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<東京怪談ノベル(シングル)>


【 @水泳部】





 靴下を脱いだばかりの足裏が、歩くたびに濡れていく。
 水はけのいい網状の床材は、心地いい刺激とともに、乾ききっていない冷たい水気を感じさせる。
 水着に着替えた海原みなもは、更衣室からプールへ向かう。
 水泳部の友人たちと、天井の低い通路を連れ立って進む。
 少女たちのおしゃべりが賑やかに、狭い廊下に響いている。制服を脱いだことで体温調整を始めた身体が、ほのかな熱を発し始め、前後を歩く友人の温もりが、みなもの素肌を撫でている。
 学校の指定水着は、黒のワンピース。
 太ももまでを隠すそれは、Tシャツを羽織ると、丈の短いスパッツを履いているようにも見える。競泳用水着にも使われる合成繊維でできており、学校指定ではあるものの、水泳部でも同じものを使用している。
 控えめに開いた胸元、肩甲骨の半ばまで見える背中、露になった両肩。そこにかかる長い髪を涼しい空調がそっと揺らし、少女たちの体温を優しく預ける。
 薄い布地は、身体のラインを際立たせる。両脇腹に入ったピンク色の縦ラインは少女たちの身体を細く見せ、さらに胸とお尻の膨らみを強調する。女子中学生の成熟へと向かう身体は、布地の陰影によって、その肉付きすべてが表に現われてしまっている。
 校内のプールであっても男子生徒の視線が気になるというのに、今日は校外の温水プール。
 秋になり、水泳部は筋力トレーニング中心の部活動に移行したが、週に何度かはスポーツクラブのプールを借りる。縦二百メートル、八コースを有する大きなプール。そのうち六コースを使用する。
 一般客に解放している、他二コースからの視線が気になる。
 午後三時から六時という時間帯なので、利用している主な客層は老人や主婦。そして、ちらほらと大学生の姿もある。
 年輩の方々からの、最近の水着は、という視線も気になるが、本格的なトレーニングをしている男性たちの存在も気になる。
 とはいっても、二コースのうちひとつは、ゆっくりと泳ぐ人専用に使われおり、ひたすら泳ぐことができるコースはひとつだけなので、本格アスリートの姿は、あってもひとりか二人程度。
 男子部員の視線には慣れてきたが、年上の男性に見られると、なんだか恥ずかしくなってしまう。もちろんジロジロと見てくるような人はいないが、反対に自分たちの方がちらちらと見てしまい、その引き締まった体付きに赤面する。そしてふと目が合ったりして、気恥ずかしさを感じてしまう。男性アスリートに対してもそうだが、女性アスリートに対しても同じ。プロポーションのいい若い女性が着ていると、ついつい同性であってもはしゃいでしまう。
 「いいなあ」
 「もう少し引き締めたいよねー、こことか」
 などと言いながら、みなもたちは自分たちの柔らかい肉付きを突っつきあう。


 シャワーを浴び、消毒液に腰を浸して、プールに出る。
 狭い廊下から、広い空間に出る。天井は一気に高くなり、その解放感が気分を昂揚させる。かすかに匂っていた塩素の香りが強くなり、泳ぐぞ、という部活モードの気持ちにさせる。
 すでに男子部員は揃っていて、プールサイドで準備体操をおこなっている。
 男子の水着も女子と同じ素材でできており、横に濃紺のラインが入ったスパッツ状のものである。股間の陰影をなだらかにするサポーターをはいているらしいが、その膨らみ自体は隠せない。
 部に入ってしばらくは、新入生の男女はそれぞれ自分の姿と相手の姿を気にしていたが、秋になった今や、すっかり慣れてしまっている。

 「手伝ったげるね」
 背後から、同級生の水泳部員がみなもの髪を持ち上げた。
 「うん、ありがと」
 答えて、みなもは髪結いゴムを三本渡す。
 シャワーで濡れた長い髪が、襟足のところからまとめられていく。根元、真ん中、毛先、とゴムを三本使って、一本にまとめる。くるくると丸められ、後頭部の上あたりに持ち上げられた。
 前髪は自分でおでこの上に撫でつけて、キャップを素早く着用する。水着に似た素材の黒いゴムキャップを眉のすぐ上のところまでかぶると、ストレートヘアーのみなもは、すっきりとした印象に変わる。
 してもらったお礼に、みなもも友人の髪をまとめる。
 「髪、綺麗だよね」
 セミロングの髪を持ち上げ、キャップの中に丁寧に押し込んでいく。
 「みなもほどじゃないよ。それだけの長い髪、水泳やってて、よく傷まないよね。手入れ、毎日、大変でしょ?」
 「う、うん」
 人魚の末裔であるみなもは、塩素による髪のダメージはほとんどない。水中に入ると髪質が変化し、その一本一本がコーティングされるらしい。
 髪のコンディションを整えるため戦う友人たちに、みなもは気まずさを抱いていた。
 口ごもるみなもを不思議そうな目で見た友人は、みなもの手を取る。
 「柔軟、一緒にやろ」
 笑顔を向ける友人に、みなももにこやかな笑顔を返す。

 

 「女子、集合ー」
 引退した三年生に代わり、二年生の新部長が手を叩きながら部員を集める。
 二十人足らずの女子部員が集まり、今日の練習メニューを確認する。
 みなもと友人は第三コースへ。
 まずは身体馴らしの二往復。平泳ぎでゆっくり泳ぐ。
 一から三コースまでを女子が、四から六コースまでを男子が使う。すでに練習を開始している男子は、アップを始めているようだ。アップといっても、女子の目からすると、けっこうな速さに見える。
 「男子、速いよね」
 言いながら、友人は水に入る。
 すぼん、と入った友人は、頭まで水にもぐった。
 スポーツジムのプールなので、水深は深い。水泳部で春から鍛えられている部員だから問題はないが、水泳が不得意な女子なら溺れてしまいかねないほど深い。
 続けて、みなもも水に入る。
 水中で待っていた友人とにらめっこして、ぶくぶく、と息を漏らす。
 「あははっ」
 「んふふっ」
 笑いあっていると、また別の友人が入ってくる。
 「ほらぁ」
 抱きつくように絡んでくる。
 「遊んでると、先輩に怒られるよ。ほら、みなも。先、行って」
 「うん」
 後から来た友人に言われ、みなもは頷く。
  「みなも、速いからね」
 「そうそう。あたしらが先に行くと、すぐに追いつかれちゃうもの」
 全力は出してないんだけどね、と思いながら苦笑する。
 「じゃあ、お先に〜」
 みなもは水中眼鏡をかけて、泳ぎだす。
 隣の男子にも負けない速度で片道を泳ぎきり、コースの右半分を戻っていく。左側を往路の友人二人が泳ぐ。平泳ぎで、ちょうど顔を上げたときにすれ違い、視線をかわす。
 一緒に泳げる友人がいる。
 それがとっても嬉しかった。
 嬉しくなって、ついつい力が抑えきれなくなってしまった。
 みなもに対抗意識を燃やしたのか、隣で全力で泳いでいた男子生徒をあっさり追い抜き、壁に手をつく。
 「みなもちゃん……」
 顧問の女性教師の声が、頭上からした。
 あ。
 やっちゃった。
 「今の、まぐれです」
 ちらりと視線をあげて、みなもは水の中に頭を沈める。
 深いプールの底に腰をつけ、ぶくぶくと息を漏らし、泳ぐ部員たちをぐるりと見回す。
 水中から見る景色は、懐かしい情緒にさせる。
 水が伝える音が好き。水が流れる揺らぎが好き。水を通して見る景色の、水晶の中をのぞくような視界が好き。水を感じ、水から感じる。うっとりとみなもは微笑む。
 友人二人が戻ってくるのを見えたので、急いで水面に伸び上がった。
 「わぁっ、びっくりした!」
 ちょうどスタート台に手をつこうとした友人とぶつかりそうになってしまう。
 「ごめん、ごめん」
 「まったく。みなもってば、部活だといつもの倍は元気よね」
 「うーん? そうかな?」
 にこにこするみなもに、友人たちも笑みを返す。
 「さ、はやいとこもう一周して、アップ終わらせちゃいましょ!」
 「うんっ!」





   (了)