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<東京怪談ノベル(シングル)>


銀 鱗



 どこも人が多い。だが、この場所を好む者は少ないだろう。
 遊具などもボロボロで、第一、殺風景である。
 見れば、当て所なく歩く老人は、杖をついているが元気なものだ……。野球少年らが土手の上を走っていたが、かけ声は空気へ吸い込まれ消えていく。
 青空は高く雲を抱き、季節が移って鳥たちの種類も入れ替わっていた。
 のどかな景趣は、休日の午後にぴったりだ。

 時草・瑞江(ときぐさ・みずえ)は、町の物騒がしさから離れた河原で流れる川面を眺めていた。
 都内私立高校の国語教師をしている、いわゆる公務員……な訳だが、表面上、平凡な日常の繰り返しも、ようやく得られたようなものだ。

『瑞江はなにも悪くないよ。なんにも心配しないでいいよ』

 幼い頃、祖母は繰り返しそう言っていたが、いつも“怪奇現象”の中心に居る瑞江を、親戚たちや近隣の住人は、汚れたもののごとく毛嫌いし、異端者扱いをしていた……。

『イヤだわ。時草さんのところの瑞江くん……? ほら、この間の十字路の事故で、一人だけ……ねぇ。ありえないじゃないの?』
『ああ、もう。またオマエなのか? えぇ、そうなんだろう! いい加減にしてくれ! 他人様の目もあるだろうに……』

 それは、学校も例外ではなく、友達さえ次第に離れていった。

『おい、瑞江。オマエ、マジで人間なのか? 本当は、なんか違うモノ……とか? だとしたら、コエーよな』
『……変だよ。こんなことが起こるのって、時草くんがいる時ばっかり! どうして?』

 心ない言葉の刃物が、いつも身のまわりを囲んでいて、安らげる日などなかった。
 だが、自身、仕方のないことだと受け止めるしかなかった気がする。そうして、心を固く閉じていなければ、あの嵐のような非難や視線、懊悩に耐えられなかったかもしれない……。

 水面は鏡と同じ。光りを反射させて、二度と同じ形にはならない輝きを放っている。

 あれは、七つの時、実家の壁を這い回る音と、黒い無数の“手がた”が現れた時だ。
 厳格な祖父は瑞江を土蔵に閉じこめた。

『世の中に、不思議なことなど起こりはしない。そこに、現実があるだけだ。瑞江、おまえはそれを知らねばならん。分かるまで、出てはならんぞ』

 真っ暗な墨檻の中で膝を着き、四つん這いになって出口を探したが、土蔵の出入り口は一つ。
 過呼吸に陥るほどの緊張で、脇の下、びっしょりと汗をかいた。しかし、段々、目が慣れて、暗闇ばかりでないことに気が付き、ようやく胸を撫で下ろす。
 
 なんだ、本当の闇なんて、現実にはないじゃないか……。

 だって、壁のひび割れから、月の光が入ってきている。
 土蔵の小窓の外、黒松の葉も柊も、仄かだが光っている。
 夜空には星だってあるんだから、まったくの黒なんてない。

 世界は夜でも、こんな光りで溢れている。

 落ち着いて両足を抱えると、背中は冷えたが眠気が襲ってきた。
 静寂が全身を包み、うとうとしかけ……。
 目の前の古びた灯籠に、火が入っているのが、ぼやけた視界へ広がっていた。

 なんだろう……。
 だいだい色でも、黄色でもない……火……?
 近くなったり、遠くなったりして、まるで生き物のようだ……。

 遊んでいるかの、誘っているのかの仕草で、ちろちろと、和紙の内側を撫でていた。

 思えばあの時が、自分に『はじまり』が訪れる最初のきっかけだったのかもしれない。
 時間、“命”を代償にして契約を結び、人間離れした身体能力を得、炎を自在に操れるようなるための……。

「うわっ!? あちぃ!」
 犬を散歩させていた男が、裏返った声を出した。
 煙草を吸おうとして取り出したライターの火が、異様なほど大きく燃え上がり、炎となって前髪をなぶって焦がしている。

『瑞江はなにも悪くないよ。なんにも心配しないでいいよ』

 ぱしゃり……。魚が跳ねて踊った。
 銀鱗がはっきり見えるほど、瑞江の瞳孔へ、すっ、と収まり、ようやく思い出す。
 
 そうだ……、あの声は、本当に祖母のものだったろうか?

 白鷺が水をかすめて飛び立ち、元の静けさが戻ってきていた。



=了=