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<東京怪談ノベル(シングル)>


Invented kidnap



 強い風の吹く秋の午後。三島玲奈は一人、浜松町駅に立っていた。羽田空港からのモノレールが乗り入れる駅である。海外からやってくる知人を迎えるためだった。
 といっても、彼女は相手の顔も本名も知らない。ネットで知り合った、いわゆるメル友なのだ。──いや、友といえるほどの仲でもない。海外からやってくるというその知人は、玲奈の母が経営しているシーフードレストラン『かもめ水産』の評判を聞きつけて、店のブログにコメントをつけたのだ。二週間前のことである。そのコメントに玲奈がレスを返し、そこから何となく意気投合して、今日の待ち合わせということになった。
 当然、相手も玲奈の顔を知らない。しかし、待ち合わせの不安はなかった。玲奈は『かもめ水産』のパンフレットを、はっきりわかるように持っている。目印としては十分だった。
 ──そう。そのはずだった。
「おかしいなあ……」
 玲奈は腕時計に目をやり、ちいさくつぶやいた。待ち合わせの時刻を、すでに十五分も過ぎているのだ。
 構内アナウンスを見ても、飛行機やモノレールに遅れはない。そして、『さくら水産』の文字がはっきり読み取れるパンフレットを両手に持っている高校生の姿は、駅の中でも非常に目立つ。見落とすはずがない。
 どうしたんだろうと思いながら、それでも玲奈は待ちつづけた。
 そうして、結局二時間が過ぎても待ち人は現れなかった。
 やがて日も暮れ、不安に襲われた玲奈は携帯電話を取りだした。短縮ダイヤルに登録してある番号を、プッシュひとつで呼び出す。
「はい。こちら草間興信所」
 耳当たりの良い低音の声が聞こえて、玲奈はほっとした。
 そして、彼女は『依頼』を告げた。
 ほかでもない。待ち合わせの相手が来ないことを調査してほしいという依頼だった。
「……なぁ。知り合いが待ち合わせに遅刻したってだけで、ふつう俺たち探偵に調査依頼するか?」
 あきれたように言う草間だったが、玲奈の一言で黙る以外なかった。
「いいじゃありませんか。ちゃんと、いつもどおり、調査料は払うんですから」
 電話の向こうで肩をすくめる草間の姿を想像して、玲奈はちょっと笑った。



 話がついて、約十五分後。軽快な着信音を響かせて、玲奈の携帯電話が鳴った。
 かけてきたのは、ほかでもない草間武彦。通話ボタンを押したとたん、彼は切り出した。
「ひとつ訊くが、キミの待ち合わせ相手は王女様だったか?」
「……え? なに言ってるんですか?」
 なにかの聞きまちがいかと携帯電話を耳に押し当てる玲奈。そこへ、草間の声が響いた。
「いま、テレビでニュースが流れてる。今日、モナコの第一王女が視察団をつれて、お忍びで来日したんだそうだ。ところが、羽田からのモノレールに乗ったあと行方が消えたらしい。警視庁が調べてる」
「ど、どういうことですか?」
「どういうこともなにも、いま言ったとおりだ。もし玲奈の待っている相手がそのお姫様だとしたら、そこで待っていても永久に会えないってことさ」
「そんな……。でも、一国の王女様がですよ? 日本の、たかが一軒のレストランのブログに書き込みとか、するわけないじゃないですか」
「どうだかな。いまニュースを見たりネットで調べたりしてるが、どうやらこのお姫様は、かなりのリベラリストらしい」
「リベラリスト?」
「自由主義者ってことさ。評判によると、ずいぶんなじゃじゃ馬らしい。どこかのお嬢さんと一緒だな」
「……」
「まぁ、ともかく玲奈は自宅に帰ったほうがいいだろう。もし待ち合わせの相手がモナコのお姫様でなければ、『かもめ水産』のブログに連絡があるだろうよ」
「……わかりました。それじゃ、次の依頼をおねがいします」
「ああ?」
「お願いです。そのお姫様を見つけてください」
 玲奈の言葉に、数秒の沈黙が返った。
 沈黙は五秒程度。そのあとで、溜め息まじりに草間が答えた。
「あのな。仮にも、一国の王女が誘拐されたんだ。これは国家権力の仕事さ。俺みたいな市井の探偵なんぞの出る幕じゃない」
「そんなこと言わないでください! 警察なんかより、草間さんのほうがたよりになります!」
 人目もはばからず、玲奈は携帯電話に向かって大声を上げた。
 また、数秒の沈黙。そのあとで、草間の声が聞こえた。
「……わかったよ。引き受けよう。ただし、規定の調査料はもらうぞ?」
「はい」
 そう答えて、玲奈は安堵の吐息をついた。



 翌日。携帯電話の着信音で、玲奈は目を覚ました。
「依頼の件だが、いろいろとわかったことがある」
 朝のあいさつもせず、開口一番、草間は言った。
「あ。おはようございます、草間さん。……それで、どんなことがわかったんですか?」
「まず、誘拐犯から声明があって、身代金の要求額が提示された。ちなみに五十億ドルだが、まぁこれはどうでもいい。要求先は日本政府で、期限は今日の二十四時。無茶な要求だが、飲まざるを得ないだろう」
「うわあ……」
「つまり、今回の依頼もそれまでに片付けなけりゃならないということだ」
「そうなっちゃいますね」
「ああ、やっかいな依頼だよ。……さて、王女が羽田からモノレールに乗ったのは多くの人間が目撃している。しかし、彼女の降りる姿を見た者はいない。つまり、誘拐はモノレールの中でおこなわれたと推測できる。王女の乗った車両は、浜松町駅の手前で一時停車している。停電事故があったらしい。電力はすぐに復旧して運行再開されたんだが、その車両が浜松町についたとき、すでに王女の姿は消えていた」
「じゃあ、その停電の間に誘拐されたってことでしょうか」
「ふつうに考えればそうなるが、知ってのとおりモノレールは高架線の上を走っている。人目につかず誘拐するのは不可能に近い」
「でも、それじゃあ、どうして王女様は消えちゃったんですか? イリュージョンマジックじゃあるまいし」
 玲奈は冗談まじりに言ったのだが、返ってきた言葉は真剣だった。
「俺は、その可能性が高いと見ている。というのも、当日羽田に魔術団が到着しているのさ」
「でも、そんな。ありえませんよ。手品で誘拐するなんて」
「ありえないかどうかは、実際にこの目で確かめる」
「どうやるんですか?」
「いまから、お台場に行く」
「……え?」
「その魔術団が、お台場魔境とかいうイベントをやってるのさ」
「ちょっと待ってください。あたしも行きます!」
 玲奈の言葉に、みじかい沈黙が返ってきた。
 そのあとで、あきれたような草間の声が玲奈の耳に届いた。
「……わかったよ。いざというときは力を貸してくれ」
 戦闘能力という点で、草間は玲奈の足元にも及ばない。ボディガードとして、これ以上の依頼人はいなかった。



 客の姿にまぎれて、玲奈たちはお台場魔境サーカスのテントに忍び込んだ。
 野球ができるぐらい巨大なテントだ。中は、団員や客の姿でごったがえしている。その間を縫って、二人は奥へと進んでいった。「関係者以外立ち入り禁止」のロープが張られているのも無視して、さらに奥へ。
「ほんとうに、このサーカスが事件と関係あるんですか……?」
 不安に駆られて、玲奈はそう訊ねた。
「ああ。さっきは言わなかったが、王女の乗っていた車両が停電で止まっていたとき、その真下に貨物列車が停車していたのさ。積荷は巨大な電極だった」
「電極……?」
「そこで膨大な電力が消費されたことが干渉計に記録されている。しかし、電力会社のデータに、その送電記録はなかった。つまり、民間で作られた電力ということになる。そんな膨大な電力を自前で作り出せる組織なんぞ、そう多くない。たとえば、このサーカス団が、そのひとつだ」
「え。でも、ほかにもあるんですよね? ここが当たりだとは限りませんよね……?」
「そのとおりさ。本来なら、もっと調査をかさねてから動くべきなんだが。あいにく今回は時間の制約が厳しい。博打を打つしかなかったのさ」
「……その博打って、どれぐらいの確率で勝てるんですか?」
「俺の推理では……」
 勢いよくドアを開けたとき、その向こうからヒゲづらの白人が角材を振り下ろしてきた。
 ギリギリでそれをかわし、ショートアッパーをたたきこむ草間。
 床に倒れた男を見下ろして、「九十九パーセントぐらいだな」と彼は言った。



 その部屋には、巨大なバッテリーが所狭しと置かれていた。
 床を這う無数のケーブル。そして、バッテリーを管理するサーバーマシン。
 草間が素早い手つきでログをチェックすると、それは途轍もないほどの電力とデジタルデータを送信しているのだった。
「まさか、人間を電送したとか……」
 画面を覗きこんでいた玲奈が、思いついたように言った。
「ちがうな」
 みじかく断言して、草間はキーボードを叩いた。滝のような勢いで、ログが流れ落ちる。
 草間がそのログを見つめていたのは、ほんの三十秒程度の時間だった。じきに彼は踵を返し、「もうここに用はない」と言い捨てた。
「え? でも……」
「真相がわかったのさ」
「ええっ?」
 忍び込んでいることも忘れて、大声を出す玲奈。
 あわててその口をおさえ、草間は言った。
「かんたんに言おう。ようするに、すべて狂言だったんだよ。モナコの王女なんて、ハナから来日してなかったのさ」
「どういうことですか……?」
「羽田に姿を見せた王女は、ホログラフィによる作り物の映像だった。おそらく、『かもめ水産』に書き込まれたコメントも偽装だろう。ほかにも色々仕込んでいたのかもしれない。そうやって、実在しない「王女の来日」という虚構を作り上げ、実際に誰を誘拐することもなく身代金をせしめようとした。これは、そういう事件だったのさ」
「そんな……。そんなことって、できるんですか?」
 唖然とした顔で草間を見つめる玲奈。
「できるかもしれないな。俺たちが何もしなければ」
「だ、だめじゃないですか! 早く警察に教えてあげないと!」
「面倒だ。その役は玲奈にまかせる。俺は規定の調査料をもらって、このまま帰るさ。じつは昨日から一睡もしてなくてな。眠くて仕方ない」
「もちろん、調査料は払いますけど……。でも、このままほっといたら身代金とられちゃうじゃありませんか」
「俺には関係のないことさ。俺の仕事は、調査することだ。俺のもらうカネは調査料であって、解決料じゃない。俺たち探偵は、どんなものごとも解決したりしない。ただ調査するだけだ。そして、今回の調査はもう終わった」
「……」
「そんなわけで、そろそろ調査料をもらってもいいか?」
 客にまぎれてテントの外へ出ると、草間は遠慮なく右手を突き出した。
 玲奈はコートのポケットから紙幣の入った封筒を出し、それを草間の手に置くと、にっこり笑ってこう言った。
「じゃあ、次の依頼です。あたしと一緒に警察まで行ってください」
 ことわる理由を思いつかず、草間はマルボロに火をつけて夜空を見上げた。