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<東京怪談ノベル(シングル)>


【舞い踊る人魚姫】





 無音。
 水面を叩く手足の音も、部活動に励む学生たちの喧騒も、どこか遠くに置いてきたような、静かな世界。
 ただ、完全に音のない世界ではない。
 水を押し分け、底へ底へと潜っていく。常人であれば浮力に身体が翻弄される。だが少女は人魚の末裔。
 いとも容易く水を割き、奥へ奥へと入り込む。
 鼓膜に響く、水のうねり。
 くき、という小さな音が、その水の音に混じって聞こえた。
 側頭部付近から聞こえた音は、水圧によって締めつけられた頭蓋のきしみ。何かをこすり合わせるような、こきゅ、という音にも近い。
 潜る速さは、老練の海女さんでさえ敵わない。
 口の中が縮んだような圧迫感も、唾を嚥下し、耳抜きをして解消する。
 両手は平泳ぎのそれで漕ぎ、足はゆったりとしたバタ足で進む。
 目の前には薄暗い水の底。
 プールの底は水色の塗料で塗られ、コースを区切る白線が走っている。最深部は七メートルもの深さがあり、水上から白線を見ることはほとんどできない。
 水泳キャップは被っているが、水中眼鏡はかけていない。
 薄く目を開け、目標とする深さまで潜っていく。
 指の先までピンと伸ばした両足が、しなるように振れ、交差する。やがて、水面を向いていたつま先が下を向く。
 身体を丸め、頭を上に。体勢を上下入れ替え、直立の姿勢を取る。
 両手を大きく左右に広げ、海原みなもは優雅に微笑む。
 ワンピースのスクール水着は、太ももの付け根まで隠してくれる。
 だが胸元は弱冠大きく開いているうえ、競泳用の素材を使っているために布地は薄い。
 少女の四肢は十字に伸ばされ、その肉付きが露となる。
 にこやかに、にこやかに。
 目の前に沈められた水中ビデオカメラに向かって、みなもは笑顔を向けている。

 シンクロナイズドスイミングとは違う、水中新体操。
 水中を舞台とし、そこでアクロバティックな演技をおこなう。シンクロナイズドスイミングとは、道具を使う点で大きく異なる。リボン、フープ、クラブ、ロープ、ボール。競技は個人戦と、八人でおこなう団体戦がある。団体戦ではシンクロナイズドスイミングの要素が多分に含まれている。ただ水中での演技が主であり、そして水中であるがゆえ演技時間は短い。そのため団体戦といえど、採点は個々人の動きに重きが置かれ、全体のシンクロニシティではなく、舞台全体を活かす構成ができているか、がチェック項目に上げられている。本番のプールでは、ガラス張りの壁の向こうに審査員が並んでいる。
 レギュレーションで決められた、直方体の水中舞台。
 今、みなもがいるのはスポーツクラブのプールであり、審査員が居並ぶガラス壁はなく、その演技を直に確認することはできない。そのため水中にビデオカメラを沈め、プールサイドのノートパソコンにケーブルを繋ぎ、演技を録画しながら確認する。
 水泳部のウィンドブレーカーを羽織った女性教師は、モニターに映るみなもをじっと見つめる。その後ろには数人の部員が立ち、同じようにモニターを見つめている。
 ディスプレイで、みなもが頷く。

 いきます。
 みなもは、真っ直ぐ横に伸ばした両手を、さっと曲げて、水を漕ぐ。
 水中であろうと、その動きは緩慢ではない。鋭さがある。
 仰向けに身体を反らし、背面跳び。
 その場で回るのではなく、きちんと水を漕いで、元いた位置より上がっている。
 回転し、くるりと元の姿勢に戻るやいなや、右手をすす、と上に向け、何かを振るような動作をする。始めは小さく、そして大きく腕を振り、振った腕に翻弄されるかのように、身体をくねらせ、横臥の姿勢。
 頭を左に。足を右に。
 左足を真っ直ぐ上に持ち上げて、そしてそのまま、仰向けに半回転。
 頭と足の位置が逆になったところで、足を振って、バタ足で漕ぎ、その場に水泡を散らして去った。
 そして十メートルもいったところで、ぴたりと止まり、腕を振る。
 今度は右足を上げ、くるりと宙返りして半回転。
 また反対側へと滑るように泳ぎ去る。



 
 「うん、いい感じだわ」
 顧問教師は、みなもに言った。
 プールから上がったみなもは、息を切らし、それでもすぐに女性教師のところへ向かった。
 「あれだけダイナミックな動きがあれば、舞台は映えるし、なによりこう、圧倒感があるわ」
 「は、はい。ありがとうございます」
 抽象的なイメージは、具体的な共感をしにくい。それでも熱のある口調で言われると、なんだか納得してしまう。
 「今年は、勝てるわ」
 みなもの肩に手を置いて、女性教師は不敵な笑みを浮かべている。

 昨年の優勝校は、群を抜いていた。
 中央のひとりが四本のクラブを両手で持ち、リボンを持った七人がそれぞれ輪を描くように周囲を踊る。その様は花である。花弁を表すひとりひとりが順々に散っていき、それぞれが異なる動きを披露する。最後はゆっくりとリボンを回し、上昇していく。花びらの命が終わっていくかのような物悲しいラストだったが、水中舞台の全面を使った構成、そして個々の演技、技の難度、どれをとってもすばらしく、最高得点を獲得した。
 以来、構成にストーリーを入れた演技を各校は取り入れ始めた。
 今回挑戦する演技は、そのためストーリー性が高い。とはいえストーリーだけで上位に入れるというものではなく、やはり個々人の技術が重要。
 一年生ながらメインのひとりに抜擢されたみなもは、一連の動きを練習していた。

 「みなも、すっごーい!」
 友人がタオルを持ってきてくれた。
 「えへへ。ありがと」
 「やっぱ、やるねえ」
 別の友人がそのタオルで、みなもの身体を拭きはじめる。
 タオル地が温かくて、プールは温水だけれど、やはり、その温もりに友人を感じて嬉しい。
 「みなも、あなたはデキる子だと思ってたわ」
 少し大げさに、友人が言う。
 「そ、そう?」
 みなもは、ためらいがちに苦笑する。
 遺伝子からして水中が得意なみなもは、なんだか気が引けてしまう。
 「はーい、みんな聞いて!」
 女性教師は手を叩き、女子部員に呼びかける。
 「それじゃあ、今度は手具を持って。音楽は流せないから、みんなで手拍子ね」
 「はい!」という声があちこちから上がる。みなもたち団体戦のメンバーに選ばれた部員は、手具の入ったカゴの方へ身体を向ける。
 「そうそう」
 女性教師は思いだしたように付け加える。
 「本番用の水着、今日届いたから。着て、やってみましょ」
 



 プールサイドの一辺から、八人の女子部員が一斉にプールに飛び込む。
 演技用の水着は、薄いエメラルドグリーンの地に、左肩から斜めに、青、白、黄色のラインが流れている。そのラインと交差するように、ハイレグの左股の部分から右肩に向かって、赤紫の華が一輪、葉を何枚か伴って描かれている。
 最深部へ潜る二人と連れ立って、みなもはプールの底を目指して泳ぐ。
 手拍子の音が聞こえる。
 演技はたった一分間。
 しかし開始位置まで潜る時間、全員のタイミングを合わせる時間を含めれば、約一分三十秒は水中にいる。
 みなもにとっては苦ではないが、他の部員はあまり息が続かない。そのため速やかに開始位置まで潜っていくことが肝要。
 手拍子のリズムが速まる。
 他の部員が開始位置についたらしい。
 さらに潜る二人と別れ、みなもは直立、両手を左右に広げた姿勢で合図を待つ。
 手拍子は一瞬収まる。
 再びゆっくりとしたリズムで始まって、その五拍目で動きだす。

 パソコンのモニターに、二人組のペアが三つ、画面の左下、中央右端、中央左で踊りだす。
 左下のペアは、ひとりがクラブ、もうひとりがリボンを持つ。
 右のペアは、ひとりがクラブ、もうひとりがリボンとフープ。
 中央のペアは、ひとりがクラブ、もうひとりがリボンを持つ。
 クラブを持ったひとりがそれぞれ自由に回転し、まるで風になびくように左に右に、上下に動く。ときにクラブから手を放し、水中に置き去りにしたまま回る。ひとしきり全身で踊りきり、再びクラブを手に取る。その位置取りに狂いはない。よく練習している証拠である。
 リボンを持ったもうひとりは、ペアの回りを回遊する。リボンをなびかせ、まるで跳びはねているように、天地左右をかまわず回る。リボンの形はときに螺旋を描き、波を描き、ハートを描く。
 リボンの色は、赤、茶、黄色。
 クラブという花粉のまわりに、リボンの花弁。
 三つの大輪が、蝶を誘い、舞っている。
 すでに中央左の花には蝶がいる。ロープを持った蝶が踊る。
 そして中央下に、みなもがいる。

 水よ。
 あたしを包んで。
 あたしを支えて、導いて。
 みなもは手を漕ぎ、宙返りをしているときにリボンを取りだす。
 背中でクロスする水着の紐に、挟んでおいたリボン。 
 再び正対するときには、リボンは下から上へとなびいている。
 リボンを振り、足を伸ばし、先ほど練習したように、花から花へ飛んでいく。
 羽はリボン。
 すっ、と泳いでいるときも、リボンを動かし続ける。羽ばたくように千変万化の形を作る。
 左下の花と戯れ、右端へと移る。
 花粉を表す少女の身体を、フープが上から下へと通過していく。花弁を表す少女は、フープが彼女の足を過ぎるたびにフープを拾い、また頭から落としていく。
 みなものリボンと花弁のリボン。
 二つのリボンはぶつかることなく、絡みつくことなく、しかし絶妙に交わり合う。花畑で遊ぶ蝶々。
 花粉を模したクラブを蝶に差し出すも、みなもはつれなく、背を向ける。
 朝露を模したフープをみなもは拾い、次の花へと身を翻す。
 フープをくぐり、フープを回す。それを連続でやってみせ、みなもはどんどん移動していく。
 次の花に辿り着き、みなもはフープを後ろに投げる。
 フープは横に回転しながら、ついさっきまでみなもがいた花へと向かう。そしてフープは、まるで輪投げの輪っかのように、クラブを持った部員の頭を通る。頭からフープをくぐった部員は、つま先でフープを拾い、くるくると回しはじめる。そのフープと遊ぶように花弁の部員が踊る。

 「すっげ」
 「やるなあ」
 いつの間にか、男子部員もノートパソコンに群がっていた。
 その声は、水中にまで響いてくる。
 開始位置では深すぎたが、ここまで上ってくれば聞こえやすい。
 集中しているにも関わらず、耳に入る。
 さきほど演技用のハイレグ水着でプールに登場したときは、男子の視線が恥ずかしかったが、演じている今はちっとも気にならない。
 男子たちも手拍子をしてくれているのだろう、その音はずっと大きく、強く聞こえる。手拍子に、友人たちの応援する声が聞こえた。
 うん、がんばるよ。
 嬉しくなる。最後まで気を抜かない。
 
 花と戯れていた、もうひとりの蝶。
 花弁と二人、ロープの端と端を握っている。
 蝶が花に近づくと、ロープはたわむ。そのたわんだロープを蝶はくぐる。一回、二回、三回と回転しながら、しだいに花に近づいていく。花は蝶にクラブを渡し、蝶はロープを手放した。
 そこへ、みなもの蝶がやってくる。
 蝶はみなもにクラブを投げる。
 ひとりで踊るみなもはクラブを無視する。
 クラブは水中に沈んでいく。が、突然、みなもは頭を下に向けて潜り、クラブを拾う。指先で握りに触り、間一髪というふうに掴む。
 潜っていったみなもを、もうひとりの蝶が追ってきていた。
 蝶たちは、お互いの存在をアピールし合うように踊る。
 リボンをなびかせ、絡むことなく、交差させ、ときに離れ、接近し、そして同じ形を作っていく。平行してたなびく螺旋、直線、ハートの形。

 花畑、花から花へと飛び交う蝶。
 やがて蝶はひとつの花に辿り着く。
 そこには別の蝶が隠れていた。
 二匹の蝶は楽しく踊り、つがいとなって、空へと飛び立つ。


 ディスプレイから蝶が消え、歓声が沸き起こる。
 水中から顔を出したみなもは、もうひとりの蝶、新部長の先輩と抱き合い、喜ぶ。
 「すごいわ、みなもちゃん」
 「ありがとうございます、先輩っ!」
 水面のあちこちからメンバーが顔を出す。
 みな、満面の笑みを浮かべ、互いのペアと喜び合う。
 女子部員も男子部員も、顧問の女性教師でさえ、そこが校外のスポーツクラブであることも忘れて、拍手喝采。
 プールの監視員も一般の利用客も、つられて拍手してしまっている。
 「水の中で踊るのって、楽しいですねっ!」
 先輩に寄り添いながら、みなもは言った。
 「そう、良かった」
 笑顔をかわし、二人はプールサイドの仲間たちに手を振った。





   (了)