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デス・バースデイ
目の前には大きな姿見がある。しかし、そこに映るのは見知らぬ女だった。
「うふ、うふふ、うふふふふふふふ」
女は笑う。長い前髪に遮られ、目元こそ見えないが、女は心底楽しそうに笑っていた。
「うふふふふふふふふふふふふ、ふふふふふふふふ、うふふふふふふふふふ」
壊れたオルゴールのようにひたすらに笑い続ける。その常軌を逸した光景にぞっと背筋が凍る。
ふと、笑い声が止んだ。女はじっとこちらを見つめる。
「――…もうすぐよ」
にたり、と女は笑んだ。
「もうすぐあなたを殺しに行ける。待っていて？ 必ず殺してあげるから。私からのプレゼントよ。喜んでね？」
姿見にひびが入る。それがあっという間に全体に広がったかと思うと、甲高い音を立てて粉々に砕け散った。
◆ ◇ ◆
「お願いです、このままだと私は殺される。死にたくないんです！ お金なら工面します、どうか……！」
目の前で頭を下げる依頼人に、草間武彦はほとほと困り果てていた。
毎夜夢に出てくる女が殺しに来るのだと切々と訴えるのに、最初こそ精神科を薦めるべきか悩んだ草間だったが、必死の形相で頭を下げるその様を見てなお無責任な言葉を投げかけることはできなかった。
これが彼の妄想でないとすれば、武草間が常々縁を切りたいと思っている『怪奇』の類なのだろうが……殆ど錯乱状態といってもいい依頼人から詳しい話を訊くのは難しそうだ。
まずは依頼人を落ち着かせるのが先決だろうな、と考え、草間は小さく溜息を吐いた。
「溜息つくと幸せが逃げちゃいますよー？」
瞬間、すぐ傍から聞こえた声に、草間はソファから跳び上がらんばかりに驚いた。慌てて声のした方を振り向く。
「ただでさえ何だか幸薄そうな顔してるのに、自分から幸せを逃がすなんてぇ……、草間サンも奇特な人ですねー？」
「……初対面にそこまで言われる筋合いはないと思うんだが」
頬には赤い逆十字。ボロボロの黒コートを纏った背の低い少女がそこにいた。少女をまじまじと見て、草間は訝しげに目を細める。
草間の既知ではない。いつの間にここに入ってきたのかも分からなかった。本来なら不法侵入者として警戒すべきところだが、幸か不幸か草間はこの手の事象に慣れていた。不本意だが。
そして、数々の出来事によって磨かれた勘もまた、危険を訴えてこない。こういう時は大体において、新しい協力者だったりする。
「依頼に協力でもしてくれるのか？」
「まぁそんなところですねー」
「名前は？」
「アリアはアリアネス・ノア・サーバントですー。境になりやすいニンゲンです。魂がそーなんでー」
アリアはきょろきょろと興信所内を見回し、離れたところでお茶の準備をしていた零の元へと近づく。
「えぇと、アリアネスさん？ どうしましたか？」
「お茶淹れさせてもらおうかと思いましてー」
言いながらアリアが用意し始めたのは、ラベンダーを始めとした鎮静作用のある薬草をブレンドしたお茶。ひとまずは依頼人の心を落ち着けるべきだろうという、いみじくも草間と同じ考えの元での行動だった。
依頼人はアリアのいきなりの登場にも、その後のやりとりにも特に反応を見せず、ただただ自らの手を握り締めて思い詰めた顔をしていた。
◆ ◇ ◆
アリア手ずから淹れたお茶のおかげか、多少平静を取り戻した依頼人の正面に座って、アリアは幾つかのことを尋ねる。彼の名前、出身地、いつから夢を見るようになったのか、その夢の中の女に心当たりはないのかなど。
草間はこの依頼を全面的にアリアに任せるつもりなのか、口を出そうとする様子はない。
最初はアリアの若さにか、それとも草間と既知ではなかったことにか、少々不安げな顔をしていた依頼人だったが、それに気付いたアリアが「守る約束しますよ、指きりげんまんしましょ？」と笑顔で言ったことに何か感じ入るところでもあったらしく、大分リラックスしているように見える。
「んー、全然心当たりないっていうことはぁ……ちょっと星見てみますねー」
「星…？」
「そうですよぉ。アリアは星見て簡単な予知なんかができるんですー」
などと言いつつ、依頼人から聞き出した名前と出身地を元に星を見るアリア。万能とはいえない力だが、使いようによってはかなり有用となる。今回のように。
（んー、星は死を示してないですねぇ。ってことは天命じゃないってことですかー。天命だったら死神サンとドンパチしなくちゃいけませんから、助かりました〜。死神サンとは仲良くないですからねー。アリアはプロですから、報酬が払われるならちゃーんと仕事するつもりですしぃ）
ちなみに報酬の件は話し合い済みだ。独力解決する自信はある。解決の暁にはかなり懐があたたまるに違いない。
（んー、これは霊が原因っぽいですねー。しかも生霊ってとこですか。でも依頼人サンは心当たりないって言ってましたし、それも嘘じゃないみたいですからぁ、ちょっと面倒ですけどダウジングですかねー）
「もう一回聞きますけどー、本当に夢に出てくる女に心当たりないんですよねぇ？」
「……はい。夢に現れるようになってから何度も考えましたが、全く」
依頼人の言葉に納得したように頷いて、『やっぱりダウジングですねぇ』と心中で呟いたアリアだった。
◆ ◇ ◆
草間から借りた地図を片手にダウジングを行ったアリアが辿り着いたのは、何の変哲もない一軒家の前だった。表札には『野上』とある。
星を見て大体の位置を掴んでいたし、怨念はそう遠くまで及ぶものではない。ちなみに依頼人は興信所においてきた。随分憔悴しているようだったし、いなくとも特に支障はなかったからだ。
「んー、どうしましょうかねぇ」
のんびりと呟く。とりあえずチャイムを鳴らしてみた。しかし反応はない。
人の気配はするので、尚もチャイムを鳴らしてみる。けれどやはり幾度鳴らそうと無反応だった。
「困りましたね〜」
対して困ってなさそうな声音でひとりごちて、アリアは躊躇なく不法侵入することにした。家屋などへの侵入は得意分野である。
侵入したその家の中、目的の人物がいたのはリビングだった。ぼんやりと生気のない様子でソファに座っている。
気配を殺しているわけでもない――そもそも確実に視界に入っているはずのアリアにもまったく反応をしない。声をかけてみても同様だ。
（これはちょっと、重症みたいですねー）
退魔と浄化のミルラを焚きつつそう思うアリア。これで多少は意識がはっきりするはずなのだが――。
しばらくの後、アリアは再び彼女に声をかけた。
「ええと、野上サン？」
呼びかけると、緩慢な動きで女は顔を上げた。しかしその瞳には何の感情も見受けられない。
「好きな人を殺したって、何にもならないですよー？」
まだるっこしいことは抜きで、核心に切り込んだ。女の目に意思――というよりは妄執と呼ぶべきだろうものが浮かぶ。
家の中にあったもので彼女の素性を調べ、改めて星を読んだところ、依頼人との関係…と呼べるのかは分からないが、それが分かった。
彼女はどうやら依頼人に恋をしていたらしい。しかも限りなく一方的な。何せ、依頼人は彼女の存在すら知らないのだ。
偶然見かけた依頼人に一目惚れした女は、ストーカーまがいのことをして彼のことを調べ、その思いを募らせた。
しかしそんな日々は長く続かない。依頼人には恋人がおり、結婚の予定まであることを知った彼女は、絶望した。
彼女は家族を失くし、天涯孤独の身の上だった。それゆえか、言葉を交わしたこともない依頼人に随分と入れ込んでいたのだ。
絶望のうちに沈みながらも、どうしても依頼人のことを諦め切れなかった――その心が、屈折して『生霊』という形で依頼人の元に現れたのだった。
『殺す』のは、自分のものにならないことを認めたくないから。
『誕生日』にこだわるのは、彼女が依頼人にプレゼントを渡すことを夢見ていたから。
元々、彼女にはそういう素質があったのだろう。無意識下の思いによってとばされた生霊は、本当に依頼人を呪い殺しかねなかった――そんなこと、彼女はまったくわかっていないのだろうけれど。
生霊をとばすことによって生気は失われ、さらに負の気が充満した室内に長く居たことで、おそらく彼女自身の命も危い状態にある。
彼女に自覚させ、その妄執を解く――それが最も手早い解決方法だと、アリアは考えたのだった。
「本当に、『殺す』のが望みなんですか？ 死んじゃったらそれで終わりですよー？ あなたのことなんて知らないまま、いなくなっちゃうんですよ？」
彼女を覆う負の気――生霊を生み出すほどの妄執が、ミルラの効果とアリアの言葉によって薄れていく。女の目にもだんだんと生気が戻ってきた。
「好きだから殺す、なんていうのよりは、はっきりきっぱり、ちゃんと真正面から告白でも何でもした方がいいですよー。生霊になっちゃうほど好きなら、その勇気くらい湧くんじゃないかとアリアは思いますけど〜」
「……こく、はく」
「そうですー。まぁ、まずは、声をかけるところからでしょうけどねぇ」
存在すら知らない人物から好意を寄せられて、かつ呪い殺されかけた依頼人は何というか気の毒であるが、殺されるよりは見知らぬ人物から告白を受ける方がマシだろう。
彼女がどういう行動を起こすかはともかく、負に向かっていたエネルギーを、それ以外の真っ当な方向に使うのならば生霊になることはないはずだ。
（この様子なら、依頼解決ってところでしょうねぇ）
女の瞳が戸惑うように揺れる。その奥に正気を見て、アリアは一人、心の中で頷いたのだった。
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【整理番号 ／ ＰＣ名 ／ 性別 ／ 年齢 ／ 職業】
【8228／アリアネス・サーバント（ありあねす・さーばんと）／女性／16歳／霊媒師】
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■ ライター通信 ■
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初めまして、サーバント様。ライターの遊月と申します。
今回は「デス・バースデイ」にご参加くださり有難うございました。 お初ですのに納品が大変遅くなって本当に申し訳ありませんでした…！
どういう方向性のお話をお望みか、ちょっとわからなかったので、色々悩んだ挙句こんな感じになりました。
わりとベタですが、人が人を想う心が少し方向性を変えるだけで害あるものへと変化するというのは、起こりうるからこそ怖いと思います。
ご満足いただける作品に仕上がっているとよいのですが…。ご縁がありましたらまたご参加ください。
リテイクその他はご遠慮なく。
それでは、本当にありがとうございました。
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