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<東京怪談ノベル(シングル)>


おやすみなさい、いい夜を

 …爽やかな陽が射す朝の一時。
 本来ならばその筈なのに。
 この場所は――その逆を行っている。

 立ち込める香りが、まず違う――何か、妖しい香りを醸す香が焚かれているらしい。
 部屋の窓も閉め切られ、薄暗く室内の様子はあまりよく見えない。…それらしい呪具術具の類が置かれ並べられているのだろうとは、想像が付く。
 澱んでいる空気の中、恵みである筈の明るい陽の光から、敢えて背を向け、男は一人そこに居る。
 これ見よがしな黒いケープを羽織った、病的なまでに色白な黒髪の呪術師が。

 電話が鳴る。
 …こんな部屋の中にも電話はあるらしい。
 呪術師は受話器を取り上げた。
 通話相手の話を聞く。
 仕事の依頼。
 そう見た時点で、余計な事は話さない。
 ただ、話が進むにつれ、その眼の色が――爛々と輝き始めている。
 掛かってきた依頼の内容。
 それは、殺し。
 …そうとわかって、嬉しくなる。
 ちゃんと聞いているのかと問われる程に、ただ相手の話を聞くだけの事を続ける。
 問われた事は、肯定する。
 呪術師は、ちゃんと話を聞いている。
 その『答え方』に、動揺された。
 掛け間違えたのかと確かめられる。
 いいえ、間違っていませんよ。
 そう否定しても、相手の動揺は変わらない。
 …物腰柔らかな優しく丁寧な口調で受け答えたのが――それ程に意外だったのだろうか。
 思いはするが、呪術師は特に気に留める事も無い。
 呪術師は意外なくらい爽やかな、場合が場合ならば好感すら持たれそうな声音と態度で――軽やかに相手に受け答えている。

「――――――…はい。承りました。お任せ下さい♪」

 軽く。
 ごく軽く、呪術師はそう話を纏める。
 疾うに背を向けている筈の朝陽にこそ似合いそうな、爽やかな笑顔を見せながら。



 …方法を考える。
 殺しの依頼。呪殺すべき相手は、依頼人の『仕事』を暴こうとしている術師――退魔師であるのだとか。つまりはやられる前に殺りたいと言う事らしく、それも出来れば自分の手を汚さずに、とかで、呪術師の――この鏡夜神彦の技に頼る事を考えた、らしい。
 ――――――「呪い請け負います。殺人から恋愛成就まで」。
 そんな看板を掲げているこの僕に。
 呪殺。必要なのは幾つかの要素。…相手のまだ乾かない血を得る方法と、相手と直に会う方法。その二つが予め考えておくべき要素。それ以外は特に考える事もなく出来る事。…自分自身と、この鏡だけがあればいい。
 てのひらサイズのこの鏡に自分の血と相手の血を塗り付け、相手の姿を映せば目的の呪術は掛けられる。
 崩命鏡。
 その力で。
 …ふふ、たったこれだけの事でこれ程苦しんで死ぬなんて思わないだろうね。
 どうやって呼び出そうか。
 場所は人気の無い人目に付かないところと言うのはまず基本。…苦しみもがく声が外にまで聞こえて誰かに邪魔されたりしたら興醒めだからね。
 …ああ、あそこでいいや。
 手頃な場所を思い付く。
 思い付いたところで、電子音が響いた。と思ったら、パソコンの方に――ネット経由で依頼人から『獲物』の情報が届いたらしい。
 お待ちかねのその情報を確かめながら、考える。
 …僕とは正反対なヒトみたいだね、と思う。
 けれど、その時点でこれからの方針は簡単に決まる。

 ………………こういう奴なら、『煽れば』簡単。

 そう、『悪い奴』は放っておけない類の人間だろうから。
 …だから僕は、数日掛けて何度か獲物に電話を入れた。わざと、脅した。僕のやり方で『僕を見せた』。…『自信過剰で狂執的な気味の悪い呪術師』に。簡単に何とかなりそうな相手だと思わせる為、わざと隙も作って見せた。本物の呪術の片鱗も匂わせた。それで、獲物にとって僕の存在は無視出来ないものだと思わせる。…放っておけない対象と思わせる。自分が何とかしなければならない敵なのだと使命感と正義感を煽るだけ煽る。
 そして、場所をそれとなく知らせる。…ここもまた、隙に見せる。

 ここまでやれば、この獲物なら来ない訳が無い。



 人気の無い深夜の倉庫街。
 その中の一つ、獲物を『呼び出した』倉庫に呪術師は訪れていた。殆ど放置されているに等しいその倉庫。だだっ広いその中に、あまり物は置かれていない。
 ざあざあと雨の音が鳴る。
 降り出してもう長い。
 …好都合。
 これなら、音が倉庫の外に漏れてもどうと言う事は無い。
 何があろうと、誰にも気にもされないだろう。
 不意に、ガガン、と床を踏み慣らすような反響音がした。
 誰かが走り込んで来――倉庫内に踏み込んだところで急停止したような。
 水音を引き摺る靴の滑り止めの音が、倉庫内に響き渡る。
 それに重ねて。

 呪術師は腕を振り上げた。

 ――『倉庫に訪れた獲物のすぐ側』で。
 呪術師の身に着けられているあからさまに胡散臭い様々な装飾品――それぞれ、様々な神魔や精霊の守護が刻まれたもの――がじゃらりと鳴る。
 その大きな異音で気付かれる。
 呪術師が居る場所。
 それは獲物のすぐ後ろ。
 すぐ間近。
 ちょっと手を伸ばせば、触れられる程の側に。
 黒いフードを目深に被った、呪術師の姿が。
 …そこでずっと、待ち伏せていた。
 獲物が気付いた時にはもう遅い。振り上げられた呪術師の腕の先には、光を受けて煌く刃――それまた呪具めいた装飾を施されている大振りのナイフが握られている。その時にはもう獲物は己が身に灼熱と衝撃を感じているが、一瞬それが何処の位置だかわからなくて焦る――完全に不意を衝かれての攻撃をもう食らってしまっている。倉庫の正面に駆け込んでくるなど、頭に血が上っていたかと獲物はこの段で漸く後悔する。呪術師の実力を測り直す必要を思考する。…これは、思っていたよりやる相手だったのかもしれない、と。
 後悔はするが、諦めはしない。
 ナイフで負わされた傷が致命傷とは程遠い軽いものだとわかれば尚更。
 むしろ、発奮材料になる。
 呪術師は獲物に一太刀浴びせただけでもう獲物から完全に離れている。もう獲物に背を向けて、何事も無かったように倉庫内奥に向かって数メートル先を悠然と歩いている――握っているナイフには獲物を斬り付けた時の血がべったりと付いている。その血をこれ見よがしに――獲物の目にも見えるように中空に翳して指先で丁寧に拭い取り、呪術師は何処から取り出したのか小さな鏡の鏡面にその赤を当然のようにぐいと塗り付ける。
 それを見た獲物がびくりとする。
 …何をする気だ。
 …何をした。
 …それでどうなる。
 …何の術だ。
 警戒する。
 けれど、何も起きない。
 呪術師も何も言わない。
 態度を変えない。
 ただ、動かない。
 歩く足も止められている。
 少しして、中空に翳したその鏡を見ながら呪術師は小首を傾げている。
 不思議そうに。
 …少なくとも、獲物にはそう見えた。
 そう見えた、ところで。
 今だ、と思う。
 獲物は床を蹴る。
 呪術師に一気に肉迫する。
 ここに来たその時のように、不意を打たれるような事が無ければ後れは取らない。この呪術師の様子は、きっと何か予想外の事があった。だから、今の間を衝けるなら、この呪術師を倒す事が出来る。 
 そう信じて、獲物は呪術師に躍り掛かる。
 呪術師が振り返り、己に肉迫する獲物の姿を認めて、瞠目する――目深に被られたフードの下、鬱陶しいくらいに長く伸ばされた前髪に隠されている目が見開かれるのが獲物には見て取れていた。
 そのくらい近い位置。
 後ほんの僅か伸ばせば、指先も届くと言う位置。
 瞠目している――驚愕が見えた時点で、獲物は自分の判断の正しさを確信する。
 …その時、呪術師が自分の腕に巻いている包帯を解いているのも視界の隅に見えてはいた。けれどそれは気にも留めていなかった。それより倒す方が先。そう思っていた。だから先に呪術師を倒す為の攻撃を為そうと手を伸ばしていた。新たに視界に入ってきた白い光。ナイフ。また斬りに来るか――思い、獲物は反射的に躱す動きを入れようとするが、それは無駄に終わった。
 …呪術師は、獲物に向かって斬り付けた訳では無かったから。
 呪術師のナイフが斬り付けていたのは、包帯を解いた後の――よく見ればぎょっとする程数多の傷跡が残る呪術師自身の腕。
 そこに新たに付けられた一文字に薄らと赤が浮いたかと思うと、見る見る内に溢れて青白い肌を伝う。その伝い落ちる赤を、呪術師は無造作にもう片方の手で拭い取る。
 今度は獲物の方が瞠目した。
 …この呪術師は気でも狂ったのかと思う。
 思っていると、呪術師は件の血が塗り付けられた鏡を獲物に見せ付けるように掲げ、そこに拭い取った新たな赤を塗りたくる。…先程は獲物の血。今度は己の血。
 両方に塗られたその鏡の鏡面を、茫然と呪術師を見ている獲物の正面に、示す。
 その鏡面に、当然のように獲物の姿が捉えられる。

 ―――――――途端。

 獲物の鼓動がどくんと波打った。
 続いて、ぎゅっと心臓が締め付けられるような痛みが襲う。
 獲物は思わず胸に手を当てる。
 手を当てた自分の胸を見下ろす。
 何が起きた。
 思っている間にも、足に力が入らなくなる。
 進めなくなる。
 それどころか、立っている事さえ。
 否。
 思考すらままならない程。
 感覚が侵される。
 息が出来ない。
 苦しい。
 …獲物はその場に、崩れてしまった。

 その段になって初めて、場違いなくらいに軽やかな――何処か陶然とした響きも込められた声が響く。

「ごめんね、死んでもらうよ?」

 呪術師の声が、聞こえた。
 ざあざあと鳴る雨の音もまた、獲物の耳に届いている。
 崩れ落ちた床の上で、獲物が呻く。
 正体の知れないその苦痛から逃れようと、頼れるものも何も無い床に、爪を立てて取り縋り、堪えようとする。
 呪術師はその姿を見下ろしている。
「ふぅん…思ったより簡単だった割には…結構我慢強いみたいだね?」
「…な…貴様…これは…ッ…ぐぅっ…何をしたあ…ッ」
「何って…崩命鏡って言うんだよ。僕の得意な呪術。やり方は見た通り。獲物なお兄さんの血と術者な僕の血を塗った鏡でお兄さんの姿を映すと、お兄さんの命は少しずつこの鏡に吸い取られていく…うーんと苦しみながらね。ハハッ、もうお兄さんは助からない。お兄さんはこれから死ぬんだよ。僕の目を耳を愉しませながらね」
「貴様…ッ…!」
「…この崩命鏡の呪術はねぇ、相手によっては結構手間が掛かる術式になるんだけど…お兄さんの場合はあんまり真っ直ぐだから張り合いがなかったな。…最後の誘いだってもうちょっと僕の方が危なくなるかなって覚悟してたんだけど、結果は全然予想通りの反応だったしね? だからせめてここからは僕の予想以上に思いっ切りもがき苦しんで、僕を愉しませて欲しいと思うんだ」
「…ッ」
 獲物はもう意味のある言葉も発せない。
 ただ、唸りながらぎらつく目で呪術師を見上げているだけ。
 その間にも、痙攣染みた震えが獲物の身に走っている。苦悶の表情が浮かんでいる。ただ胸に手を当て押さえるどころか、胸を――そして喉を、掴み、掻き毟っている。
 呪術師を見上げる執念染みた目の光すら、苦痛に負けて時折力無く薄れ、途切れる。それでもまた、すぐに見上げて睨め付けてくる。何度苦痛に負けそうになっても克己するその反応に、呪術師は生唾を飲み込む。
 急かされるように獲物の前に膝を突き屈み込み、食い入るようにその姿を見る。もっと近くで見たい。もっともっと。獲物は顔を逸らす。逸らしたところでまた苦悶の声。ぐたりと頭が力無く床に落ちる。…それでもまだ手が――指先が何かに縋ろうと動いては儚く力が籠められている。足が空を蹴っている。…まだ足掻いている。…凄い凄い。
 その様を見、呪術師の青い瞳が心底からの狂喜に満ちる。
「ああ…いいね。苦しい? 辛い? ハハッ、もっと見せてよ」
 獲物は反応出来ない。
 このままでは駄目だとわかってはいても、それ以上もう何も考えられない。どうしたらいいのかもわからない。
 呪術師が何かを言っている。
 気が遠くなる。
 それでも、感覚が麻痺しない。
 痛い痛い痛い苦しい苦しい苦しい。
 ざあざあと雨の音がする。
 外の雨は、全く止む気配は無いらしい。
 ざあざあ。
 そんな、どうでもいい筈の雨音だけがやけに耳に残る。
 例えようもない苦痛と共に。

 ………………獲物の耳に、最期まで。



 ざあざあ。

 と、言う程でもない。
 降り方は変わっていないようだが、雨音そのものはむしろ小さくなる。
 …建物に――倉庫の屋根に当たって、内側にその音はより大きく響いていた訳だから。
 獲物を始末した倉庫の外に出て、直接雨に当たってみると――むしろしとしとと音ごと塗り込めるような様子でもあって。
 興奮に火照った身体には、適度に冷たくて、ちょうど気持ちがいいかもしれない、と呪術師は――鏡夜神彦は思う。
 このままで、帰ろうと思う。
 傘は差さない。

 …今日の獲物は、なかなかにイイ反応をしてくれた。
 幾らかでも骨のある奴の方が、死に至るまでの経過が愉しい。
 とても素敵な苦しみ方を見せて――魅せてくれるから。

 神彦は改めて中に残してきた獲物の死に様を思い、倉庫を振り返る。
 振り返ったところでにっこりと笑い、右の手を胸に当て。
 芝居がかった仕草で頭を下げて、御挨拶。

「おやすみなさい、いい夜を」

【了】