だった。訝しんだみなもが更にクリックすると、前触れもなく強い眠気が襲ってきた。
 そのまま、みなもの意識は没した。



 草と土の匂いが鼻を掠め、肌を温める日差しは優しい。
 微睡みが終わるのが惜しいほど気持ちの良い。もう一眠りしたい、とぼんやりと考えながら、みなもは寝返りを打とうとしたがいやに体が重かった。起き上がろうとすると素肌に草が擦れるが、予想した摩擦感はない。首を上げるが、頭の上に何かが付いていて地面に引っ掛かってしまった。なんだろう、とみなもは頭に触れると、丸太のような異物があった。
「えっ……?」
 無意識に『生きている服』で変身してしまったのか、とみなもは慌てて体にも触るが、手触りがおかしかった。
 硬い。そして、妙に冷たい。だが、みなもの手にも胸にも腹にも触覚はあり、目も動く。視線を下に向けたみなもは、縦長の瞳孔を過ぎて網膜に辿り着いた映像に仰天した。
「何ですか、これ!?」
 みなもの視界に入ったのは、青いウロコに覆われた胴体だった。感覚は自分の手だがみなもの手ではない。三本指に太い爪が生えていて、足も同様だ。首を回すと、背中には一列に背ビレが続いており、逞しい尻尾までもが生えていた。みなもはますます混乱したが、尻尾を引き摺って水場を探した。水面に映った自分の姿を見れば、安心出来なくても理解は出来るからだ。
 鏡のように美しい湖に辿り着いたみなもは、湖面に顔を寄せた。そこにあったのは、見慣れた自分の顔ではなく、ぎょろりとした双眸を持ち、立派なツノを生やした、群青色のドラゴンだった。みなもが目を見張ると、悲鳴が響いた。何事かと振り向くと、頭が三つあるイヌが座り込んでいた。ケルベロスだ。すると、また別の方向から声が聞こえ、腕の羽が生えた女性が立ち尽くしていた。ハーピーだ。みなもが草原を見渡すと、次から次へとファンタジーでは定番のモンスターが現れた。ガーゴイル、グリフォン、ラミア、ゴブリン、スケルトン、スライム、などなど。
『ようこそ! ネクストファンタジア・オンラインへ!』
 モンスター達の混乱を掻き消すように、空から女性の声が降り注いだ。
『この度は弊社のベータ版テストプレイヤーにお申し込み頂き、誠にありがとうございます! つきましては、テストプレイの内容について御説明させて頂きます。現在、ネクストファンタジア・オンラインは正式オープンに向けて鋭意開発中ではございますが、冒険者達が倒すべきモンスターの開発が遅れています。そこで、モンスターの性能向上と攻撃パターンの作成を目的として、今回、ベータ版テストプレイヤーを募集させて頂きました。スタッフ一同、多数のご参加に感謝しております! 尚、テストプレイ後、テストプレイヤーの皆様には報酬を支給いたします!』
 つまり、ここはネットゲームの世界らしい。そして、モンスター達は、みなもと同じく現実からネットゲームの世界に入り込んだ人間達なのだ。空からは運営側からの声が続き、分布図に従ってモンスターを転送する、との言葉の後にみなも扮するドラゴンも転送された。


 
 深い青。冷たい重み。暗い流れ。
 みなもが転送された先は、明るく晴れ渡っていた草原とは正反対の場所だった。ごつごつとした岩壁と水温の低い海水から察して、海底洞窟のようだ。日の光が遮れているため、辺りは夜のように暗い。みなもは洞窟から顔を出し、翼を広げてゆるりと飛び立った。
「そうか、あたしはウォータードラゴンなんですね。ぴったりです」
 翼が切り裂く海水は滑らかで、ウロコに染み渡る温度はひんやりしている。人魚の姿で泳ぐ時とは、また違った良さがある。しばらくの間、みなもは海底散歩を楽しんでいたが、本来の目的を思い出した。モンスターの性能向上と攻撃パターンの作成、ということは、ウォータードラゴンらしく振る舞う必要がある。海底洞窟に潜むドラゴンとなれば強敵だ。みなもはドラゴンらしさを精一杯思い浮かべ、海水を吐き出した。
「きゃあ!」
 だが、勢いが強すぎてひっくり返ってしまった。
「もう一度……。ドラゴンなんだから、しっかりしなきゃ」
 みなもは挫けずに起き上がり、竜巻状の渦を吐き出すが、反動に負けて吹っ飛んだ。
「いやぁああー!」
 海底に転げ落ちたみなもは、考えを改めることにした。
「攻撃の練習は後でもいいです。今は、ドラゴンらしくすることを練習しなきゃ」
 みなもは尻尾で海底を叩き、吼えてみた。
「ぎゃおう!」
 ドラゴンどころか、子イヌにも負ける咆哮だった。これでは、冒険者達にあっという間に倒されそうだ。
「だったら、必殺技です」
 みなもは大きく顎を開き、首を前に突き出しながら叫んだ。
「コールドブレス!」
 すると、みなもが発射した冷凍光線は海水どころかみなもの足元までもを凍らせた。
「冷たい、動けないー!」
 がちがちに固まった海水と砂から足を引き抜こうとするが、力加減がまだ解らない体では難しかった。尻尾や翼を使ってやっとのことで抜け出したみなもは、足に付いた氷を剥がし、牙の生えた口元を引き締めた。
「頑張らなきゃ、だってあたしはドラゴンなんですから」
 みなもは気合いを入れて一歩踏み出すが、いつもとは重心が違うので、盛大に転んで砂に顔を突っ込んでしまった。
「が、頑張らなきゃ……。御仕事なんですから……」



 その後、正式オープンしたネクストファンタジア・オンラインでは、時折必殺技を失敗するウォータードラゴンが話題になったという。


 終