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<東京怪談ノベル(シングル)>


【湖に浮かぶ月輪 3 _Final 】





 翌日、IO2の後援部隊がやってきた。
 討伐した河童を搬送回収するために、玲奈が本部へ要請したのだ。
 湖に降りた水上飛行機から、数名のエージェントがゴムボートに乗り移る。
 その一団に、一人の女学生が交じっている。
 名は、鍵屋智子(かぎやさとこ)。
 年は十四。
 セーラー服の上に羽織ったダークパープルの白衣の肩に、長い黒髪がかかっている。
 湖面を吹き渡る風に煽られ、鍵屋の髪が、彼女の首に、頬にまとわりつく。散らばった髪を左手の指ですくい、耳にかけた。
 ボートを漕ぐ大人たちに守られるよう、鍵屋は腕を組み、ボートの中央に立っている。そして湖岸に佇む少女、自分と同じように異国でセーラー服を着ている玲奈を、睨むようにジッと見つめる。
 出迎えにやってきた玲奈は、鍵屋の視線に気づいている。
 なに、あの子? 偉そうに。
 年下であろうことは、その身長から予想できた。
 ボートから降りて鍵屋は、玲奈のそばに近づいた。
 二歩ほど距離をとって立ち止まる。
 鍵屋は腕を組み、玲奈を眺める。
 頭のてっぺんから顔、首、胸、腰、太股、膝、脛、靴の先まで舐めるように見回した。そして訊ねる。
 「貴方が、三島玲奈ね?」
 「そうだけど?」
 雰囲気で分かる。色のついた白衣を着ている時点で分かっている。
 この子、科学者畑。
 しかも、扱いにくい性質(たち)の。
 「とりあえず」
 と、鍵屋は言った。
 「脱いでくれる? 全部」
 は?
 玲奈は思わず、目を丸くする。
 「ここで?」
 「そんなわけないでしょ」
 鍵屋は呆れたふうに溜め息をつく。組んでいた腕をほどいて白衣のポケットに突っ込むと、玲奈に背を向け、着岸した二台目のボートに向かう。そのボートには一行の荷物を積んでいる。
 あ、そうだ。といったふうに、鍵屋は首だけ玲奈に振り返る。
 「私は鍵屋智子。しばらく貴方の担当することになったから」
 それだけ言うと、鍵屋は再びボートに向かう。降ろされる荷物の中から自分の鞄を探し始める。
 「あなた」
 玲奈は言った。笑顔を作ってはいるが、怒りを押さえていることがはっきりと分かる口調。
 「よろしく、も言えないの?」
 鍵屋は荷物の山から目をはなすこともなく、探す手を止めることもなく、玲奈に背中を向けたまま、「よろしく」と口を動かした。
 鍵屋の側で荷物を分ける、数人のエージェントが苦笑を浮かべ、玲奈に向かって肩をすくめるジェスチュアをした。
 どうやら彼女は、道中もこのような態度だったらしい。
 科学畑の連中にしばしばいる、コミュニーケション不全の輩。
 そういった人にかぎって難度の高い仕事を完璧にこなす。そのため組織としてはクビにはできない。しかも自分の研究テーマさえ続けられるのであれば、どの組織に所属しようと気にもとめないという人物が多く、一週間前の味方が次の週には敵にいた、ということも稀ではない。そのため人材流出を避けるため、多少の無礼や不作法に文句を言ってはいけない、という暗黙のルールが組織にはある。
 玲奈は、やれやれ、といったふうに首を振る。そして、つぶやく。荷物を探して砂浜に膝をつき、背中を丸める小さな身体の少女に向かって。
 「よろしくね、お譲ちゃん」



 「水門」
 と、鍵屋は言った。
 高台にあるホテルの一室に、二人はいた。
 アンティーク調のベッドとテーブルが置かれた、狭いシングルルーム。丸テーブルを挟み、玲奈はベッドに腰かけ、鍵屋は椅子に座っている。
 玲奈に簡単な身体検査を行った鍵屋は、手の平大の小型端末を眺めながら、言葉を続ける。
 「少女たちが襲われた場所。その頭文字がループしてる」
 「知ってるわ」と玲奈。「だから昨日の襲撃も予測できたし、犯人も捕まえることができた」
 「来月もあるわ」
 鍵屋は端末の小さなキーボードを器用に叩く。テーブルの上には、玲奈が持ってきた事件の資料が散らばっている。
 ディスプレイに映る鍵屋の瞳を、玲奈はじっと見つめる。
 「どうして? 犯人は捕まったのよ?」
 言いながらも、玲奈は自分の言葉を信じていない。
 次がある。
 その予感は玲奈にもあった。
 「ループしてる文字列には、意味がある」と鍵屋。
 玲奈には、その意味が分からなかった。

  LAFPMAFP

 繰り返されたこの文字列。
 なぜ、繰り返されたのか。
 それが分からなかった。
 事件は解決していないのかもしれない、という予感。
 ディスプレイに、待ち時間が減っていくバーが表示された。
 バーを確認した鍵屋の瞳と、目があった。鍵屋はそのまま顔を上げて、玲奈に振り向く。
 「LAFPMAFP8 。上下ひっくり返すと gate water 。water gate は、水門」
 「8 の○ふたつは、g ?」
 oops house の o 二つは、看板では斜めに並んで描かれていた。
 「水門、ある?」鍵屋は訪ねた。「そこが真犯人の狙いだわ」
 「真犯人がいる?」
 「九つもの文字、途中で途切れたら犯人のメッセージは伝わらない。犯人がひとりだけなら、水門で事件を起こすに決まっている。わざわざメッセージにしているということは、何か理由がある。水門は、あるわね?」
 玲奈は頷く。
 「水門はあるわ。この街とは湖を挟んで反対側だけど。川へ流れる水量を調節するための水門。下流には建設中のダムがある。そのための水門。たしか、水門ができたのは去年……ちょうど事件が始まる数カ月前」
 「ビンゴね」
 「ええ。敵は水門を排除したい。でも」
 「コンクリートと鉄の塊である水門を壊すことは、人外の者でも難しい。だからわざわざメッセージにして、警告してる。水門を壊さなければ、街の娘が死んでいく、と」
 玲奈はごくりと咽喉を鳴らした。全身がぶるっと震える。
 この子、やるわ。
 あたしが解けなかった暗号を、いとも簡単に解いてみせた。
 多少、人付き合いに問題があろうとも、この才能、やはり組織には不可欠。
 そのとき、鍵屋の端末がキコンという音を発した。
 タスク完了のメッセージが表示され、薬品名と投薬量のリストが画面いっぱいに広がった。
 鍵屋はそのリストを驚いたような目を丸くして眺めると、不敵といったふうに微笑む。
 「楽しめそうね、貴方の身体」
 細められた鍵屋の瞳に見つめられ、玲奈は背筋がゾクリとした。
 さきほどのとは、また別の衝撃。
 これ、悪寒?
 玲奈は引きつった笑みを浮かべ、嬉しそうに微笑む鍵屋にこう答えた。
 「お手柔らかに」



 沈みかけた太陽が、空と水面を緋色に染めて、森の木々を燃え上がらせる。川を塞き止める水門は、陽の光にさえ抗うのか、色に染まらず、その鋼色と灰色の壁を水上に見せている。
 幅二十メートルもあろうという川を塞ぐ、水門。
 昨夜から、水門は閉じられている。
 今夜は満月。
 すでに東の山から白い月が昇っている。
 「来るかね?」
 初老の役人が鍵屋に訊ねた。
 「来るわ」
 言って、鍵屋はダークパープルの白衣の前を合わせる。
 湖上を吹く風は涼しく、夕暮れの寂しげな景色の中では、体感温度も変わるようだ。
 今、鍵屋は客船の二階デッキの先端にいる。
 当局が街の観光局から借りた遊覧船。二百人規模のパーティーが開けるという貴族所有の客船を、街の観光局が借り、遊覧船として運行している。
 この日、当局がさらに観光局から接収し、狙われそうな年頃の少女を集めらた。
 失踪事件への当局の対策は、護衛客船である。
 そう聞かされれば、満月を怖れていた少女たちは安堵した。安心しきって、室内のテニスルームや一階デッキのプールで楽しく遊ぶ。
 「三島はどうした?」
 役人の質問に、鍵屋はバカにしたように唇を歪め、首を振る。
 「テニスコート。今頃スコートでもはいて、楽しんでるんじゃないかしら? テニスは貴族のたしなみだ、って教えてあげたら、目の色変えて飛んでったわ。さっきまで女の子たちのこと、囮として集められてることも知らずに浮かれちゃって、可哀想に。なんて冷やかな目で見てたくせに。自分が浮かれてちゃあねえ」
 くつくつと笑う鍵屋につられてか、初老の役人も苦笑する。
 そこへ、中年の女性が駆け寄ってきた。
 エプロンをかけた小太りの女性は息を切らして、怒った調子で役人に詰め寄った。
 「ちょっと、お役人さん! あんな大きな犬、放し飼いにされちゃ困ります! 警察犬だかなんだか知らないけど!」
 「犬?」
 役人が無線機で連絡を取ろうとしたとき、一階デッキから悲鳴が聞こえた。
 鍵屋が手すりから見下ろすと、一匹の巨大な犬が、口に水泳帽と水泳パンツをくわえている姿が見えた。
 「あれ……三島玲奈」
 つぶやき、鍵屋は絶句した。
 「なんだ!?」
 役人の男は叫んだ。耳に当てた無線機から、慌てた口調が漏れている。
 鍵屋が聞き取ったその声は、プールで警備員がひとり、心臓麻痺で倒れたと告げていた。



 まだまだ時間はあるからね、夜には。
 船内のショップでテニスウェア一式を購入した玲奈は、ロッカールームに入っていった。
 「あたしもセレブの仲間入りー」
 セーラー服を脱ぎ、ブルマの上にフリル付のスコートを履こうとしたときだった。
 なに?
 気配を感じた。匂いといってもいい。
 更衣室の出入り口をのぞき込むと、廊下にボールがひとつ転がっているのを見つけた。ボールは大人が胸に抱えるほどの大きさで、藻でも絡みついたのか、青緑の毛で覆われている。
 転がるというよりも、ず、ず、と這うように動く。濡れそぼった毛は、まるでモップの毛の部分。そこだけが、勝手に動いてる不気味な光景。
 「あいつ」
 腐った沼のような匂いが鼻をくすぐる。
 後頭部のすぐ下で、延髄あたりで何かがズレた。
 遺伝子のスイッチが切り替わる。
 玲奈の瞳は獣のそれに変化して、妖異の姿を注視する。
 「蛙の妖怪」
 つぶやく間に、全身が変位した。衣服は千切れ、襤褸となって地面に落ちた。狼となり、四つ這いになった玲奈は、毛むくじゃらの蛙に向かって跳躍する。
 蛙は大きく跳ねて、それをかわした。
 毛の中から、濁った血のような色をした目が見えた。
 獣化した玲奈を一瞥し、素早く逃げる。
 待て!
 逃げる蛙を狼は追う。
 客船の狭い廊下は、すぐに一階デッキに抜ける扉にぶつかった。
 デッキに出た蛙の姿は、水着姿の少女たちに紛れてしまう。
 あの先はプール!?
 いいえ、湖に逃げる気ね!
 「ぎゃっ」
 と悲鳴をあげる中年女性を見上げた玲奈は、そこが水着のレンタルショップだと気づく。
 女性を飛び越え、棚に用意されている水着一式をくわえた玲奈は、一回デッキへと躍り出た。
 そしてそこに、さらなる悲鳴。
 連鎖する少女たちの悲鳴は、一階デッキのあちこちから上がる。騒然とする船上は、プールの水面を叩く荒々しい音さえも掻き消そうというほど大きい。
 「溺れてる!」
 「助けなきゃ!」
 「水の色がおかしい!」
 「まさか!」
 少女たちの声は、逃れたはずの恐怖へと、その不安へと自ら陥れる。
 あれか。
 玲奈は見つけた。
 青緑の汚らしい汁が、プールサイドからプールに流れ、広がっている。
 さっきの蛙、やってくれるわ!
 玲奈は呻く。
 大狼に気づいた少女たちが逃げ惑い、転ぶのもほおっておいて、玲奈は蛙の匂いをさぐる。少女たちの匂いに混じり、厭らしい臭いを嗅いだ。
 玲奈が走ると、蛙は湖に飛び込んだ。
 待ちなさい!
 狼の姿の玲奈も湖に飛び込み、そして、沈んだ……



 「三島か?」
 数時間後、真っ暗な森の中で、鍵屋はひとりの少年を見つけた。
 軍用の懐中電灯は明かりが強力で、かつ集光性も高い。スポットライトに照らされたように、真円の光に切り出された素っ裸の少年は、木の幹に身を隠した。
 「あ、誰かと思った」
 玲奈が木の陰から姿を見せると、ちょうど坊主頭に髪が生えだし、腰まで一気に伸びていく。
 少年の姿から少女の姿に変身した玲奈は、鍵屋から替えの服を受け取った。宇宙船から調達した服もあるけど、気を使ってくれたマッドサイエンティストに好意を感じ、ありがたく受け取る。
 「なにこれ?」
 「テニスウェア。貴方、テニスやりたがってたから」
 言葉が出ない。
 これから事件の真犯人を追いつめようというのに。
 ま、いいけど。
 下着代わりに、船から持ってきたビキニを着ける。乳房を下から支えるようにトップスをあて、手を背中に回してボタンをはめる。水着の上に体操服を着て、ブルマに足を通す。翼を収容しながら、鍵屋に訊いた。
 「ひとりで来たの?」
 「ええ」
 「危ないじゃない」
 「大丈夫。身を守る道具くらい、持ってきてる」
 鍵屋は色つき白衣の肩に、大きめのバックパックを背負っている。
 「あ、そう」
 どんな科学兵器なのかを聞くつもりはなかった。
 ミニスカートのテニスウェアに身を包み、フリル付きのスコートをはく。靴下は短く、靴もテニスシューズを持ってきていることに気づくと、この子、やるわね、と玲奈は舌を巻いた。
 「じゃあ、行きましょうか」
 鍵屋から懐中電灯を受け取ると、玲奈は光量のボリュームを最小にまで落とす。
 「隠れている敵を見つけるのだから、目立ってたらダメよ。足下さえ見えればいい」
 光に慣れていた目が、再び闇に馴染んでいく。
 
 言葉よりも、まっさきに身体が動いた。
 鍵屋を後ろに突き飛ばし、左目に破壊光線のチャージをおこなう。
 キュイン、と頭蓋骨に音が響く。
 森の中、目の前の木々の陰から、幾本もの枝がうねりながら伸びてくる!
 そのうち数本の切っ先を光線で焼いたものの、圧倒的な数に押された。
 「トレントよ!」
 鍵屋の声が背中に聞こえた。
 後退し、鍵屋を回収。お姫さま抱っこで抱え、密集する木々を壁がわりにして、襲い来る枝から逃れる。
 「あれも仲間ってわけ?」
 玲奈は器用に枝をかわしながら、反撃の機会をうかがう。攻撃してくる本体の位置を探ろうと、夜の森に目を凝らす。腕の中で鍵屋が動いた。
 「ちょっと動かないで」
 言ったが、すでに遅かった。
 首にちくりと何かが刺さった。肉の中が熱くなる。その熱が徐々に、全身に広がっていく。
 「何を……!」
 玲奈の身体は、瞬時にして鹿の姿に変身した。
 焦げ茶色の毛は艶があり、その体格は屈強。小振りな角は、しかし鋭利。
 鍵屋を地面に落とし、玲奈は四つ足で大地を掴む。服は破け、伸び切ったブルマだけが残っている。
 いななき、木々の隙間を跳んでいく。だが、トレントの繰り出す枝が行く手を遮る。上下左右から襲いかかる枝は、まるで槍のよう。
 これくらい!
 玲奈はそばの大樹の幹を使って、三画跳びを決めた。無数の槍の穂先を跳び越えて、その柄に乗った。
 行ける、と勝利を確信しながら、枝を伝い、本体へと迫る。
 そこぉっ!
 森の木々に紛れていても、その匂いは誤魔化せない。その樹皮に、赤く光る切れ長の目さえ見える。
 牝鹿となった玲奈は、その角で眉間を突いた。
 やった、と思った瞬間だった。

 背中が焼けるように熱い。
 鹿の背中に生えている、玲奈の翼が青緑の液体に汚されている。
 鼻に、先ほどプールで嗅いだ毒の匂い。そして、逃がしてしまった蛙の匂い。
 首を回すと、背後の大樹、その枝に蛙がいた。
 脳内に、蛙のテレパスが響いてきた。
  ワレ、森ノ守護者ナリ
 毒の衝撃で玲奈の変身は解けていく。伸び切ったブルマは、かろうじて尻尾に引っかかって脱げなかった。
 「ヴォジャーノイ?」
 鍵屋の声がすぐそばでした。
 「鍵屋?」
 顔をあげると、息を切らした科学少女が背後にいた。鍵屋は半裸の玲奈の腕を掴み、引っ張った。敵から距離を取ろうとしているのだろう。
 髭だらけの蛙。
 聞いたことがある。
 玲奈は思いだした。
 東欧で水の精霊と伝えられる存在。
 たしか満月のとき、その力は一番強くなるって……
 そのとき、光が炸裂した。
 玲奈の視界はあまりの眩しさにくらみ、何も見えない。
 「いまよ。これを着るといい」
 鍵屋がいった。
 手渡されたものを、その触った感じからどこに身に着けるものかを察し、玲奈は着た。
 まずはビキニ。網タイツ。
 タイツを履いたあたりで、視界がだんだん戻ってきた。
 そして次に手渡されたのは、蝶ネクタイのついたハイレグのワンピース。さらにウサ耳カチューシャ。
 「これ、防毒バニースーツ」
 「なぜバニー!」
 「さあ?」
 見れば、鍵屋はサングラスをつけている。先ほどの閃光弾は、鍵屋の用意した兵器らしい。
 「相手はまだ怯んでる。急いだほうがいいわ」
 「分かったわよ!」
 バニースーツに着替えているとき、変身の感覚が全身を襲う。
 玲奈の身体が変容する。
 全身に白い毛が生え、耳が長く伸びていく。顔にも真っ白な産毛が生えて、身体が丸まる。そして玲奈はウサギになった。
 「ほんとうにウサギになること、ないのに」
 鍵屋は淡々と言い、玲奈の手からこぼれた、ウサ耳カチューシャを拾う。
 バニースーツは脱げてしまったが、解毒の効果はきいたのか、翼はもとの白色に戻っており、ウサギの白い毛並みに隠れている。
 行くわよ!
 玲奈の赤い目が光る。
 夜の森に、赤い光線が伸び上がった。
 その気配を察したのか、逃げようとする蛙だが、その跳躍力には差がありすぎた。
 青緑の髭の塊、毛むくじゃらの蛙を眼下に見下ろし、玲奈は脚を振り降ろす。敵を踏みつけ、枝を折り、そのまま地面に降り立った。
 ほう、と一瞬、動きが止まったのは鍵屋。
 だが、それもほんの一瞬で、すぐにバックパックから捕獲セットの袋を取りだす。
 ちっとは労いなさいよね!
 そう思いながらも、玲奈は口に出さずに耐え忍んだ。



 「ダムの開発工事で、森が穢されるのを止めたかった。っていうのが、事件の真相のようね」
 身体検査を受けた玲奈は、鍵屋のベッドでうつぶせに寝転がる。
 「……」
 返事をしない相棒に、玲奈は振り返ることもせず、ため息をつく。
 「あの森、保護区にするんだって。神話に伝えられる妖精が出てきたから、って当局の連中は慌てたみたい」
 「……」
 相づちくらい打ってよ。
 鍵屋は端末のディスプレイを見つめている。玲奈の検査データを確認しているようだ。
 ま、いいけどさ。
 意外と、役に立ったし。説教して、機嫌そこねてもなんだし。あたしって、器のおっきい女だし。
 なにはともあれ。
 「事件は解決! おいしいものでも食べに行きましょ!」
 「……」
 って、そこも無視かい!
 「ここの」と鍵屋。
 「え? なに?」
 反応したことを喜び、玲奈は上半身を起き上がらせて振り返る。
 鍵屋は言った。
 「ウサギ料理、おいしい」
 「…………」
 あたしは、心のひろーい先輩なんです。
 そう心の中で三回つぶやき、枕を鍵屋に投げつけた。
 顔面に直撃して、不機嫌そうな顔をした鍵屋だが、くすりと笑う。
 つられて、玲奈も笑みを浮かべた。
 「痛かった」
 鍵屋はすねたような口調でいう。
 「だから、痛い実験、することにした」
 「……」
 あたしは、心の、心の、心の、ひろーい!
 「って、もぉー!」
 玲奈の声は窓から飛び出て、風に乗る。
 風は湖畔を吹き抜け、夜を誘う。
 少し欠けた月輪が、湖に静かに浮かんでいる。
 静かな夜は、次の満月の夜も、また次の満月の夜も、きっと訪れることだろう。
 




 暗がりに潜む影が、そっと呟く。
 「彼女の遺伝子が、手に入った……」
 
 
 
 
 
     (了)