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<東京怪談ノベル(シングル)>


過ぎ去りし時、それは未だ来たらぬ時

 気の遠くなるような時を経て、世界は変わった。
 東京は東京王国と名を変えた。人間は妖精に変化し、かつては特異であった超常の力を自在に操れるようになった。だが、華々しい時代は長く続かず、兵器から進化を遂げて自我を得た機械龍との戦いに苦戦していた。
 機械仕掛けの龍は、姿形は龍でも動力が超常の力ではない。胎内で脈打つ心臓は石油で動き、歯車の内臓が噛み合う肉体は巨大かつ強大で、妖精達はトロルやゴーレムを始めとした魔物を召還して立ち向かうが、皆、敗北した。
 そこで妖精達は、新たな手段に出た。古代から技師を召還し、叡智を得ようというのだ。だが、妖精ではなくただの人間に過ぎない技師達は時の壁を越えれば命を落としてしまう。そこで、技師達を仮死状態にして肉体のみを召還し、憑依してその脳に蓄えられた膨大な知識を吸収するが、古代の叡智を得た魔道師は代償に消耗し、廃業に陥ってしまった。たとえ、叡智を得ても戦う者がいなければ戦いにならない。王国中の魔道師達が弱るのに反比例し、機械故に疲れを知らぬ機械龍は猛攻を続ける。
 東京王国は、今や風前の灯火だ。総力戦を覚悟した王国は、戦える者は異端者でさえも動員し、従わぬ者には重税を課し、総力戦に向けて搾り取れるだけの力を搾り取っていた。



 激動の時代の中、三島・玲奈は生きていた。
 鴉の濡れ羽色と称するに相応しい黒髪を靡かせ、猥雑だが活気のある歓楽街を駆けていた。法衣と短袴を身に纏い、薄く濡れた肌に玉のような汗の粒を滲ませていた。駆けるうちに、知り合いのウンディーネに泳法を教わっていたために冷えた体に温もりが戻ってきて玲奈は安堵した。体が冷えたままでは、動きがぎこちなくて舞台の仕事がこなせない。舞台が酒場であり、相手が飲んだくれの男達であろうとも、給料をもらう以上
は仕事だ。たとえ、その内容が男達の劣情を満たすだけのものだとしても。
 今夜の仕事で金が入れば、夜学の学費が足りる。そうすれば、勉強を続けられる。孤児である玲奈には、親どころか手助けしてくれる大人はいない。だから、自力で稼ぐしかない。酒場が見えてきたので、玲奈は足を緩めたところで人影に遮られた。
「すみません、通して下さい」
 玲奈は呼吸を整え、凛とした声を張った。だが、背の高い人影は動くどころか数を増やし、玲奈の進行方向だけでなく背後も取り囲み、玲奈の動きを封じた。
「三島・玲奈だな」
 男の一人が歩み出て、玲奈に蛮刀を突き付けた。
「返済を要求する」
「返済……?」
 夜学も住まいも賃金は払っている。心当たりのない玲奈が訝ると、男達は輪を狭めてきた。
「さあ、返せ! 金を返せ!」
「だから、あたしはそんなの……」
 知らない、と言いかけた白い喉に冷たい刃先が据えられ、玲奈は引きつった悲鳴を上げた。
「いやあああああっ!」



 召集令状と共に届いたのは、税金の請求書だった。
 途方もない金額が書き記され、その下には未納した場合の厳罰が大量に並び、東京王国からの公式文書であることを示す印が押されていた。それらを読み終える前に破り捨てた老いた魔女は、紙片を力一杯踏み躙ってから城の地下へと続く階段を急いだ。古びた扉を開けると、黴臭く湿った空気がぶわりと迫った。
「異端税とな? 血迷うたか、元老院め!」
 独りでに薄明かりが灯る石造りの階段を、魔女はローブを引き摺りながら下りていった。
「こんな国、願い下げじゃ!」
 魔女はほの明るい闇を睨み付け、かつかつと足音を高く響かせながら進むが、城自体に仕掛けた魔法から外の異変を感じ取っていた。長年、この城で暮らし続けた魔女にとっては城はもう一つの肉体だ。細工を施し、魔法を仕掛け、至る所に目や耳を作った。それは魔女自身に直接繋がっており、外に出ずとも様子が掴み取れていた。だから、既にこの城が徴税使と臨戦状態の戦闘部隊に取り囲まれていることも知っていた。機械龍との長き戦争で消耗しつつも鍛えられた戦闘部隊と真正面から戦えば、魔女と言えども勝ち目はない。増して、相手が魔砲手であっては。
 地の底まで続きそうなほど長い階段を下りた先に、分厚い扉が待ち構えていた。魔女はその扉に軽く触れると、扉は独りでに開いて主を迎え入れた。地下とは思えぬほど広く長い回廊には、見上げるほど高い書架が無数に連なり、いずれの棚にも隙間なく禁書が詰め込まれていた。それらの本は、皆、禁忌とされて封じられた魔道書ばかりだ。そして、その内容は全て魔女の頭に入っていた。
 本の回廊を過ぎると、最深部に到達した。そこにある池には、あまねく叡智を駆使して造り上げた、機械龍でさえも倒す最強のホムンクルスが眠っていた。魔女は淡く光を放つ池の前に立ち、高らかに叫んだ。
「目覚めよ、そして我が叡智をいにしえ人に遍く伝えん、さすれば異端から正統になりき、すなわち課税不可能!」
 魔女は両手を振り翳し、持てる力を全て注ぎ込んだ。だが、ホムンクルスの瞼は開かなかった。
「ふむ……。魔力不足のようじゃな」
 魔女は膨大な魔力の持ち主の心当たりを思い出し、懐から水晶球を取り出して一人の男を呼び出した。
「あの娘に貸しがあったのでな、返しに向かうてくれんか」
 水晶球の向こう側で男が一礼すると、場面が切り替わり、蛮族に襲われている最中の玲奈が映し出された。法衣は切り刻まれて滑らかな肌には薄く傷が走り、引き裂かれた短袴からはなまめかしい襦袢の腰帯が覗いている。玲奈は突然現れた新たな男に驚き、護符を握り締めた。
『どうして? 護符が効いていない?』
 焦った玲奈は護符に魔力を与えようとするが、男は剣を抜き、玲奈に迫った。
『その護符は先王の名義のもの。護符を抵当に、滞納料金の一括支払いを求める。それが出来ぬのならば、首をもらい受ける』
『なんでなのよ、この護符は大切な!』
『先王が娼婦に孕ませた隠し子よ。お前は父の愛した国を守りたいとは思わぬのか』
『え……』
 玲奈が身動ぐと、男は切っ先を閃かせて玲奈の髪を刻んだ。
『これもまた、国を守るためだ』
『だけど、そんなの……』
『お前が来ねば、国は滅ぶ。人も土地も機械龍に喰い荒らされ、魔法は封じられ、国は崩壊する。それでも良いのか』
 再度、剣先が玲奈の首筋を掠め、髪をたっぷりと切り払った。
『……解ったわよ』
 男の言うことは尤もだ、と玲奈は思ったが、本心では拒絶していた。だが、先王の護符を差し出せば国が守れる。それを天秤に掛けた玲奈は涙を押し殺して頷いたが、男が玲奈を導いたのは王宮ではなかった。異端を極めた魔女が潜む地下室だった。謀られた、と玲奈は悟ったが既に遅く、男の一撃で昏倒した。魔女は玲奈の魂でホムンクルスに力を与え、過去へ導いた。




 それらを、全て映していた目があった。




「これが、ボクが見てきた全てです」
 桂は時計を手に収めると、赤い瞳で玲奈を見据えた。
「満足して頂けましたか、玲奈くん」
 自分自身の前世を知りたいと思ったのは玲奈だった。時間と空間を越える力を持つアルバイト先の同僚、桂に見てくるように頼んだのも純粋な好奇心からだった。だが、玲奈の前世は想像以上に苛烈だった。
 知るべきではなかった。玲奈は大粒の涙を零して嗚咽し、震える腕を掴んで膝を折った。
「こんなの、あんまりよ……」



 終