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<東京怪談ノベル(シングル)>


   虚夢世界の迷い子

「みなも、起きなさい。もう夕暮れよ。学校に遅刻しちゃうわよ」
 木戸が開かれ、部屋の中にオレンジ色の光が差し込む。
 大きな枝に逆さにぶらさがっていたみなもは、布団代わりにもなっている翼を広げて、その爪先で軽く顔の辺りを撫でつけた。
 それから、自分の舌で舐めて毛づくろいをする。
 頭の中がぼーっとしていた。
 何だか、長い夢を見ていた気がする。どんな夢だったかは、思い出せないけど。

(――夢?)

 不意に、みなもの頭に声が響いた。
「え?」
 みなもは驚いて、辺りを見渡した。
 だけど母以外には誰もいない。
「お母さん、何か言った?」
「なに寝ぼけてるの。もしかして、昼頃まで起きてたんじゃないでしょうね」
 母親は呆れたような顔をする。
「だって、獣人さんたちのところに『迷いの森』ができたっていうから、皆で探しにいってたんだもの。朝になっちゃったら、帰れないから、洞窟で……」

(何、これ。一体何をしゃべってるの?)

 しゃべっているうちにも、またしても頭に声が響く。
 どこか、不安そうな声だった。
 それを耳にしていると、何故か自分まで不安になってくる。
「まぁ呆れた。あそこは超音波が届かないから行かないようにって、先生に言われなかった?」
「……大丈夫、あたしは有視飛行できるから」
 母の言葉に、みなもは片耳をふさぐようにしながら、軽く苦笑した。
 変な声が聞こえる、なんて言ってお母さんを心配させたくはなかったから。
「いけませんよ。それと、早くご飯食べちゃいなさい。お母さん、片付けてから寝るから」
「はーい」
 美しい翅をはためかせる蝶の母を追って、蝙蝠の姿をしたみなもは部屋の中を滑空した。
 翼人たちの住む場所は、どの部屋も十分に旋回できるだけの広さがある。
 居間に行くと、果物や蜜のジュースが用意されていた。
 ぶら下がれる枝も用意されているけれど、みなもはちょこん、と椅子に腰をかける。
 そこへ、真っ白なフクロウの姿をした父が顔を見せる。
 両の翼をはためかせ、椅子に降り立つと、口にくわえていた新聞を机に落とす。
 葉っぱに色々な向き、形の鳥の足音が記されたもので、翼人専用の新聞だ。
 文字という概念はつい最近までなかったため、暗号めいたそれを読むのは知識人のたしなみ、らしい。
「ほぅ。人魚の水辺で、獣人の子供が溺れかけたのか。しかも助けたのは鷹の翼人だと」
「あら、もう載ってるんですか。すごかったんですよ、私も見に行ったんですけどね……」
 夜行性の父やみなもと母とは、共有できる時間は少ない。
 それでもこうして、昼にあったこと、夜にあったことを報告し合うのも楽しそうだった。
 お父さんがいうには、鳥と昆虫、昼に行動するタイプと夜行性。
 違うからこそ互いを補い合ってうまくやれる、っていうことらしいけど。
 あたしも早く伴侶を見つけないとなぁ。
 クラスメイトにも、発情期の間に相手をつくった人は多いし……。

(そんな、まだ早すぎるわ)

 まただ。
 女の子の声。――何だか妙に聞き覚えがある気がする。
 きっとあたし、疲れてるんだわ。昨日はあんまり寝てないし……。
 軽く頭を振って、気にしないよう努める。
 ……発情期といえば、あのときは藤凪さんと一緒にいたんだよね。
 求愛されたはずなのに、結局は何もなくて。
 あれって、ふられたってことになっちゃうのかな。
 でも藤凪さんは、種族どころか住む世界の違う人だから……。

(あれは、あたしがどうかしてたの。藤凪さんは、そんなつもりじゃ)

 ――藤凪さん?
 あの声、確かに藤凪さん、って言ってた。もしかして、あの人に関係があることなのかな。
 そうよね。ころころ姿を変えたり別の世界から来たり、不思議なところが多い人だもの。
 何か解決方法を知ってるかも……。

(そうよ、藤凪さんのところにいって。そうしたらきっと、わかってもらえるはずだから)

 よくわからないけど、声まで賛成してる。
 まさか、姿のない観光客の実験とかじゃないよね?
 不安に思いながらも、みなもは食事をすませ、学校に向かう支度をした。
 授業は実技が主となっていて、着実に巣立ちの準備をしていっている。
 卒業する頃には配達の担当地区も決まってるはずだ。
 中には、配達ではなくて必要なもの、または珍しいものを集めてくる収集業に就くものもいるが、それには別に申請が必要なので今のところはあえてそれに進む気はなかった。
「みなもちゃん!」
 浮き島に逆さにそびえる校舎に入ろうとしたとき、その前で彼――藤凪一流が立っていた。
 立っている――そう、翼人たちの住む浮島では、普通使わない表現なのだが、彼は世にも珍しい2本足で、ふわふわと揺れる布の上に直立していた。

(藤凪さん!)

 みなもが声をあげるよりも先に、頭の中で声が叫んだ。
 すがるような響きに、何だか妙な気分になる。
「よかった、心配したんだ。もしかして、また記憶が混乱してるんじゃないかって……」
「混乱なんてしていませんよ。ここであったことは全て、はっきり覚えています。……さすがに、生まれたばかりの頃は無理ですけど」
 両肩をつかんでくる一流に、みなもは軽く苦笑する。
 この人は、いつもこうして、大げさなくらいにあたしのことを心配する。
『僕のことを覚えてる?』――ええ、覚えていますよ、藤凪一流さん。この世界と別の世界をつなぐ、案内人の夢屋さん。
「じゃあ、向こうの世界のことは?」
「藤凪さんの住んでる世界のことですか? 以前、お聞きしたことがありますよね。そのせいか、夢にまで出てきたみたいで……」

(夢じゃない。本当のことよ。あれは全て、現実のことなの)

 声は、必死に訴えかけている。
 そうね。あなたにとっては、現実のことなのかもしれない。
 やっぱり、あなたは藤凪さんと同じ世界から来たのね――?
 みなもは心の中で、そい語りかけた。
「……みなもちゃん、君は向こうの世界に行ったこと、覚えてないの? アスファルトの上に、僕と同じ2本足で立って歩いた……」
「夢みたいですね。楽しそう」
「夢じゃなくて、実際にだよ。ほら、以前にも見せたはずだよ、この写真」
 一流がぴらりと見せたのは、セーラー服を着た、みなもの姿だった。
 蝙蝠娘ではない、青い髪をした人間の少女。
「わぁ、すごい。あたしが2本足で立ってますね。それに、この格好も素敵。どうやってつくったんですか? 記念にもらっても構いません?」
 歓声をあげるみなもに、一流はガクッとうなだれた。
 当然だろう。以前同じものを見せたときには確かに反応があったのだから。

(藤凪さん……違うんです、あたしはちゃんと、覚えているのに)

「ふ……しかし、それでめげたら案内人失格! みなもちゃん、こないだお父さんやお母さん、こっちの世界に連れてきたの覚えてるかな?」
「あ、藤凪さんのご両親ですね。あれ、お世話になってただけだ、っておっしゃってたんじゃ」
「はい、僕のご両親じゃありません。そんな君にはこれだ。とっておきの必殺アイテム!」
 妙に高いテンションで、一流はさっと何かを掲げた。
 黒っぽくて四角い、箱のようなものだ。

(あれってえっと……テープレコーダー?)

 みなもが首を傾げると、声が代わりにつぶやいた。
「自分の知らないものは無理だけど、知ってるものなら何でも再現できちゃうんだよね、これが」
 一流はニッと笑って、カチリとボタンを押した。
『かっわいい! さすが、私の娘ね。何着てもどんな姿でも似合ってるわ〜』
 高めの女性の声が、その箱から流れてくる。

(……お母さん!)

『それがみなもの、こっちでの姿か。中々可愛らしいね』

(お父さん!)

 ……みなも? あたしと同じ名前。でも、あたしには誰だかわからない。
 この声の主の、両親なのかな。藤凪さんは、どうしてそれをあたしに聞かせるんだろう? 
『あたしは、お父さんの子供だよ。ずっと……いつまでも』
 ドキリとした。聞こえてきた声は……そう、あたしの声だ。
 ようやく気付いた。さっきから、頭の中で聞こえるこの声……自分の声に、そっくりなんだ。
『みなも……やっぱりお母さんじゃダメなの? 母親失格?』
 寂しげな女性の声が、尋ねてくる。
『そんなことないよ。お母さんがお母さんで、あたしは嬉しいもん。今のままのお母さんが好きなんだもん』
 ――何、これ。
 わけがわからないのに、泣きたくなる。
 あたしの中で、誰かが泣いてるからだ。そのせいで、あたしまで泣きそうになってしまうんだ。
 頭が痛かった。中で何かが暴れまわっているように、鈍く重い痛みがある。
 みなもは頭を抱え込み、うつむいた。
「どうしたの、みなもちゃん。頭痛いの?」
 すると一流が、心配そうに声をかけてくる。
「いえ、ちょっと……朝から、変なんです。頭の中で、声が響いて」
「声?」

(そうなんです。藤凪さん、あたしはここにいます)

「どんな声?」
「女の子の声です。藤凪さんのこと、知ってるみたい。あなたに会えばわかるはずだって、そう言ってて……」
 みなもの言葉に、一流は考え込むように口をつぐんだ。

(お願い、気付いて――)

 声は、祈るように頭に響く。
「……そこにいるんだね、みなもちゃん」
 一流は穏やかに、そう声をかけてきた。
「藤凪さん?」
 みなもはきょとんとして、訊き返す。
「あまりに反応なくてびっくりしたけど、君がいなくなるはずはないと思ってたよ」
「あの……」
「その声はね、もう1人の君なんだよ。しばらくここに来なかった分、フル回転しちゃったのかな。それとも、2つの世界での自我が、それぞれに確立しすぎたせいか。よくわからないけど……以前のように侵食しきれないから、分裂したのかもしれないね」
 一流はそう言って、両手でそっとみなもの頭に触れた。
「この世界で過ごすには、ここでの記憶を完全に持った君の方が強いんだろうね。でもずっとそのままだと、彼女が消えてしまうから……。目を閉じてみて。瞼の奥に光が見えるだろ? その向こうに、もう1人の君がいる。手を取り合って、1つになるんだ」
 言葉が、呪文のようにみなもの意識を誘導していく。
 みなもは、光の奥にもう1人の自分を見たような気がした。
「いや……怖い」
「怖くないよ。元に戻るだけだ」
「違う。知らない。こんな人、あたしは知らない……!」
 全く別の環境で育ち、異なった記憶を持つ、もう1人のあたし。
 彼女と重なれば、あたしは消えてなくなるような気がした。
 藤凪さんはきっと、彼女の方が大切なんだ。あの子を助けるためなら、あたしが消えてもいいと思ってるんだ。
 怖い、怖い、怖い……。
「みなもちゃん!」
 一流の手が、ぐっとみなもの腕をつかんだ。
「大丈夫だから、僕を信じて」
 肩の力が少しだけ、抜けたような気がした。
 信じる……。そうね、藤凪さんならきっと、信じても大丈夫だよね……。
 みなもの意識は、ゆっくりと闇の中に溶けていった。


「気分はどう? みなもちゃん」
「……少し、頭が痛いです。記憶が混乱しているかも」
「2人分の記憶をそのまま一緒にしたわけだからね。容量いっぱいになってると思うよ。――多分、少しずつ必要ない記憶から忘れていくと思う。記憶喪失みたいなのじゃなくて、もっと自然な感じにね。人間、生きていくには色々と忘れていくものだから」
「――人格も、統合されたんでしょうか」
「人格自体は一応、同じはずなんだけどね。全く違う記憶を持つだけで、どっちもみなもちゃんだから。とはいえ、どっちかに偏ることなく統合できたと思いますが、いかがでしょうか?」
「よく、わかりません」
 今となっては、自分が『どっちの自分』だったのか。それすらもあやふやで。
 ただもう1人の自分は本当にここにいるんだろうか、どこかにいったんじゃないかと、不安に思った。
 ……でも、大丈夫だよね。どこかで迷子になったとしても、きっとまた見つけてもらえるはずだから。
 もしまたはぐれてしまったら、あたしも一緒に探してみるから。
 

              END