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龍と朱雀のお買い物
待ち合わせの時間は、とっくに過ぎていた。
腕時計を見、竜王寺・珠子は嘆息した。今日、一緒に買い物に行こうと誘ったのは彼女ではないか。渋谷の駅前広場で待ち合わせたのだが、約束の時間から三十分は優に経過している。焦れた珠子は携帯電話を取り出して赤羽根・灯のアドレスに掛けると、コール音が終わるよりも早く慌てた声が返ってきた。
『珠子さんっ! ここ、どこか解る!?』
「あたしに聞かないでよ」
『えと、乗った路線は間違ってなかったはずなんだけど、上りと下りが違ってたみたいで、それで乗り直したら北口と南口を間違えちゃって、その次は上りと下りは間違えなかったけど快速急行に乗っちゃって……』
「その次は私鉄を間違えるんじゃないの?」
『……かもしれない』
「とりあえず落ち着いて、駅員に聞いてから電車に乗りなよ。待っててあげるからさ」
『ありがとう、珠子さん! 大好き!』
灯が通話を切ったので、珠子は携帯電話のフリップを閉じて苦笑いした。
「慣れてきただけなんだけどね」
珠子の年下の友達である十六歳の女子高生、赤羽根・灯は天才的な方向音痴だ。朱雀に仕える巫女で聖なる炎を操れても、日常生活では力は発揮されないらしい。やれやれ、と珠子はベンチに体重を預けると、街中では目立つ得物を抱えた。白い布をきつく巻き付けられている細長いものは、御神刀・九頭竜だ。髪型も服装もばっちり決めているので正直言って不似合いだが、いざ使えなければ困るのは珠子自身だ。
電話を終えて三十分程過ぎた頃、灯が渋谷駅の東口から出てきたので珠子が出迎えると、灯は遅刻を謝った。珠子は諦観も含めて怒っていないと言うと、灯は途端に笑顔になって珠子の腕を引いた。
「それじゃ行こう、珠子さん! 欲しいもの、一杯あるんだよね!」
「あんまりくっつかないでよ、恥ずかしいな」
珠子が若干身を引くが、灯は離れようとしなかった。
「だって、はぐれちゃったら困るし」
「それもそうだけど、なんか、ねぇ……?」
珠子は周囲の目が気になり、視線を彷徨わせた。レザージャケットとタイトなジーンズにバイクブーツで決めた珠子と、ビスやチェーンが付いているがフリルの付いた可愛らしいゴスパンクで身を固めた灯と並ぶと、雰囲気は合っているが何か怪しく見える。たとえば、お姉様と妹のような。
灯は珠子の懸念を知ってか知らずか腕を引いてくるので、珠子は灯に負ける形でショッピングモールに向かった。
買い物を楽しめば、気にならなくなるだろう。
その通りだった。
フリーター故に稼ぎが少ないので、普段は節制している分、解放されると気持ち良すぎる。珠子は予想以上に買ってしまった紙袋の山を見、明日からの生活に少し不安を抱いたが振り払った。今日使った分は、また稼げばいいのだから。
珠子は充足感を味わいながら、ブラックコーヒーを傾けた。向かいの席では、灯が抹茶パフェをつついている。ショッピングモールだけでは飽き足らず、渋谷駅前周辺の店も手当たり次第に回った二人はたっぷりと買い込み、おかげで大荷物になった。散々歩き回ってはしゃぎ回ったので、二人は休憩するためにカフェに入っていた。
「次はどこに行こうかなぁ。ね、珠子さん」
「えぇ、まだ買うの?」
そう言いつつも、珠子もまだ物欲が収まっていない。服を一つ買うと、それに合ったアクセサリーやバッグも欲しくなるからだ。
「今度のライブに着ていく服も欲しいの。ハードロックだから、珠子さんに一緒に選んでもらおうと思って」
「でも、あたしが選んだ服が灯に似合うかな?」
「服って、自分以外の人に選んでもらった方が似合ったりするじゃない。それに、珠子さんのセンスは格好良いし」
「そんなに褒めても何も出ないって」
珠子は照れ隠しにコーヒーを飲もうとして、目を見張った。ブティックの店名が入った紙袋に挟まれた九頭竜が、僅かに動いた。珠子に霊感はないが、九頭竜は竜神の力を封じ込められているだけあって霊的な物に対する感度は抜群だ。灯も感じたのか、逆円錐形のグラスから掬った白玉団子をスプーンから落とした。
「珠子さん……」
「野暮用が出来ちゃったみたいだね」
珠子は九頭竜を掴んで立ち上がると、二人分の代金を店員に押し付けてから、後で絶対取りに来るから荷物を見張っておいてくれと伝えてカフェを出た。灯は食べ切る寸前だった抹茶パフェに未練を残していたが、珠子に続いてカェから飛び出した。
大通りから逸れた横道に入った先の裏通りで、二人は気配の根源を見つけた。どこもかしこも人間で溢れているのに、その裏通りだけは無人だ。珠子の手の中で九頭竜が細かく震え、灯は表情を強張らせている。珠子は九頭竜を包んでいた布を外し、鞘から引き抜いた。
「人がせっかく楽しんでる時に、邪魔してくれるとは良い度胸じゃないか!」
珠子がドスの効いた声を張ると、裏通りに軒を連ねる店の屋根から何者かが飛び降りた。アスファルトに落下したそれは、人間大の体格だが、人間にあるまじき重量でアスファルトにヒビを走らせた。鎧武者に酷似した風貌の巨体はモーター音を響かせながら膝を伸ばし、背負った太刀は軽く二メートルはある。兜の下にあるべき顔はなく、目はレンズで鼻と口はない。太刀を握る手も鈍色の金属に覆われ、甲冑に守られた肌も同様で、関節から廃熱と冷却を兼ねた蒸気を噴出して自身の周囲を薄く曇らせた。
「もしかして、これ、ロボット? お化けよりは気楽だけど」
珠子が顔をしかめると、灯は眉根を顰めた。
「ロボットだったら、こんな妙な気配なんてしないと思うけど……」
「いかにも。俺は機械を超え、人を超えた存在だ」
機械的だが人間でなければ出せない抑揚と力の籠もった声を張った鎧武者は、ぎぢりと拳を固めた。
「俺はかつて無力だった。だが、虚無の境界の手によって無力な肉体を捨て、この体と力を手に入れた。五感の全てが拡張され、生身の頃には持ち合わせていなかった第六感までもが引き出された。そして、技術と超常の叡智を融合させた心霊兵器として」
「つまり、サイボーグか。回りくどいな」
「最初からそう言ってくれれば解りやすいのに」
珠子と灯が揃って文句を言うと、鎧武者は背中から太刀を抜き、灯に突き付けた。
「最後まで言わせろ! 東京を守護する四神の一である赤羽根・灯を抹殺するのはこの俺だ! その暁には更なる高みへと!」
「やっかましい!」
珠子は敵のくどさに苛立ち、駆け出した。
「九頭竜の使い手、覚悟!」
サイボーグ武者は分厚く巨大な太刀を引き摺り、砕けたアスファルトをつま先で抉った。瞬間、珠子の予想を遙かに上回る速度でサイボーグ武者の巨体は弾き出され、珠子は身を翻して寸でのところで太刀を避けたが、追撃が訪れた。金属塊の拳が珠子の顔面に迫り、珠子が九頭竜で防御姿勢を取るよりも早く、紅蓮の炎が両者を隔てた。
「珠子さん、援護するわ!」
炎の翼を生やした灯が作った結界だった。珠子は素早く距離を取ると、サイボーグ武者は炎の結界に拳を押し込み、破ってしまった。
「ふんっ!」
「えぇっ!?」
灯が面食らうと、サイボーグ武者は炎の破片を踏み躙った。
「言っただろう、俺は技術と超常の叡智を融合させた心霊兵器だと!」
「ちょっと、ヤバくない?」
珠子は九頭竜を握る両手に力を込めた。物言いはふざけているが強さは本物だ。擦れ違い様に一太刀浴びせたが、サイボーグ武者の胸には薄く傷が付いただけだ。灯の炎の結界を破った拳も、ダメージを受けた様子はない。珠子は跳躍すると、援護として灯が放った炎の礫を喰らったサイボーグ武者に斬り掛ったが、素手で受け止められた。サイボーグ武者は九頭竜を潰さんと握り締めてくるが、珠子は九頭竜を真下に引いて手中から抜き、手首を返してサイボーグ武者の右手を切断した。だが、サイボーグ武者は怯まずに手首の落ちた右腕を高々と掲げた
「ふはははは、死ぬがいい!」
敵の体が機械なら。珠子は右腕を受け止めてサイボーグ武者の下から脱し、切っ先を右手首のケーブルが露出した切断面に突き刺した。
「頼むよ、九頭竜!」
「ぐ…おぅっ!?」
体液の代わりに機械油が零れる傷口に、九頭竜が迸らせた紫電が流れ込む。外側が頑丈でも、中身は精密機械の固まりだ。だから、過電流には耐え切れまい。珠子は帯電する九頭竜を引き抜いて灯に目配せすると、灯は頷き、炎の翼を広げた。
「今のうちに!」
灯は炎の翼から散る火の粉を尖らせ、矢のようにサイボーグ武者に撃ち込んだ。一発や二発では弾かれるが、五発、十発と重ねるうちに鎧が砕けて弾け飛び、銀色の素体が現れた頃にはサイボーグ武者は炎に包まれて膝を折った。しかし、またも立ち上がった。
「これで勝ったつもりかぁ、小娘!」
火達磨と化したサイボーグ武者は哄笑を放ち、歩み寄ってきたので、珠子は紫電を帯びた九頭竜を横たえて跳ねた。
「だから、いい加減にしろぉっ!」
一閃、刃と紫電が閃いた。珠子がサイボーグ武者の背後に降りると、焼け焦げた頭部が転げ落ちた。
「俺は死なぬ、不死身の心霊兵器……」
切断面から人工体液と機械油をどろりと垂らし、燃え盛る生首は濁った言葉を零したが沈黙した。
「死んではいないみたいだけど、これなら当分は動けないかな。後はIO2の人に任せちゃおう」
胴体と首が別れた敵を見、灯は呟いてから、炎の翼を消した。
「気分悪くなった。気晴らしに買い直そうよ」
九頭竜を鞘に収めて布を巻いた珠子が大股に歩き出すと、灯は追ってきた。
「じゃ、ライブハウスに行こうよ!」
「あ、それいいかも」
珠子が笑い返すと、灯は得意げに笑んだ。
「でしょ?」
二人の持つ力は、おのずと良からぬモノも引き寄せる。だから、尚更、こういう一日が大切だ。
終
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